第4話 神楽坂小夜は冷蔵庫に怒る

「やあ神楽坂。来てくれてありがとな。ここまで来るの遠かっただろ」


「いえ、電車の乗り方は勉強してきたので滞りなくここまで来ることができました」


「お、おう、そうか」


 俺は玄関の扉を開け、学校から俺の家まで来てくれた神楽坂を迎え入れている状態だ。


 にしても電車の乗り方の勉強って。ほんと、お嬢様って感じだな。


 このまま玄関先で立ち話していても仕方がないので、神楽坂が入りやすいよう扉を全開し、道を譲るように彼女を先に家の中へと導く。


「神楽坂の家に比べたら狭いかもしれないが、そこは我慢してくれると嬉しい」


「そんなことありませんよ。パッと見た感じこの家の間取り全部で屋敷のダイニングの3分の1くらいはあると思うので、そこそこ広いと思いますよ」


「それ褒められてるって解釈でオーケーなんだよな」


 まだ神楽坂の家に行ったこともなければ、実際に見たこともないのだが、今の会話だけでも確実に広いことが推測できる。


「一人暮らしの家ってどんなものかと思っていましたが、結構物は揃っているものなんですね」


「まあ元々家族で住んでいた家に俺だけ残ったってだけだからな」


「あーそういえば海外への出張でしたっけ?」


「ああ。親には一緒に来るかと言われたけど、一人暮らしってなんか憧れてたし、授業料もとく――」


「とく?」


「あーいや、なんでもない。特別困ってはないって言いたかっただけだ。気にするな」


 うっかり口を滑らしてしまうところだった。別にそれ自体やましいことではないんだが、今後の学校生活を考えるとどうしても言うのをはばかられてしまう。


 俺の発言にさほど興味を持たなかった、というよりはリビングの方が神楽坂の興味を湧かせたらしく、彼女は色々と失礼のない範囲で物色している。


 異性の、それも好意を抱いている女の子が家に来るってだけでもものすごい嬉しいし緊張もしているが。


 俺が普段過ごしている空間を矯めつ眇めつしているところを見るのは、なんだか痒いところに手が届かない感覚で居た堪れない。


「ほー」とか「ふーん」とか言ってるのは呆れてるのか感心しているのかどっちかわからず、さっきから変な汗ばかり掻いてしまう。


 一通り眺め終わったのか、今度はキッチンの方へ歩を進めた。


「水回りとか油汚れがないところとか、もしかして梓くんって意外と綺麗好き?」


「意外とって、俺は自他ともに認める綺麗好きだぞ。学校の掃除だってちゃんとやる派だし、上級ランクの尻拭いだってよくやるくらいだしな」


「その……すみません」


「あ、いや俺こそ悪い。返しにくい皮肉言っちゃって」


 いつもなら一人で気を緩められる自分の家だったからか、神楽坂が困るようなことを言ってしまった。


 カーストを憎むのは勝手だが、それで他人を傷つけていいことには決してならない。


 今は俺の家に神楽坂がいる。


 この事実をもう一度しっかり頭に叩き込まないとダメだな。


 せめて自分で微妙な空気を変えようと明るく話題を振ろうとしたとき、神楽坂は冷蔵庫を開け、そして絶句した。


「な、なんですか……これは……?」


「な、何って別に汚いはずはないんだが……」


 開かれた冷蔵庫を俺はおそるおそる覗いてみると、やはり汚くなっているわけではなく、飲み物だけが整然と並んでいた。


 飲み物だけ……?


 その瞬間、俺は全てを察した。


「それは綺麗でしょうね!だってそもそも食材とか一切ないんですから!これでどうやって晩御飯を作れと?」


「あ、それはその……」


「なんですか。何もない所からハンバーグでも出てくると思ってたんですか?梓くんハンバーグ好きだから作ろうと思ってたのにっ!えーそうですか。えーそうですか」


「わ、悪いと思ってるよ。ここまで考えずに神楽坂を呼んでしまったこと」


「悪いと思っても食べ物は出てきません。梓くんっていつも料理しないんですか?」


「じ、実はあんましないんだよな。朝は食パンで済ませるし、昼は神楽坂の新妻みたいに気の遣われた栄養満点の弁当あるし、晩はこだわらず適当に食べてたらいいかなーって……」


「だ、誰が新妻よ!こ、このおたんちんっ!」


「す、すまん。お前の上手い飯に甘えてたってことに気づいて、今めっちゃ反省してるから!だからポコポコ叩くのやめてぇ!」


「ほ、褒めても栄養は取り戻せませんからっ!猛省してくださいっ!」


 神楽坂は風呂でのぼせた時みたいに顔を赤くして俺に抗議している。


 それほど怒らせてしまったんだなと深く反省、いや猛省する俺。


 あとおたんちんって何だと訊きたくなったが、怒りを深めそうなので疑問を喉の奥に引っ込めた。


 とはいえこのままってわけにもいかないのだ。


 食べ物がなくて、はい終わりでは済まされない。


 なぜなら、俺は神楽坂をわざわざ家まで呼び出している立場だからだ。


「晩御飯作れないし、今日はもう帰れ」なんて失礼だし、不誠実だ。


 かといって、俺の家に留まらせる理由があるわけでもなし。


 思考が八方ふさがりになっていたところで、神楽坂は思わぬ助け舟を出してくれた。


「このままじゃ埒があきません。買い出し、行きますよ」


「買い出し?」


「商店、問屋、市場、産地などに行って品物を買うこと、という意味です」


「いや、言葉の意味は知ってるわ!」


「買い出ししたことなさそうな冷蔵庫の所有者はどこの誰ですかね」


「ぐうの音も出ない」


 まあ俺だってこれでも一人暮らしする身ではあるので、買い出しくらいしたことはあるが、なにぶん冷蔵庫を引き合いに出されると全く言い返せない。


 呆れた眼差しで俺を一瞥した後、手早く準備を済ませてソファに下ろしたカバンから財布だけを抜き取り、再び玄関に向かう。


 俺も待たせないようすばやく用意して、後を追う。


 神楽坂はお嬢様らしい上品な所作で靴を履き、こちらへ振り返って言った。


「ほら。一緒に買い物行きましょう」


 それを見た俺は制服で好きな女の子と買い物に行けることが非常に楽しみで仕方なかった。




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必ず神楽坂の「おたんちんっ!」を脳内再生してから眠りにつく蒼下銀杏です。

快眠できますし、宝くじに当たった人がいるという幻聴も聞いたことがあるのでおすすめですよ。

読者の皆様、ここまで読んでいただき誠にありがとうございます!

面白い、続きも読みたいと思っていただけたのであれば、コメントがレビューの☆を押してもらえると助かります。

恐縮ではございますが、これからもよろしくお願いいたします。

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