7/14 「反重力力学少女と女装少年の詩-22」

 太平洋上、白い光の尾を引いて飛ぶ一隻の船。

〈ミェルビュエレ〉より少し小さい純白の体躯に、ごつごつと見せつける砲身や索敵レーダーの数々。高度五千メートルを飛行するその動力は――反重力機関。

 雲の波を掻き分け鬼ヶ島雲海すらもろともしないその屈強な金属塊こそが、ロバート・ポール率いる一統の飛行艇、〈白鯨〉であった。

 そして〈白鯨〉の腹側に位置する、ベッドとトイレだけの狭く簡素な部屋。

 一度は抜け出したはずのその部屋に、イロハは再び閉じ込められていた。


「……」


 イロハはベッドにうずくまり、ただただ時間が過ぎるのを待っていた。逃げだそうにも前回より警備は厳重にされているだろうし、どうにか逃げ出したところで、飛び出すのは陸地すら見つけられないような太平洋の沖合だ。今はただ、逃げ出せるその時を待つことしかできなかった。

 せめて、モエギに買ってもらった本でもあれば暇が潰せたのに。

 イロハは照明に手をかざす。宇宙人と鬼ヶ島が戦うのだ、面白くないわけがなかった。それたら今の私は、宇宙人に捕らわれた鬼ヶ島の姫といったところか……そんな妄想に耽ってみたりする。きっと話が良い感じに盛り上がったところで、私の前に主人公が颯爽と現れて――。

 そうやって妄想してみた相手がナチュラルにリオであったことに気が付き、イロハは驚いて目元を手で覆った。

 いや、確かに私を助けに来るような人間なんてアイツかモエギしかいないけど。だからって安直すぎやしないか私。もう一度この部屋に連れてこられてからの時間の方が、アイツといた時間より長いじゃないか。それに助けてくれた人間なら別に……。

 イロハは再び攫われたその夜に助けに来た男――ジェイのことを思い出す。


「……っ」


 そしてこみ上げてきた吐き気に耐えきれず、急いで起き上がると胃にどうにか詰め込んでいだ食事をトイレに全部ぶちまけた。喉を胃酸が焼き、口いっぱいに気持ち悪い臭いが広がる。

 ぜぇはぁと肩で息をするイロハの脳裏には、まだあの光景がこびりついていた。

 アジトから脱走し二人で夜空に飛び出したその直後の、手に伝わってきた衝撃と、わずかに遅れて聞こえてきた銃声、そして飛び跳ねた大量の血。驚いて振り向いたそこにイロハが見たのは、胴体に風穴を開けたジェイの姿だった。

 血をだらだらとたらし悶絶するジェイのそのおぞましさに、イロハは一度手を離してしまう。再び地球に誘われたジェイを一瞬ぼんやりと見ながら、すぐさまマズいと落下するジェイを追って飛び、林の木々に突っ込んだ。

 葉に月光を遮られ薄暗がりなる林を自身の放つ光で照らし、イロハはジェイを見つける。そして同時に、イロハは膝から崩れ落ちた。そこにいたジェイは落下の衝撃で、とうに上半身と下半身を分断して事切れていたからだ。


「ごめんなさい……ごめんなさい……」


 骸の横でひたすらに泣いて謝っていたイロハを、やがてライトで照らす者が現れる。


「ふむ、さすが世界一と謳われるスナイパーだ。たとえ的が自分だろうが躊躇いもなく撃ち抜く……この冷徹さ、やはり雇って正解だったよ」


 部下を引き連れたロバートがジェイの遺体を見て笑っても、イロハにはもう怒る気力すら残っていなかった。そのまま無抵抗で拘束され、こうして〈白鯨〉の腹の中に収められている。


「ジェイ……」


 結局彼が誰に頼まれ助けに来たのか、イロハは聞くことができなかった。今彼がここに現れようものなら、まず謝って、その次に依頼主を尋ねてやりたい――。


「おいおい、大丈夫か嬢ちゃん」


 誰もいないはずの部屋から聞こえてきた肉声。

 イロハが驚き振り向く。いつの間にかドアが開かれ、そこに一人の男が立っていた。


「――嘘」


 オールバックの髪型に、彫りの深い顔、目元の傷。そんな特徴的な男を忘れるわけもない。

 そこに立っていたのは、紛れもないジェイだった。


「あー、その……期待させちまったなら悪いが、別に俺はお前を助けに行った方の寺門定次じもん さだつぐじゃない。俺はどちらかというと、お前の敵である方の寺門定次だ」

「……どういうこと」

「同じ顔で同じ名前の、別人ってことだよ。死んだ人間は生き返らねぇ」


 イロハは故郷で一度だけ見た、液体の満ちた大きな筒の並ぶ空間を思い出す。

 168――自分に割り振られた番号。


「……そうか。それなら、理解できる」

「ほら、とりあえず顔洗って口ゆすげ、そのままじゃ辛いだけだろ」


 別人らしいジェイに助けられながら、イロハは洗面台で吐瀉物を洗い流した。差し出された水筒の水こそ一度警戒したが、目の前でジェイが手に注いで飲んで見せたのでありがたく頂戴する。


「どうだ、落ち着いたか?」

「少しは……」


 イロハは顔を覗き込む。その男の顔は、やはりどう見てもあの月夜に見た顔と瓜二つだった。でも彼は、自分が敵であるという。


「どうして」

「あん?」

「どうして、優しくする。敵じゃないのか」

「あー……」


 ぽりぽりと頭を掻き、ジェイはベッドに並んで腰を下ろす。


「俺は殺し屋だ。依頼主クライアントに頼まれた相手は絶対に殺してみせるし、それに見合った報酬をいただく。金とか、撃ち抜いたブツとかな。それで今回の俺が請け負った任務が、敵対勢力の無力化と、あのいけ好かねぇスーツ男のお守りってわけだ。それ以外は自由で、こうしてお前さんと話してても問題なし」

「……なるほど」

「正直俺も、加担するには少しがデカすぎるとは思ったんだけどな。いくら俺達の世界を消滅の危機から逃れさせるためとはいえ、こっちの世界の自分を撃つってのは気味がわり『少し話しすぎじゃないか、ジェイ』


 ジェイの言葉を遮ったのは、どこからか聞こえてくる機械越しのロバートの声だった。


「おっと、わりぃわりぃついつい口が滑っちまった」


 悪びれもせずジェイは笑う。


『まぁいい。最終的には説明しなければいけない話ではあるからな。その私を侮辱するような言い草も、仕事に免じて見逃してやろう』

「それはどーも」

「お前……!」


 イロハの中に怒りが満ちる。しかしどうにか抑え込んで、イロハは対話に努めることにする。


「お前は、結局私を捕まえて何をする気だ?」

『やれやれ……仕方ない、そんなに知りたいのなら今から説明してやろう。我々が君を攫う目的、それは――』


 そしてロバートの口から、様々なことが語られた。

 ロバートの目的、世界の真実、そしてイロハの担う役目。


 それらを一度には受け止めきれず、イロハは事態のとてつもなさに震える。

 そして心の中で、一人の青年の名前を呼んだ。

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