第15話 姫の恩返し(2)

 1時間ほど保健室で休息を取ったが、和樹の体の不調が治まることはなかった。


 昼休みの時には我慢できていた頭へのチクリと針を刺すような痛みは、いつの間にか無視できないものとなっていた。


 もともと早退する予定だったが、和樹は体調の不調を学校の養護教諭に伝え、家に帰って休息を取ることにした。


 学校から自宅までの距離はあまり遠くないので、現状自分で歩くことの出来る最も速いペースで道を急ぐ。


 しかし、自宅が近づくにつれて倦怠感けんたいかんがじわじわとまとわりつくように体を包んでしまい、足取りは自然と遅くなっていった。


 何度も動かなくなりそうになる自分の足に鞭を打ち、マンションのエントランスに向かう。


 その後、点検が終わっていたエレベーターに倒れ込むように乗り込み、そのまま手すりに寄りかかった。


 自宅のある階層のボタンを押し、動き出したエレベーター内の振動に、和樹は為す術もなく揺さぶられる。


 いつもはなんとも感じない僅かな重力の差異すら、今の和樹には苦痛になっていた。


 指定した階層に到着し、エレベーターの扉が開くのと同時に、再び倒れ込むようにして自宅へと向かった。


 前に進むための1歩1歩が辛く、ただひたすらに重い。それに加えて、学校で感じていた悪寒とは比にならないほどの苦痛が全身を蝕んでいた。


 和樹はその痛みに耐えながら、ようやく、自宅の扉の前に辿り着いた。


 後は、鞄から鍵を取り出して、目の前の扉を開けるだけ。


(やっと……家に入れる)


 和樹は、自宅という名の安息の地に踏み込むための鍵を、鞄の中から手探りで取り出し、鍵穴に差し込み────


 そのまま、マンションの廊下に倒れ込んでしまった。


(……な、なんだこれ)


 苦痛は一時的なものだと自分を騙し、鼓舞することにも限界があったのか、脳が命令を出しても体がピクリとすら動かない。


 もうすぐ楽になれる、と安堵してしまったのが仇となってしまったのだろうか。


 辛うじて動かすことが出来るのはまぶたのみで、その視界には、90度傾いてしまった世界が広がっていた。


 そして、和樹の意思に反抗するように、ゆっくりと辺りの景色が色を失っていく。


(やべ……意識が……)


 段々と霞んでいく意識に抵抗する気力などは持ち合わせておらず、和樹はそのまま冷たい廊下で1人、静かに眠りについてしまったのだった。



 ─────。



(……ん?)


 馴染みのある柔らかな毛布の感触がする。


 朦朧もうろうとした意識の中、和樹は重たい瞼をゆっくりと持ち上げた。


(そういえば俺……寝てたんだっけ)


 そして、遅れて今までの自分の行動を思い出し、静かに嘆息した。


 和樹は日頃から早寝早起きや食事の栄養バランス等、体調管理にはかなり気を付けていたつもりだった。


 しかし、それでも今回のように体調を悪くしてしまうことがあるということは、自分自身の日常生活に何かしらの問題があったということなのだろう。


「……1人で頑張るって宣言したのに、情けねぇ」


 そう呟き、手元にあった毛布を首元まで被った。


(……あれ?)


 少し寝たおかげか、体の疲労感は幾分か良くなっていた。しかし、それと引き換えに上手く言い表せない違和感を覚える。


 とりあえず、和樹は今までの出来事を、もう一度思い出してみることにした。


 学校から早退し、遅々とした足取りで自宅へと向かい、そのまま扉の前で倒れた。


 そう、倒れたのだ。


 しかし何故か今、手元には毛布があり、頭には冷感シートが貼られていた。そして、周囲を見渡してみれば、今いる場所は自宅の自室であることに気づく。


(あ、そういえば……)


 和樹は、学校での真治との会話を思い出していた。



『そりゃ見舞いに行くからだろ。どうせ明日祝日で暇だし、お前一人暮らしだから買い出しに行くのとか面倒になると思ってな』



「そういや真治あいつ、見舞いに来るとか言ってたな……」


 早退したことを事前に連絡した覚えはないが、家の前で倒れ込んでいた和樹がこうして部屋の中に居るということは、真治が心配して来てくれていたのだろう。


 考えてみれば、和樹から真治に直接連絡を入れなくても、担任からの報告があれば早退したかどうかは確認できるはずだ。


「とりあえず、ちゃんとお礼ぐらいは言っておくか」


 日頃の扱いやイジりはどうであれ、今回の件に関しては、和樹は真治に助けられた側なのだから、素直に感謝を伝えるのが筋だろう。


 少しリビングの方向に耳を傾けると、蛇口から流れる水の音や、コトコトと何かを煮込んでいるような心地いい音が聞こえてくる。


 それと同時に、ぐぅぅぅ、とお腹から空腹を訴えるうめき声が部屋の中に響いた。


「……取り敢えず着替えるか」


 和樹の格好は家の中には似つかわしくない制服姿だったので、少しは動きやすい格好がいいだろうと思い、汗を拭くついでに着替えることにした。


 和樹が着替え終えると同時にコンコン、と部屋の扉がノックされていることに気付いた。


「……失礼します」

「おう。わざわざありがとな。家の前に倒れてた俺を運んでくれたんだろ」

「いえいえ。九条さん意外と軽かったので、そこまで苦ではありませんでしたよ」

「そっか。ならいいんだけ……ど……?」


 背後から聞こえたのは、いつも和樹を小馬鹿にしてくる厄介な男の声ではなく、鈴を緩く転がしたような、甘美な声だった。


 それも、今まで何度も聞いた事のある声。


 さらに、和樹のことを「九条さん」と呼ぶ人物は、和樹の狭い交友関係の中では1人だけしかいない。


「なんで……天野さんがここに……?」


 和樹が振り向いた先に居たのは、本来ここに居る筈のない、天野楓華の姿だった。




〘あとがき〙

 どうも、室園ともえです。

 今回も読んでくださった方々、本当にありがとうございます。


 土日にしか投稿してないのに、毎度毎度読みに来てくれる方も居て、嬉しい限りです。


 終始イチャイチャという訳にはいきませんが、何気ない日常の中にドラマを描いて行けたらいいなと思います。


(初心者風情が何を言っているのやら)


 次回は明日、投稿します。


 もしよろしければ、励みになるのでフォローや感想、★評価や♡など、お願いします。


 次回もお楽しみに。


 それでは、また。

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