ヒーロー~あなたが僕にくれた救い~

@kennsei

第1話 黒き獣は突然に

 僕は探している。

 ある条件に合致する人物を、東京の隅々まで。

 目ざとく発見しては、監視、追跡する。


 人はいわゆる「悪事」を働くとき、人目につかない場所を選ぶことが多い。

 そして必ずと言っていいほど、複数人数で行動する。

 脅迫者と、被害者がいるからだ。


 周囲の干渉を避けるため、閉じた空間に標的を誘導し、のである。


 その中身は様々、時に金銭取引、薬の密売、恐喝であったり、強姦だったりする。

 共通点があるとすれば、彼らと面識のない一般人が、必ず何らかの被害に遭うことくらいだろうか。


 見物人がいない環境であれば、彼らは特に場所を選ばず、平気でそうした犯罪行為に手を染める。


 例えば、昼間でも薄闇の立ち込める路地裏。防音加工の行き届いた事務所の一室。橋の下。郊外のさびれた映画館の裏手。端的に言って、「裏」と名の付く場所に「裏」社会の人間は出没する。


 人目をはばかって行うべき非道な所業は、人目の無いところで行うのが望ましい。彼らの行動原理は意外と単純だ。


 僕たちはそこを狙って襲撃する。背後から不意打ちをかけ、相手が複数人であっても瞬時にアスファルトに沈め、被害者を迅速に救済する。


 ……理由?

 えっ……、と……


 そういう奴等が嫌いだから……じゃ、ダメかな。


   ☆   ★   ☆


 今日もとうとう二十件目。午前零時からなら十七件目か。朝焼け目に染みる夜明け前、場所は町田、潮風鼻をつくプラザホテルの裏路地だ。


「なんで! 結婚してくれるって言ったじゃん!」


「するわけないだろ、あんたみたいな尻の軽そうな女と。……結婚⁉ 『長い間付き合ってくれてありがとうございました』だろ?」


「だからって……百日目の記念日にこんな……」漏れ出た声は潤んでいる。


「だまされるほうが悪いんだよ」


 高飛車に言って捨て、青年はくわえ煙草に火をつける。

 青年は至極整った目鼻立ちをしていた。もこもこのダウンジャケットを羽織っており、顔は丸みを帯びて愛らしい。


 娘は口をぱくぱくと動かし、茫然自失といった状態だ。顔立ちはいたって普通。隈のある垂れた目が依存心の強さを感じさせる。


 しばし紫煙をくゆらせる青年。

 へたり込む彼女を得意げに見下ろす。

 鼻を鳴らすと、彼の高い鼻からも一筋、白煙が噴出した。


 出発直前の機関車かな? 汽笛が鳴ったよシュッシュッポッポー、と脳内で馬鹿にしてみる。


「それと、ありがとね、コレ」青年は親指と人差し指でコインの形を作り、軽くその場で上下に振った。


「そんな…結婚資金だって言うから……」


 にひゃくまんえん、と彼女は口の中だけで呟いた。


「ホント、騙しやすくて助かった」


 青年は意地汚く唇を吊り上げる。


「約束したのに……」


 固く冷たいコンクリートに膝をつき、痛みも忘れて、娘は泣きじゃくる。

 路地裏にかすかに差し込む朝日が、彼女の膝の下、無造作に隆起したアスファルトの表面を浮かび上がらせている。


 一際明るく表通りを照らす光も、物陰に隠れた彼らまでは照らさない。

 夜明けは刻々と迫っているのに、彼らの空間だけが闇を濃くしていた。まるで朝の到来を拒んでいるかのようだった。


 ひとしきり涙を零した娘。

 青年は彼女に顔を近づけ、冷酷に見下す。


「はは、いいか、約束なんてな、」


 煙を吹きかけると、青年はそのセリフを口にする。「破るためにあるんだよ」


 ……言ったね。行くよ、サカキさん。


 ――分かった。やってくれ。


 大通りを一陣の風が吹き抜けていく。路地にも風がなだれ込み、ゆらりと生ぬるく肌を撫でた。


 青年の肩に、路地の闇よりなお黒い影が落ちる。

 青年の背後に向けられた、娘の湿った眼差しが、驚愕から一転、恐怖のそれへ変わった。


 四肢と胴体を漆黒の、太く長いハリネズミの針のような硬質の毛で覆われた、人ならざる生物がそこにいた。地面から二メートルほどの位置にある頭部には、口らしき裂け目から黒光りする牙がいくつもはみ出し、その上に、くすんで光のない真っ黒な球体が三つ並んでいる。


「……守れ!」


 猫科大型獣の威嚇に似た、喉にかかった唸りがコンクリートをビリビリと震わす。なぜか、そのおどろおどろしい声音は意味を含んだ言語として聞き取ることができた。


 次の瞬間、鈍い粉砕音が辺りに響いた。


 娘が見たのは、人型の黒い化け物が拳を振り抜き、青年が血しぶきをあげて路地の壁に叩きつけられ、力なく地面に崩れ落ちる光景だった。


「あ……あ」


 彼女は息をのみ、顔つきを恐怖にゆがめる。

 毛むくじゃらの化け物は、呪文だろうか、訳の分からない言葉を唱えている。それが彼女にさらなる恐怖感を与えた。


 一目散に逃げだした彼女は何度かを振り返った。人ならざる怪異との遭遇を明確に、目に焼き付けようとしているようだった。


 静寂に包まれた路地に、地鳴りのような呼吸音が響く。


 はダウンジャケットの青年の髪を鷲掴みにして引き寄せると、

 意識はあったのだろう、顔をしかめた青年に、怪物は何やら耳打ちする。


「はい……分かりました……」


 血だらけの彼は震えあがり、承諾を示し、殺さないでくれと懇願する。


 の口角がわずかに上がった。


 青年を真下のアスファルトに落とすと、塩が水に溶け込むように、黒き獣は路地から忽然と姿を消した。


  ☆   ★   ☆


「……うまくいったかい?」


 四方を白い石壁で囲まれた密室には降り立つ。わずかに振動音を立て、空気の色が変化したかのようだった。


「お前が一番よくわかってるだろう?」


「つれないなあ」


 後ろ手を椅子に縄で括りつけられた少年は足を組み、けらけらと笑う。全身を毛で覆われた怪物を目の前に、毛ほども動じる様子はない。


「ありがとう、ナツキ」も口元を綻ばせた。


 十二畳の地下室には一脚の椅子、ソファ、ローテーブル、本棚のほかに家具は見当たらない。

 ローテーブルには、読み止しの、ハードカバーの海外ミステリと、綺麗に畳まれた洋服が一式置かれている。

 厚い壁には防音加工が施され、電波も遮断されている。


 週末、サカキとナツキは二人、地下室にこもり、他の職員に内緒でこうした「社会の悪者退治」にいそしんでいた。


「礼はいいから、このロープをほどいてくれない? 痛いよ。ほら、僕のか細い両腕が折れちゃうって。ボキッ、と」


 ナツキは心底苦しそうに眉をひそめる。


「ダメだ。お前はここに監禁されているんだ。万が一こんな行為が世間に知られた場合、共犯だと認識されないためだと、何度言ったら分かるんだ」


 毛むくじゃらの怪異は説教口調になる。「抜け出してもいいんだぞ? できるものならな」


「それを言っちゃおしまいだ」


 まるで容易に可能だと言わんばかりに、ナツキは抗議の声を上げた。


「……普通の人間に外せるはずはないからな」咳払いをして、獣は頑丈な毛を揺らしながらぼそぼそ呟く。


「あっそうか」


 こりゃいけねえ、とナツキは頭を掻く。


 茶番である。

 茶番なのである。

 ナツキにとっては研究も、化け物との会話も、日常生活も、何もかもが茶番だ。


 ナツキは超能力をもっている。


 物心つく前、生まれた時から、無意識に、遠くのものを引き寄せたり、母の脳に直接言葉を送ったりということができた。


「おかげで、三歳になるまで、立つこともままならなかった」かつて彼はサカキにそう語った。


 異常に遅れた身体の発達と、ちっぽけな肉体から放たれる異常な超能力。二つの板挟みにあった両親の心労が尽きることは無かったと思われる。


 しかし三歳で、彼は超能力の使用をぱったりと止めてしまう。

 自宅から研究所へ。

 親のいない生活が彼の精神に及ぼした影響は計り知れない。


 彼は齢三歳にして、精神を病んでしまった。


 研究者は口を揃えて言った。彼の持つ力が暴走しなかったのが唯一の救いだと。


 実際には救いはもう一つあったと言わざるを得ない。

 ナツキがそこで、サカキと出会ったことだ。


「ワルモノ退治なら喜んで協力するのに」


 ナツキは口をとがらせている。


「それでもだめだ。お前は俺の計画のために誘拐された、哀れな超能力者にすぎない。大人しくしていろ」


「……そういう設定でしょ」


「関係ない」「ちぇー」「早く人間に戻してくれ」


「……さすが、妖怪の姿で言われると説得力が違う」拗ねたかと思えばナツキはにたにたと笑い、ぷふーと吹き出す。決して邪悪でない、子供らしい笑みだ。


「早く戻せ」


 ぶつぶつ言いながらナツキは縛られた後ろ手に力を集中する。


 獣がみるみる人間に姿を変える。

 怪物の三つある目の真ん中が霧散し、虫が床を這いずるかのような不快な音とともに、ヤマアラシの針に似た剛毛がみるみる細まって肌色の毛穴に収まっていく。


 いくらなんでもグロテスクすぎやしないか、パッと変身させてくれれば良いのに、とサカキは瞑目して考えている。


 サカキを怪異に変身させるのも、密室から渋谷まで瞬間移動させるのも、ナツキにとっては、それこそ赤子の手をひねるようなものだ。


 ナツキは下着姿のサカキを一瞥し、そばのローテーブルに畳んで置かれている服に視線をやった。

 視線を戻すと、サカキは白衣にブラウンのチノパンと、研究者の服装になっている。白衣の下にはあらかじめ指定されたTシャツ、革のベルトと、細部までぬかりはない。


「よし。ありがとう、ナツキ」


 ナツキは後ろ手に絡みつく縄を、前のめりになりながらぐいぐい引っ張っている。その様子は身動きの取れない不自由を楽しんでいるようにも見えた。


「お前には俺の計画に最後まで付き合ってもらう」


 筋肉質な肢体を捻る体操をしつつ、適当な事を言うサカキに、ナツキは冷ややかに文句を垂れる。


「……『世界から犯罪をなくす』計画でしょ」


 サカキがぴくりと反応した。


「何か言ったか?」照れ隠しなのか、流し目ついでにすごんで見せる。


「何も。というか、悪い人から世界を救いたいなら、僕みたいなしがない超能力者よりもさ、もっと上の人に働きかけた方がいいんじゃないの」


 彼は首を振る。


「研究所に融資してくれてる政治家や社長は確かにいる。だが、権力者をどうにかしたとしても、俺やお前をはじめとした下々の生活は変わらないだろうが。俺が救いたいのは、財産のある人間ではなく、金に困ってるような一般人なんだよ。それに」


「それに?」


「世界征服をたくらむ悪の秘密結社なんかに立ち向かう気はないからな」


 ナツキはこくこく頷いている。


「僕が本気出せば一夜で壊滅させられる」ナツキはむんと胸を張る。


「そもそもその存在自体が疑わしいところだ」


「だね。世界征服してどうするの、って感じ」


「あと」


「まだあるの」


「超能力者に『しがない』なんて形容詞はつかない」


「それか」


 ソファに腰かけ、雑談を続行する。陽の光を見ない地下室には時計が設置されておらず、時間を知る術はない。二人は時間を忘れて、とりとめもない話に興じている。


「だからって、あんな妖怪みたいな格好をして、助けた人まで怖がらせてどうするのさ」


 彼らの行いもまた、日の目を見ることがない。


「トラウマを植え付けるためだ。詐欺師に貢いでしまったせいで怪物に襲われそうになった。彼女は金輪際、胡散臭い男と付き合うのは辞めるだろう」


「言い方が怖いよ」


 ナツキは大げさに肩をこわばらせる。


「娘を助けるためなら、俺は誰にどう思われたって構わない」


 サカキも対抗して肩をすくめた。


「僕みたいな協力者がいるからいいものの」


 ちっちっち、とサカキは指を振る。設定を忘れたのか。


「お前は協力者じゃない。俺に監禁され拷問を受けた末、仕方なく言うことを聞かされている哀れな」


「わかったわかった。……サカキさんはブレないなあ」


 ナツキは頬杖をつき、深々と息を吐く。


「俺の名前を呼ぶな。いいか、俺とお前は犯罪者と脅迫者の」


「……おっ」


 視線をあさっての方向に移動させたナツキは、耳に手をかざす。注意深く何かを探っているようだ。


「おい話を聞け、……来たのか?」


「来たね、新たな『娘』だ。渋谷、駅前のホテルの裏手。若いやくざ風の男が、娘に逃げた親の借金の返済を要求していて、今月中に返せないと風俗で働いてもらうことになると脅している。まったく、朝というのはラブホテルの裏での揉め事が多い」


「夜中よりはましだがな」サカキがうんざりした顔でぼやく。


「人命が関わらない点では、朝は可愛い事件が多いね」結婚詐欺とか借金返済とか、とナツキは指を折り、……それくらいか、と拍子抜けしている。


「状況は?」


「ええとね、ホテルの敷地内で、建物の裏、目つきの悪い帽子の男と髪の乱れた女が……」


 一通り聞き終わり、サカキはバキバキと拳を鳴らす。


「それじゃ、よろしく頼む」


「変身させたらすぐ行くよ。次は何の怪物がいい? クトゥルフにしようか」至って真面目にナツキは言った。


 意識はホテル裏の男女に集中しているのか、視線はローテーブル上の本に向いているが、焦点が合っていない。


「任せる」


「……よし。五秒後、男の後ろに瞬間移動させるよ。三十センチ先に男の無防備な頭があるからね」


 ナツキが立ち上がり、しなやかな指を鳴らす。ロープが床にはらりと落ちる。


 サカキが怪異に変化する。


「分かった」彼は拳を握りこんだ。


 もう一度パチンと音が響くと、彼は消えている。


 帽子の男の背後にサカキが現れたのを確認し、ナツキはソファにどかりと腰を落ち着けた。

 世間話をしながら東京全体を監視するのも楽じゃない、とこきこき首を回す。


 見回せば、椅子と机のほかに本棚しかない地下室は閑散としていて、呼吸音以外は時計の秒針が時を刻む音すらもしない。純白の石壁、石床、石天井と白尽くしの密室には、雪原に一人取り残されたような肌寒さがあった。


 早く戻ってこないかな、とナツキは考えている。


「……ま、僕が向こうから瞬間移動させるんだけど」


 ホテル裏では、サカキ扮する、全身を緑色の鱗に覆われた忌まわしい怪物が男を張り倒し、吹き飛ばしていた。

 娘が怯えに怯えて逃走するのを見計らい、少年は三度、指を鳴らす。


 知らず、腕の縄を引きちぎったことに、ナツキは気づいていない。

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