第44話 梓伊月は寄り添う

 文芸部の部室にて、俺と神楽坂はいつものように椅子に座って読書に勤しんだり、雑談を交わしたりしていた。


「それで、あの後桐谷さんはどうしてるんだ?」


「以前と変わらず屋敷で働いていますよ。ただ、彼女なりのけじめなんでしょうか、私への敵意はすっかりなくなっていますね」


「そうか。それならよかった」


 桐谷さんとはあの一件以来顔を合わせていない。


 俺が完膚なきまでにチェスで叩きのめして、さぞ屈辱だっただろう。だから神楽坂が夏祭りから帰ったとき、桐谷さんから何か嫌のことをされてるのではないかと危惧していたのだ。


 だが、そのようなことはないようなので、俺は安堵し息を吐いた。


 ただ、同時にあのときの高揚感も思い出される。もちろん神楽坂を傷つけた桐谷さんのことは許されないが、俺と人間と相まみえることができたという事実はどうしても嬉しく感じてしまう。


 皮肉なものだな。


 俺は読んでいた本を閉じ、話題を変えた。


「そういえば風見がなぜかAランクに昇格したらしいな」


「そうみたいですね。私も真相はわからないのですが、彼はカースト内をしたたかに生きているようです。まったく……私や梓くんにはできないですし、彼は彼ですごいと思います」


 神楽坂の言うとおりだ。あいつは変わった。いや、変えたと言った方が正しいか。性格も嗜好も見た目も全て。


 あいつはカーストに適応するという道を選び、現に成功している。


 ランクなんてくだらない、と一蹴できないのは風見の努力を目の当たりにしているからだったりもする。そんな生き方はダメだと強く否定する材料を俺は十分に持ち合わせていない。


 とはいえ、やっぱりランクが上位だからって下のランクを虐げていい理由にはならなくて。


 俺たちの会話は先ほどの廊下での出来事へと移った。


「さっきの廊下での会話。神楽坂が変わろうとしている気持ちはわかるし嬉しいんだけど、無理はするなって。東雲が来てなかったらけっこう雰囲気やばかっただろ」


「その件については申し訳ありませんでした。ですが、そもそも梓くんが危ない橋を渡ったんですよ。藻部もぶ君に喧嘩を売るなんて」


「あいつ藻部って名前なのかよ」


 俺が言うのもなんだが、可哀そうな苗字だな。


「というかえっと、藻部?有名なのか?」


「別に有名ってほどではないですが、Cランクの彼はDランクの生徒にすぐ手が出るので危ない人物だとは聞いたことがあります」


「俺、そんなやつより評価低いのかよ」


 半ば呆れつつ嘆息していると、机の上で退屈そうにしている俺の右手に神楽坂の左手が重なってきた。突然だった。


「うおっ!」


 俺はびっくりして、思わず手を引いてしまう。


 すると、神楽坂は慌てた様子で先ほど重ねてきた手を熱いやかんに触れてしまった時みたいに勢いよく引っ込めた。


「ご、ごめんなさい!私ったらなんてことを……!」


「い、いや別に神楽坂は悪くないが……」


 彼女は俯いたまま自信なさげに訊いてきた。


「嫌……でしたか?」


「そんなわけない!」


 俺は強く反論して、自分から彼女の手の甲に右手を添える。握るのではなく、添えるだけ。それなのに、あの夏祭りのときみたく彼女の体温を感じられた気がした。


 俺の反応に安心したのか、彼女は口角を微かに上げる。


「伝えたかったんです」


「え……?」


「梓くんのことは私がいつでも見てますよって。そう思ったらつい……梓くんに触れたくなって……」


 蚊の鳴くような声が静かな部室に優しく響く。


「嬉しいな……神楽坂にそう言ってもらえるなんて」


「本当ですか?」


「おう。むしろこっちこそ神楽坂を心配させるようなこと言ってすまなかったな。俺だって今更、評価とかランクとか気にしてないから」


「杞憂でしたか。ふふっ」


 彼女は微笑をこぼし、もたれかかるように俺の右肩に頭を預けた。


「……温かいです」


「死んでないからな」


「茶化さないでください」


 俺がちらと彼女の方へ視線だけを向けると、ふくれっ面のまま上目遣いで凝視してきていた。


 ぐっ。可愛すぎる。


 そのまましばらく眺めていても良かったのだが、神楽坂のカバンから顔を覗かせているある書類に目がいった。


「体育祭か……」


「ええ。応援団に入らないかという趣旨の書類をもらったのですが、断ろうかと思いまして」


「神楽坂のしたいようにすべきだと思うぞ、俺は」


「そうですね。誰にどう思われても梓くんに嫌われないのならそれで充分です」


「お、おう。そうか……」


 面と向かって言われると、照れてしまう。神楽坂はたまに歯の浮くようなセリフを臆面もなく言ってくるときがあるので困る。


 彼女は少しはにかんでこう言った。


「去年の体育祭のときはまさかこんなことになるなんて思ってもいませんでしたよ」


「だろうな」


「文化祭も…………その、バレンタインデーももっと昔のことのように思えます」


「バレンタインデー……つかぬことを聞くが、あのときは俺のことどう思ってたんだ?」


「はひぇ!?え、えと…………た」


「た?」


「た、体育祭はとても大変でした」


「話を逸らされた……」


 そうして、俺たちはしばらくの間懐かしむように昔話を繰り広げるのであった。




〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

次話からしばらく1年生編が続きます。

1章のときよりも余所余所しくて初々しい。そしてどこか覚束ない梓と神楽坂をよろしくお願いします。(親目線)

じれじれと縮んでいく二人の距離を見守るとか焦れってえからと読者様が独自に妄想していただく等のスタンスで楽しんでもらえるとエモいかもしれません。(変態目線)

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