バイタリティー・オフ

タオル青二

浮気

 私は何も間違っていない。何一つだ。

 確かに、この国で認められることではないだろう。

 しかし、当時は確かに熱があった。だが世に仕える身としては断ち切らねばならぬこともある。

 ……その結果がこれだと?

 因果応報などと、私は、絶対に、認め、な、い——




 釈然としない空の表情。お日様がこんにちはと告げてくればいいものを、何を渋ったのか、曇ったり、その隙間から顔を出したかと思えば、狐の嫁入りを告げたりと全く安定しない。

 20階建ビル一階のカフェ、そこで待ち合わせと称してゆったりと時間を過ごしていた。本当は外の席で座っていたかったが、生憎の天気、室内で待つことにしたのである。

 席はそれでも一番外に近いところが好ましい。理由は単純で、よく外が見えるからだ。


「お、来たな」


 待ち合わせといってもそれは一人ではない。正確にいえばもう一人は待ち伏せをしていたことになる。今日は必ず、向かいのホテルから出てくると決まっていた。

 手にレンズ改造を施したカメラ特化スマートフォンを向ける。


「いい顔下さいよ〜」


 小声でボソボソ口にする。

 カシャっと、鳴るわけもない幻聴を耳に、確かな手応えを感じる。収めてやったぞと。

 幸いにして雨もなく姿を写すことに成功した。飯の美味い話だ。


「あら、シャッターチャンスだったのね」


 背後から声をかけてくる女性。彼女こそ今回の待ち人であり仕事上のパートナーだ。


「ガラスに自分が反射しないように動いてたの、気付いてたぞ。流石はパパラッチ」

「それは今のアンタ。……ほら、もう一人、出てきたよ」

「わーってるよ」


 収めるべきはもう一人。大統領補佐官様の愛人だ。

 カシャッ。鳴りはしないシャッター音。

 時間差で出てくる辺り、隠す気満々だねぇ〜。初めっから浮気なんぞしなけりゃいいものを。


「ばっちり。現行犯逮捕だぜ」

「……浮気で警察は動かないでしょ」


 こと浮気関連になると、すぐ酸っぱい梅干し食ったみたいなしかめ面するもんだから、気楽にいきゃいいもんを。俺たちゃこれで食っていけるんだから。そりゃまあ、元旦那にDVかまされた挙句に浮気されたのは知ってるが。


 シワの寄った30代後半の女の顔は長く見たいもんじゃあない。とっとと話題を変えるとする。


「んで、ヴィーラさん、今日という金銭取得確定日に美味しいネタ撮ってこれたかい? そっちは裏付けで情報補強担当だったけど」


 強張る表情筋は緩んだようだ。向かいの椅子に腰掛け、軽快に話し始める。


「……当然でしょう」


 ぱさっとバインダーノートブックを掛け歩いていた鞄から机の上に取り出す。

 当然中身を見ようとする俺だったが——彼女がバインダーの上にボンっと右手を乗せた。


「ねえ、見せる前に少し聞いておきたいのだけど?」

「なんだ一体」

「……補佐官の尾行してて、違和感なかった?」

「……? 具体的には?」

「例えばその、愛人に、なんかこう、言い表し難い——」

「よく分かんねえんだけど、それ調べた内容聴けばイメージできるんじゃねか」


 一拍置いて、「それもそうね」と元気なさげに返される。

 なんだいったい。補佐官と愛人とのエゲツないプレイでも目にしたのかよ?

 とりあえず話すように促す。店内の配膳ロボットから、注文していたアイスコーヒーを2人分受け取ると彼女に1つ、自分に1つと机に置く。

 お互いに喉に潤いを与えれば話始める合図となる。


「実は、リチャード補佐官の裏を撮ったりしているとき、愛人が誰なのかも当然調べたのだけれど、この人物」


 バインダーを開けて顔写真に指差す。

 念のためにさっき撮った顔と比べてみる。それはまさしく本人。まごうことなき今の女に違いはない。


「さっきの女だな。これがどうした?」

「この人ね、何処かで見たような気がしたの。気になってちょっと前の仕事で調べた人物を見返してたの、そしたら……」

「いたんだろう、コイツが。で? どんな内容にビビってんのさ?」


 唾を飲む彼女。


「……以前のターゲット調べたとき、彼女は死んでたのよ。正確には調べている最中にね。ターゲットは当時、大統領立候補者で現大統領のジェフマン。内容も今と同じく浮気のスキャンダルだったの。ただ、彼女が事故死した事で直接取材とかもできなかったけど」

「なんだそりゃ。つまりさっき女は立候補時代のジェフマンの愛人で、その上、本来は死んでるって言うのか? ……なるほど俺たちはホラー映画にでも出演したってわけか」


 馬鹿げた話だ。死人が彷徨いてるって? 極度の仕事疲れでもしたのか。


「本当なのよ! 資料見てみなさいよ!」


 煩くするもんだから周りの目を引いてしまった。部外者どもには誤魔化しの笑顔で興味を抑えてもらう。愛想笑いを浮かべた後、言われた箇所を覗き込む。



 ……こいつは奇妙なもんだ。

 浮かんだ感想は率直にいって気持ち悪いだった。薄気味悪いといってもいいかもしれない。

 何せ新聞に小さくではあるが載っているのだから。顔写真は完全一致。世界には3人同じ顔の奴がいるというが、これがそうだといわれたら素直に納得したい。ホラーに感じるのは生活資金の問題で飢えるかどうか、それ一つで十分だ。

 資料は目を通せば通すほど不気味な印象を強くした。

 元々この女は娼婦であり、ジェフマンとの交流は性の発散として交わった際に端を発している。それが正確には立候補直前までのこと。この時点で妻を持っているので浮気とだろうが、今はどうでもいい情報だ。その後に記述された内容が臭さを醸し出していた。


「新興宗教『内向的進化』に熱心と……」

「ええ。貴方も聞いたことあると思うけど、貧困層のごく一部にだけ布教され始めていたものよ……」


 お互い手にグラスを持ち、コーヒーを口に含む。窓から差し込む光に元気がなくなった。それがまた内容を演出されたようで変に背中に汗が滲んだ。


「ええと、確か人喰いの宗教観をお持ちだったよな、こいつら。カニバリズムっての」

「そうね。この宗教の特徴的なところは食人集団であった事……実際に何人も被害に遭ってたようだし」


 現在でもホームレスなんかは食う物に困ったろう。政府からの配給があるとはいえ、腹が膨れるほどではなし、そういった行いは想像にかたくはない。勿論、餓えている人間といっても倫理観をただ無視して実行するわけではない。

 ただそれを後押ししたのが、喰らった人間の知性を獲得し得るという奇天烈な発想が含まれている事だ。

 そう、加害者は皆、空腹だったから喰べたわけではない。一発逆転の目を狙って上流階級者を襲い胃袋に納めたのである。


「でもこの宗教信者が事件起こして、すぐにお縄になったんじゃなかったか?」

「その上で解体されはしたわ。しかもそれが起きたのは愛人が死んだ後よ」


 愛人は不慮の事故で死んだという事だが、スキャンダル隠蔽でも図ったか?

 娼婦が亡くなったなんて出来事はよくある話。そこらに掃いて捨てるほどにある。その一つ一つを丁寧に調べ上げはしないものだが。

 要は愛人との関係は死亡タイミング上、立候補前で終わり。傾倒していた宗教もちょうどよく事件起こしたから、バレる疑いの揉み消しも含めて潰したって筋書きにできなくはない。

 だとしたら何故死人が彷徨いているのか。しかもそれが補佐官と寝ている。再び愛人として。


「ただの宗教だよな? ……ゴーストとか関係ねえよな?」

「知らないわよ……でもこれで馬鹿げてるって発言は訂正ね」

「……ああ」


 この宗教団体の噂に聞き覚えがあったことを思い出した。

 人を喰らうことで知性を得ることに加え、自らの内に呑んだ相手と同化し自己進化を促すという。それで内向的進化。思い起こす限りでは意味不明だが、少々興味がある。


 グラスを手に取る。妙な話題に汗をかいたのと同じく、手に持つ器にも水が纏わりついている。

 お互いに顔を見合わせて、一旦この話題から離れるように他のページをめくっていく。


「この件、俺も宗教が気になるから、適当に調べるわ。今は飯の種に集中するぞ」


 この件は一旦保留。どうこう言い合っても事実が浮かび上がるもんじゃない。

 金になること確実な方をに話を戻す。彼女の顔色も悪かったのでそのほうがいいだろう。

 全ての話を終えて、2人は再度バラバラに動くことにした。どの道、相方に調べる気はないだろう。




 ——ホワイトハウス執務室


 本日の業務を終えて私は一人、部屋で最後の資料に目を通す。

 コーヒーカップに入れてもらってから随分と時間が経ったようだ。温かさは感じられない。


 資料に目を通し終えたところで、入り口の扉からノックが聞こえた。


「ジェフマン大統領、リチャード補佐官であります」

「うむ、入りたまえ」

「失礼いたします」


 ドアが開き、屈強な肉体の男性が入室する。


「私と二人だけで話がしたいということでしたが、如何致しましたでしょうか?」

「…………君のプライベートについてとやかく言うつもりはなかったのだがね。支持率の問題は付いて回る。率直に言おうリチャード補佐官、君は浮気をしているね?」

「浮気……ああ、そういうことですか。正妻と宜しくしている間に他の女性と関係を持っていると疑っているわけですね。……一体何故そのような話を?」

「頭の可笑しな記者が私宛にふざけたリプライを送ってきてね。画像付きだったんだが、精巧にできすぎた写真でね」

「そこで直接お話をと。因みに写真は?」

「当然、厳重に保管、拡散などないよう手は打ったとも」


 リチャードは少し笑みを浮かべている。まるで自分は関係などないかのよう。いや、寧ろこれから楽しい事が始まるとでも言いたげだ。


「まずは本件についての釈明をさせていただきます。彼女とはそのような関係ではありません。何かといえば協力者でして」

「協力者?」

「はい」


 何の協力だというのか。対貧困層政策案練り上げにでも助力してもらっているとでもいうのか。


「ですので大統領、彼女とはそういった仲ではないのです」

「具体的に何を協力して貰っているのかね?」

「その前に大統領、伺いたいことがございます。私の愛人とされている人物の顔に見覚えは?」

「……何が聞きたい?」

「その反応、やはり覚えていらっしゃる! そうですともね、貴方が過去と共に葬った女の顔ですからね!」


 やけに嬉々とした表情をして、私に告げる口はニタッとした笑みを隠すことがない。初めてこのような顔を見せられ唖然とした表情を返す。

 この男、何故そんな話を持ち出す? あの女との関係は既に。それを穿り返す意味は何だ?


「補佐官なのだ、何処かで知り得ても不思議とは思わん。……確かに女は知っている。忘れるわけない顔をね。薄気味悪いと感じた。

 ……だが君が似た女と寝ていることには何も感じんよ。私は君に、君が知った過去のやり口のように、手を打とうではないかと提案しているのだよ」


 彼の表情は酷く暗くなり、手は握り拳で震えだした。


「つ、つまり貴方は、私の大切な、大切な大切な人に再び手をあげるおつもりなんですか、その上をまた私から取り上げようなどとおおオオ——」


 目を皿にしてしまう。彼の体躯がドロドロに溶け、落ち、その姿を変化させる。どんどんと縮む肉体にある程度の整いが見えた。


 それは幼子の背格好。補佐官の服がぶかぶかですぐに裸体となる。

 栄養なく鼓動もない血色の子共と机を挟んで目が合う。


「どおして、パパはママをキラうの???」


 ゆっくりと。


「どおして、パパはママをコロすの???」


 身体が迫る。


「どおして、パパは、」


 曲げた膝が。


「ワタシタチを、ミステタノ!!!」


 ——伸び、飛びかかられた。



 どうやら、警告は無駄骨に終わったようだった。

 補佐官死亡のニュースが出回ったのが証拠だろう。きっと大統領がすり替わって、いや、したのだ。補佐官から。


 例の宗教団体を調べていて奇妙な証言を聞いた。極少人数だけだが、特別だったのだと、人ではないのだということだ。最初のうちは薬に脳を侵されでもしたのかと聞く先々で不安になったが、どうやら本当かもしれないと感じたことがある。

 あの娼婦だ。ジェフマンの愛人は事故死したが、運ばれた死体は消失していた。なんと宗教が解散になる前、彼女が酷い怪我で現れて食人をしだしたのだという。喰った側から傷が癒えていったのを目の当たりにしたという。

 しかもその娼婦は腹に子を抱えており、それは女の子だと語ったのだ。また喰われた相手に姿を変化させたのだと唇を震わせながらホームレスに聞かされた。


 リチャード補佐官が食人女と接触したのは数ヶ月前。女の子は多分見た目が幼女となるだろうが、これがもし同じ能力を持つとしたらと思うと吐き気がする。

 結局俺が写真に収めたのはリチャードじゃなかった。初めて二人で会った時に娘に喰わせたのだ。そして変身させて大統領に接触。恨みなのかは分からないが、ついこの間その相手すら食べた……。


 晴れた日差しの中、大人に見守られながら子供は走り回る。

 この国トップがどうなっているのか、誰も知らないまま日常が進むのは幸福なのか、それともこれを暴いてしまうべきなのか。

 ……金にならないならこのままでもいいかもしれない。浮気が出発で国が歪むなど、多分誰も望まないだろうしな。

 カフェのコーヒーを飲み干す。もうこれ以上関わるまいと金を払い、異常から離れた世界に戻っていくのだった。

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