あにいもうと、そして『彼女』

冷門 風之助 

其の一

『もうじき私達、式を挙げます。そのためにはどうしても出席してもらいたいんです。お願いです。兄を探して貰えませんか?』


 事務所に入り、俺が勧めたソファに座るなり、彼女は隣にいるパートナーの手をしっかりと握って、俺にそう言った。


 目の前の光景を眺め、普通ならば戸惑ってみせるべきなんだろうが、ここは華の都大東京のど真ん中、新宿四丁目である。

 ここには何でもある。

 そしてどんな人間でもいる。


 だから俺みたいな商売も成り立つという訳だ。

 従って、各別驚くほどでもない。


 俺はまず二人にコーヒーを勧め、それからいつもの決まり文句を告げる。

『探偵料は一日六万円、他に必要経費。もし拳銃など武器が必要な荒事なら、先にそう言ってくれると助かります。危険手当として一日四万円の割増しを付けます。引き受けるか引き受けないかは、まずお話を伺ってからということで如何ですか?』


 俺の言葉に、二人は握っていた手を離し、目の前の卓子テーブルに置かれたカップを包むようにして持ち、殆ど同時に琥珀色の液体を啜ってから、やはり同時にうなずいた。


『私と兄とは、13歳離れています。』彼女がカップを下に置き、また隣のパートナーの手を握り、話を続ける。


『両親は私が中学校の一年の時に相次いで亡くなりました』


 一言、一言、間を置きながらゆっくりと話す。


 ブルーのプルオーバーにブラウンのジャケット、ひざ下10センチまで隠れるフレアスカート、心持ち丸顔で、セミロングの髪を肩の辺りでカールしており、大人しやかに見える。

 名前は倉橋美奈子といい、歳は22歳だという。


『その後は兄が、たった一人で私を親代わりで面倒を見てくれました。兄は優しくて、頼りがいのある人で、成績もスポーツも優秀だったのに、私のために上の学校に進学するのを諦めてくれたんです』


 そういって彼女はハンドバッグから携帯を取り出し、画面をスクロールして写真を見せてくれた。


 彼女が小学校の卒業式に写した写真だそうだ。


 三つ編みにした髪を両方に分け、白いネッカチーフのセーラー服姿、そしてその隣にいるのが、背広姿の際立って背の高いがっしりした男性。

これが彼女の兄、倉橋大吾だという。


 太い眉、太い首、しっかり結んだ口。意志の強そうな眼差し、今時の20代で、これほど逞しくて、一見しただけで頼りがいのあると思わせる男性が、果たしてどれくらいいるだろう。


『兄は私のために自分の全てを犠牲にし、身を粉にして働いてくれました。でも、今時のことです。学歴がないとなると、就ける職業も限られてきます。』


 そのためもあろう。悪い事とは分かっていたものの、悪事に手を染めるようになり、警察の世話になり、前科持ちになってしまった。


 美奈子は兄が罪を犯したのは知っていたが、決して恨んだり憎んだりということは出来なかった。

『兄さんがこうなったのは、全部私の為だったんです』


 何度目かに逮捕された時、彼は妹の前から姿を消した。


 美奈子は必死になって兄の行方を捜したが、彼は完全に連絡を絶っていたので、ようとして行方は知れなかった。


 そうしているうちに、彼女は職場で知り合ったパートナーと愛し合い、いつしか同棲するようになったという。


『それがなんです』


 美奈子は隣に座っているショートカットで、紺のパンツスーツに身を包んだ。彼女より心持ち背の高いその女性を見た。

 早坂あづさといいます。そういって俺に丁寧に頭を下げる。


 もとより日本では同性同士の結婚はまだ認められてはいないが、自治体によっては”内縁関係”の同性カップルにも、通常の婚姻と変わらない権利を付与するところも出てきた。


 東京も例外ではなく、彼女達も証明書を出して、現在は”結婚”しているという。

『同性だという事で、色々と問題はありましたけど、私達はそれを一つ一つ乗り越えてきました。でも、式だけはまだ挙げていませんでしたから、今度それもやっと叶えることが出来る運びになりました。そこで何とか兄に出席して貰いたい。私にとって一番尊敬している兄に、何とか私達の事を分かってもらい、祝って欲しいんです』


 同性愛ってのは百%理解出来た訳ではないが、まあ、断る理由もない。


『分かりました。引き受けましょう。で、お兄さんの消息について、何か情報はお持ちですか?』


『幾らかは、兄は関西の大都市であるO市にいます』


 実にはっきりした答えが返って来た。


『そこまで分かっているなら、何も私に頼る必要はないでしょう』


 美奈子は少し俯き、言うべきかどうか迷っている様子だったが、隣のあづさが代わりに答えた。


『美奈子のお兄さんがいるのは”東洋のサウス・ブロンクス”なんです』




 


 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る