二十三話 「もっとも重要なもの」

†††



 ユニサンは志郎が回復したことも感じ取っていた。志郎も、デムサンダーが危なくなれば援護しようと隙をうかがっていた。しかし、ユニサンの意識がこちらにも向いていたので動けなかったのだ。



「ちっ、本当は一人でぶっ倒すつもりだったが…やれるか志郎?」


「無理と言いたいけど、やらないといけないみたいだよ」



 志郎たちに逃げ場はない。ここであらがわねば、死ぬだけのこと。アズマはそれで満足だったかもしれないが、二人はまだ死ぬつもりはない。



(僕には守るべきものがある)



 エリス、ディズレー、里の仲間たち、この愛するダマスカス。そこに住む生き物すべてを守る。志郎はそう決めたのだ。


 だから諦めない!



「燃えろ、僕の戦気!!」



 全力で体内から力を搾り出す。燃やす。その心を、その想いを、その誓いを!



「まあ、格好いいことを言った手前、もっと死ぬ気でやらないとな!」



 デムサンダーも戦気を練り直す。目の前の相手は強敵。普通にやっていては倒せない。全身全霊で挑まねば倒せない!



(ふっ、倒す気か。さすがだよ)



 劣勢であることを知りながら、二人はユニサンを倒す気でいる。自分たちの大切なものを守りきるつもりでいる。


 さすがはエルダー・パワー。さすがは世界という存在。だが、ユニサンたちもまた、そんな者たちに対抗するために生まれた存在なのだ。



「捧げよ、心! 捧げよ、想い! 捧げよ、そのすべてを!!!」



 ユニサンの身体から、マグマのような濃縮した戦気が噴き出す。それは【闘気】。生前の状態では完全に発することができなかった闘気を今、ユニサンは物にしたのだ。



「いくぞ!!」



 ユニサンが闘気を爆発させると、凄まじい圧力が二人に襲いかかる。


 ユニサンが使ったのは【闘気波動】という技であり、闘気そのものを使って相手を押し潰す攻撃である。これを使うにも多大な修練が必要だが、変質したユニサンには気の流れがよく見える。ザックル・ガーネットが発した邪気を扱った体験が、ユニサンのレベルをさらに押し上げたのだ。



「水泥壁!!」



 いつもと同じポジション、前に出た志郎は水泥壁を展開して防御を固める。が、闘気波動の威力を軽減させることしかできず、その威力に圧される。



「なんて圧力なんだ!!」



 まるで爆発である。熱風が凝縮されて襲いかかってくるような感覚。水泥壁が一瞬で蒸発する。



「志郎、しゃがめ!!」



 その声に志郎がとっさにしゃがむと、デムサンダーが闘気の壁に向かって蹴りを放つ。足には冷気が宿っており、蹴ったと同時に周囲の闘気を巻き込んで凍らせていく。


 【空天くうてん散冷脚さんれいきゃく】。蹴りと同時に冷気を放出して凍らせる技である。威力よりも相手の動きを鈍らせるために使うことが多く、たまに消火活動にも使われる技だ。


 これが普通の火事だったならば、簡単に鎮火するほどの威力だったに違いない。しかし、その闘気は濃縮された怒り。人々の怒り! 義憤! 燃えるような行動力の塊!


 水泥壁と散冷脚をもってしても止まることはなかった爆発は、二人を灼熱の激流で呑み込む。



「ぐううっ!!」



 志郎は必死に耐える。ここで耐えねばならないのだ。戦気を燃やして盾となる。それが誓いである。



「踏みとどまったか。さすがだな」



 二人が吹き飛ばされながらも耐えている間に、ユニサンはすでに攻撃の間合いである。志郎に対して拳を振り下ろす!



「―――っ!」



 しかしだ。驚いたのは、志郎という存在をよく知らなかったユニサンのほうであった。ロキと同じく自分が宙に飛ばされたことに気がついたのは、すでに追撃のデムサンダーが跳んだあとであった。



(噂には聞いたことがあったが…。あれが覇小無系の技か)



 宙に無防備で浮きながら、ユニサンは今起こった現象を検証していた。いくらユニサンであっても真正面から志郎の渦舞を防ぐことはできない。初見では、まずこうなるだろう。


 こうして技に覇小無や空天などの名前が入る場合、それは編み出した者のあざなであることが多い。特に覇小無系と呼ばれる防御技は珍しいので、ユニサンも実際に見たのは初めてであった。


 そして、デムサンダーの蹴りが直撃。



「ライトニングブレイク!!」



 空中で回転し、オーバーヘッドキックのように蹴る技。ライジングサンダーの対の技として、勝手にデムサンダーが命名したものである。志郎との連携では相手が宙に浮くことが多いので、そうした場合に有効な技として編み出したものだ。


 ネーミングは実に安直であるが、威力は凄まじい。足にまとった戦気を雷気に変質させ、稲妻のような勢いで蹴るこの技は、まるで落雷である。


 床に向かって叩きつけられる寸前、ユニサンにはまだ受け身を取る余裕があった。負傷したデムサンダーの攻撃は本来の威力ではなく、ユニサンを行動不能にするだけの力はなかった。


 しかも、ユニサンが発する闘気は攻防一体の戦気。発するだけで物理防御結界と同等の威力を発揮するので、受けるダメージも半減している。



(残念だったな。このまま着地して反撃…)



 そう思ったユニサンの視界には、両手に水気をまとった志郎がいた。志郎に迷いはなかった。ユニサンが受け身を取る瞬間を狙って、水覇・波紋掌を放つ。無防備のユニサンはほとんど防御もできず、波紋掌は直撃。



(この人を倒すにはこれしかない!)



 志郎はデムサンダーとユニサンの戦いを見ながら、ずっと考えていた。


 あれだけダメージを与えても回復するのならば、外傷ではまず倒すことはできないと判断。少なくとも自分たちでは対応できない。ならば残された手段はこれしかない。


 彼の内部が人間のそれと同じかはわからないが、内臓、それも心臓を破壊するしかない。ロキでさえ、心臓を破壊すれば止まったのだ。ユニサンもそうなるはず。


 そう考え、志郎はすべての戦気をこの一瞬に燃やした!



「制破!!!」



 志郎の戦気がユニサンの体内に流れ、うねり、衝突し、爆発。さらに志郎は大量の戦気を放ち、ユニサンの全身を完全に破壊しようとする。



「ごふっ」



 ユニサンの般若の口から灰色の液体が流れ出す。志郎の波紋掌は、この巨躯の男の内部を破壊したのだ。ユニサンの心臓が潰れた感触が手に残る。



「ぐっ…」



 ただし、代償は志郎も支払う。全身から力が抜け、両腕を上げるのもつらいほどに消耗し、膝をつく。すべての戦気を出しきったのだから当然の結果である。



「とどめだ!!」



 デムサンダーは志郎を案ずるよりも先に、ユニサンにとどめを刺すことを優先。すでに生死をかけた戦いである。相手を完全に殺すまで終わらないのだ。


 デムサンダーの蹴りは、無防備なユニサンの後頭部に直撃し、破壊する。これもすべての戦気を集めた最後の攻撃であった。



「……」


「……」



 静寂。


 二人は、ただただユニサンを見つめる。

 これ以上の戦闘は不可能。次に相手が立ったら終わりである。



「やった…か?」



 デムサンダーは、かすれる声でその言葉を紡ぐ。手応えはあった。死んだはずだ。むしろ頭と心臓を破壊されて生きていたら、もうお手上げである。


 ユニサンは動かない。

 それからは何の反応も波動も感じない。



「一人で助かったね…」



 志郎のその疲れきった言葉だけが激闘を物語っていた。これがロキのように二人いたら、もう一人の反撃には到底耐えられないだろう。


 相手が一人だからこそできる大勝負。賭けだったのだ。全部の戦気を注ぐなど普通はできないし、極めて危険な行動であるのだから。



「エリスのところに戻って早く出よう」


「ああ、もう正真正銘の限界だ」



 二人の緊張の糸はここで切れる。

 それはある意味では幸せだったのかもしれない。


 これ以上あらがったところで、無駄な痛みが増えるだけなのだから。



「足りぬ…な」



 その怨念のような声に、二人の毛は逆立つ。けっして聴きたくなかった声は、無情にも無慈悲にも現実のものとして存在している。


 ユニサンの破壊された肉体から炎が噴き出していく。それは魂の炎。その心に宿った真っ赤に燃える武人の炎、人としての炎、怒りの炎であった。



「化け物…かよ」



 デムサンダーは、心の底から萎縮する自分を感じた。こんなことは初めてである。こんなに殺しても死なない存在に畏怖を感じているのだ。



「ああ、化け物だ。もはや人ではないのだ。なぜならば腐っても弱くても、俺は【バーン】の末席を得たのだからな」



 バーン、人を焼く者。この姿になってようやく、かろうじて手が届くほど、その言葉は重い。


 いくら仮初めとて、その名を扱う者はけっして戦うことをやめてはならない。その身が砕けようと、牙が折れようと、足がもげようと、【悪魔】の命令があるまで死ぬことも許されない【悪鬼】なのだから。


 ユニサンは立ち上がる。

 すでに一度死んだ男は、こんなことでは滅びはしない。



「これから貴様たちを殺す」



 ユニサンから強い殺気が放出される。


 その迫力は今までの比ではない!!

 たった一人の殺気ではない!

 その背後に浮かぶ無数の影。

 幾千、幾万の【視線】が二人を射抜く!!



「うわああああ!!!」



 膨大な人間の怒りと憎しみの視線を受けた志郎が、ユニサンに向かって走る。



「馬鹿野郎! 呑まれんな!」



 デムサンダーの声は志郎には届かない。志郎の目には恐怖が宿っている。もう何も聴こえていない。


 その気持ちはデムサンダーにも理解はできた。すでに精根尽き果て、残った戦気もわずか。絶体絶命の状況で、しかも緊張の糸が切れた状態でこの視線を浴びせられれば、エルダー・パワーの戦士といえども普通ではいられないのだ。



(なんて殺気だ! とんでもねぇ!)



 ロキが発した殺気とは根本的に違う。人が感情の乱れで発するものとは違う。何千年と積み重なった殺気が、一気に解き放たれたような恐るべき質量なのだ。


 デムサンダーもまた足がすくんで動けない。



「臆する。それは当然の人の権利だな」



 ユニサンは志郎の行動を咎めない。


 恐怖に支配された人間に残された選択肢は二つ。


 逃げるかあらがうか。


 もはや逃げることはできない。ならば攻撃するしかない。その選択は人間としては当然のことであり、武人だからこそ選べるものだ。しかし、武人としてもっともやってはいけないことは…



「恐怖は武人を殺す!!!」


「志郎、よけろ!!」



 デムサンダーの声と同時に、ユニサンの拳が志郎に迫る。志郎は無我夢中で渦舞を発動。もはや身体が覚えているほど練習した防御の技。意識せずとも使える。


 だが、いつものように冷静ではなかった。それがユニサンには手に取るようにわかる。



「ぬんっ!!」



 ユニサンは志郎ではなく【床】に向って炎龍掌を放つ。闘気を交えた強力な一撃は生前の比ではない。まさに大爆発が床で発生。吹き荒れる炎龍が志郎を吹き飛ばす。


 志郎はとっさに防御の戦気をまとって爆炎を防ぐが、防御の質がいつもより弱く、下半身に熱風を浴びて激しい痛みを覚える。



(しまった!!)



 しかしそれよりも志郎が悔いたのは、自身が爆発によって浮いてしまったことだ。両手の渦舞は炎を軽減するだけで精一杯。その状態で浮いてしまったのは致命的であった。



「どのような優れた防御も、使えなくすれば問題ない」



 ユニサンの原動力は怒りであっても、蓄積された経験値が減ることはない。志郎の技を観察し、すぐに対応策を練るだけの冷静さを併せ持っているのだ。


 そして、見事に的中。ただでさえ冷静さを失った志郎には、相手の狙いを見極める余裕はなかった。ユニサンは追撃。その巨体が一瞬で志郎を捉え、蹴りを見舞う。



(死ぬっ!!)



 志郎は瞬間的に死を悟る。この状態でユニサンの攻撃を受ければ、間違いなく致命傷。即死かもしれない。すべてがゆっくり感じられ、まさに死期を悟った者としての条件がすべて揃った感覚であった。



(僕は…こんなところで…)



 相手が誰かも知らない。そんなことはいつだってそうだった。守るために倒すだけだった。しかし、今回だけは悔しい。知りたい。そう思った。


 生まれて初めて見た富の塔、エリスという少女、揺れる世界の中で自分に何ができるのか、今まで味わったことがなかった高揚感を感じていた。


 だから悔しい。

 こんなところで死ぬのは絶対に悔しい!!


 もし彼がアズマのように独りで生きることを望んだら、野良犬のように生きていたら、きっとそうなっていただろう。


 だがしかし、彼は独りではなかった。


 ユニサンと志郎の間に割り込むのは、【黒くて太くて大きい】もの。ユニサンの蹴りはその黒いものに直撃する。



「ディ…ディム!!」


「馬鹿野郎!! 独りで勝てるかよ!! あのジンだってやられた相手だぞ! 独りじゃ絶対に勝てないぜ!!」



 デムサンダーは勇気を振り絞った。理由などいらない。ただ仲間を、家族を、弟を助けたにすぎない。そこに何の理由が必要だろうか。


 そして、砕ける。


 デムサンダーの左腕が消し飛んだ。文字通り消えてしまった。それほどの威力である。砕けた右手に引き続き、左腕がなくなってしまった。残された戦気を集約して防御した左腕がいともたやすく消し飛んだ。


 だが、怯まない。



「だからどうした! それがどうした!! 俺の目の前で好き勝手やってんじゃねーぞ!!」



 落下したデムサンダーは、転がるように立ち上がるとユニサンに挑む。恐怖に怯えてしまった弟を兄が守るのは当然のことだ。


 蹴る、蹴る、蹴る!!

 あらん限りの力と技を使ってユニサンを蹴る。



「足りぬ。足りんな」



 ユニサンはそのすべてを難なく防御していく。完璧に完全に、経験と強固な肉体を使って防いでいく。



「うおおおおおお!」



 荒れ狂う蹴りを放つも、まったく効かない。デムサンダーの心にも絶望の色がかすかによぎる。



「どうした! お前たちの力はこんなものか! あらがえ! 引き出せ! 自分の力を引き出してみろ!! そうでなければ死ぬぞ!!!」



 ユニサンの手刀がデムサンダーの腹に突き刺さる。ブチブチと指が腹筋を突き破る音が聴こえる。それでもデムサンダーは耐える。守るために戦う。



「やらせない!」



 ピンチのデムサンダーを救おうと志郎が前に出る。しかし、悪鬼ユニサンにとっては何の意味も成さない。


 ユニサンの闘気波動によって簡単に弾かれ、壁に押しつけられる。ミシミシと全身の骨が軋み、折れていく。鎖骨が折れ、腕が折れ、骨盤に亀裂が入る。今の志郎に、もはや防ぐすべはない。



(なんて…強いんだ)



 志郎もデムサンダーも、すでに瀕死であった。この先どうあっても勝つことはおろか、対抗することもできないだろう。


 これがバーン。

 その成り損ないの強さである。



「悔しいか。恐ろしいか! そうだ。俺たちもそうだった!! お前たちと戦い、惨めに死んでいったのだ!!」



 ユニサンたちはいつも劣勢だった。相手は常に正規軍。武器も兵力もゲリラなどには足元にも及ばない。その中で必死にあらがってきたのだ。


 あったのはいつも絶望! 痛み!

 それを与えた者たちへの怒り、憎しみ!


 だからユニサンは誓った。どのような手段を使っても必ず成し遂げるのだと。自分を犠牲にしても守らねばならないものがあるのだと。


 弱者の誇り、強者に対する不屈の炎が彼を奮い立たせるのだ!!



「なんら卑怯ではない! なんら加減することもない! 貴様らを排除するためならばなんでもな!!」



 ザックル・ガーネットを受け入れ、武人としての誇りすら捨て、この作戦に文字通り命をかけたことも、すべては成すため。この世界を変えるためである。


 それができるのはしゅのみ。

 悪魔たるゼッカーのみ。

 そのためならば何でもするのだ。



「ちくしょう…。マジで…強ぇ…」



 デムサンダーは、すべてを出しきった。現状で出せる力のすべてを出した。それに間違いはなく悔いはない。ただ単に肉体の強さにおいて相手がはるかに上だったにすぎない。



「経験が足りなさすぎた…。まだ早かったんだ…」



 志郎も技のすべてを出しきった。この歳でこれだけの技の冴えを持つ武人がどれだけいるだろう。


 ユニサンの技は、地獄の中で磨いてきたもの。凡夫ぼんぷながら決死の努力で培ったもの。だから厚くて力強い。才能では遙かに上回っていても、今の志郎とは差がありすぎた。


 二人は絶望する。もう打つ手はない。


 心が折れる。


 心さえ折れてしまう。



 否。



 心が先に折れてしまえば、どのような肉体と技があっても結果は最初から決まっている。


 ユニサンが強いのは心が強いからだ。

 負けられない理由があるからだ。


 ならば。


 突如、ユニサンの頭に爆発が起きる。

 それそのものには何の価値もなかったのだ。

 そう、意味があったのはその【行為】である。

 

 その【意思】である。




「弱い者いじめはみっともなくてよ」




 そこにいたのは一人の少女。何の力も技もない【か弱い少女】。されど、携帯用ロケットランチャーを捨てて悠然と歩いてくる。その姿。その威厳。なぜそんなに自信があるのかと思えるほどまっすぐ歩いてくる。


 彼女はけっして臆さない。

 彼女はけっして諦めない。

 そう誓ったから。



「志郎、ディム、助けに来たわ。感謝しなさい」



 杏色の髪を揺らした少女、エリス・フォードラは不敵に笑った。


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