第72話 新任の女領主と会見して農村にかかる租税の集団交渉を成功させようとしたら、転生してきた元教え子だった彼女からプロポーズまで受けてしまった件

 颯太そうたが応接室に入ると、聖女は紅茶を飲んでいた。

 青みがかった黒い髪。同じ色の瞳。そして白磁のように透き通る肌。軍服の下からでも分かる整った体つきも含めて、良い意味で衆目を集める為に生まれたような見た目の女性だった。


「こうして直接お会いするのは、初めてになりますね。莨谷先生」


 聖女は紅茶のカップを置くと、花がほころぶように微笑んだ。


「私がカレン・ロードスターです。今後、この辺境伯領、もとい聖女領の領主として統治を行います」

莨谷たばこだに颯太そうたです。領主様による円滑な統治の為に精一杯尽くしていく所存です」

「おかけになってください、先生。私は聖女であり、領主として振る舞いますが、それと同時にあなたとは先輩後輩の間柄、人目の無い場所でくらい、気楽にやりませんこと?」

「……ですね、お言葉に甘えさせていただきます」


 颯太そうたからすれば年の頃も近い。話しやすい雰囲気もある。そして普段から美人に囲まれる颯太そうたは、もはや美人相手に気圧されるようなこともない。

 颯太そうたは素直に座った。


「あなたのこと、調べさせていただきました。領内の農民を指揮する有力村の村長であり、傭兵団と手を組んで抜け目なくビジネスを始めた実業家でもある。と、同時に大胆な越権行為や自らが殺した辺境伯の名を勝手に使った治安維持行為を行っている。先生、あなたの存在は良くも悪くも見逃せません」

「仰るとおりです。女神様からお聞きかと思いますが、私は自らが治める農村の防衛を目的として辺境伯を殺害し、その後の治安維持の為に様々な非合法行為に手を染めております」


 ――心底申し訳ないとは思っている。

 だから颯太そうたは何を言われても仕方ないと思っていた。


「非合法? 先生、貴族の領地において法とは領主です。王国法は勿論存在しますが、その解釈と運用については領主たるこの私に権限があります。先生の活動の一部は私の命令でした。良いですね?」

「……はい。はい?」


 ――マジで俺の味方してくれるのか。女神の言う通りだ。なんで?

 鳩が豆鉄砲を食らったような顔をする颯太そうたに、聖女は畳み掛ける。


「そして辺境伯を殺害したのは謀反人のサンジェルマン元伯爵。私はこれを討ち、その武功と名誉によりロードスター家の領地を継承することに相成りました。あなたはそれを手伝った王国の忠臣、市民の模範です」

「お、俺が?」

 

 いよいよ颯太そうたは困惑していた。

 それを見て聖女はいたずらっぽく笑う。


「私は女神に仕える身、そして女神の意志に背いたのは伯父上。同じ神に選ばれた者として、この世界をより良くすべく協力いたしましょう」


 怖いとは思った。

 しかし、颯太そうたからすれば助かる話でもある。否定もできずに乗るしかなくなってしまっていた。


「ありがたきお言葉感謝します」

「いえいえ、先生はこの世界の課題はなんだとお考えですか?」


 それについては最初から一貫している。

 颯太そうたはそれを淀みなく説明できた。


「この世界の人々は貧しい。これが不味い。自由や平等はこの世界の思想の問題なので踏み込むべきか悩ましいですが、飢えや病に関しては必ず減らすべきであると思っています。俺と女神との契約内容も『人族全体の資源枯渇に伴う破滅からの救済』です」

「聞き及んでいた通りですね。素晴らしい。女神様もさぞやお喜びでしょう。私も全力でお手伝いさせていただきます」

「お力、お貸しください」


 ――う、うそだ。この世界にこんな話の分かる権力者が居る訳がない。

 ――俺は信じないぞ。こんなまともな思考と現状認識の権力者が存在するだなんて、俺は信じないぞ……!?

 颯太そうたは穏やかな表情を精一杯装っていたが、今の会話が信じられなかった。混乱していた。


「さて、事前にお手紙でやり取りしていた実務的な話もここで再確認しましょうか」


 そう言って聖女は自らの署名を入れた書類を颯太そうたに手渡す。

 颯太そうたは目を通して、またたまげる。


「これは……」

「マイタ村を始めとするエルフの村の聖女領地図への掲載・存在の公認。先生の運営なさっている遊技場……まあ賭博場のお目溢し。農協シンジケートによる納税業務の一部代行許可。そういったものの書類ですね。金庫にしっかりしまっておいてください」

「ありがとうございます。これでエルフたちが飢えずに済みます」

「勘違いなさらないで欲しいのですが、これは慈善事業ではありません。先生が野蛮なエルフの統括を行い、またこの領地に複数存在する火種を抑え込んでいることへの正当な報酬です。私は先生のように人族全体の事情には興味はありません。神の御心と個人的な好感の下にあなたをお助けしたいだけです」


 ――だとしても、だとしても大違いだ。正当に取引をするつもりの貴族なんて俺はこの世界に来て初めて見た。

 颯太そうたは自然と頭を垂れていた。


「領主様、心より感謝いたします」

「先生、頭を上げてください。私は別に先生の味方という訳ではありません。例えば麻薬の売買に関しては全面的に反対です。これが続くならば、私も先生との付き合いは考えなければならないと思っています」


 ――痛いところだな。麻薬は今の村の重要な資金源だ。

 しかし、だからこそ、颯太そうたは嬉しかった。

 ――いつか麻薬の取引は辞めなきゃいけない。

 その思想を共有できる相手が、権力者側に居る。颯太そうたは感動していた。この世界には希望がある。まだ、善意が残っている。それが嬉しかった。


「無論、全ビジネスの合法化が最終的な目標です」

「最終的な……しばらくは目を瞑って欲しい、と?」

「……なにとぞ、なにとぞ、御慈悲を。医薬品用に栽培する分を除き、芥子けしの栽培は止める予定です。この先三十年かけて麻薬市場を縮小させる計画を立てます。領主様にお力添えいただければ、軋轢を最低限に抑えながら安全に麻薬市場を縮小できます。三十年、三十年ください。人族全体の軋轢を抑えながら穏便に麻薬汚染を解決するにはどう考えても時間が必要です」


 颯太そうたは頭を下げ続ける。

 聖女は立ち上がり、颯太そうたの隣に座って肩に手を置く。ほのかに柑橘系の香水の香りが鼻先を撫でた。


「顔をあげてください先生。今、麻薬が無ければエルフたちが飢える。エルフが飢えればまとまる話もまとまらない。それは分かります」

「死人を……出したくないんですよ。人が死ぬのは、きつい。俺が生きていく為にやらなきゃいけないことは分かっているけど、人を死なせたくないんですよ」

「麻薬の取締はすぐにでも始めます……が、無理な取締で制御不可能になるのが最悪です。先生、これ以上は言わずとも分かりますよね? 先生も大人ですもんね」


 颯太そうたは顔を上げ、キョトンとした表情を浮かべる。

 ――マジで? この人、マジで? そこまで話分かってくれるの? 転生者すげー! 転生者最高! 大好き! 


「も、もしかして、その、あの……」

「私の信条を曲げて、肩入れをすることもやぶさかではありません。民を守ることこそ神の御心に適う行い。真の悪は麻薬に頼らざるを得ないこれまでの苛政です。故に、私は先生と取引をしたい。私が信念を曲げるだけの理由が……必要なのです」

「取引? 理由? それは……?」


 ――取引! 取引大好き! 領主様ばんざい! 俺、新領主様の為なら頑張っちゃう!

 ちぎれんばかりに心の尻尾を振り回す颯太そうたは、次の瞬間凍りつく羽目になる。

 聖女は颯太そうたの両肩をガシッと握りしめ、まっすぐに瞳を見つめる。


「莨谷先生、!」

「……なんです?」

「身分のことはどうとでもできます! 武勇や政治力を評価されて騎士にでも叙勲されれば、配偶者としての面目は立ちますから!」

「あ、いえ、あの、ちょっと待って下さい。少し整理させていただけませんか領主様」


 颯太そうたは素で驚いていた。怯えていた。平常心を装う余裕など吹き飛んでいた。そんな颯太そうたに対して、聖女は容赦なく追撃を開始した。


「この世界だと二十代後半女性は適齢期余裕でブッチギリなので正直言って各方面からの圧が凄いんですよ! 領主にもなっちゃいましたし! 聖女とはいえ貴族の一員なので神に仕える身とかもうそろそろ言いづらくなってくるんですよ! 男女の別なくマイノリティと人間以外には厳しいんですよこの世界!」


 聖女、必死である。女性からここまで必死な顔で言われると、颯太そうたは冷たくできない。


「元の世界に比べて厳しいのは理解できるし、政治的な意味がある行為なのも解ります。しかし元の世界の価値観が残っているならば、なおのこと、そういった結婚については慎重になっても良いのではないでしょうか……?」


 ゆっくりと、言葉を選びながら、聖女の様子をうかがう颯太そうた

 ――というか、結婚じゃなくても良いよね? もっと別の契約や拘束の仕方があるよね?

 ――なんでわざわざ結婚なの? 俺、性格悪いし女癖悪いんだよ?

 ――結婚って、マジ?

 怯え惑う彼の胸元へ、火の玉ストレートは続く。


「いえ、慎重に考えた上での決断です。だって私、あなたが、ずっっっと好きだったんですから!」

「ずっと?」

「もう教師と生徒じゃないんですから話くらい聞いてくださいよ!」

「ん? んっと、あの、えっと……?」

「まだ気づかないんですか先生! 私です! カレン・ロードスターじゃなくて! 烏丸からすま花蓮かれん!」


 ――嘘だろ。

 颯太そうたは言葉が出なくなった。

 思考も纏まらない。彼の許容限界を軽々越える異常事態に、ただ呻く。


「あっ???? あっ?????? お、おお……? あ、あ、ああ……! から、か、か、烏丸……さん? あ、あ゛あ゛……どうして……あ、あ、あ、う、ううーっ! なんで? なんでぇ……? ちょっ、えっと、どうして……!?」

「はい、お久しぶりです烏丸花蓮です! 卒業したら話を聞くって言われたから素直に待ってたら先生に悪性リンパ腫で先立たれた烏丸からすま花蓮かれんです!」

「ま、ま、ま、ま……? 待って、なんで、なんで死んでるのかな烏丸からすまさん……? ほんとに、カラスマサン?」

「はい! 先生の後を追ってワンチャン屋上ダイブしたら女神様のお力で転生して、先生と同い年にまでしてもらった烏丸からすま花蓮かれんです!」


 ――どうして。

 颯太そうたの目尻から一筋の涙が溢れる。


「どうしてそういうことするの……」

「先生、変わらないなあ。やっぱり私に優しいんですね」

「どうして……お前……死ぬことはないだろ……?」

「先生、いいえ、莨谷たばこだに颯太そうたさん。卑怯なやり方だということは認めます。それでも」

「どうして……」


 聖女・花蓮カレンは、颯太そうたの目尻の涙を拭い、優しく微笑んだ。


「お慕いしております」


 心からの言葉だった。

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