第12話 夢と片腕の老人

 ルーフの上で突っ伏したのは覚えている。私はどうやら夢を見た様で、少し温かな気持ちになったのを覚えている。


 うっそうとした草の道を、ただ一人の老人が歩いているように見える。静かな風のざわめきに老人の結んだ髪は揺れる。そして片腕しかないのか、右腕の袖が何の抵抗も無く風にゆらゆら揺らされている。

 その老人の顔はよく見えなかったが、私はどこか懐かしいような気持になったのを目が覚めてからも覚えている。


 道を進む老人と夢を見ている私が目にする物は、どこか身の覚えがある酷く朽ち果てた破れ寺だ。老人はその廃墟を少し立ち止まって見ると、あたりから漂う嫌な気配がこの土地を埋め尽くしているのを確認した。老人が移動すれば私の夢の中の視点も移動するように、今度は廃墟の裏に回っていく。

 その先で目にするモノとは、何とも恐ろしい鎧を着た武者のような姿のモノだった。その存在を確認した老人は何も言わずに首を横に振り、どこからともなく狐が現れる。野狐を見たことがないが、尻尾の数は個々によって違う物だろうか。四本の尻尾を持つ狐と六本の尻尾を持つ狐が武者を威嚇するのだ。


 恐ろしい武者のモノはなんと老人に斬りかかろうとするが、老人は特に何も動じることがなかった。武者の刃が老人を傷つける前に、狐達が一斉に武者へ飛び掛かる。武者は刀を砕かれ、鎧を剥がれて膝を地に落としてしまうが、老人は気にしないようでその先にあった石の塊に触っていた。

 老人は石を調べて納得したように武者に振り返ると、初めて口を開いた。


『動くな――。もう戦は終わった』


 動くなの後が私には聞き取れなかった。名前か何かを言われたのか、分からないが武者はそれから全く動けなくなったようで、石の様に体の動きが固まっている。老人はそんな姿の武者から目を離すと、懐から紙切れを取り出した。

 一瞬の出来事だった。老人が紙切れを目の前の石の塊に貼った瞬間、武者の身体は全身から炎が噴き出してしまう。どこかで感じたことのある恐怖感を、私はこの夢で覚えた。


 武者の身体は一瞬にして灰かなにか分からないモノになって消えていく。その瞬間あたりの嫌な気配は消え去り、どこかに行っていたのか、老人に近寄ってきた狐達が何やら満足そうにげっぷをしていたのも覚えている。老人はしばらく石の塊の前で時間を過ごすと、そのまま元来た道を振り返る事無く去っていく。

 私が夢を覚ましたのはこの先で、私は夢の中で老人と目が合ったのだ。今まで顔がうまく見えなかった老人の顔が、荒れた道を歩く中で振り返られて目が合った。顔はよく覚えていないが、目が合ったのを確信した瞬間、私はルーフの上から跳び起きた。


 勢いよく跳び起きた私に吉田君はびっくりし、ルーフも何事かと背中から頭を出してこちらを確認しにきた。


「なにか先輩? おはようございます。嫌な夢でも見たんすか? 」


 吉田君はいつの間にかルーフの背中にまでよじ登っており、私の顔を覗き込んでいる。私は大丈夫だというように首を縦に振った。すると吉田君も納得したようにルーフの背中の上で寝転がった。


「なにか先輩は寝るんすもんねー。俺なんかまったく眠くならないっすよ。いいなー、気持ちよさそうに寝てたし」


 吉田君はその後から相当暇だったのか、私の寝ている姿のことを話し出した。下半身がルーフと同化しているために落ちることはないが、それでも寝返りはうっていたようだ。上体を左右に動かしてみたり、口からよだれが垂れてルーフの背中がびっしょり濡れていたり、寝顔のことだったり……。私は何故か今まで感じたことのない『恥ずかしさ』が込み上げてきて、顔を赤くして吉田君の口をふさいだ。


「ごめんっすw でも気持ちよさそうに寝てたから羨ましいっすよ。途中で跳び起きたのはびっくりしたっすけど」


 そうだ、私は夢の中で老人と目が合って目を覚ましたのだった。あの草で荒れ放題の道や、酷くボロボロな廃墟、そして石の塊には身に覚えがある。さっきまで私達がいた所ではないかと私はこのころになって思い出した。

 それにしても、今はどこにいるのだろうと私はルーフの巨体の上から辺りを見渡す。すると明かりが見え、普通の生きている人間の気配も沢山している。どうやら私が眠っていた間に森を抜けていたようだ。


「人間でここに住むのはかなりの物好きっすよねー。だって病院もないし、スーパーも何もないんすよ? でもバスと電車は通ってるみたいっすね。……バス一日四本すか」


 吉田君は何やら薄い物を見てそう言った。だけどコレは私も見た事がある。街中で人間が『バス停』と言っていたものだ。バス停はバスという大きな車が止まる場所で、バス停には『時刻票』というものがあり、いつバスが来るのかがわかる便利な物だ。

 少し遠目には橋が架けられているが、大きな乗り物が動いている。アレも私は見た事がある、アレは電車という乗り物だ。やはり街中の人間がこぞって乗り込む姿を見ると、電車もバスも人間にとってはとても重要なものなのだと私は察している。


「お、なにか先輩も電車とバスは分かるんすね。さすがっす! 」


 褒められて悪い気はしない。私は込み上げる高揚感に頬を緩めた。すると遠くから眩い光がこちらを照らしている。鳴り響く音と光はコチラに近づき、高い『キィ――』という音と共に止まった。どうやらバスが止まった。

 ぞろぞろとバスの車内から人が降りてくる。誰も私達の存在には気が付かず、目の前を素通りしていく。しかしその中で老人の女性同士が話をしているのを私は耳にした。


「あの森の奥にあるお寺、とうとうお祓いしたみたいよ」

「なんか不気味だったしねぇ、早く取り壊せばいいのに」

「ほんとよねぇ。祓った神主さんもぶっきらぼうらしいわよ。たしか木口とかいう――」


 なんの気無しに聴こえた『木口』という名前。普段は人間の会話にそこまで興味の無い私だが、その時私は歩き去っていく女性たちをしばらくその場で見つめていた。

 しばらくするとバスは『プシューッ』という音を立ててその場を通り過ぎていく。私は未だに固まったままだ。


「よく聞くっすね『木口』っていう名前。ここらへんに住んでるのかもしれないっすよ」


 話しながらバスを降りて行った女性達はすでに見えなくなっているが、私はずっとその方面を見つめていたようだ。そして何かを思ったのか吉田君が私に話しかける。その言葉に私も振り返って吉田君を見ると、小さく頷いた。

 『木口』という名前に私は どうやら過剰に反応している。その事から恐らく私の生前の記憶や、私が肌身離さず大切に持ち歩いている日記帳などの物が深く関係しているように思える。


 『木口』という名前を追い求めることに吉田君はあまり乗り気ではないが、それでも私から離れないところをみると何とも頼もしい。吉田君が私に思い入れがあるのか、それとも何か理由があるのかは今の私には分からない。


「なにか先輩は俺のことについて全然詮索しないっすね」


 吉田君は急にそんなことを言い始めた。たしかに吉田君を私はよく知らない。吉田君に全く興味がないと言ってしまえばそれまでだが、言われるまで特に聞こうとも思わなかったのは事実だ。

 今まで気にもしなかったことを指摘されると、急に彼は生前どんな人間だったのかが私は多少気になり始めた。その事に私もソワソワしてチラチラと吉田君を振り返ると、いつもの様に苦笑された。


「そうっすね。聞きたいっすか? 」


 私の元々ない興味をあおって、吉田君についての興味を持たせておいて『聞きたいか』はない。私は少し渋ったが、我慢できなくなって頷いた。

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