桜を想いながら、ずっと弾いてきたんだ。

「……桜?」

「はい。開いてますよ」

「お邪魔しま~す」


美々子さんが、寝間姿で、俺の部屋に入って来た。


……相変わらず、薄着だなぁ。体の色々な部分が、はっきりとわかってしまう。


俺はそれが恥ずかしくて、目を逸らした。


「お。桜……。最初からベッドにいるんだな。寝る気満々じゃん」

「そういうわけではなくて……。ちょっと、シーツを整えてただけです。美々子さんが来るんで」

「……あたしと一緒に寝ること、想像しながら?」


大人っぽい笑みを浮かべる美々子さんが、とても綺麗で……。いつもとのギャップを感じた。


なんだろう。今の美々子さんは、スイッチが入っている。


「隣、座るな?」

「はい……」


お風呂上がりの美々子さんから、とてもいい香りがする。二人きりということもあってか、色々なことを意識してしまって……。緊張するなぁ。


「どうしたんだよ桜。全然こっち見ないじゃん」

「え……。そうですかね」

「……あの写真では、あんなに徳重ちゃんと見つめあってたのに」

「だからあれは」

「はいはい。演技の練習のためって言うんだろ?……徳重ちゃんも気の毒だよなぁ。桜みたいなビビりを好きになっちまってさ」

「そうですね……」

「まっ。あたしも人のこと言えないけどな」


美々子さんが、俺の肩の上に、頭を乗っけてきた。


「……あの」

「ん?」

「昔、俺たちが会ってた~。みたいなこと、言ってましたけど」

「今日は無しって言ったろ?」

「一応、日付が変わってるんで」

「……策士だな。桜」


美々子さんが頭を起こして……。俺の手を握ってきた。


「じゃあ、話してやるよ。その代わり、あたしから目を逸らすな」

「な、なんでですか」

「大事な話なんだよ。あたしと、桜と、それから……。徳重ちゃんの関係を、話す上でな」

「……まりあさん?」


どうしてここで、まりあさんが出てくるのだろうか。


「あたし、別に昔は、楽器とか好きじゃなかったんだ。ダンサーになりたかったんだよ」

「なんだか、そっちの方が、美々子さんっぽいですね」

「だろ?」

「……」


真っすぐに目を見つめられながら、ニコッと笑われると、心臓が掴まれるみたいに、きゅんとしてしまう。


「で、小さい時から真面目に練習してさ……。オーディションを受けることになったんだ。ちょい役なんだけど、ダンススクールの少女役で、ドラマのオーディションだった」

「ドラマですか」

「そん時はいろんなオーディション受けててさ……。ドラマなんか興味無かったけど、もしそこで、あたしのダンスが注目されたら、有名になるチャンスだろ?結構真面目に受けたんだ……。結果は惨敗だったけどな。まぁ~泣いたよ。あたしよりダンス上手いヤツいんのかって。それで、そのドラマを見たら……。もうわかるだろ?」

「……まさか」

「おう。あたしの代わりに受かった奴。それが、徳重まりあだ」


……すごい偶然だ。


「なんでダンスがあたしより下手なのに、受かってんだって。腹が立ったし、まだあたしも小学生だったから、訊きに行ったんだ。そしたら言ってたよ。あの子の演技には、何かを掴もうとする気持ちが出ていたって……」


美々子さんが、悔しそうに唇を噛んだ。もう何年も前の話なのに、未だに記憶に強く残っているのだろう。


「確かにあたしは、演技舐めてた。ダンスのことしか考えてなかったよ。それでも悔しくてさ……。徳重ちゃんは、当然あたしのことなんて知らないけど、今でもずっと、ライバルだと思ってる」

「なるほど、それで……」


美々子さんは、徳重さんに対して、何やらわけがありそうな振る舞いを何度か見せていたが、ようやくスッキリしたな……。


あれ。でも、俺がまだ登場してないぞ……。


「それからは、もっとダンスに集中した。けど、全然結果出なくてさ……。これでダメだったらやめようって、最後に受けたオーディションで、桜に出会ったんだ」

「え?」

「小学校六年生の時だから……。桜は四年生だよな」


記憶を探ってみるが、全く思い当たらない。


四年生なら、覚えていてもおかしくないのに……。申し訳ないな。


「すいません。思い出せなくて」

「あ、いや。思い出せるわけないよ」

「え?」

「だって、直接会話したわけじゃないからな」

「……じゃあ、どういう経緯で?」

「……ダンスフェスティバル。覚えてないか?」

「ん~……」


小学校四年生……。ダンスフェスティバル……。


……あっ。


「はい。覚えてます。確か、親父が見に行きたいとか言い出して、俺と妹は興味がないから、外で遊んでたんだっけな……」

「そうそう。そんときに、桜の妹さんが……」

「……えぇっ。まさか」


俺の妹は、昔ヴァイオリンを習っていた。


今ではやっていないと思うが、あの時はどこにいくにも持ち歩いてたっけ……。兄だからって、重いのに持たされて、大変だったことを思い出す。


「ちょうど、オーディションがダメでさ。外で泣こうとしてたんだ。そしたら、楽しそうにヴァイオリンを弾く妹さんと、それを笑顔で聴いてる桜がいて……。これかもって、ピンときた」

「じゃあ、小学校六年生から始めて……。今、プロになってるんですか?」

「そういうことだな」

「すごいですね……」

「……何言ってんだ。桜のおかげだよ」

「え?」


美々子さんが、急に距離を詰めてきた。


目はじっと見つめられたままだ……。


「そこにちょうど、桜の親父さんが来たんだよ。んで、桜たちを見てるあたしに気が付いてさ……。名刺を渡してきた」

「名刺ですか」

「おう。それで、こう言ったんだ。あの審査員たちは何も分かってない。君が今日一番輝いていた。君が落ちたのが許せなくて、途中で抜けてきたよって……。そんでさ、桜たち二人の紹介をしてくれて……。あたし、ぽろっと言っちゃったんだ。あんな風にヴァイオリンで人を笑顔にしたいって。弾いたこともないのに」


握られた手に、汗が滲んでいる。


「そしたら親父さんが……。君ならきっとできるさって。あたし、それを信じてさ……。いつの間にか、こうなってた」

「……その、なんと言っていいか」

「何も言わなくていい。ただ、あたしがヴァイオリンを始めたきっかけは、桜の笑顔だ。そんで、今続けてる理由も……。同じだよ。ずっと、あの笑顔を思い浮かべながら、血の滲むような努力をしてきたんだ。ただでさえ、始めるのが遅かったからさ……。……なぁ、桜」

「はい?」

「あたしが、桜のこと好きな理由、わかってくれたか?」


……直接、ちゃんとした空気の中で、好きと言われたのは、これが初めてだ。


心臓がバクバクと波打っている。目の前にいるのは、いつものちょっとヤンチャな美々子さんじゃなくて……。大人の美々子さんだった。


ずっと、俺のことを思いながら、ヴァイオリンを弾き続けてきてくれた、美々子さんだ。


「……ほら。横になれよ」


抵抗する力も無く。美々子さんに、押し倒された。


「別に、何かしようってわけじゃない。ただ、横で寝てくれたらそれでいいんだ」

「……はい」

「……あたしのこと、好きになれそうか?」

「……」

「なんか、言ってくれよ」

「その……」

「はぁ~……。ヘタレだなぁ。別にいいよ。答えは急がない。桜が優柔不断で、どうしようもないダメ男っていうのは、親父さんからも聞いてるからな」

「親父……」

「今でも連絡取るんだよ。もし桜と、そういうことになったら……。よろしくお願いしますって伝えてある」

「えぇ……」


親父、そんなこと全く言ってなかったんだけど。


……これは後で、説教してやらないとな。


「でも、一つだけ約束してくれ」

「どんな約束ですか?」

「もし、徳重ちゃんと本気で付き合うなら……。ちゃんとあたしを、フッてからにしてほしい」

「……そう、ですね」

「うん。良い子だ」


美々子さんが、頭を撫でてくる。


いつもより、その手が熱いような気がした。


「じゃあ、寝るか。……徳重ちゃんみたいに、服の中に入ってやってもいいぞ?」

「勘弁してください……」

「こうやって、くっつくくらいはいいよな?」

「それなら……。はい」


美々子さんが、俺の胸に顔を埋めてきた。


「でも、これじゃあ桜の顔が見えない」

「そうですね……」

「どうしような……。顔か、胸か。男だったら、胸を取るだろうけどさ」

「それは偏見ですよ」

「そうか。桜は尻派か」

「違いますって」

「……まぁ、胸にするか。赤い顔、見られたくないしな」


そんな可愛らしいセリフの後。


わずか数分で、寝息が聞こえてきた。


相変わらず、寝るの早いなぁ……。

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