第74話 東雲大地は出し抜きたい
新学年に向けていろんな準備が取り仕切られている3月のある一幕。
「カースト制度……」
理事長の口から重々しく紡がれたその言葉は理事長室を鈍く流れた。年の割にはしわがれてはいない荘厳な声音だった。
「はい。僕が2年生に上がると同時に制度化するつもりです。そのためにこうして理事長の許可をいただきに参ったのですが、どうでしょうか?」
東雲は顔色一つ変えずに用件を伝えた。
理事長室を漂うシリアスな空気からか、とてもじゃないが教員と生徒の会話には聞こえず、ましてや親子のものとも思えない。
互いに敵という認識が浮き彫りになっており、東雲家の人間でなければ居座り続けることすらまともにできないだろう。
最初は火暮も東雲と同席していたのだが、あまりの殺気に怖気づき脱兎のごとくこの場を後にしたのだ。
理事長は顎に手を当て、考える素振りをする。
「なぜそのような制度を作る?君の考えを聞かせてくれないか?」
深々と椅子に背もたれする理事長を東雲は立ったまま冷めた目で見下ろす。
「優秀な人材と組織を生み出すためです。僕は全ての人間を完璧に育て上げることは不可能だと考えています。必ず一定数、大体30%は怠け者が現れるでしょう。そして彼らは集団を徐々に腐らせていく。腐ったミカン箱を騙し騙し売り物にしていくのは凡人のやることだ」
「うむ」
「ならどうするか。5%の怠け者と95%の有能を作り出せばいいんです。怠け者が伝染しないように彼らを見せしめのように貶める。ああはなりたくないという不安や恐れが95%の努力を駆り立てる」
「その5%の怠け者とやらはこの資料に載っているDランクのことかな?」
東雲が用意した資料を理事長は片手で持ち、字面を一通り眺めたあとフッと冷笑した。
「よくもまあこんなものを提案しようと思ったな。君は王様にでもなった気分なのかい?」
「気分?違いますね。僕がこれから人の上に立つのはすでに決定している。そして僕の下につく人間はあなたも例外ではないですよ」
「社会を大げさに侮った良いジョークだ。ハハハと笑えば気が済むかい?」
「今のうちに笑っておくことをお勧めしますよ。落ちぶれてからでは笑えませんからね」
「達者なのが口だけではないことを父として祈っておこう」
「父親らしい顔になってませんよ。鏡の前で練習すれば少しはましになるのでは?」
皮肉の応酬を交わしたあと、東雲はL字型のソファにドカッと腰を下ろす。
理事長は余裕の笑みを浮かべながらカースト制について質問をした。
「ところでこのカースト制はランクがD~Sまで分かれているようだが、これほど明確に評価できるほど組織は、もっと言えば人間は安易ではないと私は考えるのだがその点についてはどう考えている?」
「ええ、全くその通りだと思います。ですが正当な評価が得られないのは社会に出てからも同じではないですか?数値として実績が残っていても上司との付き合い方が上手くないと出世が遅くなるというのは学生の僕でもよく聞く話です。他にも例を挙げればきりがないが、評価の理不尽さが類似している点において僕はカースト制は社会に出る前の良い模倣となりうると考えています」
主張し終わると、東雲は足を組み替えリラックスした体勢をとる。
「社会の模倣か……」
目を閉じ、薄く口角を上げる理事長。
「何か言いたいことでもあるならはっきりとおっしゃってくれませんか?」
「……生意気な息子に答える義理はないな」
「質疑応答もまともにできないのはどうかと思いますが」
「質問をすれば返ってくるのが当たり前、それこそすでに甘えだ。世間を意識するならそんな甘えは捨てておくんだな。君は私を超えたいようだが、自ずから
「ッッッ!?」
「まあいい。君の提案したカースト制自体は実に興味深い。学校側からもバックアップに積極的な姿勢を取っておこう」
苦虫を噛み潰したような顔で東雲は了承の意を示した。
理事長は薄ら笑いを張り付けながら手に持っていた資料をファサっと執務机に置いた。
「それで、このSランクには誰が配属される予定なんだい?」
コホンと咳ばらいをし、順繰りに言葉を紡ぐ。
「僕と神楽坂小夜、吉宮真昼とあとは――」
少し間を空けて強調するように言った。
「梓伊月が妥当でしょう……」
「梓伊月?」
「理事長もご存じでしょう?この学校をトップの成績で入学し、特待生の資格を得ているんですから」
「あぁ……。確かに記憶している。ただ彼は入学以降目立った成績を残してはいなかったはずだ。成績という面で判断するならSランクは芳しくないだろう」
「理事長のおっしゃる通り梓伊月はどういうわけか試験では手を抜いているようです。ですが彼はある一件の功労者でした」
「ある一件?」
理事長がほんのわずかだが、瞳に興味の光が走った。
「ある一件とは文化祭の破壊騒動のことです」
「木梨、水瀬、金田の3人が自白して解決したのではないのか?」
「表向きはそうですね。けれど僕はあまりにあっけなさすぎると違和感を拭いきれなくてね。その3人に個人的に聴取を行ったんですよ。すると案外簡単にゲロってくれました。梓伊月に犯行を見抜かれ自白を促されたと」
「なるほど。トップの成績を修めた頭脳は伊達じゃないと……そう言いたいのだね」
「ええ。それに付け加えるなら梓伊月は神楽坂小夜と懇意な関係らしい。彼らが理想のカップルとして頂点に君臨すればこの学校の恋愛観の秩序も守られると僕は睨んでいます」
東雲が自信をもって発言をしたが、逆に理事長は東雲の言葉を聞いて眉をひそめた。理事長の感情を今日一で大きく動かした瞬間だった。
「神楽坂小夜と――」
「……何か?」
何でもかんでも他者に答えを求めようとするのは甘えだと指摘された東雲は強く出れなくて、そう呟くだけしかできなかった。
だが今回は理事長は答えてくれるようだった。
「それはあまりによろしくない事態だ。梓伊月はSではなくDに落としたまえ。これは命令だ」
「は?なぜ……」
東雲は予想だにしなかった理事長の言動に唖然とするしかなかった。
「なぜ?あぁ、君にはまだ言ってなかったねぇ。東雲大地君、君は――」
気味の悪い笑みが塗られた顔で、おそらく東雲の人生至上最高レベルで衝撃的な言葉を発した。
「神楽坂小夜と許嫁の関係にあるのだよ……」
東雲はただ固まっていた。筆記試験のときですら頭が真っ白になったことなんてなかったのに。
冷静沈着な彼は生まれて初めて言葉を失うという経験をしたのだった。
「驚いたかい?まあ無理もないことだ。落ち着いてから梓伊月をDランクにすることに同意してくれたまえ」
「ま…………待ってください理事長。許嫁?この僕がはい、わかりましたと従うとでも?」
「君に拒否する権利は万に一つもないのだよ。昔から教えてきたはずだ。弱者は生き方を選べない、と」
「ふざけるな、この僕が弱者だと……?」
東雲はきつく拳を握り、怒りを露わにする。血がしたたり落ちていることには気づいていない。
そんな東雲の怒りを理事長は意に介すこともなく、追加で注文を付ける。
「あと梓伊月の代わりに
「好き勝手言ってくれますね。龍我陽介は確かにスペックは高いがSランクにするには素行が悪すぎる。せいぜいA――」
「君もわかっているだろう?陽介君は私がお世話になっているヤクザのご子息なんだ。彼がこの学校の頂点ではないということが彼の御父上にでも知られたらと思うと――」
「はんっ!僕や理事長が消されるとでもおっしゃりたいんですか?」
東雲はそんなことあるわけないと嘲笑したが。
「フッフッフ。……はっきりものを言わせるな」
不敵に笑いながら理事長は命が危ぶまれることを示唆した。
若干の恐怖に身震いしながらも東雲は反抗するのを止めない。
「だからと言って僕は信念を曲げない!脅されて正論を捨てるのは愚者のやることだ」
「陽介君の代わりが梓伊月だと知ったらどうなるだろうね」
「…………それがどうした」
「はたして彼は病院送りで済むのだろうか?」
「梓伊月がどうなろうと僕には関係ない」
「いいや、君は見捨てないさ。君のほとんどは頑固でできているからね」
「わかったような口を利くな外道」
「トップに君臨できるなら外道で結構。君と神楽坂のお嬢様を許嫁にしたのも私が神楽坂のグループを乗っ取りたいからだ。君は私の言う通りに動いて神楽坂の内部の情報を収集するための道具に過ぎない。わかったらすぐに手筈を整えなさい。いいね?」
この時点で東雲の思考回路はある程度決まっていた。
一口に言ってしまえば、カースト制導入は一旦保留にしようという考えに辿り着いていた。
今取り入れてしまえば、東雲の理想とする形での運営ができなくなってしまう。父親を出し抜くには材料が少なすぎたのだ。
それに、とにかく許嫁の件についてじっくり対処していく必要があった。
だから、東雲は理事長にカースト制の計画は白紙にすると持ち掛けようとしたのだが、先手を打ってきた理事長に阻まれてしまった。
「まさか止めるなんて言わないよな?」
「なに?」
「あぁ、図星か。やはり君の覚悟はその程度でしかないんだね。君は優秀な人材を育てるとか社会の模倣とかそれっぽい言葉を並べて誤魔化しているみたいだが、結局のところ、私みたいになりたいだけだろう?」
「……図に乗るな。そんなこと一度たりとも思ったことがない」
「ではなぜ君はトップになりたがる?」
「……それは……」
「昔から私の仕事ぶりを見てきたからだろう?いつか自分も人を使役してみたい、操ってみたいと」
「……違う」
「権力を欲しいがままにして自分を取り巻く環境を自由に動かしたい」
「違う!」
「違わないさ。もし違うというのならカースト制を止めるなんて決断は下さない。絶対に叶えたい野望があるなら私に水を差されたくらいで諦観するはずがないからな。そうだろう?」
「……黙れ、僕を舐めるな化け物!」
「君も早く人間をやめると良い。でないとこちら側には来れないぞ」
「あなたの背中を追いかけるつもりは毛頭ありません。あなたの望み通りカースト制は施行します。許嫁の件も受け入れます。その上であなたの寝首を掻くので覚悟しておいてください」
「そうか」
理事長はなんでもなさそうに資料の束をトントンと整えていた。
東雲は内心の苛立ちを決して表出させず、静かに立ち上がり理事長室を去った。
「幼いな……」
理事長室でそんな呆れ混じりの言葉だけが人知れず木霊した。
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次話からようやく2年生編に戻ります。
記憶がおぼろげだと思いますが梓と神楽坂に待ち受けているのは体育祭でしたね。
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