第24話 困惑な図書室
「うぅ、うっぐ、ぅうぅ……」
俺の隣で、倉臼さんが号泣している。
机を挟んだ俺の正面では剣道部の安藤先輩が英語の文章を淡々と呟き続け、それをその隣で魂の抜けたキクが聞いていた。
なぜだ? なぜこうなった? 俺はただ、勉強がしたかっただけなのに。
「カケルくん、数学でちょっとわかんにゃいところがあるんだけど、教えてもらえないかにゃ?」
放課後、倉臼さんが話しかけてきた。俺もちょうど、今日は図書室で勉強して帰ろうと思ってたところだった。定期試験の対策もしないといけないし。
二人連れ立って図書室に行くと、思ってたより人がいる。空いている席がないかと探していたら、
「倉臼さん、狩場くん、こっちきなよ」
とキクが声をかけてきた。
なぜかキクが座る席の周りが空いている。まるで先回りでもしていたようだ。他に良さそうなところもないし、そこに座ることにする。
早速教科書とノートを広げて、倉臼さんのわからないところから重点的にやっていく。進めていくうちに、ちょっとずつ椅子が近寄ってくるのはなぜだろう? いまやほとんどぴったりくっついて、猫耳に俺の集中力が奪われて仕方ない。
「倉臼さん、やっぱりカケル狙いなんだね」
英語の勉強をしていたキクが、倉臼さんに話しかけた。しかもかなり、どストレートな聞き方だ。
「え?」
倉臼さんは驚いてキクを見つめる。猫耳がピクピク反応する。そのあと優しい微笑みを浮かべて、
「そうかもね。カケルくん、いい人だし」
否定しないんかーい!
「あ、やっぱりわかっちゃう? カケルほど良い人なかなかいないよ。掘り出し物だよ」
キクのべた褒めもここまでくると気色が悪い。お前は誰の味方なんだ? 俺はいったいどんな顔をしてこの会話を聞けばいいんだ?
「戸塚さんもそうなの?」
「わたしは違うよ。なんせ誰にも覆せない最強の称号を持ってるからね。だから誰の味方でもない。じゃないな、わたしはカケルの味方なんだよ」
こいつはこいつでなにを言ってるんだ?
「それより、倉臼さんの目指すところにはラスボスがいるよ。勝算はある?」
「強敵だよね。嫌われちゃうかも」
「お互い無傷じゃいられないね。まあ、カケルに嫌われなきゃ結果オーライ、って辺りが落としどころかな」
「なるほど、勉強になります」
俺はいったいなにを聞かされてるんだ? どうせ俺をからかう冗談だとは思うけど、勘違いしたらどうするんだ。
「そうだ戸塚さん、あたしのこと下の名前のソラって呼んでよ。あたしもキクちゃんって呼ぶからさ」
「お、側近からオトすつもりかね? 攻めるね攻めるね。でもそういう積極性、嫌いじゃないよ、ソラちゃん」
なにやら二人して悪い笑みを浮かべていたとき。
「ここ、空いているか?」
突然そう言ってキクの隣、俺の正面にやってきたのは、剣道部のエース、安藤先輩だ。
「狩場殿を狙う
女子二人を一瞥しながら先輩は言う。
「狩場殿、そろそろ我が輩の竹刀を握ってはもらえないか」
「言い方注意!」
キクが反応するが、倉臼さんはわからなかったようだ。俺はそろそろ慣れてきた。
「いつでも大歓迎だ。狩場殿の竹刀の扱い方も、我が輩が一から教える。その身を任せてくれさえすれば良いのだ」
「お断りします」
「そうか」
それだけ言うと、先輩は教科書とノートを広げた。
「なにをしているんですか?」
「勉強だが?」
「先輩も勉強するんですね」
「学生の本分は勉強だろう」
安藤先輩が言うと、違和感しかないのはなぜだろう?
隣からその手元を覗いたキクが言う。
「英語、苦手なんですか?」
「いや、むしろ唯一の得意科目だ」
「へー、意外」
言ってから、しまったという顔をするキク。しかし、先輩はとくに気分を害した風もなく。
「我が輩はな、異世界に興味があるのだ」
『……は?』
三人とも、内心は別だろうが、同じ反応をした。突然なにを言い出すんだこの人は。
「異世界、というか、未知の世界かな。今の生活とは混じり合うことのない異文化だ」
安藤先輩の表情はいたって真面目だ。
「そういう意味では、英語とは異世界の言語に他ならないのではと思ってな」
「そ、そうなんですね」
キクが軽く引いている。言っていることがあながち間違いではないのがむず痒いところ。
「学べる環境にあって習得できないなどと言っていては、本当の異世界ではやっていけんだろう」
「異世界基準なんですね」
最終的な着地点で、キクの評価がだだ下がりしたようだ。
「ん? お主も英語の勉強か? わからないところがあれば教えるが?」
「えー、あ、じゃあ、この辺とか」
「そこはな……」
安藤先輩の口から、驚くほど流暢な発音の(少なくともそう聞こえる)英語が流れ出し、解説される。そこからキクが気づきを得て答えにたどり着いたらしく、先輩を見直したようだ。ホントに英語得意なんだ……。意外すぎて悔しいのはなぜだろう?
「今日の予定までは終わり。カケルくんは?」
そう言って、倉臼さんは教科書とノートを閉じた。
「まだもう少し、キリのいいところまでやるよ」
「そっか、じゃああたしは本でも読もっと。部活の先輩からオススメされて、読んでみたい本があるんだ」
「部活決めたんだ。なに部?」
「文芸部」
そういえば以前、文化部にしたいって言ってたな。
倉臼さんは、本棚から一冊の本を持って戻ってきた。俺の隣に座り、目を輝かせながらページをめくる。
正面では、キクに対する安藤先輩の授業がエスカレートしていた。キクも真剣な顔で聞いている。俺は安心して、自分の勉強に打ち込んだ。
どれくらい経っただろうか? ときおり隣から鼻をすするような音が聞こえてくる。
「ぅえ? く、倉臼さん? 大丈夫?」
「すん……猫が……たくさん生きた猫が……うぅぅ……ぐすっ」
あー、有名なやつだ。でもそれそんなに泣くほどのものだったっけ?
正面を見ると、盛り上がりすぎた安藤先輩が放つマシンガン英会話に、キクがノックアウトされていた。
気がつくと、周りからの視線を集めていた。確かに
倉臼さんを慰め、安藤先輩の口を閉じ、キクの意識を呼び戻した。
帰り道、安藤先輩と別れて三人で歩いていた。
「あぁ、なんだかまだクラクラするよ」
「この世界には、まだまだ素敵な物語がたくさんあるのだにゃあ」
キクと倉臼さんが並んで話していた。俺とキクは家が隣、倉臼さんも途中まで一緒だ。
泣いていた倉臼さんも、今はもう読後の感動へと昇華していた。そのうちその倉臼さんとも別れ、最後はキクと二人だ。
「カケルさあ、モテモテだね」
「話をそこまで戻すの!?」
「でも不思議だなぁ、なんで倉臼さんはカケルの良さに気づいたんだろう? カケル、なにかしたの?」
「なにもしなくてもにじみ出てくるんだろ? 俺の魅力が」
「隣の席だから? その程度でわかるかな」
「キクさん、聞いてます?」
「で、カケルはどっちにするの?」
キクがいやらしい目で問いかける。
「愚問だね、俺の目には選択肢なんて映ってない」
「えー、つまんないの」
倉臼さんはああ言っていたが、前に本人が言ってた通り、頼れる人がそもそも少ないんだろう。もっと人脈が増えれば、俺にこだわることもなくなるはずだ。
「キッちゃんの方こそどうなのさ。気になる人とかいないの?」
「カケルより気になる人はいないかなぁ」
それはそれで困るのだが。
「安藤先輩は? さっきなかなかいい感じだったじゃん」
「止めてよ、そんな変態趣味ないよ」
変態とまで言われる安藤先輩。(合掌)
「そりゃあ悪い人じゃないのはわかるけど、異世界を真面目に語り出すとか、ちょっと住む世界が違うかなぁ」
ナギと倉臼さんがまさに異世界関係者だと知ったら、キクはどうなってしまうのだろうか?
もう少しで家につく、そんなタイミングで俺のスマホが鳴った。誰かと思ったら、母だった。
「カケル、どうしよう、レスがいないの」
どうやら、普通ならご飯やおやつで誘えばすぐに出てくるのに、今はいくら呼んでも出てこないらしい。
「外へ出ちゃったのかしら。カケル、GPSで探してくれない?」
そう言って通話を切る。そしてGPSのアプリを起動するが。
「あ、あれレスちゃんじゃない?」
家の前に、小さな黒い影が
「どうしたんだ、レス? 外が気になったのか?」
俺が話しかけると、にゃあと鳴いて俺の体を駆け上がり、肩の上に乗った。こめかみの辺りを嘗めてくる。ともあれ、見つかって良かった。
キクと別れて家に入ると、母がレスを見つけた嬉しさのあまり、レスを抱いてクルクル回りながら踊った。元気な人だ。
俺はと言えば、今日はなんだか、いろいろあって疲れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます