2年生編
第75話 神楽坂と梓は語り終える
文芸部の部室で俺と神楽坂は1年生だった時のことを懐かしむように語った。
内容が濃密だったせいか、満足いくまで話し終えると下校時間はとうに過ぎていた。
神楽坂は時計を見上げてから、ほぅと短く息を吐く。
「思い返してみれば梓くんってほんと損な性格してますよね」
「神楽坂に言われたくねえよ」
「ふふっ。まあでもお互いこんなだからこうして一緒にいられるんですよね」
吐息交じりに囁いた神楽坂は不意打ちで俺の手の甲に自身の華奢な手を重ねてくる。
「な、なんだよさっきから。ハマってるのかそれ?」
「そうですね。梓くんのドキッとした顔が見られるので……」
「神楽坂ってそんなこと言う奴だったか?昔話にあてられて大胆になってるだろ」
「違いますぅ~」
彼女らしくなく小悪魔チックに微笑みながら重ねた手をさわさわとこすってくる。
くすぐったい、はずかしい、可愛いなちくしょう!
全身の毛穴から恥じらいを含んだ汗が出そうになり我慢できなくなった俺は、さわさわされている手を反転させた。
「え、えっと……やりすぎでしたか?」
「いや、もどかしいなって思っただけ」
そう言って俺はさっきまでさわさわしてきた神楽坂の手を下から優しく握った。
「ッッッ!?!??!」
「神楽坂が先に仕掛けてきたんだ。少しの間我慢してくれよ……」
とはいえ次に何かするわけでもなく、俺は意味もなく神楽坂の手を握り続けていた。
意図があったわけでもなく勢いに任せて握っただけだったので終わらせるタイミングも見失い、ただただ部室の時計の張りだけがカチッカチッと鳴り響いていた。
握ってから1分くらい経った頃合いだろうか。
神楽坂の方からおそるおそる口を開いた。
「あの、ちょっと強く握り過ぎです……」
「あ、す、すまんっ!」
バッとすかざず手を離してから無我夢中で謝った。
緊張したら、つい握る手に余計な力が入ってしまう。次回から気を付けなければ。
くつくつと小さく笑い声を上げる神楽坂が俺の醜態を許してくれた。
「いいですよ。握ってくれるだけで安心できますので……。それに――」
彼女は選手宣誓でもするかのような真剣な眼差しでこう宣言した。
「私たちはこれから変わるんです。胸を張って二人で一緒にいられるように。あの夏祭りの最後、そう約束しました。それでも怖いものは怖い。そういうときに梓くんが手を握ってくれるだけで勇気が湧いてくるんです。だから遠慮なんかしないでください。私はいつでもウェルカムですよっ」
「神楽坂……」
自分の好きな人がここまで身を案じてくれていることに改めて胸を打たれた俺。
変わるという決意を口先だけの思いにするわけにはいかない。
泣き寝入りしているだけじゃ周りは変わってくれない。俺たちが黙っているだけじゃカーストなんててこでも動かないだろう。
神楽坂の隣を歩くには俺は変わらなければならない。カーストを言い訳に逃げるのではなく、何であろうと戦えるということを神楽坂に証明するんだ。
故に俺は目標、というか行動指針を一つ決めていた。
「俺は……」
「梓くん?」
「俺は体育祭で一番の活躍をしてみせる!もう目立たないようにとか考えるのはやめだ!」
「んふふっ」
「な、なんだ神楽坂?」
「いや、だって大丈夫なんですか?梓くん運動が苦手なのでは?」
「そこは……まあ練習とかいっぱいしてなんとかするよ」
「意外と適当ですね」
「うっ。そ、そんなことより神楽坂はどうするんだよ。その……お前も頑張ってくれるんだろ?」
頑張ってくれる、なんて自意識過剰なセリフが面映ゆくて自然と視線が宙を泳いだ。
一方の神楽坂は口をもにゅもにゅさせながら、慎重に言葉を紡ぎだす。
「……そうですね。私は走力を過剰に伴う競技には極力出場したくないという旨を皆さんにお伝えしたいと思っています」
「おおぅ……。思ったより大きく出たな」
「反感を買う覚悟はとっくにできています。それに梓くんもいますし、大丈夫です」
ピンと張った糸のように危うげな緊迫感を持つ必要があるのはわかっているが、笑顔で絶大な信頼を預けられると照れくさくなってしまう。
諸々の気持ちの整えたさに俺は雑に頭を掻く。
「じゃあまあ、そういうことで……互いに頑張りますか」
「ええ。あと私は応援団に入らないと申し上げましたが、梓くんのことはいつでも応援していますから」
もうすぐ帰るってのに急にこっぱずかしいことを言ってきた神楽坂に俺はわかりやすくたじろいでしまう。
席を立ち、文芸部の部室の扉の前で神楽坂に背を向けながら呟いた。
「そんなん俺もだから……」
「え?梓くん何か言いましたか?」
「言ってない!ほら、早く帰るぞ!」
「ふふっ。しょうがないですね、梓くんは」
後ろから軽い足取りでついてきた神楽坂と、今日も帰路についた。
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