第19話 こちらは精霊の加護で乾留した濃硫酸になります②

 二人を小屋の中へと案内し、颯太そうたは手際よく機材を並べていく。女神が持ってきたガラス製の蒸留器とフラスコ。蒸留器は本来の仕様とは異なる使い方ができるように、颯太そうたの手で装置が一部入れ替えられていた。


「小屋の中に丁度古い機材があったので借りようと思います」


 ※莨谷たばこだに颯太そうたが女神様にたかったアイテムです


「あんなの家にあったかしら?」


 ※ありません


「この家にあったものですし、この家のものでしょう。お借りしますね」

「え? あ、はい……あったかしら……?」


 ※ありません


「あったんじゃないの? 母様が適当に放り込んだとか」

「そうね、そうかも……あったのね」


 ※ありません


「ええ、あるものは使わないと損ですよ」


 それはそれとしてエルフ母娘はあまりに堂々とした颯太そうたの態度と、なんとなくの会話の流れで納得させられてしまっていた。

 ――力業だったがなんとかなったな。

 エルフの扱い方を覚えてきた颯太そうたなのであった。こういう真似が通ってしまうのでエルフは追い詰められたのだがそれはそれだ。


「今日はこれを扱います」


 颯太そうたは白い粉を袋から取り出して、二人に見せた。


「あら、ミョウバンを砕いたんですか?」


 普段から台所に立つアスギがまず先に気がついた。颯太そうたは嬉しそうに頷く。褒めて伸ばす、とは少し違うが盛り上がった方が良いのだ。


「そうです。これって何に使いますか?」

「今日出したお漬物とか、山菜の下ごしらえとか、あと織物にも使っています。ソウタさんの今着ている服もミョウバンを使って染めたんですよ」

「はい、ありがとうございます。実はこのミョウバンがとても大事な薬になります」

「あらまあ……どんな薬になるのかしら」

「それは見てのお楽しみですね……さて」


 颯太そうたは続いてアヤヒに発言を促す。あくまで主役は彼女だ。彼女のモチベーションを上げていかなくては意味がない。


「じゃあ次にアヤヒさん。今日、アッサムさんのお仕事を手伝っていて聞いたのですが、この村はドワーフの村とこのミョウバンを取引しているそうですね」

「ミョウバンだけじゃない。塩とか鉄とか他にも色々、お互いに最低限のものがないと暮らしていけないからな。あいつらだって麦や家畜の肉は食うし、あと余った阿片を買っていくこともある。交易をするようにって、ずっと昔に人間の国からそうするように押し付けられたって聞いた」


 颯太そうたはそれに対してもにっこりと頷く。


「私も今日、アッサムさんからその話を聞きました。自給自足分以外にも多少は輸出用に農業をやっているとね。人間が交易を強いているのはどうしてだと思いますか?」

「どうして? 森人エルフ丘人ドワーフは仲が悪いから……嫌がらせかな? 今更取引をやめる訳にもいかないけど」


 ――そのやめるわけには行かない状況を作るのが、当初の目的だったんだろうな。

 ――女神の話を聞くに、最初のこの世界に来た奴は人間を守ろうとしていたというし、その過程で他の民族同士の闘いも止めようとしていた可能性は高い。

 そのあたりの想像はしているが、颯太そうたはそれ以上何も言わずに、また満足そうにうなずいた。


「そうですね。じゃあこれは宿題として少し考えてみてください。行動の理由について考察することで、人間への理解が深まります。これが人間についての勉強の第一歩です。先生も正解が分かっている訳ではありませんが、実はただの嫌がらせではないかもしれません」

「うん? わ、分かった」

「さて、今日はこのミョウバンから薬を一つ作ります。硫酸という危険な毒薬です」


 危険な毒薬。そう聞いて母娘は似たような怯えた顔をした。

 それを確認してから、緊張を解すために少しふざけたような感じで、颯太そうたは続ける。


「ところがこの硫酸を使うと阿片あへんが効率よく収穫できる魔法の薬ジエチルエーテルが作れます」

「あ、あぶなくないのか!?」

「硫酸は危ないです。でもジエチルエーテルは硫酸に比べれば安全です。どういう薬で、どうやって扱えば安全か、あるいは危ないか。それを知るのが人間の科学……化学です」


 アスギが複雑そうな表情を浮かべる隣で、アヤヒは目を輝かせていた。


「面白いね……! このあとはどうするの?」


 颯太そうたは女神が買ってきた試験管の中にミョウバンを入れてストローのようなものがついた蓋を締める。試験管の口を少しだけ下に向けて、蒸留器についてきた台座に固定する。


「ちょうど、アヤヒさんの力を借りたいと思っていたんです。アヤヒさんは精霊魔法が得意でしたね? 私はこの分野に関しては素人なので、ちょっと力をお借りしても良いですか?」

「何をすればいいの?」

「エレメントにお願いしてミョウバンを熱してもらえますか」

「ど、どれくらい強く……?」


 ――細かく温度を言っても今の段階では伝わらない。なにより、実感として自分で判断できる部分を増やした方が学びに繋がる。

 既に颯太そうたはどうすれば良いかを考えていた。


「最初はできる限り弱く。丁度良くなったら伝えます。私がストップと言ったら可能な限り素早く止めてください」

「わ、分かった。み、みんな、お願い。《温めて》」


 アヤヒが声をかけるだけで、試験管の中の温度があがり、プチプチという音が鳴り始める。そしてストローのような部分から水蒸気がゆっくりと流れ出る。


「アヤヒさん、今くらいの温度を維持してください」


 次第にミョウバンは試験管の底でカチカチに固まっていく。


「ソウタさん。これって焼きミョウバンでしょうか?」

「いえ、違うんですよアスギさん。今回はもう少し加熱します」


 フラスコの蓋で留められているが、とろっとした液体が試験管の口近くに貯まり始める。


「加熱終わらせて」

「う、うん! みんな、《おしまい》!」


 颯太そうたはそれからしばらく待った。

 なにせ反応直後の濃硫酸は熱々である。試験管の蓋を開け、小さなフラスコの中にその粘着質の液体を回収する。ツンとした臭いが辺りに広がる。


「これが濃硫酸です。これに触れると大体のものが黒焦げになります。二人は不用意に触らないでください」


 そう言いながらほんの僅かに机に垂らす。反応は一瞬。わずかに濃硫酸が触れた机が煙を放って炭化する。アスギはギョッとして、アヤヒは小さく悲鳴を上げて思わず後ずさる。颯太そうたはさり気なく焦げ跡にわずかに残った硫酸に触れる。炭化した後の木の熱さは変わらないが、濃硫酸が肌に触れたところで傷一つ無い。


《メッセージ:『耐毒』が発動しました。硫酸による皮膚への損傷をはじめとしたダメージの全てを無効化します》

《メッセージ:『耐毒』の発動により、『耐毒』スキルが成長します。ランクBからランクB+に上昇しました》


 こうして無事を確認したせいで、颯太そうたは調子に乗った。


「ですが私には効きません」


 そう言って颯太そうたはフラスコの硫酸を一気に飲んだ。無論、耐毒のお陰でなんのダメージもない。しかし。


「あっ、母様! ああああああああ!?」


 アスギは気絶。


「ひゃあああああああ!?」


 アヤヒは自慢の美声で絹を裂くような悲鳴を上げ、それを聞きつけた近隣の村人が駆けつけ、説明と誤魔化しに追われ、後から二人にとても怒られた。

 本来は颯太そうたが薄めの塩酸と同じく薄めの水酸化ナトリウムを中和させ、食塩水にしてから飲み干す一発芸を毎年生徒に見せて大受けしていたのだが、異世界では通じなかった。

 ――実験一つとっても難しいもんだな。

 流石に反省した颯太そうたなのであった。



 ※食塩水合成一気飲みは危険なので真似してはいけません

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