太陽は夜を消し去り月をも照らす

どわるふ

第1話 偶然の邂逅

「ごめんなさい。架希みつきくんとは付き合えないや。私は架希くん違ってやりたいことがあるから。…それじゃ。」

 二十歳の冬、十六夜いざよい架希みつきは一年間付き合った先輩にフラれた。

 こんなに感情が揺さぶられるのは去年、先輩に告白した時以来だ。自分に非があるし、しょうがないということもわかってる。それでもやるせなくてむしゃくしゃしてしまう。そしてそういう自分が嫌になる。そんな感情を全部すっきりさせるために、僕はパチンコ屋に向かう。

 架希には嫌なことがあると散財したくなる癖がある。だからこんなに嫌になることがあったんだからたくさん使うぞと意気込んでパチンコを打ちに行く。

 どの台を打つか店内を散策している時に、

 ――見つけてしまった。

 ――出会ってしまった。

 感じたことのない衝撃が体中を駆け巡る。

 人生で初めての一目惚れというやつだ。

 長く伸びているが綺麗に整っている茶髪。すらっとした長い脚。整った顔立ち。なにより奥ゆかしさすら感じてしまうほどの煙草を吸っている姿に惚れてしまった。

 思考というものが機能する前にその女性に声をかける。

「よろしければ僕とお付き合いして頂けませんか!」

 二人の間にのみ流れる静寂。自分が今何をしたのかやっと理解する。

 押し寄せてくる羞恥心と恐怖心。そのふたつが架希の理性に届く前に女性が「名前は?」と尋ねてくる。

 届いたそのふたつの感情を受け入れながらも表に出さないように名乗る。

「十六夜 架希です」

 名前を聞いた女性が

「そうか。そういうこともあるのか」

 何かをわかったかのようにそう呟く。

「いいぜ。付き合ってやる。名前は暁星あけぼしひなただ。よろしくな」

 状況が咀嚼ができずぽかんとする。

 そんな僕のことなんて気に留めないでこの暁星陽と名乗る女性は話を続ける。

「恋人になったんだ。架希、お前の家に泊まらせてもらうぜ」

 自分の名前を呼ばれ、やっと状況を理解する。何なんだこの人は。もしかして自分はとんでもない人に声をかけてしまったのではないか?

 そう考えを巡らせている間にも陽は店を出る準備を進めて行く。

 呼び出しボタンを押したところでやっと陽が架希に意識を向ける。

「どうしたんだ?ここじゃなんだ、さっさと店を出るぞ」

 店員がやってくる。

 架希は言われるがまま彼女について行く。

 換金を済ませ店を出たところで

「おかしいですよ!急に告白されてOKして、その上に家に泊まろうとするなんて!」

架希が声を荒げる。

「だって仕方ないだろ。泊まれるとこ探すのめんどくせえんだから」

 ほんとにどうなっているんだ。泊まれるのなら自分がどうなってもいいっていうのか?

 目の前にいる一目惚れしたはずの女性の倫理観を疑っていると

「それにタダで泊めてくれそうな顔してるし」

 ――唖然。

 そして失望。

 なんて人に一目惚れをしてしまったんだ。一度でもこの人に心がときめいてしまった自分が恥ずかしくなる。

「それじゃ、案内してもらうぜ。家はどこなんだ?」

 どこまでもマイペース。

「ちょっと待ってください!本当に泊まるんですか!?」

 そんなマイペースに歯止めをかけようと話を切り出す。

「そうやって年下の男をからかって遊ぼうとしてるんですよね?」

 こんなことあるわけない。僕は悪い大人に声をかけてしまったんだ。だっていきなり見ず知らずの人に告白されてOKするなんてそんなの考えられないから。

 これは何かの間違いだ。そんな風に自分に言い聞かせていると

「私は嘘をつかないぞ。本気だ。というかホテルに泊まれる金がないんだよ。だから泊まらせてくれよな。」

 本気だったみたいだ。自分のことが信用できなくなる。

 ただその時架希は一つの矛盾を見つける。

「さっきパチンコで稼いだお金で泊まればいいじゃないですか!」

 やっぱり嘘を吐いてからかおうとしていたんだ。

「いや、買うものがあるから金使えないんだよ。」

 泊まる宿より優先するものって一体何なんだ…

「というかそんなに女を泊めるのは嫌か?」

 ぐっ…痛いとこを突かれる。僕の理性はフラれてすぐに女を泊めるなんてそれこそ倫理観のネジが外れている人間のやることだと主張してくる。しかし男という生き物が持つ本能には逆らえない。 

「嫌では…ない…です」

「なら決定だな。泊まらせてもらうぜ」

「OKといったわけじゃっ」

「この状況で否定しないのは肯定と一緒だ」

 押し負けてしまった。こういう風に押されると流されてしまうのは僕の良くないところだ。

「それで架希の家って?」

「二つ先の駅から少し歩いたところにあるアパートです。」

 陽の質問にしぶしぶ答える。

「アパートの近くにコンビニってあるか?」

「駅から近いのは便利なんですけどコンビニは近くにないんですよね」

「じゃあそこにあるコンビニによっていいか?なんか買ってやるから」

「別に構いませんけど。何か欲しいものがあるんですか?」

「さっき言ってた買う物を買いたくてな。」

 コンビニで買えるもので宿より優先するものって…?


「ありがとうございましたー」

 店員の声を背に、呆れながら外へ出る。この人はどこまでもダメ人間みたいだ。

 袋いっぱいに詰められたタバコの山。

「なんで宿よりタバコを優先するんですか!?」

「なんでそんなに怒ってるんだよ…早死にするぞ?」

 そう言いながら買ってくれた肉まんを渡してくる。

「そんなにタバコ買ってどうするんですか。そっちのほうが早死にしますよ。…肉まんありがとうございます」

「泊めて貰うんだ、それくらいどうってことはないさ」

 そう言いながら袋から今さっき買ったタバコを取り出し、箱を開け煙草に火をつける。

 その仕草ひとつひとつが美しい。

 その煙草を吸う姿に目を奪われてしまう。

 やっぱり自分はこの人に惚れてしまったんだと自覚する。

「食わねえんならもらっちまうぞ」

 そんな風に見とれていたら、タバコを吸い終わった陽さんに肉まんを食べられた。

「やっぱりこのコンビニの肉まんは美味いな」

 ほんとにこの人の感覚はどうなっているんだか。このまま食べたら関節キスになってしまう。食べづらくなってしまった。

 そんな僕の心を察したのか

「意外に可愛いとこあるんだな」

 そう言い、ニヤニヤしながら僕の顔を見てくる。

「なっ…!」

 恥ずかしさで顔が赤くなる。そんな僕の顔を見てまた陽さんがニヤニヤする。早くごまかさないと。

「ほ、ほら!さっさと家に帰りますよっ!」

「わかったよ」

 そういう陽さんの顔はなんだか少し嬉しそうに見えた。


 

 陽さんは家について椅子に入るとすぐにまたタバコを吸い始めた。この人は相当なヘビースモーカーみたいだ。僕もコップと水を机の上に置いて椅子に入る。

「一人暮らしか?」

 部屋を見回しながら聞いてくる。

「見たとおり一人暮らしです」

「だから家事もできてるのか」

 僕は大学に入ると同時に一人暮らしを始めた。それ以来家事をするようになって、今では一通り家事はできるようになった。

「陽さんは家事はできるんですか?」

 コップに水を注ぎながら質問する。

「私は全部からっきしだな」

「じゃあ家事は家族に任せっきりですか?」

 とりとめのない質問を返す。

 しかしそこで陽の雰囲気がガラッと変わる。表情は悲しげで唇を噛んでいる。

「家族は…な…」

 もしかしなくても僕はデリケートな部分に踏み込んでしまったらしい。

「…晩ご飯、どうしますか?」

 話題を変えるべく晩ご飯の話を切り出す。

「悪いな、飯まで世話になるなんて。お任せするよ。ああ、あとどうして私なんかに告白したんだ?」

 そんな架希の意思を汲み取ったのか雰囲気に変えようと今度は陽から話を切り出す。

「……一目惚れというやつですよ」と顔を赤くしながら小さい声で質問に答える。

 なんというか…照れくさい。

「ハハッ!なんて可愛らしいやつなんだ」

 陽から自然な笑顔が溢れる。

「もう笑わないでください!でも…元気になってくれて良かったです」

 笑顔になった陽を見て架希も笑顔になる。

「悪かったな。見苦しいとこ見せて。」

 そう言いながらタバコを灰皿にこすりつける。吸い終わったみたいだ。と思ったらまたタバコを箱から取り出した。やれやれと思いつつも、その煙草を咥える艶かしい唇に劣情を覚えてしまう。


 ――刹那


 気づいた時には机と椅子は壊れ自分は尻餅をついている。目の前に陽が立っていて、手にはタバコではなく短刀を持っている。ベランダへ続くガラス張りの扉は割られ、その先にはアニメとか漫画の世界で見るような無機質で腕が刃物になった人形が現れていた。

 状況が理解できない。自分は今、夢でも見ているんだろうか?そういう現実逃避のような思考を陽の声が一蹴する。

「立てるか?このままじゃ死ぬぞ」

 やっと理解する。今いる立場を。命の危機が迫っていることを。このままでは死んでしまうということを。

 恐怖に怯えながらも立ち上がる。

 同時に謎の人形がこちらへと向かってくる。

「逃げるぞ」

 その言葉を認識した時には自分の肉体はもうアパートの中にはない。宙に浮いているようだ。

 怖い。

 言葉を失う。唾を飲み込むことしかできない。

 宙に浮いているから怖い。謎の人形に襲われているから怖い。 

 ただ恐怖という、曖昧だか確実に在るものが架希の心を蝕む

 だがその恐怖を認識したときにはもう自分の肉体は宙から消え去っていた。自分たちが寂れた人気ひとけのない公園に降り立っていることに気づく。

 追いつかない。なにもかも。目も理解も認識も。

 その追いつかない理解をなんとか咀嚼し終わったのと同時に目の前にさっきの人形が現れる。

「ここなら大丈夫か」

 陽が呟きながら煙草を取り出すと、その煙草を短剣に変える。

「離れていろ」

 言われたとおりに後ずさることしかできない。

「久しぶりだな。こういうのも」

 煙草を短剣に変えたように、人形が腕を刃物に変え陽に向かって襲いかかる。

 陽は眉をピクリとも動かさずに短剣で軽く振り払う。 

 その軽いひと振りで人形が後方に大きく吹っ飛ぶ。

 ムキムキのプロレスラーでもできないようなことを大人の女性が淡々とやってのける。

「この程度か…大したことはないな」

 これが大したことじゃないだって…

 架希はこの時やっと自分と陽が生きてきた世界が違うんだということを本能で理解する。

「さっさと終わらせようか」

 吹っ飛ばされて動けなくなった人形を一瞥。

 そして胸ポケットから煙草の箱を取り出し、真上に投げる。飛び散る煙草たちすべてを一瞬でさっき作ったような短剣に変化させる。変化した短剣たちは下へは落ずに重力を超越したかのように空中で留まっている。

「終わりだ」

 そう呟きながら腕を一緒に振り下ろす。と同時に空中で留まっていた短剣たちが一目散に動けなくなった人形に飛んでいく。その一本一本それぞれがすべて人形の体、頭、腕、脚に命中する。もちろんノックアウト。もう動くことはできない。

 動かなくなったガラクタに陽が近づき手をかざす。

「眠れ」

 人形が短剣たちと共に跡形もなく消え去ってゆく。

「どういうことですか!?」

 架希が掠れさせながら声を上げる。

「後で説明する。追ってが来る前に逃げるぞ」

 冷めた声で、淡々と告げる。

 陽が近づいて、架希の手を掴む。

 少し照れくさくなってしまう。中学生か僕は…

「喋るなよ。舌を噛むから」

 その言葉で気が引き締まる。

 警告してくれればなんとか陽さんの超人的なスピードにもついていけるかも…

 ――なんてことはなかった。

 次、認識した時にはもう見知らぬ廃墟の前に立っていた。

 ほんとに自分は地球に存在しているのだろうか。異世界にでも飛ばされてしまったのか。やっぱり夢でも見ているんじゃないのか。

 そんな風に夢物語を想像していると

「で、今のがどういうことかだが…。聞いているか?」陽さんが話し出す。

 僕は頭を横に振って意識を現世へと呼び戻す。

「まずは最初に謝らなきゃいけない。ごめんなさい。十六夜架希、君を魔術の世界に巻き込んでしまって」

 魔術の世界?なんだそれは。ほんとに夢物語じゃないか。

「謝るって言われても…」

 自分は陽さんに謝られることをされたという認識はない。寧ろ自分が足を引っ張ってしまったんじゃないかと不安になるくらいだ。

「寧ろ僕が陽さんの邪魔をしてしまったんじゃないかって…」

「安心しろ。あの程度の敵どうってことはない。…そうだな。まずは魔術の世界について説明しなくちゃいけないな。そもそも魔術というのは人知を超えた力、人を殺めることすら簡単にできてしまう恐ろしい力だ。こんなものが世界に知られてしまったら世界は無法地帯になってしまう。だから魔術使い達は魔術を秘匿しようとするんだ」

 確かにあんなものを世界中の誰もが使えるようになってしまったらほんとに世界が滅んでしまうかもしれない。

「つまり魔術を知ってしまった一般人がいる場合、その一般人は魔術の秘匿のために殺されてしまう」

 青ざめる。一瞬で自分の立場を理解する。…殺される。

「私は殺したりしない。ただ、この街を管轄している魔術使いは黙っていないだろう。そいつからは命を狙われる。確実にな」

 そこで架希の頭に一つの疑問がよぎる。

 僕は魔術なんてものを知らなかった。なのになんで僕は襲われたんだ?

「だから私は謝らなきゃいけない。私もこの街の管轄者の怒りを買ったお尋ね者でね。そのせいで架希を巻き込んでしまった。私が架希に関わってしまったばかりに。だから…」

 切なそうに、申し訳なさそうに。

 煮え切らない。最初に話しかけたのは僕だってのに。

「謝らないでください。陽さん。最初に話しかけたのは僕です。これは僕の自己責任です」

 女性にこんな顔をさせるなんて男が廃る。

「優しいな架希は。私も誠意を見せないと」

 陽の雰囲気が切り替わる。

「私が守りぬくのが筋というものだが…私が非力な故だ。受け入れてくれ」

 淡々と、重々しい声で話し出す。

「選べ架希。何もせずに何もわからず殺されるか、生きながらえるために人の道から外れた力を身に付け澱みきった世界で朽ち果てるまで足掻くかを」

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