第95話 風見潮は捨てたい

「……風見君?」


 この場にいた全員が風見君の叫びに対して目を丸くした。


 静まり返る舞台裏。


 横目でこっそり風見君の方を窺うと、彼は鼻息を荒くし拳を固く握っていた。


 クラスメイトたちが言う。


「な、なんだよ風見……急に怒鳴ってどうした?」


「そ、そうだよ……まるで俺らが悪いみたいな言い方――」


 すると吐き捨てるように風見。


「みたいなじゃない。そう言ったんだよ」


「はあ? じゃあ何? お前も神楽坂さんや梓伊月の味方をするわけ?」


「ああ。そうだ」


「ふーんそう。結局お前もAランクに成り上がってチョーシに乗ってたってことね」


「調子に乗ってるのはどっちだ」


「ああ?」


 険悪なムードが漂う。


 本当は私も加勢したいところだけど、そうすればただ火に油を注ぐだけになるかもしれない。


 風見君が割って入ってくれたおかげで、場のヘイトは私から逸れ始めている。


 とにかく風見君の邪魔だけはしないようにしよう。


 私は固唾を飲んで見守る。


「BランクやAランクは偉いから基本、何でも優先されてきたよな。でもCやDランクはどうだ。お前ら……いや俺らはランクっていう血の通っていない武器にすがりついて、全然みずからの刃を研ごうとしなかったよな。自分より低ランクの奴らを見下して安心してたんだよな」


「黙れ……」


「俺たちは大丈夫だ。だって俺は上位ランクだから。CとかDの奴らに比べれば俺には存在価値があるんだ、生きてていいんだ。あいつらみたいな底辺には成り下がりたくないんだじゃあどうしよう。そうだあいつらを蹴落としてやればいいんだ。俺もCやDランクの奴らを見下して蔑んで。お前らと俺らは格が違うってことを見せつけよう。そうすれば俺の居場所も確保される。そうしないと俺はこの学校で生きていけない。結局俺はその程度だけど、でもしょうがないんだ。矮小な自分の価値を示すには、己を研鑽するより他者を蹴落とす方がノーリスクでハイリターンだから。クソみたいな生き方だけど俺は悪くないよな。だって『みんな』やってるからぁぁぁぁぁ!!!!」


「うるっせぇえええ!!!!」


 早口で詰問されていたクラスメイトのひとりが風見君に掴みかかった。


 ドンッ!


 胸ぐらを掴まれ、風見は壁に押し付けられる。


「そう思って今まで生きてきただろ?」


 風見は諭すように言う。


「……うるさい」


「少なくとも俺はそう思っていた」


「……は?」


 風見は激昂したクラスメイトの手首にそっと手を当てた。


「俺もお前らと一緒で必死だったさ。必死でランクに、カーストにすがりついてた」


「だったらどうして……。どうして今、風見は梓伊月らを庇うようなこと言うんだよ。矛盾してる」


「ああ矛盾してるな。俺は今、すっげえ中途半端なヤツだ。そんなヤツの言うことに説得力なんてほぼないかもしんねーけどさ。でも気づいちまったんだよ、俺らが間違ってたってことに」


「間違ってるだと」


 ふたたび風見の胸ぐらを握る力が強まる。


「そんな簡単に否定されてたまるかよ。おれらだって死ぬ気で本音を押し殺してたんだ。おれらが会話すべき相手は人じゃなくて空気なんだよ。その法則はぜったいに変わらねえ! どうせ大人になったらもっと空気を読まなきゃいけないんだろ? ならおれ個人がどうこうできる問題じゃねえじゃねーか! 世の中が空気を読むことを正義だとしてるんだ。だからおれが今までやってきたことは間違ってなんかいねえ! 次、おれのやってきたことがすべて無駄だったみたいな言い方したら容赦しねえぞ」


 顔を真っ赤に染め上げ、クラスメイトが言う。


 それでも風見君は落ち着いた様子で、続けた。


「正義だから正しいとは限らねえだろ」


「ああ?」


「むしろ世の中が定義する正義なんて間違いだらけだろ」


「なんでだよ」


「正しさなんてひとつにまとまらない。みんなそれぞれ考えていることとか、置かれている環境とかがちがうんだから。なのに世の中が『正義はこれですよ』ってひとつに提示できるわけがない。結局、少数派を無理やり抑え込んでいるにすぎないだろ。そんな欺瞞が正しいと、俺は思えない」


「綺麗事だ。だからどうしたってんだ。それを悟った風見に何かできるのか?」


「いや、俺にはそんな大層なことできないさ」


「だろうな。結局口だけ――」


「でも梓ならできる……と俺は信じてる」


 クラスメイトは胸ぐらをつかんでいた手を離す。風見君とも少し距離を取る。


 そして呆れたように嘲笑した。


「ここで梓伊月かよ。何なんださっきから梓、梓って。あいつに何ができるってんだよ!」


「あいつは正義で腐った空気を変えてくれる……そう俺は信じてる」


「きっしょいなあ。そんなことできるわけないだろ!」


「言ったな? もしできたらどうする?」


 ここで風見君が挑発的な口調で煽る。


「今後、低ランクへの嫌がらせはやめてやるよ」


 売り言葉に買い言葉。煽られたクラスメイトもそう言い返した。


 風見君はひとつ頷き、ふう、と短く息を吐いて、


「わかった。ならもしできなかったら、あるいは梓が主役になって劇が失敗したら、俺はすべての責任を負ってやる。俺をDランクにでも退学にでもしてみせろよ」


「っ……!?」


 これにはこの場にいる全員が言葉を失った。


「か、風見君に責任を負わせるわけにはいきません。私がけしかけたのですから、ここは私が――」


 たまらず、私は風見君の主張を止めに入るが、


「神楽坂さんが止めに入ったがそれを無視し、その上嫌がる梓伊月に無理やり代役をやらせ、風見潮が劇を強行」


「一体何を言って――」


「そういうことにしてくれ。そうすればあんたらふたりは責任を追及されない」


「そんな馬鹿な真似、私がさせると思いますか? そんな……そんなこと……」


「ごめんね、神楽坂さん」


「え?」


 突然の謝罪に短く訊き返す私。


「梓にも神楽坂さんにも今までひどいこと、めちゃくちゃ言ったよな。ホントごめん」


「私は気にして――」


 ――ません、とは言い切れなかった。


 たとえば夏休み前半のショッピングモールでの出来事。


 風見君とひと悶着あったあの日をきっかけに数日間悩まされたのも事実。


 他にもいろいろあったし、おそらく梓くんにも私と同じくらいかそれ以上にひどいことを言ったし、やったのだろう。


 思案を巡らせていると、風見君は私の言葉を待たなかった。


「俺がつけた傷は消えない。こんなことで贖罪になるなんてこれっぽっちも思ってないが、俺にできることはこれくらいしかないんだ、頼む」


「風見君……」


 真剣に頭を下げる風見君に気圧されてしまう。


 私も責任を負うべきだ。その気持ちは変わらないが、できなかったときの責任の処遇ばかりを話すのは、なんだか弱気すぎる気がした。


 だから私は宣言することにした。


「顔を上げてください、風見君」


「……」


 それでも風見君は顔を上げようとしなかった。そこに風見君の意志の固さが表れていた。


「絶対に成功させます」


「……神楽坂さん」


「失敗しなければいいんです。私と梓くんで必ず劇を成功させますから、風見君は安心して見ててください。それでいいですね?」


「わかった。さすが頼もしいな、あんたらふたりは」


「私が変われたのは梓くんのおかげです」


「やっぱすげえや。正義なんてわかんねーけど。俺はあんたらが正しいと思ってる。だから、がんばれ」


「はい」


 私はクラスメイトたちの方へ向き直って、


「みなさん、キャスティングにご不満がある方が多いかと思いますが、どうか二年一組の劇の成功のためにお力添えをいただけないでしょうか。お願いします」


 私も深く頭を下げる。


 するとちらほら、肯定的な声が上がった。


「おっけー! 俺は協力するぜ!」


「俺もー」


「私もー」


 声のした方に視線を向けると、声の主が体育祭で梓くんと仲間だった江地君たちや、他にも一部のクラスメイトたちだった。


 何人かはまだ不満や疑念が残っていそうだったが、彼らのポジティブな態度が周りに伝播して、なんとか二年一組は梓くんを主役にする方向で劇を進行することが決まった。


「じゃあ神楽坂さん。さっさと梓を連れてきてくれないか」


「わかりました」


 風見君にそう言われ、私は梓くんを呼びに行った。


 こんなやり取りが裏で行われていて、そして――




「すみません、少し遅れました」


 龍我陽介から無事に逃げ切り、私と梓くんは舞台裏まで戻ってきたのだ。

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