第37話 梓伊月は憤る
だだっ広い書斎の一角。チェス盤を挟んでいる二人。
一人は梓様。小夜様の想い人であり、また梓様も小夜様を想ってらっしゃる、言わば両想い。
片や、桐谷はただのクズ。私にはもうクズにしか見えない。
こいつが倒したチェスの駒を見下ろしながらも、私は動けなかった。
負けだ。試合には勝ったが、勝負に負けたというやつだ。
「ほら!梓伊月。何とか言ってみろよ!!」
桐谷は立ち上がり梓様の傍まで近寄る。
「そうか。お前には見えないもんな。脳内にチェス盤なんて浮かばないよなぁ!」
「…………」
「ハハッ!絶望して声も出ないか。お気の毒にぃ。これが子供と大人の差ってやつなんだよわかったかぁ!?」
酒でも飲んだかのように高笑いする。
「要はぁ。頭の出来が違うんだよ。ここ。ここの出来がぁ!」
梓様の側頭部に人差し指をドリルのようにぐりぐりとねじる。
「ナイトE7チェック」
「…………へ?」
突然口を開いた梓様。そして違う意味で口を中途半端に開けている桐谷。
「どうしました桐谷さん?頭の出来が違うんですよね?早く次、指してくださいよ」
「…………キングを……F8へ」
「ナイトテイクF5」
ノータイムで梓様は桐谷の駒を奪っていく。
チェス盤がないので私にはいよいよ何もわからなくなってきたのですが、梓様はさっきから続けて、テイク、テイクと言っている。
テイクとは駒を取るという意味なのだが、それが何度も続けば、見えてない私でも梓様の意図は何となくわかる。
彼は桐谷の駒を皆殺しにしようとしているんだ。
「ステイルメイト(引き分け)で逃げられるなんて思わないでください」
「……ううぅ……うわああ…………」
桐谷はかつてないほど取り乱した様子で長髪を掻きむしる。何本か毛が抜けてそうな勢いで。
桐谷の持ち時間が1分を切った時にはもう彼女の声からはキング、という言葉しか出ていなかった。
おそらく、本当にキング以外の駒をむしり取られたのだろう。
「時間の無駄です。降参してください」
「黙れ、まだ終わってない……」
「そうですか……」
――それから4手後。
梓様の口からチェックメイトという言葉が紡がれた。
「さあ、約束通りもう俺と神楽坂にちょっかいかけないでくださいね」
四つん這いの状態で
「大人なら潔く負けを認めてくれませんか」
「……くっくっく」
かすれた息交じりの笑い声が不気味に響き渡る。
「バーーーーーーーーカァ!!ざまあねえな!もうあの子は屋敷にいねえよ!」
「はあ?どういうことです?」
つい私が食って掛かってしまった。
「まだ軟禁されてると思ったかぁ?バカめ!あの子は勝負が始まって30分経った頃にはすでに車でどこかに連れていかれたよぉ。予め私が部下にそう指示したからなぁ!」
「そんな……」
絶句するしかなかった。
「じゃあ、お前は最初から小夜様と梓様を引き合わせるつもりは――」
「あるわけねえだろガキが!そんなにバカだからあの子も親に裏切られ、お前も大事な人を殺され――」
気が付くと、梓様は桐谷の左肩にズシリと自身の手を置いていた。
「子供とか大人とかうるせえんだよ、負け犬」
信じられないほどの低い声音を発すと、肩を掴んでいた手を離し、小夜様のネックレスを取り返してから、この部屋を後にしようとする。
「暗根、行くぞ」
「行くってどこへ……?行き先なんてわからないじゃないですか!?」
「わかる。だから暗根は大至急、移動手段を用意してくれ」
「な、なんで……」
「いいから、早く。理由は後で説明する」
理解が追い付かなかった。チェスで勝ったと思ったら実はもう小夜様は屋敷にいなくて。
どこに連れていかれたかもわからないのに梓様は自信満々に行き先がわかるという。
頭が上手く回らない。
けど、あれだけ壮絶な戦いを勝ち抜いた梓様なら、信用できる気がした。
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次話、スペシャルゲスト?が登場します。
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