第30話 辺境伯によるエルフの貧困につけ込んだ卑劣な策略が魔王の覚醒を促したようです

「私は……俺は、そんなことしにここに来たんじゃないんですよ! 殺し合いなら勝手にやれよ! 俺は死ぬのも殺すのもごめんだ!」


 叫ぶ颯太そうたを見るアッサムの目は冷ややかだった。

 颯太そうたが力を入れてアッサムの腕を握っても、彼は微動だにしない。見た目だけなら枯れ枝のようなのに、まるで巨木のような重みがあった。

 アッサムは自らの髭を指に絡めながら、至って落ち着いた調子で問いかけた。


「じゃあどうする? 何もしないって言うのか? この村は俺にとっちゃ聖域なんだよ。分かるか? 戦争屋なんぞやって帰ってきた俺を迎えてくれた仲間が、その子や孫、ひ孫が暮らしているんだ。なあ、どんな手を使ってでもやるぞ俺は。お前だってそうだろ? 。なあ、男を見せてくれよ?」

「悪夢を見たんですよ、村長。私は……は、俺は悪夢を見た。大切な人が死ぬ夢だ。この村の夢だ。俺はそんな物騒なことにこの村を巻き込みたくない!」

「それなら俺だってここ三十年はずっと夢に見ているさ。いいや、ぞ!」


 颯太そうたは何も言い返せなかった。


「他の村を取り込んで、皆で一緒に辺境伯と交渉することだって……」


 そう言おうとして口ごもる。

 ――無理だろ。お前が一番分かってるんじゃないか。

 颯太そうたの頭の中で、颯太そうた自身の声が頭に響く。

 颯太そうたはため息を吐いて、村長の腕を握る力を緩める。

 ――それに、村長の言うとおりにすれば、救える。辺境伯を殺して、その混乱に乗じて“水晶の夜”と取引すれば良い。アスギさんだって怯えなくて良い。アヤヒが危ない目に遭うこともない。村の皆が救われる。

 ――ああ、一番良い手じゃないか合理的に考えろ。

 颯太そうたが決めかねているのを見て取ったアッサムは、もうひと押し。


「ほら、こいつを読め」


 そう言ってアッサムは颯太そうたに手紙を突きつける。“水晶の夜”の特徴である割れた窓ガラスの紋章と西方部隊指揮官と書かれたサイン。親愛なる友へ、の書き出しで始まったその手紙は、脅迫文だった。


「食料庫まで来た男が俺に突きつけてよこした。昔鍛えてやった後輩ダチだ。お前を引き渡すか、村ごと燃えるか。選べってな。なあ颯太そうた、どっちだ。お前はどうする。俺ァとっくにてめえに賭けてるぞ。あるんだろうが、なにか、俺たちの知らない奥の手が」

「あいつら……その脅迫状が本命でしたか」


 颯太そうたは手紙を見つめて苦い顔をした。

 ――こうして見せられているということは、確かに俺と戦おうと思ってくれているってことなんだろうけど。

 つまり、戦う以外の選択肢が無いということでもある。


「傭兵団ってのはさ。食い詰めた少数民族が食っていける最後の居場所なんだよ。それですら、金持ち貴族どもの政争の道具だ。良いように使われて、都合が悪くなればはいそれまで、ってな」

「良いように使われている訳ですね」

「だからこそ、古い仲間にだけは仁義を通す。そういう世界だった。その、なけなしの仁義すら通すことを許されず、今まさに矜持を奪われている。そうやって俺の昔の仲間が、俺の今を殺しに来ている。なんでこうなっちまったんだろうな」

「村長の自業自得ですよ」

「それだけか?」


 それだけではない。

 ――ああ、そうか。そういう仕組か。

 今の会話で、颯太そうたは看破した。辺境伯がこの地方でエルフやドワーフ、ハーフリングを上手く扱っている仕組みについて。


「なんだ。思ったより燃えてるじゃねえか」

「そのまま放置すれば反乱分子になりかねない血気に逸る若者を傭兵団という形で暴力装置化して、特権的な立場と金銭を与えて飼いならす。そして都合が悪くなれば搦手でじわじわ、生かさず殺さず富を啜る。そんな奴ら、好きになれって方が無理ですよ」


 ――気に食わない。

 ――必死で戦って勝ち取った他人の宝に横から手をつける根性が。

 颯太そうたは、悪徳役人を殴り飛ばした時と同じように、拳を握りしめた。


「それにお前、殺したくないなんて今更だぜ」

「は?」

「最初にお前が助けようとしたんだよ」


 ――ああ、そうか。そうなのか。きついな。これはちょっときつい。

 颯太そうたは驚いていた。

 ――俺のせいで人が既に死んでいた。きつい筈なのに、ざまあみろと思っている。


「……ああ、なるほど」


 ――もうとっくに遅かった。俺の手も汚れていた。いや、まあ、麻薬なんてものの製造の片棒を担いでいる時点で今更だ。

 颯太の中の。腹が立った訳ではない。


「今思えば良い手だったなぁ。辺境伯は直接お前の情報を手にするチャンスを完全に失っていた訳だから」


 ――俺が手を汚したなりに、俺が責任を取らないと。

 腹が立ったのではない。腹が決まっただけだ。

 ――どうやって責任を取る?

 命を助けた相手には、その傍に寄り添った。

 期せずして誇りを汚した相手には、相応しい戦いの場を差し出した。

 ――俺は何をしたい?


「これっきりだ。こんなやり方、これっきりにしろ」


 颯太そうたは苛立ちに任せて壁を殴りつけた。

 アッサムはそれを見て嬉しそうに目を見開いた。


「お、やるのか?」

「戦います。ただし今後は俺が……私がこの村の指揮を執ります」

「何故?」

「あなたのやり方じゃ人間もエルフも死にすぎます。これはエルフの解放運動であって、あんたの怨念晴らしじゃあない。俺は人なんて殺したくないんだよ」

「お前の理念は好きにしろ。村長になりてえならこんな椅子もくれてやる。それで、できるのか、辺境伯の城を火の海に」


 颯太そうたは迷いなく頷いた。


「火の海? そんな温いことは言いませんよ。。それが一番穏便なやり方だ」

「随分と思い切ったな……?」

「私はね、善であれ悪であれ自分の意志と責任で選びたいんですよ。それを抑えつける全てが私の敵だ。最初から、私は何も変わっていません」


 アッサムは嬉しそうに、そして凶暴に表情を歪めた。シワだらけの老人とは思えない精気に満ちたその顔にさえ、颯太そうたはもう怯えない。


「男じゃねえか、ソウタ! どうした急に?」

「人殺しは間違っている。けど、今の私たちにはもう命のやり取りしか残っていない。だったら私はやります。そして、命のやり取り以外で今抱えるような問題を解決できる国を作ります。人間以外の種族が虐げられない国、こんな殺し合いの発生しない国です。その為に人を殺すのは私だけで良い。その為に流れる血の責任を、私だけが背負いたい。その為になら、村長でも、領主でも、それ以外でも、手に入れられるものは全て手に入れます。それだけです」


 アッサムは不安そうに颯太そうたを見つめる。


「それが終わった時、お前は自分で自分を許せるか?」

「それは……女神様にでも決めてもらいましょう」


 颯太そうたは薄く微笑んでいた。

 ――それはきっと理不尽な裁きになるだろうけど、痛快には違いない。


「良いぜ……惚れたよ。今後の計画を語ってくれ


 そう言われると、颯太そうたは村長らしく威儀を正した。

 そして、自らの参謀となった村長に向けて、今後の展望を説明し始めた。


「辺境伯と正規軍の壊滅に成功したらすぐに“水晶の夜”を雇う。彼らを使って辺境伯の構築したものを奪い取る形で麻薬販売網を展開したい。辺境伯と正規軍が消えた瞬間に、うちが最速で行動できるように、根回しを。あと俺たちのマイタ村と“水晶の夜”の窓口に、ヌイという少女を加えるように指名してほしい。新村長から、腕を見込んでご指名だ」

「売り手の側に回るわけか、そいつは良い」


 問題は奪った後だ。颯太そうたにその知識はない。なのでアッサムに頼ると決めていた。


「辺境伯の掌握する阿片市場なんだが、今から辺境伯と一族を皆殺しにしたとして、どれくらい切り取れる?」

「全てをぶんどるのは無理だろう。良くて半分だ。けど売上は“水晶の夜”と俺たちで上手く分配できる。とてつもない現金収入になるだろう」

「じゃあ良い。今後は出荷する阿片の品質で他の売り手たちに大きく差をつけることができると見ている。アッサムさんはその辺りも含めて、水晶の夜と交渉を仕掛けてくれ。俺はそういう商取引は苦手だ」


 それを聞くとアッサムは嬉しそうに笑い、颯太そうたの肩を叩いた。


「分かった。任せろ。辺境伯をぶち殺すだけの暴力があるなら、いくらでも取引できるさ。他にはあるか?」

「生け捕りにしたよそ者のエルフは逃してやってくれ」

「マジか? 村の連中、あいつらを嬲り殺しにしたくてウズウズしてるんだが」

「お前たちの子供が連れて行かれないようにしてやるからもう二度とやるなって伝えて解放してくれ。できるか、アッサムさん」

「……ったく。やるさ、お前に賭けるって言ったろ」

「こっそり埋めるのは無しだぞ」

「分かってるって。知らねえ奴は騙すが、上司は裏切らねえよ」


 こうして、颯太そうたは村長になった。

 そうして、この世界に魔王が生まれた。

 余計な死人は二人減った。

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