7/31 「反重力力学少女と女装少年の詩-39(終)」

「ごめん! 待たせちゃったかな!」

「杉山君……! いえ、私も今来たところですよ」


 待ち合わせの公園に時間ギリギリに駆けつけると、既に待っていた萌木さんは笑顔で迎えた。


「いや、絶対に待たせてる。だから飛んで向かうべきだと言ったんだ」


 息を切らした僕に、イロハは腕を組んでそれみたことかと鼻を鳴らす。当の彼女は息を乱すどころか、その銀髪も相まって余裕綽々の涼しげな様子である。


「そんなことしたら目立つってさっきも言っただろうが!」

「他人の目なんて気にしてどうすんのよ? それ言ったら、リオの女装も目立つものなんじゃないの?」

「女装は誰でもできるが、空はお前しか飛べないだろ? そういうことだよ」

「ふん、そんなの飛べない人間が悪いわ」

「まぁまぁ、お二人とも……」


 口喧嘩となる僕達を、萌木さんがなだめる。こんなやり取りも、気が付けば「いつもの」と呼べるようなものになってしまっていた。


 世界の存亡を賭けたあの戦い――俗に「第二次鬼ヶ島大戦」と呼ばれるようになったあの日から、既に二ヶ月が過ぎようとしていた。あの直後は五百年の時を経て姿を現した鬼ヶ島や、オクトパ人の一行に世間はパニック状態になった。しかし二ヶ月も経つとその存在自体への驚きは薄れ、今は人間とどのように共存していくかでの討論に世論は移ろいでいる。


 季節はすっかり秋めいて、気温も落ち着いた。それはつまり、女装するにあたって服を着重ねてバリエーション豊かにできるということを意味していた。そしてそれは萌木さんの服装も同じだ。今日はレモン色のタートルネックのトップスの上に薄手のカーディガンを羽織り、下はシルエットのふわりとしたロングスカートと、リボンの付いたパンプスといったコーデだ。


「あの……どうでしょうか?」

「うん、萌木さんに似合ってるよ。可愛い」

「ホントですか? なら良かったです」


 ふふっと微笑む萌木さん。


「おいリオ、なら私はどうだ」


 僕と萌木さんの間にイロハが割り込む。その目は対抗心にメラメラと燃えている。

 活発な彼女が着ているのは、その性格のように派手めな格好だ。彩度の高いピンクやブルーがちりばめられた、パンク寄りのファッション。それを持ち前のはちゃめちゃに整った顔立ちと艶のある真っ直ぐな銀髪をもってして服に着られることなくばっちり着こなしていた。


「家出るときにも言っただろう? 僕が見繕ったんだから、そりゃ僕の目には似合って見えるって」

「可愛いが足りない」

「ハイハイ可愛い可愛い」

「もっと心を込めろぉ!」


 反重力をもって胸ぐらを掴み持ち上げてくるイロハ。甘いな、二ヶ月も同じ屋根の下で暮らせば、もうこんなことでは驚かないのだ。

 そう、イロハは今我が杉山家に住んでいたりする。血縁上は僕の腹違いの兄妹みたいな関係であるし、母も父の最期を含めた事情を説明すると彼女を家族として温かく迎え入れた。以降は本人の意思で僕の部屋の向かいの、長らく主のいなかった父の寝室だった部屋で暮らしている。三人分の食事を作る母には、どこか昔のような活力が戻ったように思えた。とはいえ、イロハは元々人間社会の存在しない鬼ヶ島で生きていた身だ。知らないことはいくらでもあり、それらを全て教えるにはあと何ヶ月かかるのやらといった状態である。


 どうにか離してもらい、僕達は三人で目的のショッピングモールへと向かう。三人というのも、より正しく述べるなら僕と萌木さんのデートにイロハが付いてきているわけであるのだが。


 そうそう、二ヶ月の間に最も大きく変わった事は何かといえば、僕と萌木さんがちゃんとした恋人関係になったことだ。あの戦いから戻って鬼ヶ島の本部で再会した後、二人きりにしてもらってしっかりと告白をした。それに萌木さんがイエスと答え、晴れてそういう仲となったわけだ。勢いでキスまではいけたけど、それ以降へは今のところ進んでいない。そういうのはちゃんと順序立ててやらないとなのだ。それを急かす存在がいなくなったことで、僕達の関係は平穏に進んでいるといえるだろう。

 そういう意味で二番目にデカい変化といえば、ゾウのやつと別れたことだった。


『それじゃあ、僕は行くよ。この前途ある世界で、さらなる男の娘を求めてね――』


 そう言って消えていったアイツが、今どこでどんな子と共に暮らしているのかは分からない。ただひとつだけ言えるのは、どうにも最近テレビやSNSで男のユニセックスなファッションについての特集を見かけるということだけだった。ともかくあの根源悪――時により恩人――がいないだけで世界は希望に溢れて見えるのだと、僕は二度目の憑依で盛大に再確認したのであった。



  *  *  *



「おーっす、まだ生きてるかー?」


 アタシが病室に入ると、その男は黙々と本を読んでいた。

 トレンドマークの黒いコートは、水色と白の患者服に。オールバックで固めていた髪を下ろされ髭も剃られてしまっては、その風貌はすっかりポリープ手術にでも来た会社員のそれである。一ヶ月前まで死にかけていたことから考えればまぁ、随分な進歩だ。


「――誰かさん草薙のせいで、どうにかな」


 こちらを一瞥して、ジェイは本をぱたりと閉じる。その両断されていたという上半身と下半身は、鬼ヶ島由来のテクノロジーで緩やかに修復を開始していた。


 六百年もの過去から未来である現在に時空転移してきた飛行艇、〈鳳凰丸・改〉。その搭載されていた時空転移装置は墜落とアナザー鬼ヶ島へ落とされた〈スチラカの槍〉によって跡形もなく消滅したわけだが、その発案者であるサルのマサルは生きていた。彼は過去に戻るべく、自身の子孫達の協力を得てわずか一ヶ月という短期間で再び小規模な時空転移装置を作り上げたのだ。それは彼らが過去へと帰還するために作られたものであったが、その前に一つ頼めないかと私とロゼで懇願した。それこそが、ジェイの救出だった。


 未来をこれ以上変えるのは良くない――そのようなマサルの判断より、ジェイの救出はイロハの奪還に失敗したその直後、死んでしまう直前に行われることになった。その結果としてジェイは上半身と下半身が分断された状態で一ヶ月後の未来に連れてこられ、鬼ヶ島の遠隔体培養施設での集中治療が施されたわけである。

 現在は脊髄や主要な血管の結合を終え、日本の病院の一室を借りて特殊点滴での治療に移行している。まだ足の感覚は微妙で立つことすらままならないというが、鬼ヶ島によれば「一年もリハビリに励めば、以前のように走ることもできるだろう」らしい。


「まったく辛いぜ、一年も新しいオカズの獲得に出向けねぇってのはよ」

「我慢しろ。っていうか、別に殺し屋として撃ったものじゃなくても抜けるんだろ? どっかの射撃訓練場とかで撃った的もらってくればいいんじゃねぇのか?」

「それは……あー、あれだ。処女作でないはずの女優の素人風AVみたいな残念さがあるんだよ。抜けないことはないが、色々と考えてそこまで気持ちよくはないんだよ」

「つまり見た目だけは幼い中学三年生、みたいなことか」

「お前の尺度に翻訳すれば、そういうことだな」

「まぁ、でもいいじゃないか」


 椅子に腰を下ろしたアタシは、ジェイににやりと笑いかける。


「何がだよ」

「寝たきりってことはお前、当分したい放題じゃねぇか」

「何がだよ――って。あーあー分かった、今来たヤツで分かった」


 ジェイの呆れたような、でも確かに笑った顔が見つめる方へ振り返る。


「ハ~イジェイ! あら、ナギも来てるじゃな~い!」

「おー、ロゼ」


 粘液を廊下に引きながら、ロゼが病室に入ってきていた。

 ロゼは今、表社会にでたオクトパ人の調停で忙しく動き回りまさしく引っ張りだこだ。どうにかして時間を作って、ここにやってきたのだろう。


「ナギ~持ってきたわよ~、〈ボイン〉オフライン用ソフト。これで三人、遅延無しで戦えるってわけよ~」

「でも、お前時間は大丈夫なのか?」

「仕事を巻きまくって、今日はもうフリーにしてやったわ~。さ、好きなだけやりまくるわよ~、私も最近時間がとれなくて欲求不満なのよ~」

「奇遇だな、アタシもだ」


 次々と準備されていく機器を見ながら、アタシはコントローラーを手に取る。ロゼから渡されたもう一つを、アタシはジェイに渡す。


「ほら」

「――ああ」


 ジェイはそれを受け取り、その感触を確かめる。彼にとってそれは、スナイパーライフルの次に手になじんだ獲物に違いない。ロゼについては、〈エヴァロ〉の操縦桿とどっこいどっこいとかそんな感じだろう。

 ――でも。


「よーしシングルの三人対戦なー、容赦しないからなお前ら」


 アタシにとってのこれコントローラーは、この世で一番手になじんだ獲物なんだよ。


「今日こそは、勝つ」

「あら、ジェイには負ける気はしないわね~」

「へっ、減らず口も今だけにしてやる……!」


 三人で一つの画面に向かい、騒ぎながら〈棒 オンライン〉をプレイする。


「あーあ……楽しい」


 やっぱりこれが、アタシ達に一番しっくりくる関係だった。



  *  *  *



 こうして過去現在に帰ってきてみれば、全てが夢のように思える。

 けれどそれはやはり真実であり、目の前にあるマサルが突貫工事で仕上げた時空転移装置が何よりの証拠であった。

〈鳳凰丸・改〉に乗っていた船員の中で最後にタイムワープを行った私達は、慣れ親しんだ山奥の屋敷の前にいた。


「しっかし、未来ってのは何が起こるか分からないもんだな~。百年後にはあの鬼ヶ島が鬼から生まれて戦争を起こして、そのさらに五百年後にはあんな大規模な戦いをするわけだろ? 俺にはそんなの想像つかなかったぜ……」


 マサルが半ば興奮気味に捲し立てる。想像ができないという点では、私もほぼほぼ同意だった。


「しかし、我が子孫はなんたる体たらくだ! その鬼ヶ島が生まれた頃など、食肉にされていたそうではないか!」

「なんかまた、ろくでもないことしてたんじゃないのか? 俺たちを朝廷に売ろうとしていた時のお前みたいによ。なぁポチさん?」

「聞かれても困ることを私に聞くな……」


 そもそも、それはアカバネが何も知らない段階で改変された未来である。


「――でも、続いてましたね。皆さん」


 桃太郞がこぼすように呟く。

 その言葉に、私達はただ無言で答えた。

 六百年後まで、私達の子孫は生き残っていた。それが分かるだけでも、なんとなく未来というものがより実感を持って存在しているように思えてくるものである。


「それをこれから、私達が繋げていくわけだな」

「ああ」

「ええ」

「うむ! では小生、早速未来の嫁を探す旅に出るでござる!」

「おい、アカバネ!?」


 驚く私達を無視して、アカバネが山へ飛び去っていく。確かにあんな感じで自己中に動き回れば、その内恨みの一つや二つは買うだろうなと納得してしまった。


「でも、アカバネの通りだな。俺たちも、まず子孫を残す相手を探すところからだ」

「……そうだな」

「お、なんだポチさん今の意味深な間は? あっ、そういえばこないだ下町んとこのハナちゃんに尻尾振ってたけどまさか――」

「ばっ、あれはそういうんじゃ……!」

「ほら赤くなった! やっぱ図星なんだ! ちくしょーポチさんに先を行かれてやがるぜー!」

「だから、そういうのでは決して……!」

「あははは……」


 困惑する私を見て、桃太郞は楽しそうに笑っている。


「そんなにおかしいか」

「はい、とっても」


 それは、桃太郞にしては珍しい返し方だった。

 そして、頭上に広がる青空を見上げて、


「こんな未来が続くなら、いくらでも見ていたいくらいには」


 そんなことを言って見せたのだった。



  *  *  *



「ごめん、先にトイレに寄っていいかな?」


 駅まで来たところで、僕は二人に断ってその場を後にする。ついでにここで女装も済ませようかなと思ったけれど、電車までそこまでの時間は無さそうだ。急いで戻ることにしよう。

 そうして、僕は萌木さんとイロハを二人きりにする。




「なぁ、モエ」

「ん? どうしたんですかイロハちゃん」

「私は、まだ諦めてないからな」

「はい、知ってます。でも今のところ、杉山君が好きなのは私みたいですよ、

「……確かに、いんたーねっとで調べたらモエの言う通りだった。兄妹では結婚できないって本当なんだな」

「ええ、残念ながら」

「笑顔で言いやがって……そんなもん、鬼ヶ島に頼んで法律を変えてもらえばいいだけだ」

「……ふふっ」

「こんの、また笑いやがって」

「いえ、ごめんなさい。イロハちゃんのそういうところ、やっぱり好きだなぁと思って」

「っ……べ、別に私だって、モエの事が嫌いなわけじゃないし」

「はい、そういうことです。私達は友人であり、ライバルというわけです。ただ今は少し、私が優勢なだけってだけですよ」

「訂正、そういうところは嫌いだ」

「ふふっ、嫌われちゃいました」

「……ははっ」

「ふふふっ」




 トイレから急ぎで戻ってくると、何があったのか萌木さんとイロハが二人で笑い合っていた。なんだかそこに戻るのも悪く、僕は気付かれないように離れてその様子を見ていた。


『――やはり、百合も捨てがたいか』

「うおっ!!!!!?????」


 突如として聞こえてきた声に、僕は死ぬほどびっくりして反対側の線路に落ちるところだった。どうにかこらえて黄色の線まで戻ると、『危ないじゃないか、少年』とまた死ぬほど幻聴であってほしい声が聞こえてきた。


「ゾウ! 貴様死んだはずじゃ!?」

『いや死んではいないでしょうが……いやね、この二ヶ月間理想の男の娘を探し求めて世の流行まで操作してその原石を探してみたんだけど、どうにも少年以上の逸材には出会えなくてさ……それに、僕も気になってしょうがなかったんだ。少年とあの子達の今後がね』

「――帰ってくれ」

『断る。少年のち○こが萌木君とイロハ君のどちらの蜜壺に先に入るのかが気になって仕方ない以上、その結論が出るまで僕は少年から離れないと決めたんだ』

「開幕フルスロットルかますんじゃないよ」


「あ、杉山君!」

「リオ!」


 ゾウに対して声を出して会話していたため、二人が僕に気が付いてしまった。二人が駆け寄ってくる。ちょうど、電車がホームに入ってきたタイミングだった。


「何か喋っていたようですけど、どうかしたんですか?」

「ああいや、なんでもないよ」

「そうですか――では、行きましょう」


 萌木さんがするりと、僕の腕に手を通して腕を組んでくっついてきた。


「も、萌木さん!?」

「どうしました? 恋人なら、これぐらい普通じゃないですか」

「ま、まぁそうかもしれないけど……?」

「――むう」


 するとイロハまでもが、むすっとした表情で反対側の腕を掴んで腕を組んできた。


「ちょ、イロハまで」

「兄妹なら、このぐらい普通よ」

「それは、どうなのだろう」


 今まで一人っ子だったので兄妹の相場なんて知らない。

 僕を挟んで、二人はお互いの顔を見る。二人とも揃って笑顔を作っていたが、僕のところでバチバチと火花が散るのが目に見えるようだった。


「「さ、行くぞ行きましょう」」


 二人に引っ張られて、僕はロズウェル事件の宇宙人のように両腕を掴まれた状態で電車に乗り込む。ドアが閉まり、電車が発車する。


 障害物のないレールの上を、電車は進んでいく。

 人生の道をレールで例える人もいるけど、僕はそうは思わない。実際の人生には大小様々な石が転がって行く手を阻んでくるし、レールがどこを向いているのか、どこに辿り着くのかなんてまったくというほど予想がつかない。


 けれど本当に全てが予想できないのかと聞かれたら、僕には一つだけ自信を持って言えることがある。


『うーむそうか、3Pという手もあるんだな』


 コイツが絡むと、人生のレールは確実に曲がりまくる。



     〈了〉

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まいにちリハビリ道場 緒賀けゐす @oga-keisu

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