上野くんの夏休み

タルタルソース

1日目

上野真守は騙された

1  「……………はい?」


こういう場所なんか苦手なんだよなあ……。


7月下旬。都内の某高級ホテルのロビー。

大学生活2度目の夏を迎えた僕、上野真守うえの まもるは、

壁の大理石やら天井のシャンデリアやら、

とにかく自分にとって場違いなエリアの空気にそわそわしていた。


「上野真守さま…でいらっしゃいますか?」


突然、後ろから声をかけられた。


「えっ…あ、はい」


びくりとして振り返ると、制服を着た案内係らしき女性が優しく微笑みかけていた。

20代前半くらいだろうか、肩にかかるほどの黒髪、落ち着いた雰囲気。

くっきりした顔立ちではないが、やや垂れ目の丸顔で、可愛らしい人だった。


「お待ちしておりました、ご案内いたします」



*****



ロビーの奥へと案内され、エレベーターに乗る。


「出発前の待合室は25階になります。そちらまでお連れいたしますね」


さきほど声をかけてくれた案内係の女性が、そう言ってボタンを押した。


エレベーター内のキンキンに利いた冷房が心地よい、猛暑日の午後。

僕にとって今日は特別な一日だ。


昨日までの前期試験をそこそこに終え、幕を開けた夏休み最初の一日目であり、

そして何より、旅行会社のキャンペーンにダメ元で応募したら奇跡的に当選した、「タダすぎてタダ!旅費も食費もタダ!1か月間ヨーロッパ周遊パッケージツアー」……の記念すべき出発日なのである。


いや、まあタイトルはうさんくさいけど、

当たったんだからありがたく行かせてもらう。


大きなキャリーバッグと、初めての海外旅行への興奮、

そして勢いで買ったけどまるで使いこなせない一眼レフをひっさげた僕は、

空港隣接ホテルのゲスト用の一室へ向かっていた。

そこが、ツアー参加者の最初の集合場所になっていた。


いやぁ――良かったぁ、こういう豪華なホテルとか無駄に緊張すんだよなあ……。

声かけてもらって助かったあ。


そう安堵しながら、艶のある黒髪セミロングの横顔をちらちらと見る。

なんか、いいなぁ…

と密かに鼻の下を伸ばした。


可愛らしい雰囲気だけどそんなに主張しないナチュラルメイクで、さらに染めていない綺麗な黒髪……。最近、何となく自覚し始めていたが、どうやら僕はにときめいてしまう傾向があるらしい。


こういう、可愛いのに比較的あか抜けていない清楚なルックス……

というだけで、中身もおとなしく、純粋で優しい人なのでは……

とどうしても都合よく期待してしまう。

そして、大してカッコいい見た目でもなく、これといった特徴もない”フツー”な自分も、もしかしたら受け入れてくれるかも、気が合ってお近づきになれんじゃねか、


と、瞬時に妄想してしまう自分がいる。大抵、そんなわけはないのだが。

我ながら、非常におめでたい思考回路である。


まあ、妄想はするものの、そういう子に対して、自分から声をかけたりアクションを起こせたことはこれまでただの一度もないのだけれど。


「あの…お客様?」


はっ、と我に返ると、

女性が、何かを聞きたそうな表情でこちらを見ていた。

幸い、何を考えていたのかは気づかれていないようだった。


「あ…なんでしょう?」


「えっと…大した事ではないのですが、今回当パッケージツアーにご当選された皆様に確認させていただいてることがございまして……」


そういって、女性は、すいと一歩、こちらに体を寄せてきた。

ほのかに、シャンプーのいい香りが漂ってくる。


え…ちょっと…何これ?

鼓動が、少しだけ早くなる。


「か、確認?」


「はい」


女性は優しく微笑み、言った。


「大変失礼ですが、上野さまは童貞でいらっしゃいますか?」





「………………はい?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る