第6話 三人目の攻略対象者


「実は今日、宮廷魔導士を呼んだのです」

「魔導士様ですか?」


 その言葉を聞いて、イリスはさらに戸惑った。なんのためなのか皆目見当がつかない。


「シティス」


 王子が声をかけたところで、宮廷魔導士シティス・ド・サドが現れた。腰まである青い髪を緩く一つに束ね、黒縁の片メガネをしている。眼鏡の奥の物憂げな瞳はサファイヤのように煌めいている。黒いローブは宮廷魔導士の証だ。

 シティスはイリスたちよりも十ほど年上の二十三歳。魔導を扱うサド伯爵家の若き宮廷魔導士である。


 出たー!! トゥルーエンド『千年の眠り』ルートのシティス!!


 三人目の攻略対象者。前世の記憶を思い出すきっけかとなった悪夢のメリバエンド。最悪にして至高のトゥルーエンドと言われる『千年の眠り』ルートのシティスは、ヒロインの腹違いの兄なのだ。そのことを知らずに二人は出会い恋に落ちる。


 天才魔導士のシティスは世界がつまらなくて仕方がない。早くに母を亡くし、母代わりのメイドも突然いなくなり、恋人も病によって奪われてしまう。愛情に縁のない彼は仕事だけに生きているのだ。

 しかし、聖なる乙女カミーユに出会うことで、彼の世界はひっくり返る。自分より下の魔力なのに、自分よりも多くの魅力を持つ少女。十も年下でありながら、シティスの知らなかった世界を見せてくれる存在。彼女を知ることで暗かった世界が明るく輝きだすのだ。父のいなかったヒロインは、シティスの包容力に安心しお互いに惹かれ合う。

 しかし、二人は血のつながった腹違いの兄妹であった。社会は二人の恋を許さなかった。シティスはカミーユとの許されない恋に絶望し、その魔力を使って王都を火の海に沈める狂気の男なのである。


 こわいこわいこわい。


 イリスはシティスを見つめたまま身動きできずにいた。シティスはそんなイリスを見て不愉快そうに眉をひそめた。


「シティス・ド・サドと申します」


 大人の色香が隠しきれない低音ヴォイスにイリスは一瞬眩暈を感じた。ゾッとする。


 ゲームと同じ声……。 イケボでヤバい声だけど、それ以上に危険すぎる男なのよ。


 不機嫌そうなシティスの声に、イリスは慌てて名を名乗る。


「イリス・ド・シュバリィーと申します」


 そうしてからレゼダ王子に問いかけた。


「な、なぜ魔導士様を?」

「あなたの腕の傷を見てもらおうと思ったのです」


 レゼダの優しい言葉に、イリスはハッとした。

 ゲーム中のイリスは、家の力にものを言わせシティスを個人的に使い、痘痕を隠すための魔法をかけてもらっていた。そのことを糾弾したヒロインと険悪になり、最終的にはヒロインを刺殺する。もしくは、シティスに焼き殺されるのである。炎の檻に囲まれて逃げ惑う絶望のイリス。赤と緑の対比が絶品だった。しかし。


 『千年の眠り』ルート怖すぎるでしょ!? 王都消失で、ヒロインがヒーローを刺して眠りにつく上に、目覚めたところで幸せになれる保証もないという……。


 きっと今日がそのきっかけになるかもしれない。


 やだ、私は頼んでないのに! これが噂のゲーム補正? でも絶対、絶対にこのルートを始めさせたりしない!! 断固拒否!


 イリスは固く心に誓った。


「レゼダ殿下、お心遣いはとても嬉しいのですが、私の痘痕は魔法でも治らないかと思いますわ」

「なぜ?」

「もう傷が治ってしまっているからです。傷口が開いている状況であれば治癒の魔法で少しくらいは薄くもなるでしょうが、もう塞がってしまっては無理でしょう」

「それはシティスにも言われた。だが、やってみなくては分からないでしょう?」

「いいえ。殿下。失った腕は魔法で生えません。それと同じかと思います」


 イリスは笑って答える。

 シティスは二人のやり取りを見て目を見張った。シティスはここへ来るまでは、馬鹿な娘の我儘にレゼダが振り回されていると思っていたからだ。シティスにしてみれば、はた迷惑な話だったが、将来の出世を考えて渋々やって来たのだ。

 しかし、様子を見れば想像とは違った。娘は馬鹿ではなく、この年の令嬢にしては分別があった。


「イリス嬢の仰る通りです。ただ、一時的な目くらましの魔法で目立たなくすることは出来ますが」


 シティスの答えに、レゼダは目を輝かせた。


「それならそれを!」

「殿下。いけません」


 イリスはきっぱりと答えた。


 おや、とシティスは思う。この提案には飛びつくと思ったのだ。何しろ、土痘の痘痕は不吉なものとされていた。どんな小さなものでも隠したいのが心情だ。しかも、イリスには肘から手の甲にかけて飛び飛びに痘痕がある。将来に影を落とすことは明らかだ。


「シティス様。目くらましの魔法とはどれほど継続するものですか?」


 イリスが尋ねる。


「そうですね。おおよそ2週間ほどでしょうか」

「永続的なものではないのですね。だとすれば、魔法が切れることを怯えながらすごさなければならなくなります」


 実際、ゲームのイリスはそれに怯え、いつでも手袋をしていた。魔法のために密会する男女は不自然で、ヒロインに二人の仲を疑われてしまうのだ。結果的にイリスの秘密まで暴かれ、目くらまし魔法を奪われることになったのだ。正論で糾弾されたイリスは、ヒロインを逆恨みすることになる。


「魔法が切れる前に掛け直せばいいだけでしょう? 案じることなど何もありません」


 レゼダは、イリスをなだめるように言う。

 イリスは首を横に振り、逆に言い含めるように答えた。


「宮廷魔導士様にそんなに頻繁にお時間をいただくわけにはまいりませんでしょう?」

「しかし、イリス嬢……」


 レゼダの言葉をイリスは遮った。


「それに定期的に二人で会う男女など世間体が悪いでしょう。私はともかく、シティス様には恋人がいらっしゃるかと思います」


 だって、恋人がいるなら絶対よくないし。っていうか、シティスの恋人まだ生きているわよね? 生きていて!


 イリスが窺うように問えば、シティスはツと視線をそらし、レゼダは驚いた顔でシティスを見た。


「シティスには恋人がいるの?」


 レゼダが驚いたようにシティスに問う。


 あれ? 秘密だった? 


 シティスはほんのりと頬を赤らめコホンと咳払いをした。


「それはともかくも、たしかに男女二人で定期的に会うというのはイリス嬢の体面上あまりよくないでしょう」


 あ、否定しなかったってことは、恋人がいるってことね? 少なくとも悪い反応ではないよね?

 よっしゃ! 是非長生きして末永くお幸せでいて欲しい! ヒロインちゃんの入る隙間を作らないで! 


 テーブルの影でガッツポーズをするイリスを、二人は怪訝な顔で見た。

 イリスは焦って、令嬢らしい微笑を作る。


「……あの、ですから、殿下のお気持ちはとてもありがたく存じます。でもよくないことだと思うのです。いくら目くらましの魔法をかけても、周りの人は知らなくても、私は痘痕を知っています。自分に嘘をつくなんてできないのです」


 レゼダは言葉を失った。その様子を見てイリスはシティスに頭を下げた。


「わざわざお越しくださったのに申し訳ございません。痘痕のことはご心配いただく必要はありません」


 シティスは感心した。


「イリス嬢。あなたはなかなかに思慮深いご令嬢だ。あなたはまやかしの美しさならいらないとおっしゃる。ならば、魔導宮に来てみませんか? そこで学ぶのであれば二人きりということもありませんし、体面は保たれましょう。魔導宮にはたくさんの書物があるのです。いろいろな民間治療なども集められています。痘痕が薄くなるような発見があるかもしれませんよ? どうでしょう。殿下。イリス嬢は私の手を借りたくないのでしょう。自身で解決できる環境を整えてあげるというのは?」


 シティスはこのやり取りで気が付いてしまったのだ。若き第二王子は、イリスの気をひきたくてこのようなことをしているのだと。

 きっと魔法を理由に王宮に呼び寄せたいに違いないのだ。ならば、年長者でもある自分がその淡い恋の手助けをしてやってもいいのではないかと考えた。王子に恩を売るのは悪くない。

 魔導宮は王宮の中にある建物だ。ここへ来る理由ができれば、レゼダはイリスに会うこともできるではないか。


 それに、イリス自身にも好感を抱いた。シティスの母は土痘で亡くなっている。母が病を免れて生きていたら、イリスのように前向きに生きられただろうか、と考えてしまったのだ。きっとできなかったと思う。ならば、この状況で前向きな少女に手を貸してやりたい、そう思った。


 そんなシティスの考えを知らないイリスは、シティスの提案に目を輝かせた。


 うそ! 嬉しい! ゲームの魔導宮入ってみたかったの! ゲームの中で見た中では一番のお気に入りの場所なんだもん!


 シティスの立ち絵で見たことのある魔導宮。そこは特別な者しか入れない場所だ。たくさんの本棚の中を飛び回る本や妖精。一度行ってみたいと思っていた。


「良いのですか!?」


 イリスはシティスとレゼダをキラキラした瞳で見つめた。


「イリス嬢が望むのであれば」

「殿下、お願いします」


 イリスは頭を深く下げた。


「シティス、本当に構わない?」


 レゼダはシティスに確認を取った。

 シティスは小さく頷いた。


「ええ。ご案内しましょう」


 イリスはその言葉を聞いて、小さく跳ねた。ミントグリーンの縦ロールもピョコンと跳ねる。

 それを見てシティスもレゼダも笑った。




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