英雄の旅立ち

 純真が目覚めたのは翌日の朝だった。

 気絶する前の寒気は嘘の様に収まっており、体調に異変は無い。……かなり空腹と喉の渇きを感じる以外は。

 寝ている間に暑苦しくなったのか、毛布は乱雑に蹴散らかされている。左腕には点滴の針が刺さっていた。邪魔だと思うものの抜いて良いか迷っていると、その内に看護職員が訪れて、通訳に上木研究員が呼ばれる。


 上木研究員は笑顔で純真に声をかけた。


「おはようございます、純真くん」

「おはようございます。上木さん、あの、他の皆は?」


 治療室にはソーヤとディーンも来ていたはずだが、二人の姿は無い。

 上木研究員は少し眉を顰めて答えた。


「ソーヤとディーンは昨日の内に、無事にエネルギー生命体を抜き取り終えました。あなたが特別に大変だったみたいですよ。適合が進み過ぎていた様です。まぁ、何はともあれ、お疲れ様でした。これであなたは自由の身です」

「そうですか……」


 純真は自分の手を見詰め、試しに電気毛布に触れてみた。

 ……電気毛布は柔らかく温かい。ただそれだけで、他には何も感じない。熱や電気を奪い取る事もない。

 純真は安心した様な、気が抜けた様な、複雑な気持ちだった。ここサイパンでの生活を終えて、日本に――日常に帰る時が来たのだ。



 点滴を外されて朝食を取った純真は、研究所内の自室に戻って、散らかった部屋を少しだけ片付ける。正午には地球から離れる諫村を皆で見送るという。これまでの生活を振り返って、純真は一抹の寂しさを覚えた。たった二月ではあるが、もう一年は滞在していた気分だった。


 部屋を半分片付けたところで、ドアがノックされる。


「Junma? Can I come in?」

「はい! あ、イエス!」


 誰だろうと思い、純真が振り向くと、ソーヤとディーンが入室した。


「We came to see how your doing」

「Are you alright now?」


 二人の言葉が分からなくなっている事に、純真は困惑する。心配してくれている事は何となく推測できるが、それ以上は読み取れない。


「えっ、ええっと……イエス、I'm fine」


 二人も純真の言葉遣いが変わっている事に困惑する。もう三人はエネルギー生命体を介した意思疎通ができなくなったのだ。寂しそうな顔をする二人に、純真は声をかけたいが、英語で何と言えば良いのか分からない。


「あー、uh...you are...いや、違う、How are you?」

「We are fine, too」

「良かった。That's good」


 少し話が通じたので、ソーヤは純真に問う。


「Do you know that Isamura is going to leave the earth at noon?」

「イサムラ……、アット・ヌーン? ああ、イエス、I know」

「You also see him off?」

「オルソー、スィー・ヒム・オフ?」

「Yah」

「あー……分からない。I don't understand what you say. I can't understand English very well」


 ソーヤは落胆を顔に表すも、意思の疎通を諦めない。一つ一つの単語を正確な発音でゆっくり言い、どうにか自分の言いたい事を分からせようとする。


「What words can't you understand?」

「えぇ……? 何が分からないかって?」

「I might teach you some English」

「気持ちは嬉しいけど……。あー、Can you speak Japanese?」

「Not at all」

「だよね……」

「But you can speak some English, and we can get each other, right?」


 彼女の強引さに純真は困り顔になる。

 ディーンが押しの強い彼女を宥めた。


「You shouldn't one-sidedly ask for his understanding. Why don't you call Kamiki?」

「Hum...Yeah, will do」


 ソーヤは不満そうにしながらも頷く。


 ……結局、二人は上木研究員を呼んで通訳してもらった。

 上木研究員は純真に言う。


「二人は一緒に諫村さんを見送りに行こうと言っています」

「あぁー、そうでしたか! はい、それは勿論。上木さんも行くんですよね?」

「ええ」


 彼女は純真の答えを二人に伝える。


「He said also see Isamura off」

「Thanks Kamiki. Phew...there is just only it」


 言葉の通じないもどかしさに、ソーヤは溜め息を漏らした。

 ともかく正午前には全員、諫村を見送りにアメリカ記念公園に出かける事に。



 そして迎えた正午、アメリカ記念公園で最後に記念撮影をする事になった。「WE ALL SAVED THE WORLD」――適合者たちを中心に、その周りを研究所の全ての職員が囲む。一枚の写真は、地球を救った英雄が確かに証明として、永遠に残るだろう。

 その後に所長が全員を代表して諫村忠志に別れの挨拶をした。


「Sir ISAMURA Tadashi, you are the messiah of the world this time the same as the ten years ago. On behalf of all the living things on earth, I would like to express our and their all gratitude you. We never forget your greatest achievement」

「No, thank you. I just finished my mission. The world was protected by none other than you. I hope we never meet again」


 諫村は惜しがる様子もなくオーウィルに乗り込む。

 遠くから静かに彼を見送るだけの上木研究員に、純真は問う。


「上木さん、何か言っとかなくて良いんですか?」

「ええ。昨日、一昨日の内に、お互い言いたい事は言い終えましたから」


 彼女はただ諫村とオーウィルを見送る。オーウィルはエネルギー生命体を宿らせた雷山と嵐山を引き連れて、静かに浮上した。


 その後、オーウィルは少しずつ上空へ向かって加速し、数分後には豆粒より小さな点になる。研究所の職員たちは疎らに屋内に引き返し始める。

 純真もそろそろ帰ろうと思い、上木研究員を顧みた。もうオーウィルは辛うじて見える程度の小さな点でしかないが、彼女は真顔で抜ける様なサイパンの青空を見上げ続けていた。声をかける事は躊躇われ、純真は彼女に何も言わないまま、研究所内に引っ込む。

 諫村忠志は孤独な宇宙の旅を続ける。自分には帰る場所がある事に、純真は大きく安堵するのだった。

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