第3話 峠道
雲ひとつない澄み渡った夜空に半分欠けた月が浮かんでいた。
キャンパスから遠ざかるにつれ、煌びやかな街のネオンはぼんやりとした民家の明かりへと変わっていき、すれ違う車の数も減っていった。薄暗い月明かりと頼りない街灯の下、赤いテイルライトが火の玉のように茫々と夜道にさまようのが遠くに見える。
一年ぶりだった。リサの実家までの道のりを覚えていることに自分でも驚いた。
三回くらいだったか。リサを実家まで送って行ったことがある。ちょっとした坂道でヒーヒー泣き言を言うこのオンボロ車で。
憧れだったミニクーパーを先輩から安く買ったのは、リサと付き合いだして三ヶ月くらい経ってから。それに乗ってリサの大学まで迎えに行ったら、リサは「すごい、すごい」と人目も憚らず、路上で飛び跳ねて喜んでくれた。もともと狭い上に、シートもボロボロだし、クーラーは調子悪くて真夏には窓を全開にして走らなきゃならない。そんな乗り心地最悪の車なのに、リサは一度も文句は言わなかった。『ボロクーパー』と悪友でもからかうように愛着を持って呼んでいた。
ガサツ、ていうのかな。繊細さに欠けて、不器用なとこもあって、でも、細かいことに捉われない、そんなリサが好きだった。
いつのまにか、月明かりは木々に遮られ、ぐにゃぐにゃと曲がりくねる山道を、ヘッドライトだけが照らしていた。
峠を越え、中腹まで下ったところで、俺は車を停めた。
助手席で放り投げるようにして置いておいたケータイが落ち着きなく震え続けていた。運転し始めて約一時間。このまま、無視し続けるわけにもいかないよな。
「もしもし?」
エンジンを切り、念のため、ハザードだけつけて、ケータイを耳に当てた。
『戸井田! 何するつもりだ、お前』
電話の向こうで、珍しく、堀が声を荒らげていた。仏様みたいなあいつの顔が、馬頭観音のごとく変貌しているのを想像すると、ぶるっと寒気がした。電話でよかった。
『まさか、変なこと考えてるんじゃ無いだろうな!?』
「変なことってなんだよ……人聞きの悪い」
『お前……今、どこにいるんだ!?』
「言ったらどうすんの?」
『俺もすぐ行くから!』
「なんでだよ。あ、てか、お前じゃないよな? 兵藤に合コン、頼んだの」
『は? 兵藤? 誰?』
「うちのサークルの一年の……」言いかけ、すぐに言葉を切った。それはないだろ、と反省する。堀は影で友人を『ウザい』と言うような奴ではないし、そもそも、兵藤と面識がない。「いや、なんでも無いわ。悪い」
『やっぱ、変だな。まさか、酔ってないよな?』
「いや、飲酒運転はしないわ」
『じゃあ、車で出かけてるんだな』
思わず、電話を切っていた。
すぐにまたケータイが震え出したが、しばらく考えてから、電源を切った。
しんと静まり返った車内で、革のシートに体を預けて瞼を閉じる。エンジンを切った車内でケータイの電源も切ると、不気味なほどの静寂の中、カチカチとハザードランプの規則的な音だけが響いていた。
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