愛人に立候補する月9女優。

激しいノックの音で、目を覚ました。


俺は眠たい目を擦りつつ、むくりと起き上がり、ドアを開ける。


この時、思考は全く働いていなかった。ほぼ反射的に、というか、体だけが勝手に動いていたというか……。


だから、目の前に急に現れたまりあさんを見て、思わず声が出そうになった。


「……だ~めっ」


しかし、まりあさんの柔らかい手に口を塞がれてしまう。


「リビング、行こうね?」


喋ることのできない俺は、ただ頷いた。


まりあさんに腕を引っ張られ、リビングへ。


少し暗めに調整され、電気がついていた。


「まりあさん……。夜通し撮影なんじゃ」

「そうだよ?でも……。ほら」


まりあさんが、時計を指差した。現在時刻、午前四時……。


「もう、朝だから」

「まさか、眠らずに帰って来たんですか」

「うん。本当は、ホテルに泊まってこようと思ってたんだけど……。こんな文章が送られてきたから」

「ん……?」


少し不機嫌そうな顔で、スマホの画面を俺に見せてくる。


そこには……。


『徳重まりあ。あたしは絶対負けないからな。桜はあたしのもんだ』


「ね?これを見て、じっとしてられると思う?」

「いや……。美々子さんだから、適当書いてる可能性もあるじゃないですか」

「……ううん。あの子は、桜くんのことに関しては、嘘も言わないし、ずっと本気だよ」

「そうですか……」

「で、一緒に寝てたみたいだけど、何をしていたのかな」


まりあさんの笑顔が怖い……。別に、浮気をしているとかでもないのに。


「一緒のベッドで眠ってただけです。別に何もないですよ」

「本当?相生さんの胸に顔を埋めたり、一緒の服に入ったりしてない?」

「どこかで聞いたことのあるシチュエーションですね……」

「えいっ」

「えっ」


急にまりあさんが、抱き着いてきた。


……やっぱり、美々子さんとは違う。安心感というよりも、緊張感。


包み込むような優しさを感じることはできるのに、どこか緊張してしまうのだった。


「……桜くんは、私の彼氏だよ」

「まりあさん……」

「撮影。すごくうまくいった。これまでにない演技ができたの。監督さんが褒めてくれたし、現場のスタッフも、みんな泣いてて……。だけど、私は泣かなかったよ?偉い?」

「そうですね」

「じゃあ、頭を撫でて?彼女が頑張ったんだから」

「……そんな、甘えんぼうキャラでしたっけ」

「桜くんのせいで、変わっちゃったの。責任取ってよ……」


俺は、まりあさんの髪を控えめに撫でた。


茶色の髪は、出逢った時よりも、少しだけ伸びているように思う。それだけ、時間が経ったということだろう。せいぜい一か月くらいだけど。


「もっと、強く撫でてよ」

「え……。良いんですか?」

「いいよ」


少しだけ、力を強めてみる。


「もっと」


さらに強める。


「……うん。そのくらい」

「結構強いですよ?これ」

「でも、これがいいの。桜くんに、支配されてる感じがして……」


むしろ支配されてるのは俺の方なんだけどな……。


「……それで、あの」

「はい」

「これからの、話なんだけど」

「これから?」

「空君の撮影が終わってからの話」

「あぁ……」


……ついに、きたか。


「私は……。カップル、続けたいと思ってる」

「……」

「でも、桜くんが、私に好意を抱いていないことも、わかってるの」

「まりあさん……」

「だから、お願い。好きじゃなくてもいいから、彼氏のままでいてほしい」

「……えっ」


好きじゃなくてもいいから……?


「そんな形が、あるんですか」

「だって、これから先も私は、君の力がないと、オーディションなんて受からないし……。なにか重要な場面を迎えるたび、こうして甘やかしてもらわないと、きっと続けられないの。だから、例え桜くんが、誰か他の女の人と付き合って、結婚して、子供を作って……。そうなっても、私との関係は切らないでほしい」


まりあさんらしくない。必死で、まくしたてるかのような早口に、俺は強い違和感を覚えた。


「それは……。おかしいですよ。そんなの、愛人じゃないですか」

「仕方ないよ。期待の若手女優、徳重まりあは……。野並桜だけで構成されてるんだから」

「……俺を使わなくても、なんとかなるように、訓練するのは?」

「ありえないよ」

「でも」

「君が優しいのがいけないんだよ?」


まりあさんが、密着をより強めてきた。痛いくらいに抱きしめられている。


「私、すごく気持ち悪いよね。もう何年も年下の男の子の写真を集めて。本人に出会ったら、こうして何度も過激なアプローチをして……。最後には、捨てないでって、みすぼらしくお願いしてるの。それなのに桜くんは、全然怒らない。逃げもしない。本当だったら、キモいの一言で終わりだよ?」


……徳重まりあに、これだけの好意を見せられて、拒否することができるやつがいたら、教えてほしいくらいだ。


どれだけ重くても、この美人に迫られたら、そう簡単には断れない。


だけど、さすがに愛人的なのものは……。


「とりあえず。桜くんが他の女の子を好きになるまでは、彼女を続けてもいいでしょ?」

「それはあくまで、女優としての活動を続けるため……。という名目で?」

「……そうなっちゃうのかもね」


どこか儚げな、消え入りそうな声だった。


「はぁ……。眠くなってきちゃった」

「もう寝た方が良いですよ。ただでさえ、一日演技のことばかり考えて、消耗してるのに」

「もちろん、一緒に寝てくれるよね?」

「えっと……」


俺は今、美々子さんと眠っている最中だ。


あれだけでかいノックをされても起きない美々子さんだから、バレはしないと思うけど……。


「どうしたの?相生さんが気になる?」

「そうですね……」

「あの子って、本当に君のことが好きなのかな」

「……どういう、意味です?」

「ううん。こっちの話」


一瞬、まりあさんの声が、とても怖かったような気がした。


多分、眠たくて、たまたま低い声が出ただけだろう。


「どこで寝ようか……。私は、ソファーが良いんだけど」

「そんなところじゃ、疲れが取れませんよ。ちゃんとベッドで寝ないと」

「……桜くんの方から、私をベッドに誘ってくれるんだ」

「そういう意味じゃなくて……」

「大丈夫。桜くんと密着してるだけで、すっごく疲れが取れるから」

「そんなことあります?」

「今更疑うの?私の生きる活力は、野並桜なんだから……。当たり前のことでしょ?」

「……なんでそんな恥ずかしいことを、普通に言えるんですか」

「目を見ながらでも、言えるよ?」


そう言うと、まりあさんは、ゆっくりと俺から離れ……。


見上げるようにして、目を合わせてきた。


「……私の全部は、野並桜です」


……これは、ヤバイ。


心臓を直接掴まれているみたいな感覚に襲われる。


やっぱりまりあさんは、凶暴だ。少し前までは、時折安心感を得ていたけど、もうそれは全くない。


どこまでも自分の求めるものに素直で、真っすぐで……。


「だから、君の一部でもいいから……。私に分けて欲しいな」


そう言って、もう一度抱き着いてきた。

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