異世界なんかに行かせない!

田中卵

序章 魔法使い邂逅

 魔法は、この世界にもあるのかもしれない。

 少女の透明な微笑みを前にして、そう思わされたのだ。

 風が耳元を吹き抜ける。

 たった一陣の風が、世界を変えてしまった錯覚。


 ただの、高校の入学式だったのに。


 桜の木が揺れた。梢がこすれ合って、囁きに聞こえた。

 浮き足立った新入生達の喧噪が、妖精のむ森の静寂しじまに変貌している。


「あなたは、魔法使いになりたい?」


 校庭の桜吹雪を背負い、少女はオレに問いかけたのだ。

 端正な顔が春の微光に透けている。

 そのまま、桜にさらわれそうなほどに小柄な体躯。

 少女は、あまりにも現実離れした佇まいだ。

 先端が尖った魔女帽子の下には、紅の瞳。

 時代錯誤な言葉遣いも相まって、制服姿で着飾った魔女に見えた。


「魔法なんて、馬鹿げてる。ありえないよ」

「幻想の息吹は何処にでもある。沈黙に怯えないで、耳を澄ませればいいの」


 要領を得ない戯言にしか聞こえない。

 でも、魔女が紡ぐなら呪文となった。


「冗談はやめてくれ、付き合ってられない」


 強く否定したかったのに、喉が出したのは弱々しい声だ。


「わたしの〝運命瞳フォルトゥーナー〟は、あなたの素質を見抜いている」


 彼女の重たい前髪から覗く双眸が、強い光を放つ。

 変化は、劇的だった。

 一瞬、両目に灼熱が宿った。


「いっ――!?」


 直接、眼球にマグマを流し込まれたような激痛に呻き、両手で目を塞いだ。

 な、なんだ!? 慌てて目を開き、視界を確認する。

 よかった、見える。だが、安心するのも束の間。


『クラス:商人』『クラス:侍女』『クラス:格闘家』『クラス:僧侶』――

 

 視界に、異物もじが浮かんでいた。


「え、なんだこれ……?」


 周囲に視線を走らせる。

 校庭には、入学式を終えた新入生と、その親御さん達がいる。

 記念撮影に興じる彼らの頭上に、様々な色で文字が付き従っていた。

 どういうことだ? 

 さ迷わせていた視線が、目前の少女に留まる。

 まさか、と唇が戦慄わなないた。


「本当に魔法を?」


 現実にはあり得ない現象……それが、魔法。

 火を噴く竜に、空を駆ける天馬。

 彼女は、物語にしか存在しないはずの魔法を扱えるというのか……!?


「その通り、理解わかったのね。わたしの〝運命瞳〟は間違えない」


 厳かに魔女は告げる。


「〝運命瞳〟は他者のステータスを読み取るの。魂に刻まれた字(あざな)は、何者であろうと隠せない。魔法使いになる――それがあなたの辿る運命よ」

「他者のステータスを……つまり、これが〝運命瞳〟……!?」


 胸を打つ鼓動がうるさい。吐く息が乱れて、不自然に声が震える。

『クラス:■■』と、文字化けした運命の下で、現代の魔女は不敵に微笑んでいた。


「ようこそ、わたしの世界に。日野茉莉ひの まり、それがわたし」

「よ、よろしく日野……オレは火堂かどうケイ。えと、視界の情報量が多いから、出来れば止めてもらいたいのだけど」

「そう、初心うぶなの。でもダメ、わたしの華やかな姿は誰にも阻めないから」

「違う。そうじゃなくて、魔法を止めてくれ。『クラス:村人』だとか、視界を塞がれて鬱陶しいんだよ……〝運命瞳〟ってやつ」


 魔女が目を開く。

 きょとん。そんな音が聞こえんばかりに、つぶらな瞳だった。

 神秘的だった少女は困惑を滲ませ、小首を傾げていた。


「いや、日野も言ってるじゃないか……」


 視界は相変わらず、意味不明な文字が列をなしている。

 乗り物酔いをしているみたいだ。

 視界が揺れて、腹底に吐き気が渦を巻いている。

 突然の変化に頭が追い付いていないのだろう。


「魔法だと認めるよ。だから早く、この〝運命瞳〟をやめてほしい。気持ちが悪い」

「……なにそれこわい」

「えっ?」


 青ざめる魔女。オレもきっと血の気が失せた顔をしているだろう。


「だから、この文字だよ! オレの頭にも浮かんでるだろ!?」

「ひぅっ」


 縋りつくと、魔女は怯えて体を小さくした。

 目元に涙を溜めて、日野茉梨は見上げてきた。

 その目は、困惑したオレの顔を映すばかりで、決して運命なんて見えていない。


「……冗談だろ」


 話が違う! 混乱に頭が悲鳴を上げていた。

 とどのつまり。

 魔女の呪文は、全部嘘っぱちで。

 オレの勘違いは、真実になった。

 思わず仰いだ空。

『クラス:勇者』――オレの頭上。火堂ケイの運命が、見えた。

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