第16話 姫の恩返し(3)

 和樹の質問に対して、楓華は小首を傾げながら何の躊躇ためらいもなく答えた。


「他の人が九条さんが早退したと話していたので、もしよかったら看病をさせてもらおうと思っていたのですが……そもそも休んでいるのに起こすのはよくないかな、と途中で引き返そうとしたら家の前で倒れていたので」

「そ、そうなのか」

「本当は私の家で看病するつもりだったのですが、人を持ち上げたりするのは苦手で」

「あぁ……なるほど」

「あの……九条さん。今更かもしれませんが、できれば服を着てからこちらを向いてほしいのですが」

「す、すまん」


 和樹としては真治が来ていると思っていたので野郎の着替えなら見られてもいいと判断したが、今目の前にいるのは楓華だ。


 楓華は異性が上裸でうろついているのには慣れていないようで、咄嗟に和樹から視線を逸らしていた。


 不幸中の幸いか、肌を晒していたのは上半身だけだったので、一大事にはならずに済んだ。和樹はクローゼットの中から動きやすい半袖の部屋着を取り出して着用した。


「……見苦しいものを見せてごめんな」

「いえ……私も起きているのか確認するのを怠ってしまいましたし」

「ほんとに申し訳ない」

「……それより、具合のほうはどうですか?」

「おかげさまで少しはよくなったかな。これも天野さんがしてくれたのか?」


 和樹は、自分の額に貼られている冷却シートを指さした。


 和樹がこれといった反応を示さなかったせいか、楓華はそうですよ、と微かな恥じらいを浮かべながら返事をする。


「あ、九条さんの家の物には何も手を付けていませんからね。冷感シートも、おかゆの材料も、自分の家から持ってきたものですから」

「……すまん。なんか色々とありがとな」

「いえいえ。あの日の九条さんの苦労に比べれば、大したことじゃないです」


 あの日、とは以前に楓華を勝手に家へ連れて、世話をしたときのことだろう。


 確かにあの時は襲い来る眠気に耐えたり料理をしたりと多少は大変だったが、それを苦痛に感じた覚えはなかった。


 そんなことよりも、目の前に蹲っていた楓華のことの方が心配だったのだ。


 それのせいで彼女自身が和樹に対して罪悪感を抱いているのならば、少しだけ申し訳ない気持ちになってしまう。


「あ、お腹空いてますか? そろそろお粥が作り終わるので、よかったら召し上がってください」

「いいのか?」

「……悪いならそもそも聞きませんよ」

「まぁ、それもそうだな」


 楓華の口調に、和樹のひそかに抱いていた不安は払拭ふっしょくされ、静かに苦笑した。


「じゃあ、お言葉に甘えさせてもらっていいか」

「はい。ちょっとだけ待っててくださいね」


 柔らかく返答して、楓華は部屋を出ていった。


 途端に静かになった部屋の向こう側から、パタパタと軽快な音を立てて台所へと向かう足音が聞こえる。


 その音が次第に小さくなっていき、やがて全く聞こえなくなるのと同時に、和樹はベッドにそっと腰掛けた。


 和樹は今、一部の校内の男子からは喉から手が出る程に羨ましい状況なのだろう。


 その容姿の可憐さと他の追随を許さないほどの才能を持ち、それでいてそれをおごることなどしない謙虚な性格の持ち主である彼女に対して、好意や興味を抱いている男子はかなり多い。


 楓華が1人で居るのが逆に珍しいほど、校内ではあちらこちらで声をかけられている。


 そんな彼女がわざわざ看病に来てくれるというのだから、下手をしたら羨ましいを通り越して憎たらしいといった嫌忌けんきの感情すら抱かれかねないのだ。


(……まぁ、あの人の場合は恩返しのためだろうけど)


 楓華は以前から、何度か「恩を返したい」と和樹に言っていた。もちろん和樹は、それらを全て断っているのだが。


 和樹が楓華を助けたのは恩を返してほしいからではなく、自分がそうすべきだと思ったからだ。


 助けたいと思ったから助けた。


 なんとなく、放っておけなかった。


 それだけの理由でしかないのだ。



『……もう、やめてよ。そういうの』



「……っつ」


 突然、細い糸のような記憶の鱗片りんぺんが脳裏を過ぎった。あまり思い出したくない、幼い頃のとある日常。


 救いの手を差し伸べる方法を間違えた。


 与え方を間違えた優しさは、時に容易く人を傷つける。


 自分が正しいと思ってしていた行動が、彼女を苦しめていると分かってしまうまでの、脳裏にこべりつくような、暗く、悲しい記憶。


「持ってきましたよ」


 まだ僅かに熱を帯びている頭で物思いにふけっていると、部屋の扉が小さくノックされる。


「……あぁ、ありがと」


 感謝の意を伝えると、和樹を捉えた楓華の瞳が僅かに揺れた。


「あの、さっきより顔色が悪いですけど……大丈夫ですか?」

「……そうか? 結構気分は良くなってきたと思うけど」

「それでも安静にしないと駄目です。万が一ってことがあるんですから」

「……そうだな。気を付ける」


 和樹が素直に謝ると、楓華はここに置かせてもらいますね、とため息混じりに呟きながら、サイドテーブルにお椀を置き、木製のスプーンで掻き混ぜた。


「動くのが辛いのでしたら私が食べさせますけど、どうしますか?」

「……いや、自分で食べるよ」

「遠慮しなくていいんですよ」

「遠慮なんかじゃない。天野さんだって、好きでもない異性にこういうことするのは面倒っていうか……嫌だろ」


 疲れていたせいか、和樹はネガティブをこじらせたような言葉をこぼしてしまう。


 そして、相手は善意でやってくれていることにそういった事を言うのは失礼だったな、と後々気が付いた。


「別に……そこまで嫌というわけでは」


 明らかに声のトーンが小さくなった楓華を見て、和樹は自分の発言に後悔した。


「いや、今のは言い過ぎた。ごめん」

「そもそも」

「……ん?」


 楓華は瞳を伏せていたが、その表情は、少し機嫌を損ねているように見えた。


「そもそも、私が九条さんを嫌っているのであれば、看病に来ることなんてしません。私だって女性なんですから、1人で異性の家にお邪魔するのは少し躊躇いがあります。でも、九条さんは、私が信頼してもよい相手だと認めた人だから、こうしてお世話をさせてもらっているのです。決して嫌だとは思っていません。……思うわけが、ありません」


 ゆっくりと、その小さな口から言葉が紡がれる。


 楓華の放ったその言葉は、とても裏のあるようには感じられなかった。一切の濁りのない、純粋な本心からの想い。


「……九条さん?」


 それを澄ました顔でつらつらと語るものだから、和樹は視線をどこに向けていいのかも分からず、ひとまず目の前に置かれたお粥を取ろうと手を伸ばす。


「いや……なんでもない」


 もともと火照っていた頬がさらに熱を帯びているのが伝わってくる。


 今の自分はどんな表情をしているのだろうと頭の隅で考えながら、勢いに任せてお粥を口に放り込んだ。


 同時に舌に控えめな塩の味と米の甘さが広がる。風邪で若干舌の感覚が鈍っていたが、包み込むような優しい味は、胃にじんわりと溶けていった。


 たまにシャキシャキとした食感もしたけれど、それが何の食材だったかは判別が出来なかった。エリンギか白ネギ辺りだろうか。


「……美味しい」

「ありがとうございます」


 和樹が感想を伝えると、楓華はかすかな笑みを浮かべながら、そっと胸を撫で下ろしていた。


「では、私は洗い物をしてくるので、何かあったら呼んでくださいね」

「……おう」


 楓華が再び部屋を出た後、和樹は空腹を満たしたせいか眠気が込み上げていたので、ベッドで横になり、肩まで毛布を被った。


 多少マシになってきたが、相変わらず体はほのかに熱を帯びていた。額を拭えば、まだじんわりと汗で湿っているのが分かる。


(……とりあえず寝よう)


 この後に起きてやらないといけない用事も特に思い当たらなかったので、和樹は眠気に身を任せて眠ることにした。


 そもそも、楓華が家に居ること自体、お粥を食べさせてもらった今でも信じられていない。


 もしかしたら夢の中にいるのかもな、と考えてみたが、額に貼られた冷感シートや毛布の心地よい感覚がはっきりと伝わってくるのでおそらくは現実だ。


『私が信頼してもよい相手だと──』


 ふと脳裏を過ぎったその一言は、頭の中で何度も反芻はんすうされ、ぼんやりとした和樹の思考に、僅かに熱を灯した。




〘あとがき〙

 どうも、室園ともえです。

 今回も読んでくださった方々、本当にありがとうございました。投稿ペースは遅いですが、ぜひ次回も楽しみにしてくださると嬉しいです。


 最近ふと思ったのですが、自分の作品を最新話までイッキ読みされてる方(居るかどうか分からないですけど)は、こういったあとがきは「邪魔だなぁ、余計だなぁ」と感じるものなのでしょうか。


 自分はあとがきを、読んでくれてありがとう、という感謝の気持ちを伝える場や自分の近況報告をする場所と考えているのですが、邪魔だなぁと感じている方がいらっしゃるのであれば、あとがきを書くのは止めようかなと思っています。


 もし意見がありましたら、感想欄に遠慮なく意見してください(コメント稼ぎみたいになってしまって申し訳ないです)


 今後の参考にさせていただきます。


 もしよろしければ、★評価やフォローなど、気軽にお願いします。


 次回は明日投稿予定です。


 それでは、また。

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