君さえ見てくれればそれでいい
第43話 神楽坂小夜は変わりたい
好きな人がいる。
つい最近やっと距離が少し縮まった……と思う――
「おい。てめえDランクのくせに今俺のこと睨んだだろ」
「いえ。確かにあなたが殺すぞと脅して金を巻き上げていたのを目撃はしましたが、まだ睨んではないです」
「調子乗んなカス!」
「ガハッッ!!」
俺、梓伊月は今日も今日とてモブ男から
金を要求されていたDランクの男子生徒は隙を見て逃げていった。
夏休みが終わって二学期が始まった9月の放課後、廊下での出来事である。
痛みがする箇所をさすりながら気だるげにモブ男と距離を取る。
モブ男は薄ら笑いを浮かべながら床に向かって指を差した。
「ほら。お前が土下座し、床を舐めて綺麗にしたら許してやるよぉ」
「お前は新手の美化委員かよ」
「なんか言ったか?」
なんでもない――そう言いかけて俺は咄嗟に口をつぐんだ。
Dランクへのひどい扱いは日常茶飯事だ。
多少の違いはあれどカーストはどこの学校にもあるだろう。
しかし、ここ、私立
そんなだから生徒はカーストを過剰に意識し、今みたいにDランクを貶める行為を働く。
ほんと消えねーかなーカースト。
きっと夏休み前までの俺ならそう考えるだけで、何も行動は起こさなかっただろう。
カースト内で、特にカースト底辺の人間が目立つというのは悪意に晒されるのとセットで考えなければならない。
俺はそれが嫌で今まで自分を押し殺してきた。というより自分でカーストを言い訳にして逃げていたと言った方が正しいな。
そのせいで俺は好きな人につらい思いをさせてしまった。
だから俺は変わるんだと。
あの夏の……ぬばたまの夜にそう誓ったんだ。
俺は自分のスマホを操作し、モブ男が金をたかっている動画を再生し、見せつけた。
「ちゃんと動画に残してるんだよ。これが先生たちにバレたらお前も面倒なんじゃないか?」
「……くそが」
この学校の先生は基本的には役に立たない。DとかAとかランク付けされている状況を黙認しているからだ。
だが、動画のような物的証拠を提示し悪事を報告すれば、大事にはならずともそれなりの対処がモブ男には施されるだろう。
そう考え俺は動画を撮っておいたのだが、効果はあったみたいだ。
モブ男は渋い表情をしながら口を開いた。
「じゃあそのスマホを奪っちまえば万事解決だなぁ!」
不意に伸ばしてきた手に反応できず、俺はスマホを奪われると悟った。
その時だ。
あいつが来た。
「梓くんから離れてください」
鈴の音を鳴らしたような綺麗な声音が廊下に響いた。
俺もモブ男も声のした方へ振り向くと、そこには綺麗な黒髪を
「か、神楽坂さん!?ど、どうかしましたか!?」
「聞こえませんでしたか?私は梓くんから離れてと言ったのですよ」
「す、すみません!」
モブ男はペコペコと頭を下げながら後ずさる。
神楽坂が俺のすぐ傍まで来ると、一瞬だけこちらを見てわずかに目を細めた。
周りでは例のごとく神楽坂をもてはやす言葉が飛び交う。
「神楽坂さん綺麗すぎ!」
「はぁ~神楽坂さんを見てると自分が虫のように思えてくるわ……」
「清楚でハイスペックなお嬢様、それでいて謙虚なんだから嫌いな男子いないだろ」
俺は周囲の人間にバレないよう目線だけをこっそり神楽坂に向け、小声で呟いた。
「いいのか?今のは強く言いすぎじゃ?」
「いいんです、これで」
神楽坂は同じく吐息みたいな声の大きさで言葉を返した。
「待っててとは言いましたが、長引かせたいわけではありません。できることなら、その……早く梓くんと……」
「わ、わかったから!それ以上は恥ずかしいから後で聞かせてくれ」
「フフッ。言いましたからね」
彼女の頬はほんのり朱がさしたままだ。
夏祭りの帰り際。
俺たちは決定打になるような言葉を交わすことなく想いをぶつけ合ったつもりだ。
これは俺の自惚れではないと信じたいのだが、神楽坂はおそらく俺のことを好いてくれている。恋愛的な意味で。
逆に、俺が神楽坂のことを好きだという気持ちも彼女に伝わっているだろう。
俺たちがはっきり好きだと口にしなかったのは、互いに乗り越えなきゃいけない課題があるからで。
俺も彼女もカーストに縛られてきた。それに関しては現状も変わらないのだが、
変わってやると。
変われるまで待っててくれと決意したまではいいものの。
俺と神楽坂の関係をどう形容したらいいかわからないのが正直な感想だ。
想いは伝え合ったが、付き合っているわけではない。それを保留にしているからだ。
この名伏しがたい距離感に俺はまだ慣れていないためか、神楽坂の顔を見るたび、そこはかとない照れくささが胸の内を襲ってくる。
神楽坂も俺と同じようなことを考えてくれているのだろうか。俺と同じように内心照れてたりするのだろうか。
漠然とそうだったらいいなと思う俺だが。
「あらあら。虫けら同然のDランクを庇う変わり者がいるから誰かと思えば、神楽坂さんではありませんか」
そんな嫌みったらしい言い方が耳に入ってきたことで、現実に戻される。
「
「また神楽坂さんに突っかかってるわ」
「毎度毎度飽きないなぁ」
「あれだろ?火暮って勉強や運動神経で神楽坂さんにギリギリ勝てないからSランクに上がれなくて。それが腹立たしくて嫉妬してんだろ」
「私、火暮さんって苦手なんですよね。とっつきづらいというかなんというか……」
火暮朝香――そう呼ばれている彼女は濃紺のポニーテールを揺らしながら俺たちのいる所へ足を進めてくる。
「ごきげんよう、神楽坂さん。相変わらず元気そうですね。あなたのことですし、夏休みではさぞたくさんの殿方とお遊びになられたのでしょうね」
火暮は周囲の男子を一瞥して宣う。
「私はあなたの挑発に乗るほど暇ではないんです。時間も惜しいですので道を開けてもらえますか?」
神楽坂はまともに相手にしないことを選び、この場を脱出しようと試みるが、それを阻む者たちがいた。
「ちょっとちょっと神楽坂さん冷たくな~い?もう少しお話ししよーよ~」
「というか朝香様に反抗するとかマジ気に食わないんですけど。そうやってお高く留まってるのがむかつくって言ってんでしょ?」
数人の女子が火暮同様、神楽坂に講釈を垂れた。
彼女らは火暮派閥のメンバーなのだろう。
大きく神楽坂養護派と火暮派に分かれていて、火暮派は少数だが存在するのだ。
彼女らはついでと言わんばかりに、神楽坂の右肩を軽くトンっと突き飛ばした。
「お前ら――」
いい加減にしろと俺が言葉にする前に、神楽坂が彼女らに冷徹な眼差しを向けた。
「あなたたちがどう思おうと私には関係ありません。あなたたちこそ、私に構っている暇があるなら己の研鑽に勤しんだ方がいいのでは?」
「ご忠告ありがとうございます。神楽坂さん」
そう言った火暮の顔には感謝の色は少しも見られなかった。
「ですがあなた、少々身勝手ではありませんか?」
「身勝手?私がですか?」
「ええ。だってあなたはそこのDランクを助けたではありませんか。他にもDランクの生徒はいるのに彼にだけ救いの手を差し伸べました」
「そ、それは……」
「それって特別扱いですよね?なぜ彼なのです?なにか特別扱いする理由でもあるのでしょうか?」
火暮は他の生徒にも聞こえるようわざと大きな声で疑問を投げかける。
すると、そんな火暮の呼びかけに呼応したのか、他の生徒たちもざわめきだした。
「た、たしかに……」
「さっき金をたかられてたDランクの奴もその気があれば助けに入れたんじゃ……」
「でもどうして神楽坂さんが奴隷と呼ばれている梓伊月を特別扱いなんか……」
「もしかしてあの二人付き合ってるんじゃ?」
「それはセンスのない冗談ですわよ」
「んーいくら神楽坂さんとはいえ、Dランクじゃさすがに幻滅するかも」
それは見事な手のひら返しというか。
誰か一人の言葉でこうも集団はひっくり返るのかと俺は改めて恐ろしくなった。
「わ、わた……私……は……」
「なんですか?神楽坂さん?声が小さくて聞こえませんわよ」
神楽坂はわなわなと肩を震わせていた。視線もずっと下に向いたままだ。
ギュッとスカートの裾を握りしめるも、火暮への反論はできずにいる。
神楽坂は俺のために一歩踏み出して、庇ってくれたんだ。今度は俺の番だろ。
俺はんんっと軽く咳払いをした。
「なあ、ちょっといいか。神楽坂は自分の利益のために誰か一人を特別扱いするような奴か?違うだろ?誰かが困っていたら平等に手を差し伸べる。そういう一面をお前らも見てきたんじゃないのか?」
俺が言ったことの半分は嘘だが、もう半分は本当だ。
神楽坂は少なくとも俺のことは特別扱いしてくれていると思う。弁当や夕食を作ってくれたり、二人で遊びに行ったり。
だが、彼女は助ける相手をレッテルで選んだりはしない。困っている人がいて助けが必要なら彼女は自分が傷ついても救おうとする。それが神楽坂小夜だ。
全てが嘘でないがゆえに、俺の主張に妙なリアリティが付与されたのか、周りからの疑いの声も微妙に止み始めた。
けれど、火暮は追及を止めなかった。
「あらあら。そうやって庇い合うところが余計に怪しいですわ。こうも簡単にブラフにひっかか――」
「火暮」
「ひうっ!」
唐突に男の低い声が割り込んできたかと思えば、威勢の良かった火暮が嬌声を上げた。
「頼んでおいた資料の作成はもう出来上がったのか?」
「し、東雲様。そ、その神楽坂さんの行動が不可解で――」
「言い訳は不要だ。できているのか、いないのか?」
「で、できておりません……」
「まったく……。火暮も僕と同じ生徒会の一員なら、それにふさわしい立ち振る舞いを心掛けろ。あと、様も不要だ。二度と喋るな」
「はうっ!も、申し訳ございません」
この男は……。
俺が突如現れたその男を睨んでいると、後ろから神楽坂を心配する女子の声が聞こえた。
「小夜様、大丈夫ですか?」
「ええ、暗根。問題ありません」
「お前いたのか」
「いたのかって失礼ですね。小夜様がトラブルに巻き込まれていたので私が生徒会長の
そう。火暮を窘めたのは2年生にしてこの学校の生徒会長であり、カースト制度を作り上げたSランクの人物、東雲大地だ。
Sランクということもあり、加えて見た目は眼鏡が似合う知的なイケメンなので、やはり外野が少々騒がしい。
彼は俺たちに興味はないのか、一度もこちらを見ずに火暮を冷めた視線で見下している。
「はあ……。もういい、これ以上は時間の浪費だ。生徒会室へ行くぞ」
それを受けて、火暮は顔を赤くしていた。
「あの……私が愚図だったのがいけなかったので、もっと罵ってくださってもよろしいのですよ?なんなら私を引っ叩いても……ん……厭わないです……ハア」
この女、大変なドМじゃねえか。東雲の前では完全にメスの顔をしてやがる。
「火暮のくだらない妄言に付き合う気はない。さっさと動け、
「別に私は
置き土産のようにDV耐性を見せつけてくるな。
東雲と火暮、そして火暮派閥のメンバーはこの場を後にした。廊下に出ていた生徒も満足したのか各々の教室へ戻り始めている。
ふう……と俺は一息つき、神楽坂に声を掛けた。
「じゃあ、俺は先に文芸部の部室に向かっとくから」
「……わかりました」
それだけ言って、俺たちは時間差を作って文芸部の部室に行った。
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蒼下銀杏です。
3日ぶりの投稿ですね。こうして読んでくださる読者様には感謝の気持ちでいっぱいです。
それとこれとは別ですが、気がつくと火暮は罵倒されることに悦びを感じていました。コワイ。
これからも拙作をよろしくお願いいたします。
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