第37話 姉がやってきた(4)

 テレビを観ながら彩夜と小話をしていると、キッチンから鼻腔びこうをくすぐる匂いがだだよっていた。


 先程よりも空腹感が増していた和樹は、無意識にその濃厚な香りをたっぷりと吸い込んでしまう。


 おぼろげな眼差しを4人掛けのダイニングテーブルへと顔を向ければ、そこには色彩豊かな料理の数々が並べられていた。


 楓華の作ってくれた肉じゃがは美味しかった、という旨の発言をしたことを気にかけれくれたのか、テーブルの中央には出来たてであろうほかほかの肉じゃがが食欲をそそる香りをリビング内を満たしていた。


 他にもシーザーサラダやほうれん草の和え物といった、和樹が1人暮らしを始めてから口にする機会がなかった品々が揃えられている。


「……すげぇ美味そう」

「そう言っていただけると嬉しいです」


 素直な感想を口にすれば、楓華はほっと胸を撫で下ろして、それから琴音のほうを向いてにんまりと幼げな笑みを浮かべている。


「これ楓華たちが作ったんだよな」

「いや、えっと……。これはほとんど姉さんが教え──ぐむぅ!?」

「そうそう。私は楓華の横で手伝いしてただけだからね〜。さすが私の妹」

「……そうなんですね?」


 楓華の話を遮るように琴音が楓華の口許を手で塞いでいたことが気になったが、琴音はさも何事もなかったかのように振る舞うので、和樹は見なかったことにして頷いた。


「なぁ、早く食べようぜ〜。私もうお腹ぺこぺこなんだけど」

「はいはい。それじゃ皆、席に座ってね」


 彩夜はアイスを食べてもお腹が満たされていなかったようで、配膳が終わるなり真っ先に椅子に腰掛けていた。クールな見た目からは想像し難い子供じみた一面に、和樹はどこか懐かしさを覚えて苦笑した。


 彩夜と琴音、楓華と和樹が隣り合うように座ってから、目の前に用意された料理に向かって各々が手を合わせる。


「じゃあ、いただきます」

「どうぞ召し上がってください」


 まずは味噌汁に口をつける。


 お椀に口をつければ、味噌とだしの香りが口いっぱいに広がっていくのを堪能しながらゆっくりと飲み込む。


 和樹が日頃使っている味噌とは異なる味噌を使っているようで、新鮮な味わいだったが、その優しく包み込むような風味はほどよく空いたお腹の中を満たしてくれる。


 暖房を入れているとはいえ、少し肌寒いと感じる程度には冷えていた体に、その丁度いい温かさがじんわりと染み渡っていった。


「美味しい」

「お口にあったようで何よりです」


 和樹の感想に、楓華は瞳をほんのりと細め、口許を緩ませる。


 どうやら緊張していたらしく、和樹が自分の料理をどう味わってくれるのかが気になっていたのだろう。


「早く食べないと楓華のぶんなくなっちゃうよ?」

「ま、待ってください。そんなに急いで食べなくても」


 琴音に急かされて楓華も食事に手を付け出したのを横目で見つつ、和樹も他の料理へと箸を伸ばす。


 そのどれもが非常に美味しく、初めて食べさせてもらった作り置きの比ではないほどに舌鼓を打ってしまう。


 サラダはシャキシャキとした食感がとても心地いい。


 ドレッシングはお手製らしく、レモンとブラックペッパーの組み合わせがこれ以上ないほどに味を引き立てている。


 ほうれん草の和え物はなめ茸と海苔が添えられており、少量口に放り込んだだけでも程よい味わいでご飯が進む。


 肉じゃがは始めに野菜をバターで炒めたのか、時折感じる塩味と柔らかい豚肉のバランスが絶妙な塩梅だ。


 それから一通り口にしても、やはりこれが最も美味しいと思わざるをえなかった。


「ん、やっぱりこれ美味い」

「どれがですか?」

「肉じゃが。この前食べた作り置きも美味かったけど、やっぱり出来たてが1番美味しいというか」

「……そ、それはよかったです」

「よかったらこの味付け、後でレシピ教えてくれないか?」

「構いませんよ。……今度和樹くんの家にお邪魔して一緒に作りましょうか」

「え、いいのか」


 さりげなく和樹の家に来ると言われたので動揺していると、楓華はもじもじとしつつも「……はい」と弱々しく答えた。


「ちょっとちょっと〜。楓華を家に連れ込んで変なことしないでよ?」

「す、するわけないじゃないですよ!」


 唐突な琴音の発言に、和樹は思わず咳き込みそうになりながらも、首を横に振って否定した。


 仮に、と想像しようとしたが、考えてみればそもそも手を出す度胸すらないのだろうな、と心の中で苦笑した。


「どうだか。アンタの趣味、送り狼とかじゃないの?」

「どんな趣味なんですかそれ……。あ、なら2人も一緒に来ればいいじゃないですか。俺が楓華に何もしないって証明しますから」

「それは無理なお願いだね。ね〜彩夜姉」

「だな。私も遠慮しとく」

「えぇ……」


 自分が楓華に対して不埒な感情を抱いていないことを納得してもらおうとしたが、その申し出はあっさりと断られてしまった。


「──りですよっ」

「ん?」

「あ、いえ。少し独り言を……」

「そうか?」


 楓華も何やら落ち着きがないようで、和樹が目を合わせようとしても視線を逸らされるのでこちらを向いてもらえない。


 その表情は固まったまま、耳にかかった白銀色の髪の毛の先をうねうねといじっていた。


「あ、ねぇねぇ九条くん」


 琴音がぱんっ、と手を鳴らして、明るい声を出す。その手には、ガーベラの花のケースのスマホが握られていた。


「後で連絡先を教えてくれないかな?」

「……はい?」

「私たちは社会人だからさ、楓華に毎日会いに来れるってわけじゃない。だから隣人でかつ友人でもある九条くんの連絡先を交換しておけば万が一ってときに便利だと思って」

「まぁ……いいですけど」


 ポケットからスマホを出して登録の手続きをしていると、横から「んじゃ私も」と彩夜もスマホを持って近づいてきた。


 しばらくすれば、和樹のスマホに、母親以外以外には珍しい年上の女性の連絡先が2つ追加される。


 その様子をどこかねたましそうに眺めていた楓華に、琴音が声をかけた。


「楓華も九条くんの連絡先交換しといたほうがいいんじゃない?」

「わ、私はもうしているので、大丈夫です」

「へー。どっちから聞いたの?」

「買い出しに行くときに予め連絡が取れたほうがいいと思って……私から」


 何故か「私から」の部分を小さく発した楓華に和樹が首をこてんと傾げていると、琴音と彩夜は口許に柔く弧を描いた。


 その後、顔をほのかに赤らめた楓華は、それを誤魔化すように無言でぱくぱくと箸を進めるのだった。

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