第24話 Stand by me(1)

 和樹がぜぇぜぇと荒い呼吸で戦利品を抱えて生還すると、両手に買い物かごを提げた楓華がどこか安堵したようにくすっと小さな笑みを浮かべた。


「お疲れ様です」


 ねぎらいの言葉と共に、楓華は和樹の買い物かごを差し出してくれたので、和樹は腕に抱えていた戦利品をかごに入れた。


「……助かった。ありがとう」

「いえいえ」


 楓華が買い物かごを持ってくれていたおかげで、必要最低限のものを優先的に取ることが出来た。


 和樹の買い物かごには既に肉類や調味料のボトルが入っていたので、楓華が持っていてくれなければそこまで苦ではないが移動の負担にはなっていただろう。


 本当はもう少し丁寧な礼をするべきだと思っているのだが、主婦との激戦による疲労のせいで単調な言葉しか出てこない。


「前にも言いましたけど、九条さんって、やっぱり節約家なんですね」

「まぁ、親からの仕送り生活だし、あまり無駄遣いはしたくないからな」

「セール中の品物を買わなかっただけで無駄遣いにはならないと思いますけど……よく言えば日本人らしいですね」

「悪く言えばただのケチだけどな」


 和樹自身への皮肉を混じえてそう言えば、楓華は口許に手を当てくすくすと苦笑した。


 その後もちょいちょい会話をしつつ、会計を済ませたので、買ったものをマイバッグに詰めていく。


 同じタイミングで会計を済ませていた楓華を横目で見れば、以前のとは異なる猫柄のエコバックを取り出してせっせと詰めていた。


 メッセージアプリのスタンプといい買い物袋といい、彼女は猫が好きなのだろうか、という些細な疑問が浮かぶ。


 すると、荷物を先に詰め終えた楓華が、和樹の視線に気づいたのか、こちらを見て首を傾げていた。


「どうかしましたか?」

「あ、いや……その」


 猫が好きなのか気になっていた。


 そう訊けばいいだけなのに、「そんなくだらない事をわざわざ訊く必要があるのか」という新たな疑問が和樹を躊躇ためらわせる。


 しかし、このまま誤魔化してやり過ごすのは困難だと判断した和樹は、心に浮かんだ疑問をそのまま楓華に訊ねてみることにした。


「……猫、好きなのか?」


 和樹が楓華のエコバックを指さして問うと、楓華の紅色の瞳に一筋の光が灯った。


 この場合は灯ってしまった、と言うべきかもしれない。


「猫、ですか?」

「おう」

「もちろん大好きですよ!」

「そ、そうなんだ」


 返ってきた言葉は、今までで1番ハキハキとした声だった。


「どれくらいかと言うとそれはもう形容する言葉を思いつかないぐらいに大好きで、愛くるしい見た目もふんわりとした鳴き声もふにふにとした肉球も気だるそうな瞳も、全部ぜーんぶ大好きです!」

「お……おう」


 変なスイッチを入れてしまったな、と困惑していることをできるだけ顔に出さないように意識しながら、ぎこちない相槌を打った。


「お腹を撫でたら嬉しそうに目を細めますしご飯をあげたら美味しそうに食べますし、どうしてそこに行けるんだろうと思えるぐらい高いところとかにも器用に登っちゃいますかね。あと気持ちよさそうに日向ぼっこしている姿も可愛らしいですよね!」


 楓華はキラキラと目を輝かせ、熱弁する勢いが留まる様子はない。


「その可愛さをより際立たせる凛々りりしい瞳もいいですよね。そう、いいんですよ! ギャップって言うんですかね。可愛いだけじゃなくてクールな一面も兼ね備えているんですよ。あ、おすすめはマンチカンですね。ペルシャ猫もいいんですけど、なんて言うかこう、包容力といいますか。とにかくたまらないんです。それに、それに────」


 突如飛んできた猫への愛情という名の打撃を和樹は真正面から受けてしまい、思わずたじろいでしまう。


 こういう場合、どのように対処するのがいいのか分からず、脳内討論の結果、満足するまで聞いてあげようという結論に至る。


 しかし、その焦燥は次第に後悔へと形を変えていくのだった。




、可愛がってもらえますから」




 そう呟いた楓華の姿は、とても小さく見えた。


 色を失った世界に、たった1人で取り残されているような表情が浮かんでいる。


 その囁くような小さな声は、和樹の脳内で反芻する度に、内蔵を抉っていくかのように痛みを突きつけて、あらゆる思考と動きを止めさせた。


 まるで、この空間だけ固定されてしまったかのように体が動かなくなる。


 辛うじて動く瞳を楓華へ向ければ、その頬には大粒の涙が伝っていた。


 本人にも自覚はなかったらしく、ぽたぽたと滴り落ちる雫を眺めながら「あれ……あれ……?」と動揺していた。



『どうしようもないぐらい……嬉しくて』



 本人は自覚していないのに流れる大粒の涙。


 目の前で俯いている姿が以前の楓華と重なり、どうしようもなく胸が締め付けられる。


 話題にしてはいけない、本人すら無自覚の地雷だったのかもしれない。


 きっかけはどうであれ、結果として楓華を傷つけてしまったかもしれないことに、和樹は自分に対して鋭い怒りを向けた。


 すると楓華の異変に気づいたのか、近くに居た店員や客が和樹たちの近くに集まって「どうした?」「喧嘩したの?」「お嬢ちゃん、ハンカチ貸そうか」と次々に押し寄せてくる。


 和樹は買ったものを手早くマイバッグに詰めると、楓華のエコバックを手に取り、かごを指定の位置に戻した。


「早く来い」


 袖で顔を覆い隠すように泣いている楓華の手を掴み、普段楓華には向けない強い口調でで告げると、楓華は何も言わずにこくりと頷いた。


「違う……私は、ちゃんと変わって……1人で頑張る……って。嫌だ……また」


 その口許は、ぼそぼそと何かを呟いていたようだったが、和樹に聞こえることはなかった。


 夜道は、やけに静かだった。




〘あとがき〙

 どうも、室園ともえです。

 今回から数話ほどシリアスな話になります。


 ラブでコメディな展開からは少し離れてしまいますが、「天野楓華」という1人の登場人物を掘り下げる回にですので、是非とも引き続き読み続けてくださると嬉しいです。


 気軽にフォローや応援、★レビューや感想など、お願いします。


 次回は明日投稿します。お楽しみに。


 それでは、また。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る