第20話 こちらは精霊の加護で合成したジエチルエーテルになります

 “事故”からおよそ一週間が過ぎた。その間にも颯太は昼は畑仕事とカモスの実の採集、夕方からはアヤヒと硫酸の合成、そして偶に宴会や幻獣モンスター狩りに参加する健康で忙しい生活を送っていた。

 その日の晩も、颯太は合成された濃硫酸をちびちび飲みながら、アヤヒと濃硫酸を合成していた。


「なあ、これは秘密にしておいて欲しいんだが、俺には毒が効かないんだ」

「だからその話はもう良いだろ! この目でしっかりハッキリ見たんだから! 途中まで格好良かったのに! 最悪だよほんと!」


 アヤヒの言うことは最もである。

 ――勿論、俺も反省している。


「いやとても大事なことだ。秘密にしなければならないんだ」

「分かったよぉ! 言わないから二度とあんなことやるな! 言い訳考えるのにめちゃくちゃ悩んだんだぞ!」

「そうだな、ごめん。俺も流石に悩んだ」

「次いきなりやったら家から追い出すからな! あれから母様がこの部屋に近寄らないの分かってるだろ!?」


 ――実際、アスギさんに死なないでくれって泣きつかれたしなあ。

 颯太そうたはバツが悪くて頬を掻いた。


「悪かったよ、本当に。次は別のものを作る。これでやっと阿片あへんの収穫を増やすことができるな」

「本当にやるのか? 正直、あんなものを沢山とるのはどうかと思うが……」

「ああ、良くない。村の皆が言う通りだ。だが良くない状況を変える為には、状況を変える行動が必要なんだ。その行動についての算段はあって、村長と相談している。だからもうしばらく付き合ってくれ」

「なあソウタ、君は詳しく話さないけど、たぶん王都で先生だったんだろ? こんな暮らしをしてて辛くないの? なんでこんなに村のために真面目に働いてるの?」


 そう聞かれて、颯太そうたはどう答えれば良いか分からなくなった。

 ――言われて見れば麻薬の製造に手を染めるのは立派な悪事で、俺はそれに積極的に加担している。

 ――やらなきゃ死ぬからやる……だけではないよな。


「いつかは麻薬に依存しない商売をこの村でやるつもりだよ。薬の製造なんて続けたくないからな。その過程で村の暮らしと俺の暮らしが充実すれば良い」


 颯太の言葉を聞いて、アヤヒはニッと笑った。


「それ聞いてちょっと安心した」

「麻薬の製造をやめる為には、纏まった金が必要だ。お前だって今すぐ王都で吟遊詩人を目指す訳にはいかないだろ。今の王都でのエルフの扱いを解決してからじゃないと、上京しても死ぬだけだろ?」

「よく分かったよ。お互い、早く夢が叶うように頑張ろうか」

「だな、もう第一歩は踏み出した。今日はもう一歩」


 やるべきことは実に多い。

 ――本当に女神の要求である人間とそれ以外の種族の不和を解決できるのか。

 ――そのために開拓地の確保なんてできるのか。

 ――その前提として、この村を豊かにするという実績を作れるか。

 ――今日が、第二歩目。

 颯太そうたは不安を飲み込んで、教師の顔を貼り付けた。


「……こほん、それではアヤヒさん。これから今日の授業を始めます。今日はジエチルエーテルを作りましょう」


     *


 机の上に並んでいるのは左から、台座に固定されたフラスコ、精霊の力で氷水を入れた風呂桶、そしてただの水を入れた風呂桶、の三つだ。

 氷水の風呂桶の中には大きなフラスコがあり、一番最初のフラスコと細い管で繋がれている。氷水の風呂桶に入ったフラスコは、別の管を使ってただの水を入れた風呂桶と繋がっている。


「まずは一番左のフラスコにカモスの果汁を蒸留したものと濃硫酸を入れます」


 そう言って颯太そうたは放毒スキルを使って両手の指先からフラスコに向けてエタノールと濃硫酸を一定のバランスで入れて蓋を締める。


「何今の!?」

「飲んだ毒をこうやって出すこともできます。これはアスギさんにも秘密です。先生とアヤヒさんだけの秘密にしてください」

「わ、わかった……! けど、母様にも言っちゃ駄目か? お前、母様」

「アヤヒさんが仮に先生と同じように毒を出せたとしましょう。それをアヤヒさんが気になる男の子に言いたいと思いますか?」

「ま、まあ君には世話になっているからな……黙っておいてやる。母様も実は強いのを君に隠してるしな……」


 ――前も言ってた気がするけど、マジで強いのか……あの人が……?

 とても気になるのだが、授業中なので聞かなかったことにした。


「良い生徒を持って先生はとても嬉しいです。そのまま一番左のフラスコをゆっくり加熱してくれると更に嬉しいです」


 アヤヒが手慣れた仕草でフラスコの加熱を開始する。そもそも風呂の温度調整でなれている。一週間も練習すれば、目視と精霊エレメントの声だけで丁度良い温度は分かる。

 

「ところで、前にカモスの果汁に入っている物質の名前を教えたと思います」

「エタノールだね?」

「正解。このエタノールと濃硫酸が反応すると、エタノールの中から濃硫酸が水を奪ってジエチルエーテルという物質に変わります」

「それは覚えてるぞ。阿片をとるための薬だろ?」

「素晴らしい。このジエチルエーテルはとても蒸発しやすいものです。だからこの氷水で冷やして集めるんですよ。少しエタノールが混ざってしまうんですけどね」

「この温度だと水だって湯気になるよな。濃硫酸が水を奪ってるなら、水だって蒸発しないのか?」


 そう、と颯太そうたは嬉しそうに頷く。


「アヤヒさん、頭が良いですね。とても良い質問です。今の加熱の仕方だとフラスコの上の部分はそこまで熱くならないんですよ。水がボコボコ言わない、沸騰しないくらいの温度です。水は液体に戻って、元のフラスコの液に戻っていきます」

「えっと、つまり?」


 颯太そうたはフラスコの上半分を指差した。水滴がびっしりとついていた。


「ほらこの滴がアヤヒさんの言う水です。アヤヒさんと同じことを、かつての人間の科学者たちも考えたんですね」

「すごいな……人間って凄いんだな」

「理解できる人間は少ないですよ。その点アヤヒさんはこのスピードで理解しているので素晴らしいと思います」

「そ、そうか……本当に……? 人間に勝てそうか?」


 アヤヒは疑う表情で颯太そうたを見る。褒められすぎてちょっと不安なのだ。

 ――褒められすぎて不安な場合は、褒められた理由と自己認識の乖離が原因なので、普段はあまり使わない個人的な体質や特徴に基づく褒めで倍プッシュすると更に喜んでもらえるんだよな。


「個人レベルで言えば大半の人間より頭良いです」

「ふふふ、褒めすぎじゃないか?」

「そもそも、私からすればその精霊術の方がびっくりです。私みたいな人間にはエレメントというものが上手く認識できませんから」

「ふふん、逆に精霊エレメントが見えない人間の方が大変だろう。王都では精霊エレメントが使えないから水くみ一つとっても大変だって祖父様じいさまが言ってたぞ。うちの村は皆生活に使うくらいなら簡単にできるからな」


 自慢気に胸を張るアヤヒ。

 ――お、食いついてきた。

 母親と違って卑屈になるところがないから、褒められたり認められたりしながら育ったのは颯太そうたにも分かっていた。


「おっと、また良いところに気がつきました。そう、大変です。人間は精霊エレメントが見えない方が普通。弓も下手だし、老いるだけで死ぬ」

「その分邪悪だって聞いたけど本当?」


 一見すれば授業と関係無い雑談こそが教師の腕の見せどころ。

 アスギが居ないのを良いことに、颯太そうたは少し悪い顔をして、声を低くする。


「弱いからこそ、こうやってを必死で探します。なりふり構わないんだから邪悪と見られる。その解釈は間違ってません」


 アヤヒは目をキラキラ輝かせた。


「じゃあ……あれだな。今は私たちこそ必死になるべきだよな。その弱い人間以上に弱い立場だ」

「そういうことです」


 颯太そうたは頷いた。

 ――良い傾向だ。この認識ができるエルフが少ない。


「どうすれば良いと思う?」

「現状に疑問を持つあなたみたいな人が居るはずです。彼らと連絡をとって……それからですね」


 丁度その時、一番右の風呂桶の先端からボコボコと勢いよく泡が立つ。泡の源は風呂桶の中に差し込まれた細い管だ。辺り一面に甘い果実の香りが広がった。


「さて、アヤヒさん。温度が少し高くなっていますよ」

「なんだよこの匂い! 教えてくれ!」

「エチレンガスです。これはエタノールが足りなくなってきたという証拠です。あっ、やべえどうやってエタノール追加しよう」


 思わず口調が素に戻る。

 実験じゃないので、エタノールが足りなくなったらはいお終いとはいかない。


「駄目じゃん!」

「蓋あけないと」

「蓋? 私が開けるよ」

「ちょっと待て!?」


 アヤヒは熱くなっている筈の試験管を握って蓋を開ける。熱した濃硫酸の蒸気からは気流を操って身を守っているし、試験管に触れた手にはやけど一つない。

 颯太そうたが驚いているのを見ると悪戯っぽく笑った。


「ちょっとした精霊術の応用だよ。人間は少し熱くなったものにはすぐ触れなくなるんだね」

「……初めに一言聞いてからやるように。アヤヒさんは毒が効く身体なんですから」


 颯太そうたはため息をつくとフラスコの中にエタノールを追加した。

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