二十九話 「集められた元首」

†††



 現在、午後二時半。国際連盟会議が再開されるまでの残り三十分、各国のスペースでは最終的な打ち合わせが進んでいた。


 その多くが打算に満ちていたものの、こたびの連盟会議は今まででもっともまとまった成果が出るものだといえた。まず何よりも、この場にいる誰もが金融の破綻を望んでいないこと。それに伴う混乱も望んでいないことが挙げられる。


 常任理事国を含めた多くの国家が安定を欲し、今までの日常に戻ることを夢見ている。現在のルールがあってこそ富は富足り得、権力は権力足り得るからである。


 もしその前提が崩れてしまえば、既得の権利すべてに【保証】が得られなくなってしまうのだ。


 それを回避するために、ルシアもシェイクも一時的にせよ手を組むことを了解した。それが最善。現在における唯一の手だからである。言い換えれば、彼らにはそれしかできないのだ。



「いえーいっ! 調子はどうだい!!」



 そんな世界情勢とはまったく正反対の、スパーンという景気の良い音がルシア帝国のスペースから鳴り響く。


 気がつくと、一人の女性がハリセンを持って立っていた。紅虎である。どこで仕入れたのかハリセンを手に、どこまでもフリーダムな女は各スペースを回っていたのだ。


 この女が来る場所、嵐が訪れる。

 そんな爆風娘(自称二十七歳)は今日も自由を満喫していた。


 だが、自由すぎた。



「ひぃいいいい―――!!」



 周囲の高官たちが絶叫し、完全に硬直している。護衛の騎士たちも唖然としていた。


 ルシアといえば、世界最大軍事国家として有名であるのはもちろんだが、人口の三分の一が公務員として働き、軍事以外の行政においても非常に優れた国家であることは意外に知られていない。


 それだけ軍事国家としての側面が強いことを意味するのだが、文官の質の高さも実に見事である。その中の高官ともなれば百戦錬磨の官僚たちである。その彼らが叫ぶなど普通はありえない。ましてや各国代表が集まる連盟会議で、このような声は絶対に出さないだろう。


 だが、それも無理からぬこと。

 なぜならば彼女がハリセンで叩いたのは…



「紅虎か」



 叩かれた【偶像】の目が赤く光り、紅虎を視界に捉える。偶像は、青白く透き通るクリスタルで造られた彫像のように見えた。人間の像ではなく、より機械的なフォルムである。


 偶像の青は、人間の【叡智】を表している。


 雪の国は、人が生きるにはつらい場所である。食料も限られ、大雪になれば歩くことも困難な世界が広がる。その中で生きる人々は誰もが賢く、何よりも聡明になっていく。人の叡智だけで自然と立ち向かわねばならないからだ。


 偶像の白は【純粋】を表している。


 雪を見る時、人の心は澄んでいく。朝日に映る一面の銀世界は大自然の素晴らしき贈り物。少年は涙を流し、感謝する。今日という日が訪れたこと、この美しき白を愛する。


 この二色は、ルシアの国色である。


 一色ならばまだしも、ルシアにおいてこの二色を同時に使うことは非常に強い意味がある。普通の貴族ならば扱うことも許されず、大貴族にしてようやく認められるも、こうした大舞台で使ってよいのは【ただ一人】と決められていた。



「よっ、元気してた?」



 紅虎がその偶像、【ルシア天帝てんてい】に声をかける。国際会議に限らずルシア天帝は、肉体をもって自ら出席することはまずない。必ずこうした媒体を通じて出席している。


 紅虎が叩いたのはその偶像。特に痛みがあるわけではない。が、ルシア天帝の偶像に触れるなど、ダマスカス大統領のカーシェルでさえできないことだ。


 ルシア高官が叫んだのも致し方ないことである。



「相変わらずのようだ。そのような振る舞いができるのは、うぬだけよ」



 ルシア天帝も紅虎の自由さは知っている。そのうえで彼女を止めることは、他の人間同様に諦めていた。彼女が来たら抵抗せずに受け入れる。これこそが一番賢いやり方である。聡明なルシア天帝がそうするのだから間違いないだろう。



「お固いねー、あんたも。もっと気楽にしていればいいのに」



 紅虎は、およそ高さ二メートルはある偶像の頭を背伸びしながら、ポンポンとハリセンで叩く。


 当人にしてみれば、【子供】をあやすお姉さんの気分である。事実、紅虎のほうが遙かに年上である。



「うぬのようにはいかぬよ。我には雪の国を守る責務があるのだからな」



 休憩中ということもあり、偶像は友と話すような柔らかい雰囲気で紅虎に話しかける。


 これも相手が紅虎という存在であるからにほかならない。天帝である者、常に強者であらねばならないのだ。本来は振る舞い一つにさえ細心の注意が必要な存在である。


 紅虎という女性は不思議である。

 彼女にかかれば、どんな人間でも素直になってしまうのだ。

 偉大なる女神が母とすれば、その包容力はまるで【姉】のように、張りのある優しさを持っている。


 それは話す相手がルシアの天帝であっても変わらない。

 どこか安心してしまうのだ。


 紅虎は紅虎のまま。いつどこにいても、誰と一緒にいても、彼女は同じ雰囲気を持っている。何年も何百年も変わらぬ姿であることも相手を安心させるのかもしれない。



(ザフの坊やも大変そうね。老けるわけだわ)



 偶像の声からは、若干の疲れと加齢による衰えを感じさせた。


 人はいつか老いる。誰もがその宿命からは逃れることはできない。種が芽吹いて花が開けば、いつかは朽ちていくのがこの地上の絶対の法則なのだ。


 彼の名は、第三十四代ルシア天帝、ザフキエル・ガイン・カルバトフ。齢六十四にしていまだ健在。その優れたる叡智によって、大国ルシアをまとめる【賢王】である。


 後年の歴史家のザフキエルに対する評価は、可もなく不可もなく、である。


 彼は生まれた時から、ほぼルシア天帝になることを義務づけられて生きてきた。英才教育を受け、優れた部下を最初から持ち、表面上はさしたる苦労もなく天帝になった。


 そのためか特に大きな決断をすることもなく、大きく躍動することもなかったが、大きく失敗することもない統治をしていた。とはいえ、大国ルシアを維持すること自体が並大抵のことではない。他国で優れた王でもルシアにくれば凡王と変わらないのだ。


 ザフキエルが賢王であることは疑いの余地はなかった。そんな彼から感じる疲れの理由は、紅虎にはわからない。何事もなく責務が終わると思っていた矢先、彼の代で起きた今回の大異変に気を揉んでいるのかもしれないし、ルシアをまとめるのはやはり大変なのかもしれない。


 ただ、紅虎の心に哀れみと愛情が広がったのは間違いのない事実であった。彼女から見れば、地上の人間は自分たちの弟であり妹であり、ある意味では子供たちなのだ。


 悲しみではなく、労り。

 そして寂しさ。


 同じ場所にいながら紅虎と彼らの時間は違う。同じ人間でありながら、直系と女神の子孫たちは進化の仕方が違うのだ。


 彼らはまだ多くの痛みを通じて学ばなければならない。大地に這いつくばり、歯を噛みしめながら歩かねばならない。老いと痛みと病気を味わいながら、少しずつ進歩していかねばならないのだ。


 それが彼らの人生であり、地上に生きる人間の宿命である。


 幾多の肉体をもった再生人生を繰り返し、その中で必死に生きて成長する。そのたびに彼らの霊は進化し、浄化されていく。ただしそれは、真冬の雪山を一歩一歩登るくらい過酷である。


 だからこそ愛しいのだ。


 その先に待っている光を知っているから、紅虎は彼らに愛を抱く。偉大なる者とは愛が深いから偉大なのだ。けっして、ただの先駆者だからではない。


 紅虎もまた、溢れんばかりの愛を持つがゆえに、偉大なる直系の一人なのだ。



(ああ、私の可愛い弟たち)



 いつかは自分と同じ場所に到達するであろう地上の人間たちを見て、愛が無限に湧き出る。進化の仕方は違えど、最後に出会う場所は同じなのだ。


 すべての人間が女神のもとに集結し、この星は進化の次のステージに入る。それはまだまだ先の話。何万も何十万年も先の話。それまで人は、自らの人生を地上で歩まねばならない。つらくとも痛くとも我慢して、いつか来るであろう光を待ちわびて。


 紅虎は熱くなる胸の衝動を抑えきれず、彫像を抱きしめた。

 思いきり。

 それはただただ愛情ゆえの行為であったが…



 バキンッ



 紅虎は自身が怪力であることを忘れていた。

 彫像に大きな亀裂が入り



 パリーン



 砕けた。




「天帝陛下ぁあああああああ!」



 その後、高官たちが大絶叫したのは言うまでもないだろう。それによって休憩時間がさらに延びたことも付け加えねばならない。(天帝の偶像の修理の時間)




「いや、ごめん。ついうっかり」



 と謝ってはいるが、まったく反省していない紅虎がいる。顔が謝っていない。この女、本気で謝ったことは一度たりともないという話である(ラナー談)



「かまわぬ。所詮、偶像よ。が、うぬの弟子には同情するな」



 ヒビが入った箇所を接着剤でくっつけたザフキエルは、見事に天帝の器を示す。


 が、間に合わせで張り付けているので左右にズレが生じており、その顔はまるで前衛芸術家による理解されないリビドーを表現したかのように若干歪んでいた。



「またまた、本当は羨ましいくせに。弟子になったら毎日抱きしめてあげるわよ」



 ちなみにラナーは、この熱い抱擁で軽く三回は骨折している。紅虎が勝手に盛り上がって本気で抱きついたときには、腕だけではなく背骨まで【逝った】。


 カーシェルは十回以上複雑骨折しているが、こちらの変人はそれも愛だと喜んでいるので被害ではないだろう。



「うぬが連盟会議に来るなど、珍しいこともあるようだ。何があった」



 ザフキエルは紅虎の行為をさして気にもせずに受け流し、誰もが気になっていることを率直に尋ねる。紅虎相手に絡め手は不要。むしろ機嫌を損ねるほうが問題なので、こうするのが一番である。



「んー、べつに。ちょっとした気まぐれよ」



 紅虎は目を横に動かして、唇をすぼめながらそう答える。それは紅虎が嘘を言うときの癖である。実は誰もが知っているが、誰も指摘しないので当人は知らないままだったりする。


 紅虎は、はぐらかすことはあれど嘘をつくことはまずない。その段階でかなり重要な隠し事があることは簡単に見抜くことができる。


 とはいえ、追求したところで答えは出ないだろう。そこは案外、口の堅い女性なのだ。彼女にもそれなりの【責任】があるのだから。



(やはりこのままでは済まぬようだな)



 ザフキエルも【今日】という日の特異性を理解していた。未曾有の全世界レベルの金融危機が発生し、各地の混乱の収束のために国際連盟会議が開かれた。その段階で異常である。


 ただし、ザフキエルが感じている特異性とは、単にそれだけを指すのではない。


 この場に紅虎がいること。そして、ルシアにとってのアナイスメルのような存在、バン・ブック〈写されざる者〉によって、今日という日が特別であることはわかっている。


 ただ、どう特別かまではバン・ブックではわからない。アレは起こったことを記録する【巨大な本】であって、アナイスメルのように予測するものではないからだ。


 となれば、別の方法で未来を予測するしかない。

 その方法の一つをルシアは持っていた。



(【星】はどう動くか。人の身に予測はできぬ。我も所詮、人間ゆえに)



 【星を視る少女】はザフキエルに言った。今日この日、とてつもなく大きなことが起きると。それはルシアの存亡をかけたものであると。


 判断を間違えれば滅亡もありえる。

 それだけのことが起きるのだと。


 ザフキエルは少女の言葉を笑わなかった。ただ静かに聞き入り、静かに今日という日を迎えた。ザフキエルは自身が人間であることを知っていた。ルシアの美しい雪が教えてくれるのだ。


 人は自然には勝てない。

 傲慢な人間から哀れに死んでいくのだと。



「紅虎殿、ご無沙汰しております」



 ザフキエルが思考を巡らしていると、紅虎に話しかける男がいた。巨躯の男で、後ろから見ると紅虎が完全に隠れてしまうほど大きい。



「あー、あんた…ジャラガンだっけ?」



 ジャラガン・ベリダシェフスキー。年齢は今年で六十三になる。短めにカットされた白い髪はよく見ればすすけたブロンドで、立派なラウンド髭も同じ色をしている。


 身体は見るからに頑丈そうな筋肉に覆われ、なおかつ身長も優に二メートルは超えている。公式発表されている身長は二百二十四センチである。


 この男こそ【ルシアの雪熊】と呼ばれるルシア帝国【天帝親衛隊長】である。


 ルシア帝国には四つの軍と十三の軍団が存在し、各々を率いる騎士団長が存在している。一番の権限を持つのが、軍を束ねる各筆頭騎士団長の四人で、それぞれ第一から第四までの序列が付けられている。


 当然、第一艦隊を率いる第一筆頭騎士団長がルシア軍最大の名誉と権限を得ているといってもよい。ただ、その第一筆頭騎士団長に匹敵する権限を持つ者がいる。それが天帝親衛隊長であり、その配下の親衛部隊【ロー・シェイブルズ】である。


 天帝の護衛や公にできない特命を果たす組織であり、規模は軍団には及ばないものの、非常に強い特権を数多く持っている。いわば天帝の私兵といっても過言ではないだろう。彼らは天帝のためだけに動く存在なのだ。


 今回、天帝自体は偶像での出席であるが、その権威の証明としてシェイブルズも参加している。ジャラガンはその中でもトップの男であり、現ルシア帝国において五本の指には間違いなく入るであろう強力な武人でもある。


 彼がこの場にいることそのものが、今回の会議に臨むルシアの本気度を示しているといえた。それだけ聞けば怖い大男だが、その顔には柔和な微笑みが宿されており、紅虎に対しても礼節を忘れない。



「覚えておいででしたか。光栄であります」



 ジャラガンと紅虎が会ったのは一度だけ。それも彼がまだ若い修行時代に一度だけであった。忘れられていても仕方ないと思ったが、紅虎はしっかり覚えているようだ。



「まー、目立つしね、あんたは」



 若い頃から身体は大きかった。それ以前に紅虎は、肉体だけで相手を見ているのではない。その魂、オーラの色が、ジャラガンはとても印象的であった。


 白みがかった銀のオーラは彼の心の強さを示すものであり、あれだけの修行を乗り越えたのは意思の強さあってのことである。それは素直に賞賛すべきものであった。



「もうゼブラエスのところにはいないんだね」



 紅虎が出会った時、ジャラガンは覇王ゼブラエスとともにいた。


 覇王ゼブラエス。名前の通り最強の戦士である【覇王】であり、その強さは現存する武人の中で最強と呼ばれている。齢二百歳を超えるが、紅虎が数十年前に会った時はいまだ現役であった。もちろん、今でも力は衰えていない。


 ジャラガンは、そのゼブラエスの数少ない弟子である。


 ゼブラエスは基本、弟子を取らない男で有名だ。我流で身につけた武であるので他人には教えるのが苦手なのと、その武を悪用する者がいないようにと警戒してのことだ。


 が、実際はその修行が激しすぎてついていけないというのが実情で、最初の訓練が「戦気を出さないで巨大モンスターと戦う」というものであるため、大多数がそこで倒れる。


 その他、【鍛錬マニア】であるゼブラエスの修行はあまりに過酷で、真性のマゾでもないと耐えられないものばかりである。その超危険な試練をいくつも乗り越え、必死にゼブラエスについていった八人がいた。


 それぞれ師事した年代こそ違うが、その八人をゼブラエスの弟子、【八拳聖はちけんせい】と呼ぶ。そして、ジャラガンも八拳聖の一人である。



「はい。こうは私の修行が終わるとまた旅に出られました」



 覇王とは、あくまで最強の戦士に与えられる称号であるので、覇王になったからといって何かをしなければならない決まりはない。


 ただ、歴代覇王の生涯を見ると、その半数近くが大きな国を興したり戦乱を止めたりと、世界規模の偉業を成し遂げていることがわかる。


 それはやはり【王の力】。


 覇王になるためには優れた王の資質が必要であり、それがあってこそ天によって選ばれるのだ。決まりはない。されど覇王たる者、その力を世界のために使う義務がある。


 しかし、ゼブラエスはそうした大きな偉業を成し遂げることはなかった。


 彼は覇王になってからも旅を続け、その武を使って世界各地で困っている者を助け続けている。世界という枠組みの中で弱者になってしまった者の、声なき声を見つけては助けているのだ。



「今もきっと、小さき者のためにお力を使われているのでしょう」



 ジャラガンは尊敬の眼差しでゼブラエスを想う。


 覇王なのだから国家レベルの偉業を成すべきだ、という批判もあるのは事実だ。


 仮にゼブラエスが立てば、世界の紛争は一気に収束していくに違いない。その武だけではない。彼という偉大な王が立つことで、数多くの賛同者が必ず出てくるからだ。


 ルシア帝国でさえ、彼とまともに争うことはしないだろう。ゼブラエスを敵に回すことに何の利益もないからだ。彼を慕う数多くの武人、軍人が離反する可能性さえあるのだ。それほど彼の魅力は大きい。


 人格も王として相応しく、弱き者を助けるまさに最高の王になると期待されている。期待され続けている…が、彼にその気はないらしく、だいたい旅に出ているので、基本的に消息不明の状態である。


 ジャラガンはそれを惜しみつつも、気高い生き方であると思うのだ。



「あー、あいつらしいね。それも一つの生き方じゃないかな」



 紅虎も、その生き方を肯定する。それも人生だろう、と。


 ゼブラエスが責任を放棄したとは思わない。彼はそういう不真面目な男ではない。ただ、それだけ影響力のある彼が動けば、より大きな変動が起きる。争いも起きるだろう。


 そこで犠牲になるのは民である。

 何かを成すためには、避けられない犠牲となるだろう。


 だからこそ彼が選んだのは、現在の安定を維持する道。

 そのうえで弱者を助ける道。

 本来覇王が歩む【覇道】とは正反対の道。


 されど彼はきっと、その道に満足しているのだろう。

 今日もどこかで誰かを助けているに違いない。

 それもまたロマンである。



「そして、あんたはザフのお付きってわけね」


「はい。ルシアは私の故郷。どこに行くと尋ねられれば、答えは一つです」



 ジャラガンの故郷は首都ルシアからずっと西、氷海に面したルシア・ジャトレンチコという小さな国である。この国はおよそ三千年前、ルシアが建国してまもなく、彼ら自身の意思によってルシアと合併した歴史がある。


 国の代表者が初代天帝の器の大きさと優しさ、叡智の深さに感激して、ともに歩みたいと願ったのだ。それは今のような打算的な植民地とはまったく違う性質をもったものであった。


 ジャトレンチコには今も天帝との独特の絆があり、その国の出身であるジャラガンがルシアを選ぶのは当然であった。



「多くの国が、わが国を誤解しています。こたびの会議は、それを払拭するチャンスだと確信しております」



 そうジャラガンは胸を張る。彼にとってルシアとは、かつての【古き良きルシア】のままなのだ。それは幼い頃に、祖母から聞かされた昔話のまま。純粋な雪に覆われたままである。


 それもまたルシアの姿。

 白の国色は、純粋無垢の象徴なのだ。


 ただ、現在のルシアがその白さを完全に体現できているかと問われれば、答えは灰色になってしまうだろう。ザフキエルも静かにジャラガンの言葉を聞くにとどめている。まるで古き時代を懐かしむかのような憧憬を込めて。



(う~ん、弟子の育て方はゼブラエスのほうが上かなー)



 紅虎はジャラガンの陶酔話を聞き流しながら、一番の興味である彼の強さを推し量っていた。


 成熟したオーラ、たたずまい、張りのある雰囲気。かつての激しい修行のレベルを維持しているのは明白である。この成熟度は、自身の教え子であるラナーを超えるものであるのは間違いない



(私も、もっと厳しくしたほうがいいのかね)



 紅虎も十分厳しいはずである。ここ最近は、ラナーとカーシェルくらいしか弟子と呼べる存在がいないのは、単純に修行が厳しいからだ。


 紅虎としてはまだまだ生ぬるいと思っているのだが、基本的に弟子はすべて剣士なので、身体能力に関してはゼブラエスに師事する戦士とは根本が違う。


 これ以上やれば、修行中に死んでしまうだろう。そのあたりが紅虎には欲求不満であり、弟子に性的な行為を求める引き金にもなっているのかもしれない。



「ん?」



 そんな中、紅虎に視線を向けている者がいることに気がついた。これだけ目立つ女性なので、視線はちらほらと至る所から向けられているが、その視線はまた違う色と質を持っている。


 その視線の主はルシアの高官の中におり、ひときわ目立つ容姿をしていた。美しい顔をもったいぶるかのように白いレースの帽子で隠し、やや青がかったドレスを見事に着こなす。


 装飾品は事務用に抑えてはいるが、どれも周りの事務官とは根本の輝きが違う。当然、それは着ているものだけではなく、彼女が発する気質自体が周りとは異質であった。


 たとえるならば【蝶】。


 この会議場の中の重々しさすら、自身を輝かす踏み台にしてしまうような、可憐に舞う蝶。


 紅虎が視線を向けると、その女性はわずかに会釈し、再び視線を逸らした。その仕草にも、どこか気品が漂っている。



「ねえ、あの子は?」


「ああ、【雪華公せっかこう】ですな。ルシア行政府の紅天位べにてんいです」



 紅虎はジャラガンにその女性について尋ねる。ジャラガンは一目見ただけで、紅虎が誰を指しているかすぐにわかったようだ。ルシア内でもそれだけ目立つ女性なのだろう。


 行政府、紅天位、アルメリア・ベルシェメーラー。


 紅天位とは、ルシアの行政府に三人いる行政のトップのことである。ルシアという巨大な国を動かすためには、数多くの公務員が必要であるのと同時に優れたリーダーも必要となる。


 特に帝国民の生活を支える行政府は重要で、ここでは平民でも昇進できるシステムが構築されている。力ある者ならば、誰でも歓迎されるのだ。


 ベルシェメーラー家は名家で、ルシアのライフラインを牛耳っている力ある大貴族である。父親は上院議会の最大派閥、元老院派でもトップ三に入る力を持つ。


 その娘ならば、こうしてこの場にいることは不思議ではなく、むしろ自然なことといえる。いくら行政府が開けた組織であっても、紅天位になるにはやはり家の力も関わってくるのが普通だ。


 アルメリアも家の力で紅天位になったと思う人間は多い。


 が、そうではない。


 ルシアの貴族は偉そうにしているが、実務では使えない。いつからか、そんな言葉を耳にするようになった。半分は貴族主義へのやっかみであったが、半分は実際に堕落した貴族による弊害が出ていたのも事実。


 アルメリアはそんな堕落した貴族をよそに、上級貴族でありながらも自らの才覚だけで紅天位になった才女であるという。それもあくまで貴族側の視点であり、実際に若くしてトップになったのだから、若干ながら貴族の力が働いたのも間違いない事実である。


 それはそれでいい。


 彼女は自分が貴族であり、その力を使えることもまた自己の力だと思っている。彼女にとって、すべては利用するものである。才能も家柄も財力も、すべては道具にすぎない。


 年齢はまだ二十二歳。

 女性がこれからもっとも美しく花咲く年齢である。


 彼女はすべてを持っていた。

 家柄、才能、美貌、世の中の女性ならば誰もが羨むものを得ていた。


 その女性が紅虎を見ていたのだ。


 ただ珍しかっただけではない。

 その中に【羨望】と【嫉妬】の感情があることを、紅虎は見抜いていた。


 人の好みはそれぞれであるため、どちらが美人であるかは問題ではない。二人とも美人であるのは間違いないのだ。


 本来ならば、彼女が紅虎を羨む必要ない。対抗するにしても、「紅虎様も、まあまあ美人ね」と思うくらいが、あの年齢ならば普通なのだ。それだけの美貌を彼女は持っている。


 が、彼女はそこを通り過ぎていた。そのような感情など、十歳を過ぎたあたりで不要になった。比べられるすべてが劣っていて、くだらないものに思えたからだ。


 そうしたアルメリアの紅虎に向けられる、ある種の敵意に似た視線。その異質な気配に紅虎は反応したのだ。



(ふーん、【女】として見られるのは久しぶりね)



 多くの人間が紅虎を直系として見ている。自分たちとは違う存在だと思っている。


 弟子のラナーでさえ、紅虎のことを特別な存在だと思い、無意識のうちにそう扱っているのだ。だからあのように遊ばれても当人はまったく気にならない。


 それをアルメリアは同じ土俵で見たのだ。そうした気概、傲慢とまでいえる強い自尊心に、紅虎は危険な香りを感じる。



「あの子、いつかルシアを【喰う】かもね」



 紅虎は天帝の偶像に寄りかかりながら、独り言のように小さく呟いた。それはザフキエルへの警告でもある。


 根拠は何もない。

 ただの勘だ。

 されど紅虎の勘は外れたことがない。



「小娘一人に喰われる国ならば、最初からないほうがよかろう。まだルシアはもつ」



 ザフキエルもまた、独り言のように呟く。


 彼は言うのだ。

 もし雪の白が灰色になり黒ずんだとしても、また美しき雪が降り注ぐであろうと。


 ただし、淀んだ水が大地を汚染することはザフキエルも知っていた。汚染された土をいくら白い雪で覆っても、結局は外面そとづらばかりを雪化粧するだけのこと。そのツケはいつか自らが受けることを。


 紅虎は、それ以上は何も言わなかった。すべては地上の人間が自ら行い、自ら対価を受けるだけのこと。それがどんなに苦いものであろうと、だからこそ価値がある。痛くて苦しくても立ち上がる力が人間にはある。


 それが進化というものである。


 進化とは過ちの上にあり、過ちを正す過程にある。両者がぶつかり、螺旋となって上昇していく。それが進化である。綺麗なものも汚いものも一緒にあって、その中から自ら選ぶことで強くなっていくのだ。


 紅虎は、そうした女神が与えた進化を心の底から愛していた。痛みがあるから、弱いから強くなれるのだと。闇夜があるから朝光があるように、嵐があるから晴天があることを知っていた。


 だからこそ、【合わない存在】もいる。 



「あやや――、紅虎ではないか。雪の国の王には会いに来ておきながら、わらわは無視かえ。寂しいのぉ」



 その声は紅虎の背後から聴こえた。



「ちっ」



 紅虎は声の主に振り返る前に舌打ちする。地上の人間を愛する彼女がこうした態度を取ることはまずない。すべての人間は、同じ進化の途上にある愛すべき同胞、弟や妹なのだ。


 しかし、【その女】に対しては別である。



「おー、おー、そうか。紅虎は恥ずかしがり屋じゃったな。妾のほうから出向くべきであったわ」



 その女は手に持った扇を開き、優雅な舞を踊るように芝居がかった口調で近づいてくる。


 その雰囲気、その様相、どれも普通ではない。


 薄色の髪は床に吸いつくほど長く妖艶で、赤い目は宝石のように輝いている。それはルシア純血種の血の色、ブラッド・アイに似ているが、それよりもっと深く、獣の目が闇の中で光る色に似ている。この目を見た人間は、魅入られるか恐怖するかの、二つに一つの選択を迫られるだろう。


 服はレグホーンを基調とした落ち着いた色合いながらも、東方の趣を色濃く出した着物で、所々に色鮮やかな金糸の刺繍が施され、会議場の光を反射して自ら発光しているように見える。


 胸元も妙にはだけており、妖艶さをさらに増しているが、そうした中でも一番目を引くのはやはり【額のサークレット】だろう。


 そこには、額を覆ってしまうほどの巨大なダイヤモンドがあった。とても不思議な色合いで、見る角度によって完全に色が変わることから、【レインボーダイヤ〈不可視の虹〉】と呼ばれているものだ。


 これは今のところ、彼女が持つものだけに見られる特色であり、世界最高のダイヤともいわれている。そして、まごうことなきテラジュエルである。ダマスカスジュエル協会からの鑑定書もある本物だ。


 彼女はそれを扱う希少な【ジュエル・パーラー〈星の声を聴く者〉】に認定されている稀少な存在であった。


 そんな彼女が歩くと、他のものは霞んでしまうほどまばゆい。あのアルメリアとて、彼女の前では普通に見えるほどだ。なぜならば、それは女性特有の美というより、【存在そのもの】が人間離れしているからだ。



「来なくていいわよ」



 紅虎は彼女が来るのを手で制する。見るのも嫌だという嫌悪っぷりである。



「ほぉほぉー、そんなに嫌いかえ? いいのぉ、その嫌そうな顔、とてもいいぞぉ」



 女は、紅虎が嫌うのを心の底から楽しんでいるように笑う。事実、その反応を楽しんでいるのだ。相手が嫌がれば嫌がるほど楽しい。


 紅虎も相手がそういう人間だとわかっているので、無視すればよいのだが、ストレートな性格がここでは仇となっていた。


 無視しても付きまとうに違いないので、紅虎は仕方なく相手をすることにする。



「あんたまで来ているとは思わなかったわ」


「妾も責任ある立場。いるほうが自然ではないかえ?」


「嘘言いなさい。ずっと出てなかったくせに」



 この女は、国際連盟などまったく意にも介していない。その証拠に連盟会議が始まってから、たったの一度しか出席していなかったのだ。


 そして二回目が今日。

 それまでの間、何があろうと無視してきたのだ。


 理由は簡単。面白くないから、である。

 そんな人間が責任を語るなど笑わせるな、ということである。



「それは、お前様も同じことであろう?」



 女は、さも心外だと言わんばかりに扇を広げてみせる。たしかに紅虎も今日が二回目である。一回目は連盟が発足した第一回会議において、来賓として出席したのが最初で最後であった。


 といっても、紅虎はあくまでゲスト。

 女とはまた立場が異なる。



「陛下、席をご用意いたしました」



 いつの間にか女の隣には、青い服を来た男がいた。


 簡素な青い執事服を来た背の高い男で、よくよく見れば目立つ容姿である。なぜこの男の存在に今まで気がつかなかったのか、と自問するほどである。


 それだけ隣の女が目立っていたこともあるが、彼自身が気配を完全に消していたことが最大の要因であろう。紅虎にまで気配を簡単に悟らせないというのは、相当なものである。



「ふふ、妾の誘いは断らぬであろう。茶の用意ができたぞ。さあ、再会を祝そうではないか」



 女は上機嫌で紅虎に右手を差し伸べる。紅虎はその手を一瞬凝視したあと、ゆっくりと自分の右手を添え、ぐっと握る。


 握手する。


 誰もがそう思った。



 が、次の瞬間、紅虎がその腕を乱暴に引きちぎる!!


 ブシャァ。


 腕は、いとも簡単にちぎれてしまった。紅虎の腕力をもってすれば、実にたやすいことである。それは不思議ではない。


 だが、彼女がそのような行為をすることは、誰も思っていなかったのだ。紅虎がフリーダムな人間であっても、誰かに(弟子以外に)危害を与えることはまずありえないからである。


 それだけではない。


 問題は、【その相手】であった。




「うぉぉおぉおおお! 手がぁあああ! 妾の腕がぁあああ!」




 女は地面にうずくまり、右手を押さえて苦しそうに呻く。さらにそのまま寝転がり痛みで悶絶している。



「あああ、陛下ぁあ! なんとおいたわしや!」



 隣にいた執事も女に駆け寄り、心配そうに肩を抱いて介抱する。



「ふんっ」



 一方の紅虎はちぎった腕を放り投げ、さも汚いものを触ったかのように手を拭いている。そこに一切の悪びれもない。


 誰もが動かない。いや、動けない。どうしてよいのか、わからないからだ。下手に動けば、また被害が大きくなることを知っているので、誰も動けない。


 が、それに猛烈に反応した男が、ただ一人だけいた。



「うぉおおお! 師匠ーーーー!!」



 その様子を少し遠くから目撃したシャイン・ド・ラナーである。


 シェイクの大統領、ベガーナンを自らの乳ではり倒した紅虎が、さらなる凶行に走る前に止めるべく馳せ参じたのである。若干遅く、ルシア天帝の偶像を破壊し、あまつさえ現在とんでもないことをしている師を見つけ、顔を真っ青にしている。


 偶像はまだよい。直せるものだ。

 だが、人間の手はそうはいかない。


 しかも相手は…



「師匠! ついにやってしまいましたね! ああ、しかも【超帝ちょうてい陛下】に対して…!!」



 この腕をちぎられた女こそ、常任理事国の一つグレート・ガーデン〈偉大なる箱庭〉の国家元首。超帝アダ=シャーシカ・ツェ・クルハ・ナイェルバース五世である。(長いので、だいたいアダ=シャーシカと呼ばれている)



「超帝陛下、申し訳ありません! お怪我は大丈夫ですか!?」



 ラナーは慌てて、アダ=シャーシカに駆け寄り、師の無礼を詫びる。


 紅虎とはいえ、何をしても許されるわけではない。しかも、国家元首に危害を与えるとなれば、それ相応の責任を問われても仕方がない。むろん、紅虎を罪に問えるほどの勇気を持つ者が、地上人類にいるかどうかが問題であるが。



「おおお、痛い! 痛いぞぉおお! 妾の腕がぁ…およよよ」


「どうか、どうかお許しを!」



 ラナーは必死に謝るが、彼女の怒りは収まらない。



「ダメじゃ、ダメじゃ! ユルさんぞ、紅虎めぇえ!」



 アダ=シャーシカは、右腕を押さえて紅虎を睨む。真っ赤な目に狂気の色が見えた気がして、ラナーはぞっとする。超帝の【悪評】を思い出したからだ。


 グレート・ガーデンは、ロイゼン神聖王国の四分の一程度の国土であり、国力そのものは低い。しかし、グレート・ガーデンの戦力は少ないものの、その質が違う。技術大国である彼らは常に最新の技術を用い、少数で多数を圧倒する力を有している。


 彼らが動く時こそ、時代が大きく変わる時といわれる。それだけの影響力を持っている国なのである。


 さらに通常の軍隊とは別に、超帝個人が率いる【超級天使団〈ビー・マイ・エンジェル〉】と呼ばれる組織があり、【天使】と呼ばれる特殊な武人たちを擁してる。


 噂では、天使たちには特別な強化手術がなされており、通常の武人を遥かに上回る力を有しているという。そして、その中でも最上位の天使を【一三人の天使〈サーティーンズ〉】と呼ぶ。


 彼らは強力な能力を持ち、操るMGも普通の規格とは異なる。その力は、一人で小国の騎士団に相当するという。


 問題は、彼らは超帝の命令ならば何でもするということだ。超帝という存在が他国から忌み嫌われているのは、その【特異な性癖】にある。


 彼女は興奮すると、自己の欲求のままに力を振るう。好きなものを見て刺激されたり、あるいは逆に嫌悪したりすれば、感情と感覚の赴くままに行動することがある。


 それによって小さな国が滅んだこともある。


 これもあくまで噂にすぎないが、その際にサーティーンズの天使が三人ほど派遣されているのは事実である。結果として国が一つ滅んだ。これも事実である。


 そう、その気になれば、たった三人で小国を滅ぼせるのだ。

 超帝がその気になれば、今すぐにでも。


 それでもグレート・ガーデンが咎められないのは、常に最高の技術を持つ国であることが影響している。彼らなしでは、大国ルシアもシェイクも力を維持し続けられないのだ。


 また、その二国が行っている軍事行動と比べれば、被害は非常に微々たるものであることも挙げられる。変に咎めて超帝を不機嫌にさせるより、放っておいたほうが得策。そういうことである。


 それゆえにルシア天帝も、超帝という存在を苦手としている。遊びで争いに介入された日には、その紛争地域が焦土になることは間違いないのだ。



(超帝陛下を怒らせたら、大変なことになる…!)



 ラナーは酸素が足りなくなった魚のように、口をパクパクさせ悲惨な未来を憂う。


 自分がどうなろうがかまわないが、それがロイゼンにまで飛び火しては問題だ。いや、それが関係ない小国に及ぶほうが怖い。彼らは対抗するすべがないのだから。


 そもそも五大国の元首は誰であっても、怒らせれば大変なことになるのだ。普通はそうした人間に手出しはできないのだが、紅虎が特別ゆえに簡単にできてしまう。それが今は憎らしい。


 ただ、ベガーナンやカーシェルが【政治家】なのに対して、ザフキエルやアダ=シャーシカ、ロイゼンの法王などは【象徴】である。


 そこには決定的な差がある。


 前者は利益で動く。

 後者は感情で動く。


 これが大きな違いである。

 よって、後者のほうが恐ろしいことは明白である。



「どうか師匠の無礼をお許しを! どうか、どうか!」


「そんなやつに謝らなくていいわよ」



 紅虎はまったく他人事のように、ラナーの慌てぶりを冷ややかに見ている。どうやら本気で超帝が嫌いらしい。こうした紅虎を見るのはラナーも初めてである。



(やはり師匠も、雲の上の人間なのか…)



 ラナーはそれを直系ゆえの達観と解釈する。偉大なる者が地上を離れて久しい。彼らも星には住んでいるが、文字通り【雲の上の人】となってしまっている。


 愛のそのがどこにあるのか誰も知らない。一説には雲の上、その遙か上にあるとされ、こうした話から、偉大なる者たちを雲の上の存在に感じている地上の人間は多い。


 彼らは遠く離れた存在なのだと。

 どこかで見守っている神様に近い存在なのだと。


 こうして紅虎と接しているラナーにも、そうした感情はあった。自身が【神秘(女神)派】のカーリス教徒だからかもしれないが、祈るという行為はどうしても対象を遠くさせてしまう。


 地上の人間は、やはり手で触れて目で見えないと現実と感じられないものだ。こればかりは仕方がないことである。



「こうなれば戦争じゃ! 覚悟はよいな、紅虎!」



 超帝が紅虎を睨みながら挑発する。



「いいわよ、べつに。後悔するのは、あんたのほうだけどね」



 紅虎も譲らない。超帝の力などまったく怖れていないようだ。実際に戦ったらどうなるかわからないが、もしそうなれば多くの被害が出るのは間違いない。


 なにせ二人とも【世界の問題児】である。

 当人たちはともかく、巻き添えをくらうのはいつも周囲なのだ。



(ここは私が収めるしかあるまい)



 ラナーは覚悟を決めると正座をし、思いきり頭を床に叩きつけた!


 そこに迷いはない。


 ドッゴーーーン!


 一瞬、会議場が揺れるほどの大きな衝撃であった。

 その威力に、会議場の全員の視線がラナーに集まる。



「どうかお二人とも、この場は私に免じて、どうかお引きください!」



 なぜか土下座である。


 思い起こせば、ラナーはまったく悪くないどころか何もしていない。むしろ犠牲者の類に入る。だが、こうなればもう土下座しかない。しかも周囲の注目を集めるために、額に戦気を集中させて放った頭突き型土下座である。


 会議場施設の壁や床は防弾はもちろん、爆発物にも耐えられるように設計されており、術によって強化も図っている。それを頭で打ち抜くのだから、相当な威力の土下座であるのは間違いない。


 ラナーは頭に感じる衝撃を噛みしめながら、ふと思った。


 土下座をしても、悔しくない。


 なぜならば、自分の背後には守るべきものがたくさんあるからだ。神殿で面倒をみている子供たちの顔が浮かぶ。彼らの笑顔を守りたい。彼らを守れるのは自分しかいない。


 こんな馬鹿げたことで、彼らのような孤児を増やしてはいけない。そんな切実な想いが彼を奮い立たせるのだ。


 そして紅虎は、ラナーにとって特別な存在である。紅虎の名声に傷をつけてはいけない。彼女は偉大なる直系なのだ。そう、自分が崇める女神により近い存在なのだ。


 彼女という存在は、ラナーにとってみれば女神と同じ。だからいいのだ。たぶんきっとすでに紅虎の名声なんて、とっくの昔に失われているとしても、自分の中で守られればよいのだ。


 彼女には美しくあってほしい。

 気高くあってほしい。

 こんなことで汚してほしくない。


 この土下座には、そうした彼の熱い想いが宿っていた。

 そんな土下座に、超帝も興味を惹かれる。



「ほぉ、引けとな。お前様がそこまでするなら考えてもよいが…」



 名高きロイゼンの白騎士が、自分に頭を下げている。これはなかなか見られるものではなく、愉快な光景である。


 超帝は少しだけ機嫌を直す。

 が、それだけで終わるわけがない。



「じゃが、ただでとはいかんのぉ。お前様は妾に何をくれるのかえ?」



 超帝は閉じた扇でラナーを指す。



「この身でできることならば何でも」



 ラナーは即答する。その歯切れの良さ、明快さは、さすがロイゼンの神聖騎士団長である。彼は一度守ると決めれば、いっさい迷わない。



「ふふふ…、あーーーはっはっは!!! 愉快、愉快、愉快じゃな。――のぉ、紅虎よ」



 超帝は紅虎に向かって大笑いをする。ラナーが紅虎の弟子であることは超帝も知っている。だから、それが愉快でたまらない。



「ふん…馬鹿なやつ」



 紅虎はラナーに向かって小さくそう呟く。ラナーの意図は全部わかっている。実に彼らしい、「すべてを守るために自分を犠牲にする」姿勢であった。


 伊達に準聖人に指定されたわけではない。ラナーは生真面目だが心の芯のしっかりした男である。そうでなければ、紅虎が弟子にするわけもないのだ。


 ただし、今回ばかりは相手が悪い。



「何をしてもらおうかのぉ。楽しみ、楽しみじゃ!!」


「陛下、右手でございます」



 上機嫌の超帝の横から背の高い執事、ポーターが超帝の右手を拾ってやってきた。



「おぉぉお、妾の右手じゃ。でかしたぞ、ポーター」


「ははぁ、お役に立てて恐悦至極でございます」



 超帝は右手を受け取ると、おもむろに切断部分に右手を重ねる。



「おぉー、痛い、痛い。妾の右手―――あった!! 妾の右手、あったぞぉおお。ああ、あった! あった、あった!! あははははは!!」



 右手は何事もなかったようにつながり、さらには伸びたり縮んだり自由に動く。その奇妙で珍妙な光景に目を丸くしたのは、周囲の傍聴人だけではない。


 当のラナーもその一人。



「…え?」



 呆然とその光景を見つめて硬直するラナー。一瞬夢ではないかと疑ったが、ジンジンと少しばかりうずく額の痛みは健在だ。


 そんなラナーに紅虎は、若干哀れみと苛立ちを含んだ言葉を浴びせる。



「馬鹿ね。あれは【複体〈ダブル〉】よ」



 複体ふくたい。羽尾火も使った幽体離脱の技である。


 人間の身体には大きく分ければ、霊体(幽体)と肉体がある。霊体と肉体は振動数が異なるので、両者を結合させる【半物資体】が存在する。この接着剤によって、肉体の痛みを霊体に伝え、魂が実感として感じられる仕組みができているのだ。


 複体とは、より下位の霊体である幽体に、この接着剤の半物質体を多めに使用して強固にした仮の肉体のことである。つまりは、物的要素が多いので肉眼にも肉体同様見えているが、実際は幽体なのだ。


 幽体は下級の素材とはいえ、不滅の素材で造られているのでいくらでも復元できる。そのエネルギー源は戦気と同じく【神の粒子】から取ったり、場合によっては周囲の人間からエネルギーを奪ったりして補充している。


 超帝の場合は、その強大なエネルギーをすべて自前でまかなっているので、右手を造り直すくらい造作もないことである。こうしてくっつけるならば、まさに一瞬なのだ。


 つまり



「あんたは、からかわれているのよ。このクソ女にね」



 その瞬間、ラナーの思考回路は停止した。



「あ―――はっはっは。無垢な男をからかうのは、なんとも楽しいものじゃな! 紅虎にしては、良い玩具を持っておるものよな! あははははははははは!!」



 超帝は、ラナーの固まった顔が最高に面白いらしい。こうして人を食ったような振る舞いをする存在、これが超帝なのである。


 ラナーにも同情の余地はある。

 超帝のこうした事情と性格を知らない者は、この場には大勢いるのだ。


 彼女がこの会議に出たのは二回目。

 一回目は、【六十四年前】の第一回会議。


 そう、その時と同じ人間であり、その時のまま超帝であり続けているのが彼女、アダ=シャーシカなのだ。嘘か誠か、彼女の年齢は千を軽く超えるという。しかし彼女は直系ではないことは間違いない。だからこそ不可思議な存在なのだ。


 羽尾火が妖怪婆だとすれば、アダ=シャーシカは魔女と呼ぶに相応しい存在であろうか。世界の三大不思議の一つである。



「シャイ坊、ダブルくらい見分けられるようになりなさい」



 ちょっとだけ不機嫌そうに言いながら、いまだ膝をついて呆然としているラナーを片手で引っ張り上げる。ラナーはまるで首根っこ掴まれた猫のようである。



「まあ、あいつの場合は難しいけどね」



 ダブル自体は、そこまで難しい術ではない。慣れれば案外簡単にできるものだ。これが上級者になると維持できる時間が増え、自在に操れるようになる。羽尾火のような一流の術者がそうだ。


 ただ、その際にも肉体は当然別の場所にあるので、シルバーコード(へその緒)はつながっている。これは肉体と霊体をつなぐ、最終かつ強固な絆なので切ることはできない。切れば死んでしまう。


 ゆえに、シルバーコードを見破ることができれば、それがダブルであることが見抜ける。が、超帝の場合はこれがない。見た目で見分けるのは非常に困難なのだ。


 かといって彼女に肉体がないわけではない。これは非常にレアである。というよりは、通常はありえないことなのだ。ラナーが見破れなくても当然である。


 なぜ超帝が特殊なのか。


 グレート・ガーデンの名前の由来である「偉大なる箱庭」。その深奥には、かつて失われた文明の技術が残されていると話で、それらの技術を使って不老不死になったのではないかという。


 これもまた噂。

 真偽のほどは明らかではない。


 わかっているのは彼女が優れた術者であり、魔石に選ばれたジュエル・パーラーであるという事実。そして、巨大な力を持っている制御できない危険な人物である、ということだ。



「まったく、庇うなら私だけにしなさいな」



 紅虎は、ラナーの額を愛しそうに撫でる。それで傷が癒えたわけではないが、なぜか痛みが和らいだ気がした。


 ラナーは、紅虎のその顔に一瞬ドキッとする。その顔はまるで、女神のような慈愛に満ちた表情であったからだ。出来の悪い弟をあやす姉のような、そんな優しい顔であった。



「あいや、待つのじゃ。妾の言うことは何でも聞くと言ったのぉ。ならば妾の玩具としてこちらによこすがよい!!」



 超帝はラナーを気に入ったようだ。当然、男女のものとしてではなく、単なるちょっと面白そうな玩具としてだが。


 当然、紅虎はあっさり拒否。



「私はね、自分の玩具を他人に遊ばれるのは嫌いなの。絶対やんない!」


「では、妾との約束はどうしてくれるのかえ?」


「あんたには鉄拳でもくれてやるわ」



 そうして紅虎は、目にも留まらぬ速度で拳を繰り出す。拳の風圧は衝撃となって超帝の顔に命中。美しい顔面がひしゃげる。戦気を交えていないので、これはただの拳による風圧での攻撃。遠当てである。


 だが、紅虎の放った一撃が速すぎるために、生まれた衝撃は覇王技の修殺しゅさつにも匹敵する。



「一度ならず二度までも! 紅虎、ユルさんぞ――!」



 超帝の顔は、すぐさま復元。それにとどまらず、扇を軽く振ると四つの一メートル大の球体が生まれ、紅虎に向かって突進していく。


 術の基本技、【風玉かざだま】である。風の理を本格的に学ぶ術者が基礎として教わる術であるが、通常はせいぜい拳サイズの大きさで、机の上に置いて長く維持することで集中力を養うことができる。また、同時に扇風機代わりにするといった用途にも使える技だ。


 では、これを人に向けるとどうなるか。拳サイズならば、せいぜいよろける程度だが、このサイズのものが人にぶつかれば、武人でも簡単に数十メートルは吹っ飛ぶ。それを一瞬で四つ生み出す段階で、超帝の術者としての資質の高さがうかがい知れるというものだ。


 紅虎は腰に差していた木刀を取り出すと、一振り。向かってきた風玉を破砕すると同時に、一つを超帝に向かってはじき返す。紅虎は簡単にやってのけたが、術を返すのは非常に高度な技である。


 術者ならばともかく、普通の剣士にはまずできないことだ。だが、超帝も普通ではない。返ってきた風玉を無造作に扇で横にはじき返す。


 で、さらに方向を変えられた風玉はどうなったのか?


 風玉はルシア天帝の偶像に向かっていく。

 また壊されるのかと誰もが思った時、風玉を受け止めた人間がいた。



「超帝陛下、お戯れが過ぎますな」



 ジャラガンである。彼は片手で風玉を受け止めると、そのまま戦気で滅してしまった。これも相当に術との力の差がなければ難しい業である。



「ふふ、何のことかえ?」



 ジャラガンの少し厳しい視線に、超帝は涼しい顔である。今のは完全に狙ってやったのだ。攻防のふりをして、ルシア天帝にちょっかいを出そうとしたのは間違いない。


 超帝とは、こういう人間である。グレート・ガーデンが他国から複雑な感情を抱かれるゆえんは、まさに彼女一人の問題であるともいえるのだ。


 しかしながら、彼女以外にあの国をまとめることができないのも事実である。偉大なる箱庭。そこはルシアやダマスカス同様、大きな力と闇を抱えているのだから。


 ちなみに、グレート・ガーデンでの超帝の支持率は高い。そもそも選挙などないのだが、定期的に行われる好感度チェックでは、総じて国民からの人気は高いのだ。


 お祭好きな性格のため、一年中さまざまな祭を開いており、世界各国から訪れる行商人や芸人によって、グレート・ガーデンは飽きることなく常時盛り上がっている。


 国民に対しても圧政などはいっさい行わず、むしろ税金も課さずに積極的に無担保で融資をするほど。それが全体の活気となり、箱庭をさらに輝かしていくのである。


 彼女を嫌うのは、あくまで他国の権力者たちなのである。自らの統治を破壊しかねない彼女の破天荒ぶりを恐れているのだ。ある意味では、紅虎と似て非なる存在ともいえる。



「はいはい、そこまでにしておこうか」



 パンパンと手を叩く音と、少しのんびりした声が場に響く。それはさほど大きくない音であるが、すべての人間が息を吸った時に放たれたものであるために、よりいっそう大きな音に聴こえた。


 柏手の主は、シャーロンを引き連れて歩いてきた一人の男、アンジル・ベガーナン。シェイク・エターナル連合国家大統領である。紅虎に乳で叩かれてノビていたが、ようやく回復したようだ。



「二人とも大人なんだから、そろそろやめようか。ね? お願いだからさ」



 シワが刻まれた顔は、たしかに初老の男性であるが、どこか張りがあって若々しさを感じさせる。


 特徴的な赤黒い髪はシェイクでは南の国に多く、彼もその【南シェイク】出身である。南シェイクから出た初めての連合国家大統領として、故郷では絶大な人気を誇っている政治家であった。



「紅虎ちゃんも、さっきはありがとう」



 ベガーナンは紅虎に向かって、自分の頬を指さしながら笑顔で言う。さっき乳で叩かれた場所である。



「礼なんていいって」



 と紅虎は答えるも、「べつに礼ではないだろう」と隣にいたシャーロンは思ったが、あえて口を出さずにいた。



「アダちゃんも、そろそろ飽きたでしょ。はい、席に戻ろうね。ここいらが潮時じゃないかなー?」


「まっ、そうじゃな。興も醒めたか。ポーター、戻るぞ」



 超帝は執事のポーターに声をかけ、あっさりと引き下がる。彼女にしてみれば単なる余興であった。それも醒めてしまえば価値のないものである。いわば時間の無駄だ。



「さあ、みんなも気を引き締めてね。また会議が始まるんだからさ」



 こうしてベガーナンは、二人の災女をあっさりとおさめてしまっただけでなく、周囲の人間の気を落ち着かせていく。それによって会議場は、もともとあった引き締まった雰囲気に戻っていく。



(侮れぬ男よ)



 その様子を静かに見ていたザフキエルは、ルシアの最大の敵であるシェイクの長を見て改めて思う。


 ベガーナンは空気を読むのが上手い。すかさず間に入る能力は傑出しており、これだけ騒然とした場であっても一瞬で注意を引くことができる。また、その言葉は静かながらも、人の心に染み入るものがある。


 シェイクはルシアのライバルとされている国家であるが、ザフキエル自身はベガーナンを高く評価していた。自己は血によってこの地位にいるが、彼は実力をもってこの場にいるのだ。


 当然、ザフキエルも優れたる王であるから天帝になったのだが、ベガーナンは政治家である。その差が両者を反発させずに引き合わせるものになっていた。


 たしかに偽りと虚構なれど、会議はかろうじてまとまる。ルシアとシェイクが反発せず、ロイゼンとダマスカスが間を取り持ち、グレート・ガーデンが静かにしていれば、世界初の調和が成立する。


 それだけの土壌がある話し合いであった。

 そのはずであった。


 だが、会議が再び始まろうかという時、【その一報】が入ることになる。

 それは悲劇の幕開けであることをまだ誰も知らない。


 最初に報を受け取ったのは、ルシア天帝であるザフキエル。ルシアの三大権力の一つである諜報機関【監査院】、そのトップであるエルザ・ミラフォルムがザフキエルに報告する。



「アピュラトリスがテロリストに制圧された。敵機も確認している。ほぼ間違いのない事実だ」



 というものである。


 次にシェイク、ロイゼン、グレート・ガーデンと、その情報は次々と諜報員によって各国のトップに伝わっていく。 唯一、ダマスカスのサバティ・カーシェル大統領だけは、すでに情報を知っていたため静かに沈黙している。


 そのカーシェルに、ザフキエルが禁断の第一声を放つ。この場でその話題を切り出せるとすれば、彼以上の適任者はいないからだ。



「カーシェル、説明を求める」



 ザフキエルの詰問にカーシェルの心境も複雑である。彼もまた何が起こっているのか理解できていないのだ。だが、大統領である彼の立場上、釈明しないわけにはいかない。


 アピュラトリスこそ、この会議を、この国際連盟を支えている唯一の【支柱】なのだ。柱が折れれば、どうなってしまうのか誰もわからない。


 ザフキエルに対して不用意な言い訳はできない。

 カーシェルは真実のみを伝えようと席を立った。


 その時、会場の電気が一斉に消えた。


 それに対応したのは各国の護衛である。電気が消えたと同時に、自己の主を守る態勢に入り、周囲の警戒を最大に引き上げる。


 ザフキエルは偶像のため、ジャラガンと配下の親衛隊はアルメリアを筆頭とする政府高官を中心に守りを固めた。態勢が整うのに、時間にして百分の一秒。ほぼ一瞬である。ルシア精鋭の統率された動きには誰もが惚れ惚れするだろう。


 シェイクはベガーナンがスペースから離れていたので、そのままシャーロンが護衛。世界最高の暗殺者に守られるのだから、ベガーナン自身は恐怖を感じてはいない。むしろ好奇心が刺激されているようで、目を早く闇に慣らそうとさえしている。


 ロイゼンは、アレクシートとサンタナキア率いる神聖騎士団が、すでに王子たちと法王を警護していた。残念ながら、紅虎にまだ首根っこを掴まれているラナーは参加できなかったが。


 ダマスカスもまた、アミカとチェイミーが即座にカーシェルを護衛。すでに隣にいたバクナイアたちも兵士によって守られている。その中で紅虎と超帝だけは、悠然とそのまま立って成り行きを見守っていた。


 そして、数回電気が明滅し、会場の電力が回復する。

 予備電力に切り替わったのだろう。ここまでは通常のプロセスである。

 だが、今回のものは明らかに普通ではない点がある。


 再び周囲の電気が消え、会議場の中央モニターだけが光を帯びる。これは地図や資料などを映して、議題の詳細を説明する際に使われるもので、最大五十メートルまで投影可能な代物である。


 しかし、映し出されたのは地図でもなければ資料の説明文でもない。


 【その男】は、そこにいた。


 さもいるのが当然かのように、当たり前にそこに座っていた。


 モニター上部は薄暗く、顔は闇に隠れて見えないが、黒いスーツと揺れる【金髪】だけはよく見えた。


 男はこちらが見えているように各国の元首を見回した後、こうしゃべった。




「身分卑しき者だが、栄光ある連盟会議に私も出席させていただけるだろうか」




 そう言ってゼッカー・フランツェンは微笑を浮かべた。


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