二十一話 「『ロキというもの 3』」

†††



 ここで少し考えてみてほしい。


 なぜ、ゼッカー・フランツェンという天才が改めてラーバーンという組織を作ったのだろう。

 なぜ、【ロキ〈悪魔の道具〉】という存在を生み出したのだろう。

 なぜ、【バーン〈人を焼く者〉】という存在が必要だったのだろう。


 肉体的な強さだけを求めるのならば、もっと効率の良い方法があり、もっと楽な戦い方がある。ただ強化手術をして強さだけを植え付けた人間ならば、まさにそこらに掃いて捨てるほど存在している。武器だけで済むならばMGや戦艦で十分である。


 しかし、ゼッカーはロキを欲した。


 それは心ある人間でなければならなかったからだ。心ある人間でなければ悪魔にはなれず、その道具になることすらできなかったのだ。


 ロキは心の奥底までロキである。

 悪魔が求めた存在そのものである。

 その意思、その覚悟を見誤ってはいけない。

 その代償はとてつもなく大きくなるのだから。


 志郎が手の痛みを感じたのは、それからほんの数秒後であった。


 まだ油断できないと、制圧の戦気を送り続けて拘束していたつもりでいた。そんな時に手のひらに感じた冷たい感触。これはよく知っているものであった。


 痛み。


 刃物で手を切ったときに感じる、ひやっとした冷たい感覚。その刺激。そしてその直後に感じる血の温かさ。


 志郎の対応は間違ったものではなかった。それが戦士としての当然の反応であり、日々厳しい鍛錬を続けている人間がゆえの強さだった。ただ、それが今回は正反対の結果をもたらしたにすぎない。


 志郎は我慢した。

 我慢してしまった。


 一瞬感じた痛みに対して、力で対抗してしまった。押さえつけた。あとから考えれば、力を受け流す戦いを好む彼にしては軽率であったが、相手を逃がすまいと力んだ結果なのだから致し方のないことである。



「主の導きとご慈悲を」



 志郎には、ロキがそうつぶやいたのが聴こえた。小さくわずかな声であったが、はっきりと聴こえた。


 直後、右手で押さえていたN6の身体、その背中から刃が飛び出たのだ。しかも一本ではない。無数の刃がN6の体内から解き放たれ、ハリネズミのように志郎に襲いかかった。


 志郎は最初の痛みを我慢したがゆえに、右の掌だけでなく指や手首にも刃は突き刺さる。



「っ…!」



 反射的に強めた防御の戦気がいともたやすく貫通され、志郎は驚愕の表情を浮かべる。この刃もまた術式を組み込んだ特殊な刃であり、アズマがそうであったように志郎の防御の戦気も無効化されてしまう。


 志郎は危険を感じてとっさに離れるが、直後にN6の身体が爆発。背中に生まれた無数の刃も衝撃で周囲に飛び散った。そう、これも散弾と同じく自爆用の武器であった。


 志郎は避けられないことを悟り急所をガード。



「ぐぁっ!!」



 やはり防御戦気をあっさりと貫通。顔を防いだ腕、腹部、足に刃が突き刺さる。


 もともと志郎は体格に優れたほうではないので、足に刺さった刃に至っては半ば貫通している。心臓こそ守ったものの、腹部にも五本の小さな刃が突き刺さり、腹筋を貫通して胃や腸に到達。一本は腎臓にまで突き刺さっていた。


 幸いにも爆発で飛び散った刃は指向性であり、大半は志郎に向かって放たれていたため、デムサンダーに向かってきたものは少数であった。距離があったのでデムサンダーは回避に成功。しかし、志郎のダメージは深刻であることは遠目でもわかる。



「志郎!」



 デムサンダーは負傷した志郎に駆け寄ろうとしたが、直後彼の視線はもう一人のロキN7に釘付けになった。


 N7は自爆しておらず、すでに立ち上がって攻撃できる体勢となっていたのだ。N6が自爆すれば、志郎に隙が生まれることを想定しての動きである。


 ロキは訓練でさまざまなシミュレートを行っており、こうした事態においてどう行動するかは最初から決まっている。二人が動けない状態になれば一人が自爆。もしそれで隙ができなければ、二人目も自爆すればよい。



「こいつら、どこまで化け物なんだよ!」



 デムサンダーの驚きは半分正しい。ロキはすでに限界を超えている。否、限界など最初から超えているのだ。


 存在そのものが無謀であり超過した存在である。ただ心だけで、その信仰だけで、その想いだけで生きているのだ。だから強い。完全に息の根を止めるまでは戦い続ける。


 世界と、傲慢と、誤った価値観と、愚かな人間を焼き尽くすまで!



「ウガアアアア!」



 N7は負傷した志郎に向かって剣を振るう。狙いは志郎一点。それは彼の武が相当危険だと判断したからである。


 アズマが暗殺者を狙ったように、戦いにおいて特殊な能力を持った人間を狙うのはセオリーである。それだけ志郎の防御能力とセンスは珍しいものであった。


 彼らは自分たちのために戦っているわけではない。その後、自分が死したあとに、障害でなるであろう存在を消すために行動しているのだ。死んでも相手を殺すという恐るべき気迫に満ちている。



(ちっ、間に合わねーか!)



 デムサンダーはこの距離と角度では、ロキN7の攻撃から志郎を守ることができないと判断。


 N7は、折れた右腕ではなく左腕で剣を持っているので万全には程遠いが、志郎も痛みと出血を制御するのに集中しているので即座に動けない状況だ。



(あまりやりたくねーが、仕方ねえな!)



 デムサンダーは即座に決断すると、押し出すように蹴りを放った。彼の足は長いが当然誰にも当たらない。その代わりに放たれた蹴圧は大きな戦気をまとい、激しい衝撃波として襲いかかった。


 覇王技【蹴殺しゅうさつ】。遠当ての一種で、離れた相手を蹴圧で攻撃する技である。拳で放てば拳圧で攻撃する【修殺しゅさつ】になる。


 この技は比較的【軽い】のが特徴で、威力よりも出のスピードを重視する傾向にある。相手を牽制したり、体勢を崩させたりするのが主な目的として使われることが多い。


 が、蹴りを得意とするデムサンダーが放てば相当な重い技となる。鉄板くらいならば簡単に吹き飛ばすだけの威力はある。ただし、彼が技を放った相手はロキではなく、ダメージで身動きが取れなくなっている【相棒】であった。


 志郎は自身に迫った蹴殺の気配を感じ、瞬時にデムサンダーの意図を察すると自ら軽く跳躍。そこに蹴殺が直撃。勢いそのままに左斜め前方に十メートルほど吹き飛ばされる。



(相変わらず加減を知らないな)



 とっさのこともあり、半ば本気で蹴られた技の威力に志郎はしかめ面になる。


 吹き飛ぶために戦気を半減させたので、丸太でぶっ叩かれたような重い衝撃が背中に走った。背骨も軋んだが、ここは相棒の機転に感謝しなければならないだろう。


 現にロキN7は、目標が突然消えたことに対応できていない。繰り出した剣は、すぐ直前まで志郎がいた場所を貫いていた。あとわずかでも遅れれば危ない状況だったのだ。



「これで終わりじゃねーぜ!」



 デムサンダーは技を放った直後には、先を見越してすでに跳躍していた。小回りは志郎のほうが利くが、爆発力ではデムサンダーのほうが相当上である。


 その強靱な脚力でロキN7との距離を一気に詰める。


 ロキN7は返す刀で対応しようとするが、すでに二の太刀。肉体の基礎能力で勝るデムサンダーが見逃すはずもない。



「ライジングサンダー!!」



 デムサンダーが高速の蹴りを放つ。身体をひねり、大地から跳ね上げるように放つ強烈な蹴りである。


 ロキは攻撃を諦めて防御の態勢。しかし、蹴りの威力は想像を絶していた。とっさにガードした左腕は瞬時に叩き折られ、蹴りの衝撃は胸を完全に貫いた。


 痛みがないはずのロキが、生前の反射のなごりで一瞬苦悶の表情を浮かべてしまう。それほどの威力が込められていたのだから尋常ではない。


 それで終わりではない。直後に走ったのは雷撃。もう一度蹴りをくらったかのような激しい衝撃がN7を襲う。


 覇王技【燕雷蹴牙えんらいしゅうが】。胴回し蹴りのようなステップを踏みながら、跳ねるように相手を蹴り上げる技である。威力が高い反面、初動がどうしても遅くなるので命中率に難のある技であるが、相手の懐に飛び込んで使えば、その勢いたるや暴風のごとくである。


 雷の名がついているが、それは雷の如くという意味合いであって、実際は通常の戦気で使うことが一般的である。しかしながら、デムサンダーがこの技を覚えた時に勘違いし、戦気を雷に変質させて放ってしまった。それは何気なくやったことなのだが、通常はありえないことである。


 覇王技や剣王技に指定されている技には、【発動までの順序】というものがある。戦気の練り方や配分に至るまで、料理のようにしっかりとレシピがあるのだ。それを守らないと上手く技として成立しないものだ。


 センス。戦いのセンス。志郎が防御に天才的なセンスを持っているように、デムサンダーも蹴り技に対するセンスがずば抜けていた。だからこそ技をアレンジすることができたのだ。


 そして新たに出来た技がこの技。つまり、もはやオリジナルの技を超えてしまった彼の必殺ライジングサンダー、蹴りのダメージの後に雷気を放つ二段構えの凶悪な技である。


 ライジングサンダーを受けたロキN7は上空に吹き飛ばされ、天井に激突。そのまま受け身を取ることもなく床に落下。


 もうロキが動くことはないだろう。衝撃は心臓にまで到達し、とどめの雷撃で完全に破壊されてしまったのだから。



「ディム、まだだ!!」



 その様子を見ていた志郎がデムサンダーに警告を発する。彼らがただで死ぬなどということはありえないのだ。それは現在、身をもって志郎が体験していることである。


 そしてその通り、【彼ら】が簡単に死ぬことはなかった。心臓が破壊されたはずのN7の身体がビクンと動いたのだ。



「やろう、また何か仕込んでやがるのか!」



 デムサンダーは志郎のこともあり警戒していた。距離を取ろうとする。


 しかし、背後からロキN6が動いたことまでには注意が向かなかった。志郎もまた、まさか自爆したはずのN6が動くなどとは思ってもいなかった。


 だが、動くのだ。

 ロキという存在は、悪魔の道具なのだ。


 自爆はした。それで身体の半分、背中の大半が吹き飛んではいるものの、まだ死んではいなかった。ロキN6が爆発させたのは背中に仕込んだ爆弾だけであり、前部のものは残っているのだ。


 N6はデムサンダーの背後にしがみつく。仮面からわずかに覗いたN6の目は、狂喜にも似た色合いを見せていた。



(なんなんだ! 本当に人間かよ! ありえねぇだろうが!)



 そのあまりの執念には、デムサンダーですら恐怖を感じる。その目、その行動、そこに宿った意思は、日々鍛錬を積んでいるエルダー・パワーの自分ですら恐れおののくほどの強さだ。



「心中なんてごめんだぜ!」



 デムサンダーは全力で振りほどく。N6の顔面に肘を入れ、しがみついた手を握力で握り潰し、それでも離れない相手をなんとか投げ飛ばした。


 その直後にN6の前部の爆弾が爆発。無数の特殊刃が散弾のように放たれ、デムサンダーの身体に突き刺さる。



「ちぃ!」



 それは志郎がくらったものと同様、戦気を貫く特殊なものであった。


 顔をかばったデムサンダーの左腕、脇腹に突き刺さる。幸いにも投げ飛ばしたことによって角度がずれ、致命傷にはならなかった。志郎よりも体格に優れているので内臓にも達していない。


 しかし、そこで安堵はできなかった。


 今度はN7の周囲に【透明な歪み】が生まれたのだ。歪みは徐々に大きくなり十メートルほど拡大したと同時に、その中心部であるN7の身体がひしゃげて【消失】した。


 その後、再び球体は拡大を続けては中心部のものを消し去っていく。すでに爆死したN6の死骸をも呑み込み、さらに膨れ上がっていく。これがただの爆発でないことは誰の目にも明白だ。



「なんだこりゃ!?」


「術の一種だ! 前に牟穐むき老師が使っていたのを見たことがある!」



 エルダー・パワー戦士特別第一席、牟穐。エルダー・パワー最強の戦士であり、戦士と術士の両方の力を持つ【モザイク】である。


 通常、ローゲンハイム家のように二つの異なる因子を持つ者をハイブリッドと呼ぶが、場合によっては二つの因子を完全に発現しない、より中途半端な存在となってしまうことも多い。


 それと比べてモザイクは、二つの力を完全に引き出すことができる、いわば重度のハイブリッドである。牟穐老師もその一人であり、彼は覇王技と術を合わせた奥義を使うことができる。


 その奥義の中に、こうした圧力で対象物を破砕する技がある。繰り出した戦気が膨張し、周囲のものを呑み込んでしまう恐ろしい技である。志郎はこれを見て、自身の渦舞ではとても防げないと悟ったものだ。


 そして、目の前に起こっている現象も、おそらくそれに似たものである可能性が高い。有効範囲がどれだけあるかわからないが、どんどん広がっていることから、数百メートルはあるかもしれない。



「おいおい、やーべよ! こいつはやばい! 志郎、逃げるぞ!!」



 デムサンダーと志郎は、中心部から逃げようと必死に通路を駆け抜ける。



「ディム、これじゃ間に合わない!」



 だが、歪みの速度はさらに上がり猛然と迫ってくる。しかも志郎の傷はかなり深い。全力で走るのは難しい状態である。


 ならばもうこれしかない。



「この先にはエリスもいるんだ。ここで防ぐよ!」


「…その言葉、言わなきゃよかったって心底思うぜ」



 志郎を焚きつけるために発した言葉であるが、今はそのことを少しばかり後悔する。一度覚悟を決めたら最後までやるのが志郎という青年なのだから。


 志郎は両手に集めた戦気をパンパンと身体の上下左右の位置で叩き、固定させる。固定された戦気は水気となり、ゲル状の壁になって二人の前方に展開される。


 覇王技、戦技結界術【水泥壁すいでいへき】。物理防御力のある水気の壁を作って攻撃を防ぐ技である。通常のライフル弾くらいならば軽く防げるくらいの防御力があり、拳で殴れば手にまとわりついて動きを封じることもできる。


 ただ、この技は一応術にも耐性があるものの、あれだけの威力を持つ術式爆弾に対応できるかはわからない。おそらく無理だろうと志郎も思う。



「ディム、頼む!」


「おうよ!」



 そこで続けてデムサンダーが戦気を雷気に変質させ、水気を覆うように上乗せ。すると水泥壁が輝き出す。


 高等戦技結界術【雷水命鳴らいすいめいめい】。雷気によって水気を活性化させることで、より強固な障壁を生み出す技である。この技は上位結界術に認定されており術の耐性も強い。


 志郎もデムサンダーも単体でこの術の発動は困難であるし、そもそも術の因子がないので通常は不可能である。それをこうして二人が協力することで生み出せるのは、まさに相性。天性の相性があるからこそ可能な奇跡の一つでもある。


 そして、歪みと雷水命鳴の力場が衝突!


 歪みはエネルギーそのものであり、触れるとさらにその威力の強さがわかる。余波は衝撃波となり通路を駆けめぐり、強固なアピュラトリスの壁すらえぐり取っていく。


 二人は必死に戦気を送り込みながら障壁を強化し続ける。歪みもまた、志郎たちを消し去ろうと拡大を強めていく。


 両者の攻防は実に十秒近くに及び、障壁が消え去る一寸手前で歪みの威力は消え去った。ふと志郎が床に視線を移すと、つま先の数センチ先の床がごっそりえぐり取られているのが見えた。



「…よかった。まだしばらくはスニーカーが履けるみたいだ」



 あと一秒でも続いていたら、足の指は間違いなく消え去っていただろう。思わず冷や汗が流れ落ちる。



「だぁ…、疲れた。とんだ厄日だ」



 デムサンダーが床に座り込む。体力に優れる彼とて、これだけ消耗した。それだけロキとの戦いが激しいものであった証拠である。



「僕たち、どうして戦っているんだっけ?」


「さーな。少なくともあのお嬢さんに関わったせいなのは間違いない」



 かといって、そのまま見過ごさなくてよかったとも思う。もしエリスがこんな状況に遭遇していたら、対抗する手段はまったくなかったに違いないのだ。


 そこで志郎が提案する。



「エリスとディズレーさんを連れて一度外に出よう」



 この状況がどのような性質を持つかまでは理解できないが、危険な状況であることは明白であった。外には、メイクピーク大佐率いる陸軍もいる。援護を求めるのは至極当然の話であった。



「賛成だ。中を探るどころの話じゃない。こっちの命がやばい」



 デムサンダーもそれに同意する。


 彼らの役目は、陸軍に協力してアピュラトリスを守ることである。けっして単独で事を成せとは言われていない。そのためメイクピークに指揮権が預けられたのだ。すでに異常が生じた以上、責任者に報告する義務もある。



「あの仮面の人たち…危ないね」


「ああ。あいつらはやばい。マジでな。二度とやりたくない相手だぜ」



 二人に戻ることを決断させたのはロキの強さ、それも怨念じみた執念に気圧されたからである。


 明らかに違う。


 その決意、意思の強さ。どれもが普通ではない。エルダー・パワーの二人でさえそう感じるのだ。もしあのような連中がまだいたら、それこそ地獄である。勝ち目はまずない。



(今は逃げるしかない。でも、守るものがある以上、ここは受け入れるよ)



 志郎も中にいる仲間を見捨てて逃げるのはつらかったが、エリスとディズレーを守らねばならない。エルダー・パワーでは、一般人を守ることが何よりも優先されるからだ。


 ドゴン。


 その音が聴こえたのは、志郎たちが起きあがって戻ろうとした時であった。


 ドゴン、ドゴン。


 音はどんどん近づいてくる。そのたびに床がわずかに振動するのがわかった。



(この音は…?)



 明らかに異様な音であった。まるで巨大な鉄球クレーンが岩とぶつかりあうような、そんな鈍い音である。志郎もデムサンダーも動けない。すでに二人は、その音のぬしが発する大きな力に気がついていたからだ。


 そしてひときわ大きな音がした直後、志郎たちの目の前の壁が粉々に吹き飛ぶ。そこから出てきた男は、静かに志郎たちとロキとの戦いで生まれた【惨状】を見てつぶやいた。




「やれやれ、ロキを作るのにどれだけコストがかかると思っているのか」




 一人の【殉教者】を作るのには何より時間がかかる。ただの狂信では意味がない。陶酔でも駄目だ。心の底から意思を持つ人間であり、【火の素養】がなくてはいけない。


 あのロキ二人も貴重な人材だった。将来があり未来があり、燃えるような情熱もあった。それを捨ててまで人類の進化のために身を犠牲にしてくれた【英雄】である。強化された以上、いつかは消える運命なれど、こうして一度に二人失うのはあまりに痛かった。


 と、ついつい損失を嘆いてしまうのは貧乏性の自分らしいと、その男、ユニサンは苦笑いする。


 殴ってきたのだ。

 貫いてきた。


 隔壁に閉じこめられたユニサンは、アピュラトリスの壁を殴って破壊してきた。この強固な壁ですら、変質したユニサンにとっては障害にすらならなかったのだ。


 そんな彼が興味を抱くのは、ロキを倒した二人の人物である。



「ロキが自爆しても倒せなかったか」



 自爆したのはわかっていた。ユニサンのコアであるザックル・ガーネットと彼らの強化に使われた【石】は共鳴しているのだ。ロキが死ねば、ユニサンにはすぐにわかるようになっている。


 ユニサンがこちらの方向に向かったのも、ロキの戦いの波動を感じてのことである。いかに閉じこめられようと連絡を遮断しようと、魂の激しい情熱だけは止めることができない。


 その想いが、怒りが、猛りがユニサンを呼ぶのだ。



「なんだ…あの人は」


「またとんでもないのが出てきたな。やっぱり仮面付きかよ」



 デムサンダーは見た目の異様さ、ユニサンの般若の顔についての意見を述べたが、志郎のつぶやきは違うことを意味していた。


 その表面と内面のギャップ。


 見た目はデムサンダーの言うように異形であるが、ユニサンから発せられる気質は不思議な色をしていた。猛々しくありながら静寂。豪気でありながら達観。そのあまりのギャップに志郎は戸惑ったのだ。



「エルダー・パワーだな。ロキを倒すとはさすがだ」



 二人がエルダー・パワーであることはすぐにわかった。情報も得ているが、何より二人の気質がジン・アズマに似ていたのだ。



「俺たちを知ってやがるのか。何者だよ」


「そんなことを知っても意味はない。重要なことは、俺がお前たちの敵であるということだけだ」



 ユニサンは挑発するように、二人を見回しながら状況を把握する。基礎能力の高さで補っているものの、志郎はすでに重傷。デムサンダーは軽傷であるが若干の疲労が見える。


 だが、それはロキも同じであった。地下での戦いによって消耗していたからこそ、この程度で済んだのだ。もし万全のロキと出会っていたら、志郎たちはもっと深手を負っていたに違いない。あるいは一人は死んでいたかもしれない。


 それもまた過ぎたこと。意味あることは現在の状況だけである。



「ジン・アズマは強かったぞ。お前たちはどうかな」



 ユニサンの言葉に志郎の血の気が一気に引いた。



「アズマさんを知っているんですか!?」



 その答えはもう知っているはずなのに、志郎は訊かずにはいられなかった。ユニサンがアズマを知っていて、なおかつここにいる。その答えは一つしかないのだから。



「地下に行けば会える。…すでに刀は折れているがな」



 ユニサンは懐かしむようにアズマを思い出す。彼との戦いは、自分にとって大きな変革を意味したからだ。まるでかつて失った戦友を思い出す老兵の気分であった。



「そんな…! アズマさんが…!」



 志郎にはまだ信じられない。アズマの剣の才はずば抜けていたし、実戦経験も自分たちより遙かに多かった。単体でも志郎たち二人に匹敵する力を持っているはずなのだ。


 そのアズマが死んだ。


 虚言とは思わない。すでにロキと戦って、その恐ろしさを感じた志郎たちにはわかるのだ。ユニサンの目も嘘を言っているようには見えなかった。



「へー、あいつを殺したってか。そいつはすげぇな」



 ショックを受けてうなだれる志郎とは違い、デムサンダーはユニサンに向かって歩きながらごくごく普通に訊く。



「何人だよ。あいつ相手に単独じゃないだろう?」



 デムサンダーが知るジン・アズマという男は、ロキが相手であっても簡単に負けるような、やわな剣士ではない。仮にさきほどのロキ二人と単体で出会っていても、おそらく圧倒したはずである。


 同じくそれを知るユニサンも正直に答える。



「俺を含めて三人がかりで殺した。それも、かなり卑怯な手を使ってな」



 ザックル・ガーネットがなければ負けていた戦いである。ユニサンが一度死んだのも事実。もし奥の手を使って倒さねば、そのままアズマは司令室のロキたちすら倒していたかもしれない。それだけの剣士であったのは事実である。


 されど、それほど強い武人が死んだのも事実である。


 殺したのだ。

 ユニサンが。

 三人がかりで。

 賢人の遺産を使って。

 手段を選ばずに。



「文句があるのか?」


「いや。あいつにとっちゃ相応しい死に方だと思っただけさ。あいつは死ぬほど戦うことが好きだったからな」



 そんな戦闘中毒バトルジャンキーが戦いで死ねたのならば本望というもの。それにデムサンダーは、ユニサンの身体に縦に走る【刀傷】にも気づいていた。


 その太刀筋こそがすべてを証明している。


 魂の一刀。その本気の一撃を見れば、アズマがどんな気持ちで戦っていたのかよくわかる。


 満足。

 昇華。

 そして、愛。


 それが当人にとってどんな意味を持っていたのかはわからないが、ジン・アズマは生きたのだ。精一杯生きた。ならばそれでよいのだ。文句はなかった。



「あんたらが誰かは知らねえ。ジンがあんたと戦って死んだのだって、俺には関係ないことだ」


「ディム…、そんな…」


「志郎、あいつはそういうやつだったんだ。自分から飛び込んで、それで死んだだけだ。あいつはそれでいいんだよ。きっと満足したさ」



 アズマに悔いなどないだろう。相手が何人だろうと関係ない。ただ武を求めて武に生きて死んだ。武人とは生来、そういう存在なのだ。むしろ喜んでいるに違いない。



 ただ。しかし。だからといって。



 デムサンダーは軽い蹴りを放った。

 とても軽く、サンドバッグで準備運動するくらいに軽く。


 ユニサンはそれを左腕で受ける。


 ミシッ。


 ユニサンが剛腕であることは、アピュラトリスの壁を拳で破壊した段階でわかっている。戦士タイプ、それもロキ以上に恐るべき強さを秘めた存在であることも。


 実力ではユニサンが上なのは一目瞭然。


 だがしかし。



「ぬっ」



 受けたユニサンの腕が異様な重さを感じる。受け止めた蹴りが、まだ腕から離れていない。重い、さらに重くなって…


 ボキッ


 へし折る。その剛腕を。

 あっけなく。当然のように。

 それが事実であるように。



 そして言うのだ。



「俺はよ、志郎みたいにいやつじゃねえし、アミカみたいにお利口さんでもねえ。ジンみたいに何かに夢中になれるやつでもねえ。言ってみりゃ半端もんだ」


「だがよ…」



兄貴ファミリー殺されて黙っていられるほど、人間できてねぇんだよ!!」



 ジンは死んで当然だと思う。あんなことをしていれば当然だ。

 しかし、同じ仲間として同じ里で育ち、家族としてともに暮らした存在。

 唯一デムサンダーにとって本当に守るべきものは、ダマスカスでもなければアピュラトリスでも富でもない。


 ただ家族のみ!

 半端者にはそれしかできない。それで十分!!

 それだけで十分な理由!!



「だからここからは俺の喧嘩だぁ!!! ただで済むと思うなよ、般若野郎!!」



「なるほど…、ロキを倒すわけか」



 ユニサンは折れた左腕を見つめながら、デムサンダーと対峙する。


 サカトマーク・フィールドが発動するまで残りわずか。

 第二ステージはついに終局を迎える。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る