嘘の代償⑪




―――・・・これで、よかったのかな。


次第に小さくなる雷の背中を見ながら、真鈴はブランコまで歩いた。 乾いた風が流れ、少しずつ気持ちも落ち着いていく。 真鈴は明日になれば、雷のことも全て忘れてしまう。

長く一緒にいれば、別れが苦しくなるのは最初から分かり切っていたことだった。


―――嘘はついていないんだけど、突然過ぎて驚かせちゃったよね。


「あはは」


小さく笑ってみると、涙が溢れ目じりへと流れていく。


―――・・・あれ、おかしいな。

―――これでよかったはずなのに、どうして悲しいんだろう。


思えば真鈴は、雷に出会った時から嘘を吐いている。 買い物へ行くというのも、名乗った名前も全て嘘だ。 『初対面の相手には、優しい拒絶をした方がいい』と、ノートに書かれていた。 

だから、それを実行したまでだ。


―――・・・雷の嘘、楽しかったな。

―――優しい嘘だとしても、私の嘘はあまり好きじゃないや。


ブランコを漕ぐ力が、少しずつ弱まっていく。 結局は、こんな悲しい気持ちも今日一日の楽しかったことも、明日になれば全て忘れてしまうという事実を思い出してしまったのだ。

心に負担がかかったのか、呼吸も次第に乱れ始めていく。


「真鈴!? 帰ったんじゃなかったの?」


そんな時に現れたのは“唯一の友達”と言っていい美樹だった。


「え・・・? 泣いてるの? どうしたの、何かあった?」

「ううん、大丈夫。 心配かけてごめんね。 それより、美樹こそ塾じゃなかったの?」

「今日はテストの返却だけだったから、早く終わって・・・。 って、私のことはどうでもいいよ! 何があったのか教えて?」

「あ、うん・・・」


美樹が隣のブランコに座るのを見て、真鈴は小さく地を蹴る。 ブランコを漕ぎ心を落ち着かせると、美樹に雷とのことを全て話した。 

美樹は最初は静かに聞いていたが、後半になるにつれ怒りを露わにし始める。


「はぁー!? 何それ! 自分が嘘つきだからって、真鈴のことも嘘つき呼ばわりしてんじゃないよ!」

「いや、でも、私も色々と嘘をついたし、ぼかしながら話したこともあるし・・・」

「真鈴はいい子過ぎるよ。 だって、本当のことなんて言えるわけないんだもん」


美樹はブランコを漕ぎながら、落ちていた石を蹴り飛ばした。 前方に誰もいないのを確認しながら蹴ったのは、彼女らしいと言えるだろう。

二人がブランコを漕いでいると――――突如、公園へ向かって走ってくる足音が聞こえた。 ――――雷だ。 真鈴が顔を背けたのを見て、美樹はそれが話で聞いていた“雷”という少年だと察した。


「おーい! って、いたッ!? いきなり何をすんだ!」


美樹はブランコから飛び降りると、向かってくる雷の頬を思い切り叩いたのだ。


「何をすんだ、じゃないわよ! アンタ、自分が何をやったのか分かってんの!?」

「は・・・、え・・・? っていうか、お前、誰だよ」

「私は、ま・・・。 百合の親友の、美樹ってもんだけど!」

「親友・・・?」


真鈴も慌てて二人のもとへ向かうが、何故か身体が思うように動かず遅くなってしまう。 雷は頬を押さえながら目をパチクリとさせ、美樹と真鈴のことを見比べていた。


「そうよ! 百合から話は全部聞いたわ。 勝手に嘘つき呼ばわりをして、勝手に幻滅をして、それがどれだけ相手を傷付けたか分かる!?」

「だって、それは、百合が『明日にはいなくなる』とか言うから・・・」

「ちょっと待って、二人共」


ようやく真鈴は、二人のもとまで辿り着く。 それを見て、雷は深く頭を下げた。


「さっきは本当にごめん! 俺、頭に血が上っちゃって言い過ぎた。 美樹・・・の言う通り、勝手に嘘つきって言い切っちゃって。 百合のこと、全然考えられていなかった」

「・・・! アンタ、もしかして謝りに来たの?」

「あぁ」

「嘘・・・。 ご、ごめんなさい。 私もいきなり、叩いちゃったりして・・・」

「いや、いいよ。 逆にスッキリした。 本当は、百合に叩かれるのを覚悟していたし。 って、百合の気も済まないなら、こっちの頬が空いているから叩いてもいいけど・・・」


雷の左頬は見事な紅葉、という程ではないが赤く染まっている。 百合としては、人を叩くなんてことは考えられなかった。


「私も、言い方が悪かったと思う、から・・・。 ゴホッ、エホッ」

「・・・?」

「あ、え、どうし、たんだ、ろ・・・」


話している途中から、真鈴の顔が見る見るうちにを青ざめていった。 額には汗が浮き、駆け付けた美樹が真鈴の身体を支える。


「ちょっと! 真鈴! 真鈴! 大丈夫!?」

「・・・息、できなッ・・・」

「嘘、どうしよう・・・! 雷くん、誰か大人の人を呼んできて!」

「あ、う、うん! 分かった!」


雷は、近くの大人に声をかけにいった。 そして真鈴と美樹は、救急車で病院へと運ばれていく。 雷も一緒に行きたい気持ちはあったが、今日初めて会った人たちのため同乗することは難しい。

美樹は真鈴の詳しい事情を知っているということで、同乗する必要があったのだ。


「俺の、せいだ・・・」


真鈴――――雷は未だに百合だと思っている――――が『明日にはいなくなる』と言ったのを憶えている。 

その時は現実感がなく、嘘つき呼ばわりをしてしまったが、今となってはそれは真実だったのだと思い知った。 もちろん、本当の事情は違う。

真鈴は全てを忘れてしまうため“今日の自分は明日にはいない”という意味で言ったのだ。 雷に、それを知る由はないのだが。


「そう言えば、これを見せに戻ってきたんだっけ」


雷の手には、冊子が握られている。 今となってはどうでもよかったが、虚ろになった感情を埋めるため雷はゆっくりと冊子を開いた。


“黒は、赤が白を庇うのが許せなかった。 呪術師であると思い込んでいる白の仲間の赤も、次第に呪術師なのではないかと思い始める。

 そして黒は赤を監禁し、今度は白に『赤が白の悪い噂を流している』と吹き込んだ。 それを繰り返しているうちに、黒は村の人間も含め誰も信用できなくなっていく。

 嘘を吐き続けることで、嘘と真実の区別がつかなくなってしまっていたのだ。 誰からも信用されなくなった――――そんな時、山で大きな火事が起きた。

 乾いた枝から他の枝へと燃え広がり、瞬く間に炎は広がっていく。 夜だったこともあり、村人は火事に気が付かなかった。 白と村の間を行き来して、たまたま起きていた黒以外は。

 黒は慌てて村人を起こそうとしたが、誰も黒の言葉を信じてはくれない。 赤は、黒の言葉を聞こうともしなかった。 だから黒は、白のところへ助けを求めにいく。

 白も、自分のことを信じてはくれないかもしれないと思ったが、他に縋るものがなかったのだ。 それに白は、黒が嘘を吐いていることを知っている。 それでも、深夜にやってきた黒の話を聞いてくれた。

 もちろん、ただの人である白に火を消すことなんてできないが、村人を避難させることくらいはできるだろう。 最終的に白は、家宝の像を握り締め村へと走ってくれた。

 そして何とか村人を起こし、鎮火することに成功したのだ。 だが多くの家が燃え落ち、死傷者も多数出た。 そしてその原因が、後に呪術師であると疑われていた白と赤のせいになる。”


感情の隙間を埋めようと思い読んでみたものの、雷はそれ以上の衝撃を受けるしかなかった。


―――・・・俺と同じだ。

―――嘘つきだから、人を信用できなくなって・・・。

―――そして、白まで巻き込んだ。


雷は大きく深呼吸し、更に先を読み進めていく。


“黒は必死に、火事の原因が二人ではないと声を上げた。 ただ火事の理由を知らなかったのも事実だ。 だが元々の信用のなさもあって、黒の言葉を信じる人間は誰もいなかった。

 だから広場で吊るされた二人を見て、火事を起こしたのは自分だと嘘を吐く。 村中誰も自分のことを信じてくれず、それを恨んで火を点けたと嘘を吐いた。 黒は殴られた。 村人全員に殴られた。

 ――――それを白と赤は、黙って見つめていた。 瀕死になった黒は二人のもとまで這いずり、最期の言葉を伝える。 『今まで嘘を吐いて、悪い噂を流していたのは自分だ。

 だから二人は呪術師なんかじゃない。 俺が唯一、この村に生きてはいけない存在だった。 今まで本当にごめん。 そして、最後に本当のことを言えてよかった。 ありがとう』

 そう言い残し、黒は死んだ。 白は黒を見て涙を流し、赤は一人顔を青ざめさせていた。 ――――山火事の原因を作ったのは、赤だったのだから”


そこまで読んだところで、雷に声がかかる。 先程会ったばかりであるため、忘れるはずがない。


「雷くん・・・」

「え? あ、えっと、美樹さん・・・だっけ」

「いいよ、呼び捨てで」

「じゃあ、俺も呼び捨てでいい。 美樹は、百合のところへ行ったんじゃなかったのか?」

「・・・百合ね。 病院まで行ったよ、ご両親を呼んで。 でも私は、友達だけど家族じゃないから」

「あぁ・・・」


美樹は雷の座るベンチの端に、ちょこんと腰をかけた。 もう日は沈んでいるが、まだそれなりに明るい。 それでも公園で遊ぶ子供たちは、もうほとんど残っていなかった。


「あの子『明日にはいなくなる』って言ったんでしょ?」

「そんなに、身体の調子が悪いとは知らなかったんだ」

「そうじゃないの。 信じられないかもしれないけど、あの子、明日になると今日のことは忘れちゃうのよ。 ううん、そんな生易しいもんじゃない。 なかったことになるって言った方が、正しいのかな」

「え・・・? それはどういう」

「私も、詳しくは分からないんだけどね。 眠って朝起きると、それ以前のことを全て忘れてしまうらしいの。 だから次に雷が会った時には、あの子はもう今日のことは憶えていない」

「嘘だろ・・・」

「嘘じゃない。 だって、私はもうずっとそれを繰り返してきているんだもん。 ・・・だから、気付けなかった。 あの子の脳は記憶を消してしまうけど、心と身体は毎日すり減っていたの。

 お医者さんが、さっきそう話してた」

「やっぱり、俺のせいで・・・」

「違うの。 そういうことを言いたいんじゃない。 あの子ね、といっても私も原因かもしれないけど、外では他の人とはあまり関わらないようにしているんだよ。

 記憶を失うから、多くの人とは仲よくなれないんだよね。 周りから酷いこと言われて、庇ったことも何度もあるなぁ」


美樹はそう言いながら、空を仰いだ。 雷も何となく続いてみると、星が一つキラリと光る。


「なのに雷と仲よくしたって聞いて、驚いたのと同時に嫉妬もしちゃってね。 ・・・って、私、何を言っているんだろ」

「・・・」

「叩いたのは、そういうのとかあの子が傷付けられたとか、色々とぐしゃぐしゃになっちゃって・・・。 って、そんなのはただの言い訳だよね」

「いや、叩かれたのは逆によかったって思っているから」

「あはは。 ほっぺ、まだ赤いよ? それに、まぁ、あの子はアンタのことを気に入っているみたいだしさ。 これ、相当珍しいことだからね? 

 さっきも言ったけど、基本知らない相手は拒絶するようにしていたから」

「・・・うん、俺が最初強引に誘ったから」

「でも、あの子は雷の言葉で笑ったって言ってた。 私はあの子の笑顔が一番好き。 だから、まぁ明日には忘れちゃうけど、それでもあの子とこれからも仲よくしてほしいなと思って。

 もちろん無理強いはしないし、一番の座は絶対に譲らないけどね!」

「何だよ、それ・・・」


と言いながらも、雷自身悪い気はしていない。 ここ最近で、まともに話せる相手は誰一人いなかった。 真鈴と一緒にいた時間は自分も楽しかったし、美樹のことも好印象だ。


「まぁ、話はそれだけ・・・。 っと、何だろ?」


美樹は携帯を取り出すと、操作をし始めた。 雷は携帯を持っていないため“羨ましいなぁ”と能天気に考えていたのだが、美樹の顔が青ざめていくのを見て動揺した。


「嘘ッ!? 真鈴の容体が急変したって!」


「え・・・」


美樹は勢いよく立ち上がると、そのまま走り去っていく。 雷はよく分からず、その場に取り残されてしまった。


―――真鈴って、誰だ・・・?

―――さっき病院へ行ったのは、百合だし。


“さっき美樹が言っていただろ。 知らない相手は、拒絶するって。 だから、百合っていう名前は偽名だったっていうことだろ?”


その心の声にハッとしたが、もう既に美樹の姿はどこにもない。 どの病院へ行ったのかも、聞いていなかった。


「やっちまった・・・。 百合・・・。 いや、真鈴か。 ・・・大丈夫なのかな」

“大丈夫なら、あんなに慌てていくはずがないだろ。 それより、雷。 お前、真鈴っていう名前を聞いて何も感じないのか?”

「どういうことだよ?」


“お前は憶えていなくても、お前の心である俺は憶えているぞ。 ・・・あの時、酷く傷付けた幼馴染の少女の名前と一緒だからな”


「ッ、真鈴・・・!?」


“多分、真鈴の両親が言ったあの時の言葉を叶えるため、ここへ戻ってきたんだろう。 真鈴は何も憶えていないんだから、気付かなかったお前が悪い。

 見た目が随分変わって可愛くなったからかもしれないが、確かに面影は残っている”

「嘘だろ・・・。 だって、真鈴は、え・・・?」


雷は混乱していた。 頭の中がぐるぐると回り、なかなか整理ができない。 幼馴染の彼女のために嘘を吐いていたつもりが、最終的には自分のために嘘を吐くことになった。

そして“もう二度と出会うことはないだろう”という思いで、彼女のことを忘れてしまっていた。


「待ってくれ、百合が真鈴? あの時の? そんな、嫌だ、嫌だ! もう彼女を失いたくない。 全ては俺のせいだ、全部俺のせいなんだ!」


雷の目から、ボロボロと涙が溢れ出した。


「もう嘘は吐かない! 何でもするから! 白でも黒でも赤でも、誰でもいいから俺の願いを聞き届けてくれ!」


“その言葉、確かだな?”


「え・・・」


心の声とは明らかに違う声音を、確かに聞いた気がした。 その時、突然持っていた冊子から溢れんばかりの光が飛び出し、雷の全身を一瞬で包み込む。 訳が分からず、頭の中は完全に真っ白な状態。 

そのまま温かい光の中で、雷は自然と意識を手放した。






“赤が火事の原因といっても、昼にただ芋を焼いていたというだけだった。 それが火元だったと、確信があったわけではない。

 ただそれでも村の惨状と死んだ黒を見て、赤は罪の意識に苛まれ、この先、生きていくことを拒否してしまった。 黒と赤のいなくなった世界で、白はひたすら泣く。 結局、何が悪かったのだろう。

 黒が嘘を吐いたことだろうか? 赤が村にやってきたことだろうか? それとも――――白が像を拾った日から、全てが狂っていたのだろうか。 白は握り締めた像を叩き壊そうと、腕を振り上げる。

 だが、できなかった。 “白の運がよくなったのは像のおかげ”というのも、根拠のない仮定の話だ。 それに白自身“像のおかげでここまで上手くやってこれた”という恩も感じていた。

 今更それを、全てぶち壊すことはできなかったのだ。 だが、このまま一人生きていくことを選ぶこともできない。 

 像の力が本物なら、最初で最後、自分が本当にほしいことを一つだけ叶えてくれてもいいのではないかと思った。 そこで“全てはあの日、像を拾ったあの日に戻ってやり直したい”と願う。

 “その言葉、確かだな?” どこからともなく響いた声が、確かにそう言ったのを白は聞いたのだった”



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