7/3 「反重力力学少女と女装少年の詩-11」

 イロハが目を覚ますと、そこは飛行船のものとはまた違う薄暗い部屋だった。

 鼻から吸う空気が埃っぽい。寝かされていたベッドはスプリングがすっかり弱くなり、起き上がる際に腰に痛みを感じた。


「ここは……」

『おや、やっと眠り姫のお目覚めか』


 スピーカーで拡大された、耳障りな声。イロハは周囲を見回す。


「お前! ここはどこだ!」

『まさか、そんなこと言うわけないだろう? 一つだけ言えるとしたら、ここは我々以外誰も知らない拠点の一つということだけだ』

「この……!」


 イロハはを入れる。

 随意的なチャネル活性の変化による細胞内イオン濃度の変化から、視床下部の増設された領域がホルモンを分泌する。

 通常の人間とは異なる、横隔膜直下に作られた脾臓より少し小さい臓器。それこそが彼女に、小型反重力エンジンが生み出すものと同等の反重力力場を作らせる〈反重力器官〉であった。上昇した心拍数が反重力器官に分泌されたホルモンを効率的に運び、そのまま高い心拍数で供給される血液が反重力器官を活性化させる。

 イロハの意識によりベクトルと重力の強さを操作され、男の声を流したスピーカーが軋む。スピーカーは男の笑い声をピッチを上げながら、最終的にひしゃげて止まった。しかしまたどこからか、男の声が響く。


『ははは、無駄だよ。君の姿は一方的に監視させてもらっている』


 それ以上はいくら八つ当たりしようとも、男の声を消すことができなかった。能力の使いすぎによる一時的な低血糖症状に目眩を覚え、イロハはベッドに腰を下ろす。


『そうやって、我々の作戦までゆっくりしてくれるとありがたいのだけれどねぇ。ああ、食事が必要なら言ってくれ、もちろん毒なんて仕込まないさ』

「ふん――」


 ふてくされたイロハは、そのままベッドに横たわる。

 そしてぼんやりとした頭で、ここに来るまでの記憶を振り返った。


(ゾウさん……リオ……)


 昨日ベッドで寝たときの、背に感じた温もりがまだはっきりと思い出せる。それ自体は島でも犬や猿と共に寝たときに感じたものと、大して差が無かったのかもしれない。

 しかし――あの時に速まった鼓動は、それだけでは説明がつかない。リオがどう思っていたのかは、イロハには分からない。ただイロハにとって確かなのは、今はまたあの温もりを感じたいという気持ちだけだった。

 照明の弱い部屋で横たわっているうちに、また瞼が重くなる。

 それに抗おうとせず、イロハはその目を閉じた。


  *  *  *


『緊急事態発生! 緊急事態発生! 見張りが撃たれた! 至急衛生兵と増援を――』


 くぐもった銃声に、イロハは目を覚ます。

 壁が長方形を縁取るように光ったと思えば、そこが鈍い金属音と共に内側へ吹き飛び、光の束を部屋に流し込んだ。

 そこに浮かぶ、長身の人影。


「よぉ、お前が168番とやらで間違いねぇか?」


 イロハの目が慣れてきて、その顔が見えてくる。

 長身痩躯のその男は、黒いコートを羽織っていた。オールバックに固めた黒髪に、彫りの深い顔に大きく残る傷痕。伸びた無精髭のある顎には、何者かの返り血を浴びている。そしてその手には、一丁のアサルトライフルを持っていた。

 見るからに危険人物――そう判断したイロハは、即座に反重力器官を活性化させる。


「おいおいおい待て、俺はお前さんを連れ出しに来たんだ」

「連れ出しに? お前は何者だ?」

「ジェイと呼べ、それ以外の詳しいことは後だ。ほら行くぞ」


 ともかく、ヤツらの敵ならば協力は出来る。イロハは頷くと、ジェイと名乗った男を追って部屋から飛び出した。


「いたぞ、ヤツらだ――」


 廊下の曲がり角から現れた兵を、ジェイは片手で持ったアサルトライフルで打ち倒す。


「けっ、オカズ置き去りにする仕事なんざ受けるんじゃなかったぜ……!」


 倒した兵が腰に付けていたハンドガンをイロハは奪う。しかし銃について「なんか強い」という事以外知らず、撃ち方や安全装置のことなどちんぷんかんぷんだった。

 だから後方からやって来た敵に、イロハは重力ベクトルと加速度を弄ったハンドガンを思い切り投げつけてやった。防弾チョッキを着込んだ相手が、飛んできた鉄塊の威力に為す術なく吹き飛ばされる。


「おぉ、おっかねぇ」


 強かな少女に口笛を吹きつつ、ジェイはイロハと通路を走る。

 幾度となく階段を駆け上がり、敵を倒し、大きな扉に辿り着く。それをイロハが能力で吹き飛ばすと、出たのは大きな廃工場の中だった。


「よし、ここなら逃げ出すにも問題ない」

「あの、あなたはいったいどうして」

「どうしてここを、誰がお前さんを……聞きたいのはその辺だろ? 残念だが俺には守秘義務ってのがあってな、それを教えるわけにはいかないのさ。ほらまた走るぞ、答え合わせなんか、逃げ切ってから好きなだけやればいい」

「分かった……でも、もう走るのは嫌だ」

「何――?」


 ジェイが眉を吊り上げたその瞬間、そのコートの襟がイロハによって掴まれる。そしてそのまま、反重力を発生させたイロハはジェイを持ち上げて飛んだ。すぐさま二人は上空数十メートルに達し、周囲の林に囲まれた光景を一望できるようになる。


「はっはっはっ、こいつぁいい! ゲームみたいで最高だ!」


 月明かりをバックに、少女と男が光を放って飛ぶ。白い歯を見せ笑うジェイに、イロハは尋ねる。


「それで、どこに向かって飛べばいい!?」

「どこでもいい、できるだけ速く、できるだけ遠くだ」

「了解!」


 イロハはさらに光を強め加速する。ジェイもまた体をすっかりイロハに任せ、「報酬はたっぷり貰わないとな……」と後乗せの報酬について考え始める。


 ――そうして夜空に浮かぶ流れ星を、地上からスコープで覗き見る者がいた。


 十字線の中央から少しずらして捉えるのは、イロハに引っ張られるジェイの胴体。


(まったく、気味わりぃ仕事だぜ)


 スナイパーライフルの引き金に指を掛けた男が、引きつった表情になる。

 



「――自分とおんなじ顔したヤツ撃つってのはよ」



 引き金が引かれる。

 響き渡る銃声に驚いて、林から鳥が飛び立った。

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