第6話 梓と神楽坂は譲れない

 買い出しも終盤に差し掛かり、そろそろレジへ向かおうかと思っていたとき、和菓子が陳列されている棚の横を通ったのだが。


「こ、これはた、たい焼きというやつですか?」


「神楽坂、お前たい焼きも食べたことないのか?」


 神楽坂の目は驚嘆の色をしているので、本当に食べたことがないのだろう。


 お嬢様って金持ちで何でも手に入るけど、何でも経験しているわけではないんだな。


 なら、たい焼きくらいでもこんなテンションになるのは仕方ないことか。


「話には聞いていましたが、これ、中にあんこが入っているんですよね?」


「ああ。小麦粉とかを使った生地を鯛の形にして焼いたお菓子だな」


「う、おいしそう……」


「欲しいのか?」


「食べた……あ、や、やっぱりいいです」


「遠慮するなって。神楽坂は細いんだし、むしろもう少し食べた方がいいんじゃ?」


 神楽坂は結構華奢だ。しかも身長は平均よりちょっと低めではあると思う。


 まあ胸は、その……割と女の子してるっていうか、健全な男子が好みそうなちょうどいい具合の膨らみではある。


 誠実じゃないし、あんまりいやらしい目では見たくないのだが、好きな女の子ともなると、どうしても意識してしまう。


 そんな俺の考えもつゆ知らず、神楽坂は逡巡した様子で袋に包装されたたい焼きを睨んでいる。


 すると、何を思ったのか突然不思議なことを言い出した。


「でもたい焼きってどこからかじればいいんでしょう。まさか頭からはないですよね?」


「いや。世の中では頭から食べる人は多いらしいぞ。俺も頭から食べるし」


 そう言った瞬間、神楽坂は「なっ」と声を漏らし、リスみたいに怒った。


「な、なにしてるんですかっ!?そんなの鯛が可哀そうですっ!」


「ナニヲイッテイルノカナ?」


「だってあ、頭からなんて残酷です。私、この子と目が合う気がしてかじれません」


「この子とか言っちゃったよ。どんだけ情に深いんだよ」


「ああ。やす子は可哀そうな運命ですね。どうにかして救って差し上げたいわ」


「名前まで付けちゃったし。てかお前一年の時シロウオの踊り食いが美味いって言ってたよな?あれの方がよっぽど残酷だと思うんだが、それについて何か弁明は?」


「…………さて、やす子は晩御飯のデザートにでもしましょうか」


「やす子ぉぉぉぉ!」


 どんだけ手のひら返すの速いんだよ。


 神楽坂の目はすでに生き物を見る目から食べ物を見る目に変わってしまっている。


 でもわざわざスーパーに売ってるようなたい焼きでいいのか?


 そのことが気になり、俺は尋ねた。


「にしてもたい焼き食いたいなら専門店とかで買えばいいんじゃ?」


 それを受けた神楽坂はたまに俺に見せてくれる、鬼ですら許してしまいそうなくらいの微笑みを浮かべながら言った。


「いいんですよ。今日は初めてづくしなんです。初めてのスーパーに初めての梓くんの家への訪問」


 彼女は短く息を吐く。


「それに初めて梓くんと二人でお出かけした記念日なんです。そういう日なので初めてのたい焼きもせっかくですし今日のうちに済ませておきたいじゃないですか?」


 そう言われて俺はどうしようもない嬉しさで、思わず目を逸らしてしまった。


 神楽坂が俺との時間をそんなにも大切に思ってくれているという事実に。


 彼女が俺に恋心を抱いていないにしても。


 こういう自覚は片思いですら幸せに感じてしまうほどだ。


 ああ。もし彼女が俺のことを好きだと思ってくれていたらどれだけ幸せなのだろうか。


 俺と彼女の間にカーストの差がなければ、を経験していなければ、俺は当たって砕けろの精神で告白くらいしてしまっているかもしれない。


 だから今は。


 カーストなんかに悩まされない時が来るまで、俺は神楽坂とこの居心地のいい関係を続けられたらなあと心底思っている。


 そんな思いを噛みしめるように、俺は笑って神楽坂に返事した。


「ああ。俺も神楽坂と初めてを共有したいよ」


「なっ!?」


 変な声を上げ、表情筋が情けなく緩み、真っ赤に染まった可愛い顔が眼前に現れた。


 神楽坂はそんならしくない様子を誤魔化すようにそそくさとつぶあんのたい焼きを手に取る。


 ん?ちょっと待て。


 それだけは譲れんぞ!


「おい。たい焼きは、というかあんこは絶対こしあんだろ!そこは譲れない」


「なっ?梓くん、それはいただけませんね。あんこはつぶあん一択でしょ?」


「いーやこしあんだ」


「いーえつぶあんですぅ!」


 そんなアホみたいなやり取りをしばらく続けていたが、近くを通りかかった子どもとそのお母さんの会話で正気を取り戻すこととなる。


「ねえ、ママ。あそこにバカップルがいるよぉ」


「見ちゃダメ。というかバカップルなんて言葉どこで覚えたの?」


「ようちゅうぶー(無料動画サイトのやつ)」


 それを聞いた俺たちは一気に恥ずかしくなり、同時に「うぐっ」と黙ってしまった。


 そしてその沈黙を破ったのも同時だった。


「じゃあつぶあんにするか」←俺


「ではこしあんにしましょう」←神楽坂


「「なっ!?」」


 つぶあんのたい焼きを買うことになったのはそれから数分後のことだった。




〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

僕はこしあん派です。

もし面白そう、続きも読みたいと思っていただけたのであれば、コメントかレビューをしていただけると助かります。

次話は一緒に???って感じです。

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