序章 不義

襖をあけ、目に入ってきたのは普段優しい目で私を見つめ、微笑んでくれる師父の怒りを孕んだ横顔であった。


「…何故なぜだ?私は貴方たちに協力したはずだ。訳のわからない言いがかりはやめてもらえないだろうか」


 相手を諭すように静かな声音で問いかけをする。


 我が師である王麟道は、先程まで義兄である王正華と茶を酌み交わしていたはずだ。私は金糸茶きんしちゃとつい昨日に師父が暴漢から助けた老子ろうしからお礼にと渡された茶菓子を出した後、隣の部屋で控えていた。何を話していたかは師伯※1との話しであったため聞かないようにしていたが、ただならぬ雰囲気を感じ、控えの部屋から師の書斎に入ったところであった。書斎は庭に面しており、四季折々の木草花が綺麗に植えられた庭となっている。先ほどまで、談話していたであろう二人は立ち上がっており、師伯は庭に一番近い柱にもたれていた。更に庭には剣呑な雰囲気の三人組が佇んでいた。それぞれ、初老を迎えたよわいのようで顔に年齢によるシワが刻まれている。


 師父の庭は家の奥まったところにあるにもかかわらず、門番の担当であった子弟達からは何も言伝が届いていない。一抹の不安が脳裏を過ぎった。


「五月蠅い!よくも抜け抜けと惚けおって!この華山※の恥晒しめが!」


 庭にいた一人の男が剣を抜き、高々と上げ、声高らかに叫びだした。彼らの中でいちばん若く見える。


「いくら武当派の一流達人と言えど、華山派の内情に口出ししないで頂けますかな、張松山殿」


 お会いしたことが無かったが、ああも声高らかに「華山派の恥だ!」と叫んでいて、まさか他の所属とは思わなかったために、とても驚く。だが、我が師である王麟道は張り上げられた声に全く臆さず、ただ流水のように受け流していた。


「なんと無礼な・・・!!」


「・・・そこまでにしておくのだ、麟よ。張殿は我が食客であるぞ」


 張を止めるのでは無く、義弟である師を止める王正華に不穏な気が漂う。


「師兄よ、一体どのようなお心積りでしょうか?」


 お主が邪魔になったのだ、そう小さな呟きが聞こえた気がした。


「・・・師兄よ。私は貴方の目的における障害にはなりえない」


 我が師父は華山派一派において特殊の立ち位置にあった。華山派において、様々な武功を極めているだけでなく、中でも独自に編み出した武功である『金華清麟闘棍きんかせいりんとうこん』は棒術において比類無しと武林で言わしめる程の武功であった。棒術を極めたいと思う人間が少人数マイナーであることを除けば、同じ位に位置する武人とは隔絶していると言われる程だ。


「麟よ。お主は華山における禁書となった武功の1つである『聖骨死転義せいこつしてんぎ』を盗んだ疑いがあるのだ。我らが師であった王麟華の言葉を忘れたか!!」


義兄上あにうえよ。忘れてなどおりますまい・・・華山の教えを尊び、太平の為に事をなし、己の内なる正を貫け、と」


「そうだ。お主はその教えを裏切り、我らが師の名誉に傷をつけたのだ!」


「師兄っ・・・くっ」


 返答を返すこと無く、突如、師父が膝を折る。師父の苦しそうな咳とともに血溜まりが出来る。

 喀血した師父の気が休息に漏れていくのを感じた。師の義兄である王正華はそれを見てほくそ笑んだ。


 何故だ!先ほどまで茶を酌み交わしていたではないか!


 隠れて見ているどころでは無い。師父側の襖を開け、駆け寄ろうとする。


「師父!?・・・まさか、毒!?王正華殿!華山派の恥晒しは一体どちらか!!」


 慌てて駆け寄る私を手で制する師父。師父からかつて無いほどの闘気を感じる。


 そして、片膝を付きながら静かな目でこちらを見る。私にだけ聞き取れるように零れる吐息とともに告げた。


『屋敷をすべて燃やすのだ、しん。そして、なんとしても生きろ』、と。



 脱兎の如く駆け出した。


 師父はこの場で、瞳の奥底から感じた刹那の訴えで、我が師である王麟道が何を考えているのか理解した。


 一流の達人以上が四人。私では足手纏い。目的は師父の命、そして、新たに執筆した武功、『金華清麟闘棍』だろうか。


 窯の火がまだついていたはずだ。そこから書庫へ行けば一刻もかからぬはず


 その後は必ずや…!


 ――――





 王正華は消える義弟の弟子に一瞥し、後ろの張らに目配せをした。


 その目配せに庭にいた三人が脱兎のごとく家内に消えた秦を追った。


「ぐっ、もはや言葉は不要なり、義兄よ。せめて貴方だけでも。不殺の誓い破ること厭わぬ。そして、我が弟子である秦だけでも生かさねばならぬ」


 そう言って、書斎の神棚に納めていた1m以上はある杖を手に取る。


 王麟道の呼吸は荒く、不規則。しかし、目の奥底には不屈の心が宿っていた。


「まだ、私を兄と呼ぶか。愚かなり。カカッ!お主の記した武功は私が受け継ごう。安心して逝くが良い。神杖の名もついでに貰っておくとしよう。後世にその技を残さぬのはちと惜しい」


 そう言って王正華は腰に差した剣をゆっくりと引き抜いた。


 そののち、邂逅。


 二人の距離は一瞬にして、近付き、鍔迫り合いが火花を散らす。


 正華の持つ鋼の剣と木で出来た杖が鍔迫り合いをなしていたのは麟道の身体と杖を包み込んでいる金の靄が要因だろう。


「それが刀剣と打ち合うために作った『金華清麟闘棍』の金剛か」


「義兄よ、最早語る事は無い」


「然り」


 一合、二合、三合と。二人の打ち合いは隙が無い。麟道は流麗や変幻自在な杖術で突き、払い、薙ぎを繰り出す。


 それに正華は時に距離を置き、時に迫り、難無く対応する。


 拮抗。その一言が頭に浮かぶ。


 だが、その言葉は正華にとって、利でしかなく、麟道にとっては不利でしかない。


「くっ!ゴホっ、ゴホっ…」


 吐血し、苦しい表情を浮かべる麟道に容赦なく降り注ぐ剣雨。達する剣先が麟道の右腕の二の腕を切り裂いた。


「くっ…!」


 深く切られたであろう右腕を庇いながら、後ろに下がる麟道に追撃をかける正華。


 鋭い殺気のこもった剣先に迷いは無く、紫炎のように浮かび上がる闘気。


「なんと!…まさか、義兄よ。華山の紫閃神功を!その武功は掌門人※3の許可無く、取得することを固く禁じられているはず!!一体どうやって!」


「・・・許可などと言って居られなくなるだろう。華山の老いた爺どももいずれ否が応でもわかる」


「何を戯けた事を!ゴホっ・・・道理を失って進む正道に何があると、言うのだ!」


 その言葉に一瞬、正華は苦しそうな表情を浮かべ、キツく愚痴を結んだ。


「最早、語る事無く。とく眠れ」


 紫煙の剣先が金色の影を貫いた。



―――――――

※1 自分の師父の兄弟子のこと

※2 華山派:武林正派の名門一派の1つ

※3 掌門人:門派の偉い人。門派は道場のようなものであるが、一子相伝や純粋に才ある者に教えを受け継ぐといった様々な考え方や継承の門派がある。

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