サニーレインの雫
四季
プロローグ
ソメイヨシノの桜がもう少しで満開を迎える4月のある金曜だったと思う。
昼から降り続く春の雨が立ち並ぶ桜の木々をすっかり濡らしていた。空から降り注ぐ雫がその重さと勢いで桜の花びら散り散りにしてしまって、アスファルトの地面に点在する水たまりを桜色に染めてしまっている。
公園沿いの少しだけ狭い道。自分の家へと続くその道を自分の原付きを押しながら歩いていた。大通りから外れたこの道を通る車両は普段からとても少ない。だけれども、雨雲の影響と夕方になって辺りが暗くなり始めたこともあってさらに人影が見にくいのと、路面が濡れているので原付きを走らせはしなかった。
今朝、天気予報を確認し忘れたので雨傘も合羽も持っていなかった。吹きさらしの身体は雨でぐっしょりと濡れていて。時折強く吹く春の風が桜の花びらをさらに散らしていき、濡れた身体から体温も奪っていく。はぁっとため息のようについた吐息は、真冬のように空気を白く染めはしないけれども身体は冷え切っていた。
そうしてとぼとぼと歩く途中、道の端に座り込む人影が見えた。その光景を最初見た時は見ないふりをして通り過ぎようとした。家でこの濡れて冷え切った身体を早く温めたかった。
だけれども、近づいてその姿がはっきりと見えてくると考えが変わった。自分と同じ様傘も差さずに濡れたままうずくまるその子をそのまま見過ごすことはできなくて。制服からして出身校の学生のようだった。ちょうど2年前まではその高校に自分も通っていたこともまた見過ごせなかった一因だったかもしれない。
このまま通り過ぎたら心の底まで冷たい人間になってしまう気がして、そんな思いに背中を押されて彼女へ声をかけることにした。
押していた原付きを道の脇に止めて彼女の後ろから声をかける。
「傘も差さないでどうしたんだ?」
「ぁ……。あの……いや、この鳥が……。」
うずくまっている彼女は声を震わせて足元を指差す。その先には血だらけになった小鳥が小さく震えていた。雨に濡れて桜の花びらや土などで汚れてしまっている。
様子を見る限り巣から間違えて落ちてしまい、車にでも轢かれてしまったのかもしれない。この鳥をこのまま獣医に連れて行っても助かりはしないだろう。
「羽が折れてるな……。可愛そうだけれども、もう助からないよ。」
「……そう、ですよね……。」
悲壮感に打たれている彼女の声は今にでも泣き出しそうだ。雨に濡れていて分からないだけで、すでに泣いているのかもしれない。寒さなのか、悲しさなのか、膝も小鳥と同じ様に震えている。
「まぁ……少しでも綺麗にしてあげよう。」
彼女の横にそっと膝をついて、震える小鳥を抱きかかける。羽に付いたゴミや桜の花びらを取り除く。せめて少しでも痛くないよう丁寧に。
「あの……。私も……。」
彼女はそう言った後、白くて細い指先を懸命に使って震えながらも掌にうずくまる小鳥から自分と同じように汚れを落としていった。
「……ぐす…。」
彼女は濡れた顔を制服の裾で拭き取りながら必死に作業をしていた。雨で濡れたその服ではあまり顔に付いた水滴は拭き取れてはいないけれども。
丁度小鳥に付いた汚れをすべて取り除いた頃合い、掌の中のその小さな息と震えを徐々に止めていった。残念だけれどもう起き上がることはないだろう。その様子を見て隣の彼女がより一層に悲しそうな顔をしてしまう。
「本当はダメだろうけれど、この子は公園に埋めてあげよう。」
保健所にでも連絡すれば適切に処置してくれるとは考えたけれども、雨の中で泣きはらす彼女のことを考えてその選択肢を選んだ。
彼女はコクリと頷いて一緒に立ち上がってくれた。
公園の端に生えていた一段と太い桜の木の下に小さな穴を掘っていく。道具は何もないので素手を使って小鳥が埋められるだけのスペースを確保していく。幸いとでも言うべきなのか、雨に濡れた地面は柔らかくて作業だけはしやすかった。水滴が時折目に入るのが煩わしかったけれども、両手が使えない今は仕方のないことだった。
「これくらいで大丈夫だろ。」
もう動かない小鳥の亡骸をそっと優しくその穴へ仕舞う。掘った時に溜まった土を使ってその身体を覆い隠すように埋めていく。この鳥が生きていればきっと綺麗に空を舞う筈だっただろうその羽が見えなくなるまでしっかりと埋めていった。
「その……ありがとうございます。」
横に座り込む彼女がお礼を言う。
「優しいね。君は。」
「そんなこと……ないです。一人では何も出来ませんでした。」
小鳥が埋められた地面を見つめたまま、彼女はじっと動かない。強く握りしめているだろうその小さな手は充血して真っ赤になってしまっていた。顔も涙で濡れてしまっていた。
あいにくにそんな子に差し出すことのできるティッシュや乾いたハンカチは持っていなかったけれども、せめてもの足しになるよう、ポケットに入れていたハンカチを差し出しておいた。すでに雨で少し濡れてしまっているけれども。
「顔と手、ちゃんと拭いておいた方が良い。」
「でも、お兄さんが……。」
「いいよ。気にしないで。」
どうせ千円もしないようなハンカチだった。しかも濡れてしまっているのでそれを押し付けるように彼女に渡した。そのままその場を離れようとしたけれども、最後に埋めた小鳥へ手を合わす。
そのとき、一段と強い風が吹いた。
目の前にある桜の太い枝がぐっと揺れるくらい強い風だった。その直後、薄暗かった周りにまるで閉じきった窓を開けたかのように光が差し込んだ。枝々の隙間から空を見上げると、未だに雨は降り続いていたままに空から太陽の光が漏れているのがみえる。
差し込むその光の線は空へと続く梯子のようで。もしかしたらこのまま小鳥を天国へ連れて行ってくれるかもしれない。
「晴れてよかったな。」
渡したハンカチで涙を吹いていた彼女もその言葉を聞いて一緒に空を見上げてくれる。悲嘆にくれてずっと地面を見ていた彼女がようやく顔を上げてくれた。その表情は、悲しさとか、驚きとか、安堵とか、そういう感情を綺麗に織り交ぜていた。
濡れた髪が頬に張り付いていたままじっと光が差し込む空を見ている。きっともうこれ以上、彼女が悲しみで泣くことはないだろう。
それを見て安心したので立ち去ろうとする。
「じゃあ……俺はこれで。」
その言葉に彼女は顔をはっとさせて、空を見上げていた顔をこちらに向ける。
「あの!私、これ洗濯してお返します。」
彼女は焦ったように少しだけ大きな声を出す。
「返さなくていいよ。」
「え、でも。あの、せめてお名前くらい。私は
わざわざ自分から名乗るなんて律儀な子だと思った。知らない子に構って小鳥の世話をするなんてかなり慣れないことをした。この場からさっさと退散したかったのだけれども、相手から名乗られた以上、無碍にはできなかった。
「俺は
本当に慣れないことをした。名前だけ伝えて去るなんてまるで格好つけるみたいだったけれども、もしもあのまま濡れた彼女を放って置いて通り過ぎていたら今よりももっと気分が悪かっただろう。そう思えば立ち止まって後悔などなかった。彼女はまだ何か言いたげな様子だったけれども、ひらりと手を降ってその場を退散した。
差し込む陽射しにようやく合わせるように雨足も大分弱まってきた。もうあと数分もすれば雨も上がるだろう。道路の脇に止めておいた原付きをぐっとまた押しはじめて元通りの家路へとついた。
#
これが丁度一年前の出来事。すっかりと俺はこの事を忘れてしまっていた。
印象深い出来事だったけれども、その後に色々とあったため記憶の奥底に仕舞ってしまっていたのだろう。
今日、一年ぶりに出会ったその時の彼女を、俺は忘れていて思い出すことは出来なかった。その点は非常に悪かったと思っている。彼女は長い髪をさっぱりと短くしていたので印象も変わっていた。
更に言うと、アルバイト先に後輩として配属されてきたばかりの彼女の目の前で着替え中の俺の姿を見せてしまったのは事故で避けようがなかったと思う。だから、許してほしい。
「
「頼むから通報だけはしないでくれ。」
桜が舞い散る天気雨の邂逅から一年後。これが俺
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