国と個人と国民と

 純真の新たな力に恐れをなしたのか、それから敵襲は無かった。

 そして再決戦の二日前、純真が訓練後に自室で休んでいると、上木研究員から予想外の報告を受けた。


「純真くん、日本の内閣総理大臣があなたに会いたいと言っているそうです。どうしますか?」

「どうって……総理大臣が!?」

「はい。新日本国民党党首・両月りょうげつ朋生ともなりから内閣総理大臣の座を禅譲された、新戸内にとうち基仲もとなかです。知っていますよね?」

「名前ぐらいは。……で、その総理大臣がオレに何の用だって言うんですか?」

「日本国の代表として、あなたに激励の言葉を送りたいそうです」

「激励……」


 激励だけなら聞かなくても良いかなと、純真は脱力して溜め息。


「面倒臭いから会いたくないってのはありですか?」

「ありだと思います……が、ご家族もいらっしゃっているそうです」

「父さんと母さんも?」


 長らく会わないままで親に心配をかけるのは良くないと分かっていながらも、本音では会いたくないと純真は思っていた。タイミングが悪過ぎるのだ。軽々しく国外に出られない情勢の中、サイパンまで会いに来てくれたとは言え、大事な戦いの数日前に来られても困る。


「会いたくない?」


 上木研究員に問われて、純真は小さく頷いた。


「何を言われるか分からないですから……」

「引き留められるかも知れないと考えていますか?」

「ええ、まあ、普通なら、そうするんじゃないんでしょうか? もしかしたら『頑張れ』って言ってくれるかも知れませんけど。どっちにしろオレのやる事は変わらない訳で……。大人しく家で待ってて欲しいってのが、正直な思いです」


 ドライな彼の態度に、上木研究員は優しい笑みを向ける。


「帰る所は必要ですからね」

「えっ……あ、はい」


 彼女の言葉で、純真は最後には日本の我が家に帰って元の生活に戻ると考えているのだと気付いた。世界のために犠牲になる覚悟など全くできていないのだ。彼は恥じらいながら上木研究員に頼む。


「上木さん、父さんと母さんに伝えてくれませんか? その……ちゃんと帰ってくるから、家で待ってて欲しいって」

「分かりました。新戸内総理の方は、どうしましょう?」

「えぇ……? 特に言う事なんか無いですけど……あっ、オレがNEOを止めれば、ちょっとは日本の信頼も回復しますか?」

「さあ、どうでしょうね? 国と個人は別物ですから。実際、日本はNEO討伐に何の貢献もしていない訳です。宇宙人と取引をした両月にしても、NEOの開発を推進した新戸内にしても、人の忠告を聞かなかったばかりに」


 上木研究員の口振りには、隠し切れない苛立ちと恨みが表れており、純真は彼女を怪訝な目で見る。


「上木さんは日本を……っていうか、今の政府を恨んでいるんですか?」

「ええ、恨んでいますよ。私もあなたのお祖父さんも、何度となく命を狙われましたから。政府にとっては十年前の真相を知る私たちが邪魔だったんでしょう。だから私たちはアメリカに亡命したんです」


 言葉とは裏腹に穏やかな笑みを浮かべる上木研究員を、純真は恐れた。彼女の中にある感情は、恨みなどというレベルではないのだ。ただ怒りをぶつけるだけでは解消されない、根深い憎悪を隠している。

 それに気付いた純真は、心変わりした。


「上木さん、オレ、総理大臣に会ってみます」

「どうしたんですか、急に」

「オレがNEOを何とかすれば、世界的な英雄になれますよね?」

「それは……まあ、そうでしょうけども……何を考えているんですか?」

「後で話します。そんな大した事じゃないですよ」


 彼は新戸内と直接交渉して、上木研究員と祖父・功大が堂々と日本に帰れる様にしたいと思った。NEOを倒せたなら、その程度の小さな我がままは当然聞いてもらえるだろうと考えていた。

 誰であれ人を憎んだまま、異国の地で暮らし続けるのは悲し過ぎる。純真は自分の活躍で、全てを帳消しにできると――いや、帳消しにした上でまだお釣りが来ると思い上がっていた。

 何しろ実質的な国のトップである内閣総理大臣が、わざわざ外国にまで来て、直々に会いたいと言うのだから。当然そこに何かしらの特例的な扱いを期待してしまう。



 純真は研究所の応接室で、新戸内総理と面会する。

 新戸内は四十代であり、歴代の内閣総理大臣の中でも若い部類に入る。宇宙人との取引で狡猾なイメージのある両月が直々に指名した後継者だが、その人となりは硬派にして苛烈。何を隠そう彼こそがNEO計画の立役者なのだ。彼が防衛大臣を務めていた時に、まだ内閣総理大臣だった両月に計画の実行を強く迫った。それが何を意味するか……。


 純真がノックをしてから入室すると、新戸内は自ら立ち上がり、彼を迎えた。


「君が国立純真くんだね?」

「は、はい。初めまして」

「私が日本国の現内閣総理大臣・新戸内基仲だ」


 いきなり握手を求められ、純真は驚きながらも応じる。新戸内は日本人離れして体格が良く、相応に手も大きかった。彼の後ろに控えているSPにも引けを取らない。

 純真が気圧されている内に、新戸内は話を進める。


「ありがとう。君が日本を代表して世界を救う戦いをしている事を、私たちは誇りに思う」

「代表なんて、そんな……」

「いや、謙遜しなくても良い。君こそが日本の……いや、世界の希望の星なんだ」


 純真は愛想笑いしながら、新戸内の強引さに怪しさを感じて警戒していた。


「ご両親は君の事を心配されていたよ。急に疎遠だった祖父が来て、外国に連れ去られて、今頃はどうしているかと」

「あぁ、そうですか……」

「法律的な問題もある。君は未成年だから、これは誘拐に当たる。パスポートも持っていない。正式な出国手続きを経ていないから、違法出国という事になる。結構な重罪だ」

「いえ、でも、それは……」

「君にも言い分はあるだろう。緊急事態で細かい事に拘っている場合じゃないというのも一理ある。しかし、日本は法治国家だ。違法や不法を見逃す訳にはいかない」

「で、でも……」

「ああ、私も融通の利かない人間ではない。君が一連の騒動を治められれば、全ては不問にしよう」


 新戸内は純真の発言を許さず、一方的に捲くし立てる。あれこれと言いたい事はあったが、まず純真は事実誤認を指摘しなければならなかった。


「その……誘拐じゃなくて、父も母も了解していたと思うんですけど……。僕も同意していました」

「それでも違法出国には変わりない。仮にご両親も認めていたとなると、今度は家族ぐるみの犯罪になってしまうよ」

「……はい」


 反論を封じられて沈黙した純真に、新戸内は笑顔で告げる。


「誤解しないで欲しいが、私は何も積極的に君やご家族を罪に問おうというつもりは無いんだ。どうなるかは君の活躍次第。どうかアメリカの特殊部隊を倒して、NEOを。頼む」


 一転して新戸内は彼に頭を下げた。

 総理大臣が頭を下げるというのは、相当な事だ。しかし、純真は素直に「はい」とは答えられない。


「NEOをんですか?」

「そうだ。NEOは日本の防衛の要。だから、アメリカは特殊部隊を送り込んでNEOを破壊しようとした。だが、NEOの有用性に気付いた特殊部隊は、NEOを利用しようと考えて反逆した。そうだろう?」


 この人は何を言っているんだろうと、純真は否定する。


「いいえ、違うんです。そもそもNEOが暴走したから……」

「そんな事はあり得ない。あれはプログラム通りにしか動かない機械だ」

「でも、エルコンの中にはエネルギー生命体が……」

「何を言っているんだ、君は?」


 新戸内は何も知らないのかと純真は愕然とした。だからNEOを取り戻そうとしているのかと。


「エネルギー生命体の事を知らないんですか? NEOの中のエネルギー生命体が暴走して、だから日本では電気が止まって――」


 新戸内に話を理解する素振りが無いのを見て、純真はSPに視線を向けるも、SPに何が分かる訳でもない。

 怪訝な顔をする純真に、新戸内は苦笑いして言う。


「いや、そういう話がある事は知っている。だが、証拠が無いじゃないか? 確たる証拠が出せるのか? 誰もを納得させる証拠を……。出せないだろう? 確証も無いのに、信じる訳にはいかない。とにかく日本はNEOを手放す訳にはいかないんだ。日本の将来のためにも。分かってくれるね?」


 彼は自分が主導した計画に強い執着を持っていた。故にNEOを手放す決断ができないのだ。NEOの無謬性を信じているために、都合の悪い情報を受け入れない。

 加えて、エネルギー生命体の存在を認める事は、自身と前政権の大きな罪を認める事にも繋がる。政治家として、それだけは受容できない。

 更に悪い事に、本人は客観的で冷静なつもりでいる。だから、NEOが諸悪の根源である可能性自体は認めている。「可能性はあるが蓋然性は低い」という事で、彼の中では整合性が取れているのだ。実際は全く考慮していないも同然で、僅かでも他の可能性があるなら、そちらを優先して疑う。


「よく分かりました。NEOは壊します」


 この期に及んでエネルギー生命体の存在さえ認めない人に何を言っても無駄だと、純真は新戸内を見限った。最初に罪の意識を植え付けようとした態度も許せず、これ以上は話をする価値も無いと思った。

 彼は怒りに任せて席を立ち、一顧もせず退室する。

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