今日から桜、本気になります。

丸内さんの車に乗り込んだ。目的地も告げられずに、出発。


「丸内さん。どこに――」

「貴重な時間を得ました」

「え?」

「あなたと、相生さんについて話す機会を」


信号待ちになった。丸内さんが、俺の方に顔を向ける。


「相生美々子を、どうするつもりですか?」


全く、こんな話題になるだなんて思っていなかった。


だから俺は、狼狽えてしまう。


「え、えっと」

「一旦、鳴子さんのことは忘れてください。徳重まりあのことも、あの気の強い子のことも……」


気の強い子。きっと、碧先輩のことだろう。


確かに碧先輩は、俺と丸内さんが二人で話している空間に、あっさりと飛び込んできていたから、そういう評価は納得だ。


「私は別に、恋愛が悪だとは思いません。むしろ」

「むしろ?」

「……ゴホンっ」


雑な誤魔化し方だな……。


「相生さんは、あなたのことが好きです。気持ちも伝えています。あなたはきっと、これから他の女と天秤にかけて、最終判断を下すつもりだと思いますが」

「天秤って、そんな」

「実際そうでしょう。ハーレム主人公の野並桜くん」


すごく嫌味な言い方だが、状況としては否定できない。


「私から、お願いがあります」

「……なんですか」

「あの子を……。フッてください」

「えっ……」


信号が青に変わり、車が発進した。


「こないだも説明した通り、相生さんの成長は、ここで止めるわけにはいきません。彼女はもっとすごいヴァイオリニストになります。そもそも……。来年からは、元々海外に進出する予定でした」


初耳だ。美々子さんは、そんなこと……。


「今の大学は、とりあえず籍を置いているだけです。が、やはりどれだけ対策をしても、スキャンダルは発生する。良くない噂が流れる。だとすれば、彼女が大学に通うメリットはほとんどありません。現役大学生ヴァイオリニストの肩書は、ごく短い期間でしか、効果を為さないんです」

「……」

「聞いてますか?」

「聞いてます……」

「だったら、あなたの意見を述べなさい」


俺は……。


「美々子さんが、もっとすごいヴァイオリニストになることを、止めるつもりはありません」

「そうですか」

「……俺なんかが、止めるべきじゃないですよ」

「よくわかっていますね。ですが、彼女はあなたを手放したくないと思っている。ヴァイオリンとあなたを切り離すことが、可能だと考えているんです」


再び信号待ちになった。


すると、丸内さんが……。俺の胸に、手を当ててきた。


「ま、丸内さん?」

「……全く、緊張してないですね」

「え?」

「私の胸を、触ってみてください」

「えっ、いやあの」

「そういう意味ではありません。心臓の鼓動を聞いてもらいたいだけです」


それはわかっているけど……。それでも、ある程度は触れてしまうわけで。


丸内さんが、俺の手を掴んだ。そして、強引に自分の胸元へ寄せる。


柔らかな感触。でもそれ以上に――。


心臓の鼓動が、ドクドクと響いてきた。


「私は、決死の覚悟で、あなたと会話しています。それなのに、あなたは全く緊張していない」

「そ、それは」

「昨日言った、彼女と本気で向き合ってほしいという言葉の意味が、わかりましたか?」

「……」

「彼女は選択肢ではありません。一人の女性です。あなたがもし、彼女を選んだ場合、きっと相生美々子のヴァイオリニストとしての人生は平凡に終わる。選ばなかった場合、彼女自体終わってしまう可能性がある……。わかりますか?逃げ道なんて無い。絶望的な状況に、あなたと……。私はいるということです」


後ろの車にクラクションを鳴らされ、丸内さんがハッとしたように、アクセルを踏んだ。


……ようやく、自分の甘さが認識できた。


人と付き合うっていうのは、そういうことなんだ。


「……さて。ここまで色々言ってきましたが、これはバッドエンドのお話です」

「え……?」

「彼女が平凡で、あなたも平凡だった時の話」

「どういう意味ですか?」

「私は、信じています。相生美々子を。きっとあなたにフラれてからも、ヴァイオリンを手放さず、必死でもがいてくれると」

「でも、さっき丸内さんは……」

「あれは、仕事モードの私」


そう言うと、丸内さんは、メガネを外した。


「安心してください。視力は良いので」

「は、はい……」

「……今から私は、プライベートです」


次に、髪を結んでいたヘアゴムを解いた。長い髪が、ファサっと揺れる。


キリっとしていた目が、少し緩んでいる。表情まで作っていたのか……。


って、あれ?この人は――。


「あぁ~あ!さっきは猫カフェでぶつかっちゃったね!」


……嘘だろ?


でも、そう言われたら、そのようにしか見えなくなってしまう。


「驚いた?私って、普段はこうなの。ただの女の子なの」

「……驚いたなんてもんじゃないです」


化かされた。そういう気持ちだ。


「私は、相生美々子のファンなの。盲目的に彼女を信じる、ただの無知なファン。彼女の演奏を聴いて、彼女に惚れた、哀れな女……」


丸内さんが、いきなり俺の肩を叩いてきた。


「それが!こんな男一人のせいで、ぐちゃぐちゃにされそうになってるなんて、考えたくないよ」

「すいません……」

「だから、ハッピーエンドを見せてよ」

「え?」

「あなたが相生美々子と結ばれても、結ばれなくても、彼女が最高のヴァイオリニストになる未来を作ってよ」

「……どうやって?」

「知らない」

「そんな」

「知ってたら、とっくに実行してる」


次の信号で、丸内さんは、元の丸内さんに戻った。いや、どっちが元の丸内さんと言うべきかは定かではないけども……。


「いいですか。鳴子さんと接する時も同じ。あの気の強い子と接する時も、徳重まりあと接する時も……。本気で接するんです。受け身では無く。自分の一言が、相手の人生を変えてしまうかもしれない。そんな気持ちで」


……実際、俺のせいで、まりあさんと美々子さんは、今の仕事をしている。


その事実を知っておきながら、どこか流してしまいがちで……。


きっと俺は、人とちゃんと向き合うってことを、放棄していたんだと思う。


自分ではやれてるつもりでも、丸内さんの言う通り、甘かった。


「……期待してますよ?野並桜」

「……はい。頑張ります」


うまくいくか、わからないけど。


今日からは、彼女たちと、本気で接しよう。

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