第7話 ヒロイン視察


 春が終わり夏がはじまろうとしていた。


 イリスはヒロインのカミーユについて調べた。なぜなら、シティスと異母兄妹ということを隠されていたがために、ゲームでは二人は恋に落ちメリバを迎えてしまったからだ。


 最初から異母兄妹だとわかっていたらシティスもカミーユも恋になんて落ちないはずよね。私だっていくらニジェルがイケメンになると知っていても、恋をしたりしないもの。


 だからこそイリスは、お互いの存在を早めに教えてしまえばいいと思ったのだ。


 申し訳ないけれど、悪役令嬢として二人の恋を邪魔させていただきます!


 万が一、ゲームの情報と違っていてはいけないと、イリスは下準備としてカミーユがシティスの妹なのかを確認することにした。


 調べてみれば、ゲームの通りカミーユの母はカミーユが幼い頃に亡くなっていて、叔父夫婦の子どもとして育てられているらしい。シティスの父は身分を隠しつつ、困らないようにと支援を続けていた。隠し子を作ることは理解できないが、支援を続けていてくれたことに少しだけホッとする。


 イリスは町にやってきていた。カミーユの店に行くためである。カミーユの叔父夫婦は、町で小さな化粧品店を営んでおり、カミーユもそれを手伝っていた。最近はそこで売る『カミーユのオイル』と名付けられた椿油が傷跡に良いと噂になっていたのだ。

 ゲームの情報通りであれば、カミーユの聖なる魔法の力で治癒を速める効果があるのだ。イリスはその商品自体にも興味があった。


 カミーユが作った椿油! 絶対使ってみたいと思ってたのよ!


 ゲームの始まる以前のカミーユの生活をイリスは設定でしか知らない。どんな生活をしていたかも気になっている。

 イリスはメイドと一緒ではあったが、目立たないような町行きのワンピースを着ている。緑色の縦ロールは目立ちすぎるので、アップしてスカーフで覆った。隠しきれていないところもあるけれど、イリスはこれで大丈夫だと思った。


 カミーユの店はこざっぱりとしていた。薬の瓶のような武骨な入れ物が並んだ店内。量り売りもしているようだった。イリスはそこで『カミーユのオイル』を買ってみた。ゲームの通りなら、痘痕に塗れば少しぐらいは目立たなくなるかと思ったのだ。シティスの魔法は断ったが、まったく気にしていないわけではない。薄くなるなら薄くなった方がいいと思うのは、乙女心として普通だろう。


 カミーユは不在だった。聞けばこの時間、町の教会に勉強へ行っているらしい。教会では子供達に読み書きと計算を教えていた。

 イリスは教会に行ってみる。


 小さいけれど花の咲き乱れる可愛らしい教会だ。 

 白いリラの花が咲き乱れている。むせかえるほどの芳しい空気に酔いそうになる。そう言えば、ゲームのオープニングでも白いリラが咲き乱れていた。ハート形の花びらが舞い散る中に、攻略者たちが佇んでいるとても綺麗なものだった。


 それにしても白いリラなんてメリバゲームだけあるわね。


 イリスはシニカルに笑った。白いリラには、町娘と貴族との悲恋の物語があるのだ。ゲーム開始からすでに悲恋を暗示しているわけだ。


 カミーユが教会から現れた。白い花が煙る中、水色の髪をなびかせて歩いてくる姿は清々しい。ゲームスタート時より幼い顔立ち。水色の瞳は、シティスのそれとは違って柔らかかった。しかし鼻筋といい、キュッと尖った顎の先といい、よく似ている。


 こうやって見れば納得なのよ。なんでシティスは気が付かなかったのかしらね? もしかしてナルシストとか?


 イリスはメイドを教会の門で待たせ、カミーユに声をかけた。


「すみません……すこし、教会を案内してくださらない?」


 チリリと首の鈴が鳴った。カミーユは驚いてイリスの首を見た。そして左手の痘痕も見た。しかし、何も言わずに微笑んだ。


「はい。構いません」


 その時一陣の風が二人の間を駆け抜けた。リラの花びらが舞い落ちる。イリスのスカーフは白い花まみれになってしまった。慌てて花を払えば、カミーユの指が伸びてくる。


「花びらが五枚!」


 カミーユは屈託なく笑った。イリスは怪訝な目を向ける。


「知りませんか? リラの花びらは普通四枚なんです。五枚の花を見つけたら、黙って飲み込むと好きな人と永遠にすごせるんですよ! これ、貰ってもいいですか?」


 恋に恋する少女の顔でカミーユははしゃいだ。


 好きな人と永遠にって、『千年の眠り』のあおりじゃない!!


 イリスはギョッとする。


 伏線? 違うわよね? まだゲームは始まってないものね? っていうか、そのルート絶対阻止なんだからね!


「い、いいけれど、もう話しちゃったから駄目なんじゃないのかしら?」


 イリスが指摘すれば、カミーユはがっかりしたように肩を落とした。


「あー、そうでした! こんなにたくさんリラが咲いているのに、私見つけたことがなかったんです。今日初めて見たから嬉しくなっちゃって……でも、本当にあるんですね。だったらこれから先も、見つける可能性があるわ」


 カミーユは幸せそうに笑う。


「そんなお呪いに頼らなくても大丈夫よ」


 イリスは少し突き放した感じだったかなと思った。悪役令嬢のせいなのだろうか、物言いが不遜になる時があり、イリス自身気にはしていたのだがどうにも直らない。

 しかし、カミーユは気にしないようだった。


「ふふふ、そうですね!」


 そう言って、五枚の花弁をそっと唇に寄せた。


 ちょ、ちょ、ちょー!! なによ! めちゃめちゃ可愛いじゃない!!


 イリスはカミーユの魅了によってあえなく撃沈した。



 カミーユは丁寧に教会を案内してくれた。明るくて快活な少女だ。店番を手伝っているからか、人当たりが柔らかくて気持ちのいい娘だ。

 カミーユは教会内部のステンドグラスまで説明してくれた。小さい教会の小さいステンドグラスは素朴であったが、石の床に落ちた光は静謐だった。

 その色とりどりの光を受けるカミーユはまさに聖なる乙女だ。


 これならみんなが好きになるわね。


 イリスは納得した。


「あなたは今幸せ?」


 イリスはカミーユに尋ねた。カミーユは迷いなく頷いた。さらなこの子に嫌な話を押し付ける自分が嫌だとイリスは思う。


「……そう……。あなたは、あなたの父親をご存じ?」


 その言葉にカミーユはぎこちなく微笑んだ。


「いいえ。でも、なんで、そんなことを? 町で噂になってます?」

「そうではなくて、多分あなたの父と思われる方を私が知っているからです」


 カミーユは大きく目を見開いた。空色の瞳が零れ落ちそうだ。


「私の父は生きているんですか?」


 イリスはその問いには答えなかった。


「あなた、お母様から何か形見をいただいていない?」


 ゲームではそういう設定だった。カミーユの身分を示すものが、母の形見のお守り袋の中にあるのだ。


「え、あ、あります」


 カミーユは首に下げていたお守り袋を出した。口はシッカリと縫いとめられている。中にはカミーユの身寄りを示す、シティスの家の鷲の紋章のついたアミュレットと、父親の青い髪が入っているのだ。ゲームの後半で明かされるヒロインの出生の秘密である。


 間違いない! やっぱりカミーユとシティスは兄妹だったのね。ゲームの中で何度も何度も握りしめていたから覚えている。ゲームでは意地悪で池へ投げ捨てられたこともあったっけ。それをニジェルが泥だらけになって探してくれたのよね。ほんと、ニジェルってばいい子。


 イリスは確認が取れたことにホッとしつつ、違えば良かったのにと少しだけガッカリした。 


 でもやっぱりメリバは阻止したいのよ!


「やっぱりあなたで間違いないと思うわ。あなたにはとお離れた兄がいます」

「兄……?」

「ええ、青い髪の美しい方よ」


 カミーユは青い顔をしていた。そのことにイリスの胸が痛む。離れて暮らす兄がいる、そのことは男女の複雑な事情を想像させるに違いない。


 でも、青髪の兄がいることを知っていれば、シティスを男性としてみる前に兄と疑うでしょう。


 そうすることが、未来の業火を防ぐことになるのだ。


 ごめんね。カミーユ。千年の眠りルートではたくさんの人が死んでしまうから、これだけは譲れないの。私、悪役令嬢なので、あなたのメリバ阻止させていただきます!


「それって……私の母は……」


 カミーユの唇が震えた。

 イリスはそれを見て切なくなる。


「あなたがそれを知る必要はないと思うわ」

「でも、これは私が持っていてはいけないんじゃ」

「なぜ?」

「もしかしたら、その……母が相手の奥様にご迷惑をかけたのなら……」

「……奥様は、あなたの生まれる前に亡くなられています」

 

 カミーユはあっけにとられたようにイリスを見た。そして、ポロポロと泣き出した。大粒の涙はステンドグラスの淡い光を孕んでとても綺麗だった。


「私は生きていても許されるのですか」

「許すも何も……私はそんな立場ではないわ」

「……私はずっと自分を許されない子だと思っていました。母は私を愛してくれました。育ててくれる叔父たちもいつくしんでくれています。だけど、父のことは誰も教えてはくれなくて、ずっと自分は不義の子なのかもしれないと思っていたから……」


 その先は嗚咽となって、カミーユは俯いた。


 溌溂として明るく振る舞うカミーユであったが、心の底は不安でいっぱいだった。触れてはいけない父の存在、早くに亡くした母。叔父夫婦は大切にしてくれたけれど、自分はお荷物なのではないかという思い。自分の存在が誰かの迷惑でないかとの思いが棘の様に刺さっている。そんな彼女は愛の与え方も愛の受け取り方もわからない。

 人から嫌われるのが怖い。だから、望まれるがままに尽くし、乞われるがままに与えてしまう。彼女は誰かに必要とされたいのだ。人当たりが良いと思われているのは嫌われたくないためだ。


 可憐なカミーユの弱々しい姿にイリスは戸惑う。どうしたらいいのか分からずに、でも慰めてあげられたらと思う。本当はあまりかかわるべきではないと思う。だけど、こんなにか弱い姿を見せられたら。


 もう! 仕方ないじゃない。


 イリスはハンカチを取り出して、カミーユの涙を拭いた。


「あなたに罪はないわ。あなたは許されない子じゃない。お母様が色々なものを引き換えにしてでも欲しかった大切な子供よ」

「お姉様……」

「お、お姉様って」


 カミーユに呼びかけられてイリスはギョッとした。


「お名前を尋ねてはいけないのでしょう?」

「……そうね、今は知らない方がいいわ」

「だからお姉様と呼ばせてください。……お姉様、ありがとうございます」


 ニッコリと笑うカミーユはヒロインの名にふさわしくとても美しかった。


 カミーユのオイルはとても使い心地が良かった。きっとゲームの通り聖なる力が込められているのだ。幸せな気持ちになれる。そのためイリスはカミーユがいない時を見計らって、何度も買いに行っては、カミーユのことを店の者から聞いた。聞いてみれば、お店の商品で唯一椿油だけ、カミーユが手伝っているとのことだった。心を込めて絞っていると笑う話から、すでに聖なる乙女の片鱗が伺えた。

 



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