T県警保有未解決事件資料 映像番号T-8721
百舌鳥
アンドウクミ:アンティークのトランク
(テントの中が映し出され、映像が始まる。何かに固定されているらしきカメラと向き合って座る若い女性。女性の前にある座卓には数本のビール缶が散らばっている。カメラの背後から男女の声が響く。女性がおずおずと口を開く。)
あの、映ってますか? はい、大丈夫です。
え? 最初だから紹介と説明を?
えっと、今からゼミの交流キャンプの余興として皆でちょっと不思議な話をします。最初は私、アンドウクミが務めさせていただきます。
……あの、やっぱり恥ずかしいので、このビデオあんまり他の人には見せないでくださいね、イノウエ先輩?
とりあえず、そうですね。今年のお正月のことから話すことにします。
お正月といえば様々なイベントがあると思うんですけれど。私が毎年楽しみにしているのは福袋、っていうか初売りセールなんです。色々なものが安くなっているから、ついつい財布の紐が緩んでしまう時期。通販サイトでもセールが開催されているから、実家で寝正月を楽しみながらネットショッピングを楽しんでいました。
それで、そうそう。私、アンティークグッズが大好きなんです。マイカ先輩には前に言いましたっけ。ヨーロッパからの輸入品は高いので普段はそれっぽい小物で我慢していたんですけれど、海外からの通販サイトもニューイヤーのセールを実施してるんじゃないかと期待しながら海外からの通販サイトを眺めていました。それで、とっても好みの品を見つけたんです。今、写真を出しますね。
この画像の、アンティークのトランク。古めかしい造りで、装飾も凝ってて、まだ十分使えるって説明されていました。値引き後のお値段はバイト代三週間分。ちょっと……いえ、結構迷いましたが、買うことにしました。一目見た瞬間、とっても欲しくなったから。一目惚れって言ってもいいかもしれませんね。
品物は二週間くらいして、大学近くの一人暮らしをしている方の住所に届きました。……はい、ミズノくんの言うとおり、ヨーロッパからにしては速すぎる輸送です。改めてサイトを確認すると、運営元と倉庫は中国にあるということでした。ヨーロッパから輸送されてきた品を一度中国にストックして、注文が入れば日本に発送するという仕組みらしいです。得てしてこういう形式の通販には偽物や出所の怪しいものが多いんですけど、届いた実物はちゃんと写真通りの素敵なものでした。本革の外装はきちんと手入れがしてあって、使い込まれた味のある色合いで。内張りの生地も、とっても手触りがいいんです。でも、ただひとつ誤算があって。思っていたよりもトランクが大きくて、持ち運ぶにもちょっと苦労するんです。どれくらい大きいかって言うと、頑張れば私がすっぽり入れてしまうくらい。
何でしょうか、マイカ先輩? ……はい、そうです。不思議なことが起こるようになったのは、そのトランクが届いてからなんです。
持ち運ぶには少々不便なので、しばらくは衣類ケースとして使っていました。使わない時期の服をしまって、部屋の片隅に立てかけておいたんです。
倒れていました。きちんと立てかけて部屋を出たはずなのに、帰っていると誰もいないはずの部屋でトランクが横倒しになっている。もしくは置いたはずの位置から十数センチほど動いている。そんなことが数回ありました。そのときから、ちょっと妙に思う気持ちはありましたけれど。結局、アパートの前で工事でもしたか、近くの部屋の振動が伝わったんだろうと自分を納得させました。
こんなこともありました。暑くなってきて、トランクにしまっておいた夏服を出そうとしたとき。手触りで服を探そうとして、服の山の中に左手を突っ込んだんです。手探りで探していた服の感触を見つけて、手を抜こうとしたら、抜けなかった。
『腕時計の金具が中で引っかかっちゃったんだ』って直感しました。力任せに抜くと引っかかったところを傷つけてしまいそうだから、小刻みに腕を動かして抜こうとして。でも、何故か全然抜けないんです。だんだん焦ってきて、腕に力を入れました。それでも抜ける気配はない。……おかしいですよね。服なりトランクの内張りなりに引っかかっているのなら、力を入れれば服の山かトランクが動くはず。でも、精一杯引っ張っても、詰め込まれた服もトランクも全然動かない。床に接着剤で固定されたみたいに。
そうですよね、イノウエ先輩。自由な右手で上から服をどかしていけばいいじゃないかって。よほど焦っていたのか、そんな単純な発想が浮かばなかったんです。……もしくは、無意識に『右手も抜けなくなったらどうしよう』と思っていたか。
パニックになりかけた私は、トランクを蹴り飛ばしました。なんてことをするんだって思いますよね。大切な、アンティークのトランクなのに。でも、トランクを動かした瞬間あっさり左手は抜けました。驚くくらいすっぽりと。何に引っかかっていたのかは分かりません。抜けた左腕に嵌めていた腕時計の金具には、髪の毛のような細長い糸が数本挟まっていました。もしかしたら、糸のような髪の毛だったかもしれませんね。……冗談です。
決定的だったのは、ついこの前です。ちょうどイノウエ先輩からこのキャンプにお誘いいただいた直後。
先月、愛用していたボストンバッグの持ち手が裂けてしまって。キャンプ用に新しいものを買うか、くだんのトランクで行くか悩んでいました。ただでさえトランクは重いのに、ちょっと不思議なことが立て続けにあったから、トランクを持っていくつもりはあまりなかったけど。一応、荷物を入れられるようにトランクの中は空にしておきました。だって、お気に入りのトランクですから。
中身を空けた日の夜でした。蒸し暑い熱帯夜で、なかなか寝付けないうえに夜中に目が覚めてしまって。ぼんやりする頭でスマホを手に取ると、画面の明かりにトランクが照らされるのが目に入りました。
そのとき、思ったんです。『トランクの中で寝たら気持ちがいいだろうな』と。馬鹿ですよね、狭い空間で空気が籠もって余計蒸し暑いに違いないのに。まあ、深夜の、それも寝不足の頭ですから。気分転換に違うところで寝てみたかったんでしょうね。
え? 何、ミズノくん? どうして蓋を閉める前提なんだ、って? うわぁ……寝起きでよっぽど頭が働いてなかったんだろうね、すっかりトランクの中に収まるつもりでいたみたい。
とにかく、タオルケットとスマホ片手にベッドを出て、トランクを開けました。スマホの明かりを片手に留め具を外して、上下に開いて。トランクの内側をスマホの明かりが照らしたとき、そこに何かが書いてあることに気がつきました。あ、写真に撮ってあるんです。ちょっと待ってくださいね。
これです。ここに映ってるのが、トランクの内側に書いてあった文。英語では、ないですね。アルファベットなのは分かるんですけど、意味の分からない外国語の短い文。結局その日は文を見ているうちに馬鹿らしくなってベッドに戻りました。
見事に寝坊した翌朝、撮った写真を語学専攻の友人に送って、あちらの学部の方に解読してもらいました。前半部分はジェ……、ユー……、なんだったかな、そんな感じの人名。女性名だったはずです。とりあえず、仮にジェーンとしますね。後半は強調の助詞と人称代名詞で、『……は私』という意味になるそうです。
『ジェーンは私』。妙な文でしょう? 自分の名前を書くなら、外側に書けばいいのに。トランクの前の持ち主は変わった人だったんですね。まるで、トランクの外と中に別々の『ジェーン』がいるみたいに。
その妙な文がきっかけかは分かりませんが、私は新しい鞄と衣類ケースを買うことにしました。問題のトランクは空っぽのまま、部屋の中の目につかないスペースに押し込めてあります。
ええ、あれから一度も開けていません。だって。お気に入りのトランクを開けて、中の文字が『アンドウクミは私』になってたら嫌でしょう?
……ああ、誤解ですよ、マイカ先輩。お昼にレンタカーから降ろしてコテージに置いてきた私の荷物は、そのトランクじゃありません。新しいものを買い直したって言ったじゃないですか。よく似た別のものなので安心してください。
これで、私の話は終わりです。名前順ですから、次はイノウエ先輩でしょうか。お願いしますね。
(話していた女性が立ち上がり、座卓を回り込んで画面の外へ消える)
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