第44話 魔王な彼女

「おっきろオラー!」


 叫び声とともに腹部へ激痛! 俺の布団に潜り込んでいた黒猫のレスが、ビックリして飛び出して行った。俺は声を出す余裕もなく、布団の中で悶絶する。呼吸を整えて布団から顔を出すと、仁王立ちのキクがいた。


「お前はいきなりなにすんだよ」

「もう朝よ。いつまで寝てんの」


 久々のキク目覚ましは強烈っていうか、ただの暴力だった。


「どうせテストが終わったからって、夜更かししてたんでしょ」

「そんなことは……あるな」


 昨日の愛玩ペット事件で、胸がざわざわして寝られませんでしたよ。

 キクが俺の顔をのぞき込む。


「うーん、なんともないなぁ」


 小首をかしげると、考え込む表情。


「なんであのときあんなにちゅーしたかったんだろ?」


 まあ、小悪魔インプの影響を受けてたからだが、キクにわかるわけもない。


「カケルがどうしてもって言うなら、そのときはやぶさかでもないけど、してくれないからって泣くほどじゃないよね」


 って俺に聞かれても困るけど。


「だってさ、わたし思い出しちゃったんだよね」

「な、なにを?」


 キクの意味ありげな笑顔に、悪い予感がする。いやむしろ実感する。


「まだ一緒にお風呂に入ってたぐらいちっちゃいころにさ、わたしカケルにちょーちゅーしてたんだよね」

「はぁ?」


 ちょーちゅー? いっぱいキスしたってこと?


「そんなの知らないぞ!?」

「覚えてないでしょ。カケル全然気にしてなかったもんね。あの頃のカケルは可愛かったなぁ」


 なんだそれは? 全然覚えてない。本当なのか?


「だから残念だけど、カケルの初めてはわたしだから」

「そんなのノーカンだろ」

「うふふ、ご愁傷様」


 そう言ってキクは階下に下りていった。

 これはあれか、キク流の意趣返しなのか。それが本当の話なら、覚えてないのがちょっともったいないと思ってしまった。



 そのあとは準備と朝食をすませ、キクと一緒に玄関を出る。


「おはよう、カケルくん」


 するとそこには、倉臼さんがいた。


「は? なんでソラちゃんがいるの?」


 倉臼さんは少しもじもじしながら言った。


「だってあたし、カケルくんのペッ」


 俺の左手が倉臼さんの口をふさぎ、セリフを遮った。


「ああー、そう、最近キッちゃんが朝起こしてくれなくなったから、いざってときには迎えにきてもらえるよう頼んでたんだよ、な!」


 ズバシッ! と、キクの下段蹴りローキックで俺のふくらはぎが軽快な炸裂音を発する。


「痛ってーよ!」

「なんでソラちゃんとそんなに仲良くなってるのよ。わたしにはあんな大見得おおみえ切ってたくせに」

「ごめんねキクちゃん、あたしからお願いしたの」

「ソラちゃんはいいんだよ、もともと狙ってたんだから。カケルの節操がないのが問題なの」


 自分で言ってて矛盾に気づかないか? お前は誰の味方なんだ?


「天野さんに言いつけるからね」

「キクちゃん、それは大丈夫だよ。天野さん公認だから」

「ホントにぃ!?」

「ホントホント、本当だから!」


 素直に納得できないキクに、俺は必死で肯定する。まあ納得できない気持ちはわかる。


「で、じゃあさっき言いかけたのはなに?」

「言いかけたって?」

「『ぺ』よ、『ぺ』」


 ぐ、聞き逃さなかったか。なんとか誤魔化さねば。


「じゃあ逆に、キッちゃんはなんだと思うの?」


 んん? とキクは首を傾げる。


「ぺ……ぺ?」


 数秒考えて出した答えは。


「……ぺんぎん?」

「やーん、キクちゃん可愛い」


 倉臼さんがキクに抱きつく。キクは不満そうだ。


「ほら、キッちゃんもソラさんも、早く行かないと遅れるよ」


 俺が話題を変えようとしたが、


「ソラちゃんを馴れ馴れしく、呼ばないで、よっ!」


 ゴスッと俺のわき腹にキクの中段回し蹴りミドルキックがめり込む。理不尽。


 しかし、俺が吹っ飛んだ先で受けとめたのは、


「なんだ、戸塚さんとももう仲直りしたの」


 ナギだった。


「あ、天野さんまでなんでいるの!?」


 キクは驚きながらも、もともとのケンカの原因が自分のアレではばつが悪いのか、その辺のことを誤魔化そうとした。


「今の見てた? 絶賛対立中だよ。まあいつものことだけど。でもなんでケンカしてるって思ったの?」


 興味が出てきて誤魔化しが全部パーだ。


「見てたらわかるわよ。試験期間中の二日目か三日目でしょ。カケルは寂しそうだし戸塚さんはカケルを避けてるし。理由まではわからないけど」

「マジかー。隣のクラスの天野さんにバレてるなら、うちのクラスにはもっとバレバレかなぁ」


 キクでもそういうのは気にするのか。


「それでか、試験終わりにやたら男子が打ち上げに誘ってきたのは」


 なに!? それは初耳だぞ。


「陸上部の打ち上げに草部先輩から誘われてたからそっちに行ったけど」


 ビシッと俺の心のなにかにヒビが入る音がする。

 いや、なんで俺がショックを受けてんだ? 普通のことだろ。


「カケルのおかげでカラオケ大成功だったよ」


 俺の内心を知ってか知らずか知ってるはずがないが、そこはかとなく心をえぐってくる。


 落ち着け俺、よく考えろ。キクにちゃんとした彼氏ができれば、俺も安心だし、キクも俺に構わなくてよくなるし、お互いにハッピーじゃないか。


「カケル、そろそろ行かないと遅れるよ」


 ナギが俺の左手を握った。


「そういえば、ナギはなんでここにいるの?」

「来たらダメなわけ?」

「ダメじゃないけど、珍しいから」

「私がいたら他の子とイチャイチャできないもんね」

「そ、そんなことしてないよ」

「ふふ、冗談よ」


 微笑むナギが朝から可愛い。


「昨日の今日でしょ、カケルのことが心配だったから」


 死神と呼ばれる暗殺者モロクのことか。昨日の夜は、ナギと倉臼さんで家の周りに敵対者排除の結界を仕掛けたんだよね。半日ともたないらしいけど、夜だけでもって。


 歩き出す俺とナギに倉臼さんが追いついてきて、俺の右手に手を伸ばした。

 ナギが握っている俺の手を引くことで、それを回避。


「ちょっと、そんなことまで許してないわよ」

「え~、いいじゃにゃいですか、手くらい」


 そんなやりとりを見たキクが、背後から言ってきた。


「おやおや、公認だったんじゃないの?」


 見えないが、ニヤニヤしているのだろう。

 しかし、次のナギのセリフで状況は一変する。


「あなたに許したのは頭だけよ」

「はーい」


 そう言って倉臼さんが頭を寄せてくる。反射的に俺はそれをさわさわと撫でる。


「え!? なでなではいいの?」


 キクの驚愕をよそに、ナギは続ける。


「ご褒美だけ望もうとしないようにね。ちゃんとお務めもするのよ」

「はい。しっかりご奉仕致します!」


 倉臼さんが直立で答える。


「奉仕のお務め!? いったいどういう話になってるの?」


 キクが混乱している。さもありなん。

 ナギがさらに腕を絡めてくると、倉臼さんはいったんあきらめてキクに並ぶ。


「じゃあキクちゃん、一緒に行こうか」

「え、え?」


 混乱したまま倉臼さんに手を引かれて歩き出すキク。心なしかちょっと状況に引いている。


 ナギが体を寄せながら話しかけてきた。


「もうすぐ夏休みだね」

「そうだね、なんか一学期ってあっという間だった」

「約束ちゃんと覚えてる? 海に行くんだからね」

「プールじゃダメですか」

「いいよ、混んでなかったらね」

「海だって混んでるよ」

「混んでないところに行けばいいじゃない」

「近場で空いてるところがあるかなぁ」

「日帰りじゃなくても、いいんじゃない?」


 うぐっ、それって、そういうこと? そうか、なら準備しなきゃ。心の。


「じゃああたしたちも水着用意しにゃいと。ね、キクちゃん」


『一緒に行く気なの!?』


 倉臼さんのセリフに同時に突っ込んだのは俺とキクだった。


「みんな一緒の方が楽しいよ」

「空気読みなよ。わたしでもさすがにそこまでついて行かないよ」

「え~そうなの? ねえ天野さん、一緒に行ってもいいよね」

「いいわよ」


『いいのかよ!!』


 声が揃ったあと、キクは少しだけ喜び、俺は少しだけ、そう、少しだけがっかりした。

 まあそうだよね。まだ早いよね。うん、大丈夫。知ってた。


「残念?」


 上目づかいで少しいじわるに聞いてくるナギ。


「いえいえ、お嬢様と一緒ならいつでもどこでも誰とでも大歓迎です」


 ナギは嬉しそうに微笑む。


「お嬢様はやめていただけるかしら」


 ナギは芝居がかった調子で言う。


「私は魔王様なんですからね」


 うふふと笑うナギを見ていると、俺も嬉しくなってくる。


 今年は夏も、波乱に満ちたものになりそうだった。



第1章 完

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