第17話

「……私の正体を知って、嘘ばっかり、旦那様、私が綺麗だなんて……」

 十八のなずなは、松蔵に抱きすくめられたままつぶやき、少しだけ、抗う。

「ここは俺の夢だ、嘘も隠し事もない」

 松蔵は、なずなを抱く腕に少し力を込める。

「お前は、俺が嫌いか?それとも憎いか?」

 その質問は、つまり、松蔵がすべてを理解している事を示している。それが、なずなにも理解出来た。

「……好いていなければ、子など成しません……ですが、父の、主の無念を」

「それは、俺が背負う罪だ。お前が負い目を感じる事じゃない、お前はただ、主を供養して、主の分幸せになれ」

「そんな、勝手な事が」

「俺なら、子供が仇討ちに囚われているより、幸せに生きる方が嬉しい。お前はどうだ?」

「それは……」

 なずなは、翻弄される大鯰を見た。あの時、父は、主は、逃げろ、生きろとだけ語った。自分なら。子供には。

 だが、ずっとそう思って生きてきたのだ、今更ハイそうですかと割り切れない。なずなは、悩んだ。

「あのお坊様が言った意味は、これか……なずな、辛いだろうが選べ。俺か、主様か。選ばない方を、その懐刀で突け。お坊様が言った事は、その刀が抜き身なのは、きっとそう言う事だ」

「そんな……」

 選べない。反射的に、なずなは思う。旦那様と、父と、どちらかを捨てる判断など、出来るはずがない。

「……選べません……父と……旦那様と……どちらも、失いたくない……」

 こんなにも、人の心とは苦しいのか。知らなければ、人になど、ならなければよかった。なずなは、泣き崩れた。

 そのなずなの、抜き身の懐刀を持った手を取り、松蔵が言う。

「だったら、お前の心にけじめを付けなさい。そう言う時、人はそうするものだ。お前も、そうしてみろ」

 そう言って、松蔵は寝巻きの胸をはだけ、懐刀の切っ先を胸に押し当てる。

「!、何を」

「ここは、俺の夢の中だ。なら、俺は死なない。だから、刺すんだ。仇を討ってけじめを付けるんだ」

「でも!」

「大丈夫だ、夢の中で死ぬわけがない」

 微笑んで、松蔵が付け加える。

「俺を、信じろ」

 なずなは、瞬き一つして、決心する。

「……はい、あなた!」

 決心したなずなは、硬く目を閉じ、一気に体ごと前に出る。

 ずぐり。嫌な手応えがする。

 松蔵は、そのなずなの肩を再び、抱く。

「あなたと呼んでくれたのは、初めてだな……」

 その松蔵の口元から、一筋、血が垂れる。

 大鯰が、主が、ひときわ大きく暴れた。

 その尾に弾き飛ばされた鰍が、空中でトンボを切って、なずなと松蔵のすぐ後ろに着地する。

「あなたぁ!」

 体を離し、なずなが松蔵の肩を揺さぶる。

「大丈夫だ、さすがは夢の中だ、痛くもなんともない。むしろ……」

「そうよぉ、アタシが仕切ってる夢の中で、そう簡単に死なれてたまるもんですか」

 軽口を叩いて、鰍がなずなの、松蔵の肩を揺する手に手を重ね、止める。慣れた手つきで、松蔵の胸から生えた短刀を抜き、血振りする。いつの間にか、そこにあるのはさっきまでの懐刀ではなく、鰍のダガーナイフだった。

「どうやら、こっちはケリがついたようですな」

 小走りに駆け込んできた河の市が言う。

「じゃあ、そろそろ仕上げですかい?」

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