7/30 「反重力力学少女と女装少年の詩-38」

 その日、太平洋に光が降り注いだ。

 光は尾を引いて落下する。それは宇宙空間での加速用に付けられた推進ジェットの炎と、大気圏突入の断熱圧縮で融解した表面のタングステンが燃えたものだった。

 オクトパ人母艦より落とされた直径三〇メートル・長さ二〇〇メートルの〈スチカラの槍〉七本は、音速の十数倍という速度でアナザー鬼ヶ島に着弾した。

 それはある意味では過剰火力だった。大陸に比べれば薄い板きれである鬼ヶ島を槍は易々と貫通し、計算され尽くされた弾道によりアナザー鬼ヶ島反重力機構の核を穿つ。そのまま超高速で飛び続け、槍は海に着弾する。四〇〇〇度を超える温度に燃えた槍はその運動エネルギーで海水を吹き上げると共に、大規模な水蒸気爆発を起こした。急激な膨張により爆風となった水蒸気がアナザー鬼ヶ島の底に吹きつける。そうして水蒸気を巻き上げた海面にアナザー鬼ヶ島はゆっくりと――大きすぎてそう見えるだけで本当はすさまじい速度で――落ちていく。やがて大きな水しぶきを上げ着水し、そのまま沈んでいく。


 丁度その頃、こちらの世界の鬼ヶ島は全世界に張り巡らせた超大型反重力機構〈反重力網アンチグラビティネット〉を作動させていた。全世界に微弱な反重力場が発生し、世界線同士に生じていた引力を引き剥がしていく。

 そしてアナザー鬼ヶ島という核を失った向こうの世界線は、散り散りとなって消滅する運命にあった。


 アナザー鬼ヶ島が、拿捕されていたアナザー鬼ヶ島側の戦艦が、黄金の粒子となって徐々に姿を崩していく。それは人も同じだ。ロバートも、羅刹三世も、別世界のジェイもその身体を金色の粒子に分解し、いつの日か織りなされる新たな世界線の素材として時空の外側に還元されていく。


 水蒸気爆発から奇跡的に――あるいはその卓越した操縦技術の結果として生き残ったプロペラ機もまた、その例外ではなかった。


『――私には、一人の息子がいた』


 その操縦席で徐々に薄れていく男が、イロハに語り出す。


『けれどその子は、小さくして交通事故で死んでしまったんだ……私と妻の、いつまで悔やんでも悔やみきれない出来事だよ。もしあの時私達が目を離さなかったら生きていただろうか――そんな妄想の世界を幾つも作り上げたものだ』


 イロハは黙ってその言葉を聞き続ける。

 飛行機は鬼ヶ島までもう少しの距離に辿り着く。


『だから終わってしまう前に、こっちの世界であの子がまだ生きてるのか知りたかったなぁ。残念だ』

「――リオは、生きてるよ」


 何一つそうであるという確信はなかったけど、そう言わなければ、そう伝えなくてはとイロハは思い、言葉にした。

 反応については、濃くなっていく金色の光で見ることができない。


『――そっか』


 ただ簡単な相槌だけを残して、男は飛行機と共に消滅した。



  *  *  *



 父の墓標の近くで、僕はアナザー鬼ヶ島が消えていくのを眺めていた。

 十分な距離をとっていたとはいえ、鬼ヶ島にもその爆風は吹きつけた。吹き飛ばされてしまうのではないかという熱い突風を錆びた機体の陰に隠れてやり過ごし、僕は消えていく向こうの世界だったものを見ていた。


「イロハ……」


 結局、萌木さんに誓った通りに彼女を助けることはできなかった。彼女は僕達のためにと、自分を犠牲にしてしまった。そうしないと今頃みんな死んでしまっていたのは事実だが、他にできることがあったのでないかと、桃太郞に押さえつけられ助けに行けなかった僕は悔やまずにはいられないでいる。

 そしてその気持ちに整理をつけるために、桃太郞達は僕をここでひとりにさせてくれたのだろう。だけど自分の関わった少女の命に、一体何が釣り合うというのか。

 きっと答えは出ない。だからこれは、僕が死ぬまで考え続けなければならない命題に違いなかった。


 風が止む。

 ふと、どこからか音が聞こえてきた。

 懐かしい音だった。小さい頃に近くで聞いた、プロペラを回すエンジンの音。

 僕は機体の陰から立ち上がり、煌めくアナザー鬼ヶ島の方向を見る。

 崖の向こうから、金色に光るものが飛んできていた。エンジン音を鳴らすそれは、馴染みのある形の飛行機だった。飛行機はその輪郭線を綻ばせながら、僕に向かって飛んでくる。

 そして手前で頭を上げ、最後は真上に飛ぶようにしてその姿を崩し尽くした。雲海の無い晴れた空の、太陽に飛び込むかのような最後だった。


 その太陽から、何かが落ちてくる。


「――」


 目映い中に見つけたその姿に、僕は細めていた目を開く。

 ゆっくりと落ちてくるそれが落ちる崖の先まで、僕は走る。そこにはちっとも、高所恐怖症なんてものはなかった。


 銀髪を、スカートをはためかせ、少女はゆったりと、その身を淡く光らせて崖に降り立つ。そして、駆け寄る僕へ視線を向ける。


「……ただい、ま?」


 それは初めて僕が見た、優しく穏やかな笑顔だった。


「ああ……おかえり!」


 帰ってきた彼女へ、僕は勢いよく抱きついた。

 ――すっかり崖っぷちであることを忘却したまま。


「――あ」

「え?」


 勢いそのまま、僕達の体は崖の外側に乗り出す。


「「ぎゃー!?」」


 そして僕達は抱き合いながら、崖の下へ落ちていったのだった。

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