6/24 「反重力力学少女と女装少年の詩-2」
簡素な自室で、僕はPCの画面に向き合っていた。
静止軌道上の気象衛星が撮影したものを合成した、バーチャルの地球が浮いている。僕の操作するカーソルが、手癖で一ヶ所にズームアップする。
そこは太平洋のど真ん中。
雲が筋のように流れる衛星画像の中で、台風のように渦を巻く雲がある。画像ではあまり大きくないように見えるが、実際の渦巻き雲は、中央の濃い部分だけで北海道と変わらない大きさがある。そして、この気象現象のもっとも奇異な点。
それは衛星画像の最も古いログの時から――それどころかインターネットが生まれるよりも前から――同じ場所に留まり続けていることだった。
雲全体を映した画面の、その真ん中。
雲の白をバックにして表示された黒い文字列こそが、その名前。
『鬼ヶ島雲海』
その名前は僕――杉山リオにとって忘れてはいけない、いや、どうしたって忘れることのできない忌々しいものだ。
なにせこの雲海こそが。
この雲海の中に存在しているとされる、その存在こそが。
僕から、父を奪ったのだ。
* * *
父はパイロットだった。
大手航空会社に務め、色んな国へたくさんの人を運んでいた。
父は空が好きだった。
小さい頃から紙飛行機を作って飛ばしたり、もらったヘリウムガスの入っている風船をすぐに飛ばして、どこまでも飛んでいくのを楽しそうに眺めていたらしい。
そんな父だから、休日にもセスナをレンタルして飛んでいた。僕も小さい頃、その後部座席に乗せてもらったことを覚えている。結局高いところが怖くて、その一回きりで乗ることはなかったけど。
「ねー、パパはどうしてお空が好きなの?」
そんな疑問を投げかけたこともある。それに対して父は、「分かんないや」と答えた。
「お前ぐらいの頃には、パパはもうパイロットになるって決めてたからなぁ。パパはきっと、空を飛ぶために生まれてきた人間なんだよ。誰も見たことのない空を見るためにね」
そんな父さんが太平洋横断記録に挑戦しようとしたのは、ある意味当然の帰結だったのだろう。
船であれ飛行機であれ、太平洋を横断するには中央にある鬼ヶ島雲海を避けて通るのが必須だ。荒れ狂う波はどんな船でも横転させ、雷鳴の響く空はその暴風で来る者を寄せつけない。しかし早いタイムで太平洋を横断するには、雲海のそばをギリギリまで攻める必要がある。それは命をかけた挑戦だった。
父が挑戦を世間に表明する数週間前、父と母がリビングで大喧嘩していたのを覚えている。トイレに起きて一階に降りてみれば、母が聞いたこともないような金切り声で父を責め立てていた。死んだらどうするの――とか、まだあんなに小さいリオを置いていくつもり――とか、そんなことを言っていたような気がするがもううろ覚えだ。
最終的に父が絶対に帰ってくると約束し、挑戦が決行された。
滑走路から飛び立つ前に撮った、小学校に入ったばかりの僕を肩に乗せた父の写真。それが、一年後の葬儀で使われる遺影となった。
* * *
「お疲れ様でしたー」
「ういー」
休日のコンビニバイトを終え、僕は帰り道を歩く。
パイロットとしてそれなりに稼いでいた父の給料とその保険金で、今のところどうにか暮らしは成り立っている。しかし自分の趣味で何か買いたいとなると、そこは自分で稼ぐしかなかった。目標であるロリータファッション一式には、まだまだ稼ぎが足りない。
今日はあいにくの曇天だ。
確か満月だったような気がするのだが、その光は地上に届いていそうにない。いつ雨が降るとも分からない。
けれどその前に、一つ寄っておきたいところがあった。
坂道相手に必死に自転車を漕いで、僕は丘の上の公園に辿り着く。
6月24日。今日はUFOの日らしい。
この日になると、父は僕をこの公園に連れてきていた。そしで誇らしげに、「パパなぁ、昔ここでUFO見たんだ」と自慢してみせる。それから二時間ほど、望遠鏡で天体観測をしていた。
望遠鏡は自宅の倉庫で埃を被ってるけど、僕は毎年こうやって、この6月24日にこの公園に足を運ぶ。そうすればいつか、父がUFOに乗って帰ってくるかもしれない。「リオ! 私はUFOに乗ったんだぞ!」とでも言って、あの仏壇に飾られる遺影のような、気持ちのいい笑顔を僕に向けてくれるかもしれない。
……とまぁ色々考えてはいるが、結局は父との思い出を忘れないためだ。宇宙人が来る事なんて信じてないし、こんなピンポイントに狙われたらむしろ怖い。
公園はすっかり暗い。街灯も少ないので、いつもなら星がそれなりに見えたはずだった。なにも今日に限って、空一面を厚い雲が覆う必要はないだろうに。
自転車を停め、僕は公園の草っ原に腰を降ろす。
「……なーんも見えないや」
とりあえず来るだけ来たけど、星が出てないとここまで空は退屈なのか。
雨も降りそうだし、長居せずに帰ろう――。
そう思った僕の視界に、何か光るものが見えた。
(あれは、飛行機?)
白い点滅する光が、雲の下に浮いていた。
しかし飛行機にしては場所が動かない。
点滅も早くなってる気がするし。
「……ってか、何か大きくなってない?」
その考えは正しかった。
何かしらの発光体が、僕のいる公園に落下してきていた。
座ったままでいられないと立ち上がり、僕は発光体の落下しそうな地点まで走り出す。
発光体はどんどんと大きく見えてきて、そして点滅を早めていく。
光がはっきりと見えてきて、その輪郭が分かるようになる。
(まさか、人!?)
それはどうにも人の形をしているようだった。
しかしそのわりには、落下スピードが遅い。上空から落ちてきたのなら、もっと速いスピードで落ちてきそうなものだが。
ともかく、落下地点まで行かなければならない。
僕は必死に走って、そして真下に辿り着いた。
その時には発光体は、頭上一〇メートルにあった。
すると突然、点滅していたそれが目映く光る。あまりの眩しさに手で顔を覆うが、光はすぐに弱まった。僕は手を避け、再び発光体を見る。
まず、弱く発光する脚があった。素足の指の一本一本まではっきりと見て取れる。
純白のスカートがあった。脚からの光を受けつつ、ふわりとなびく。
そして、パンツがあった。
白と水色の、縞パンだった。
「へぶっ!」
見とれていなかった、といえば嘘になるだろう。まじまじとその光景を見ていた結果として、発光が終わった瞬間、僕はその落下してきた足に顔面を思い切り踏まれたのだから。
僕はそのまま地面に倒れ込む。それなりの重さと、人肌のぬくもりと、甘い匂いが僕の上にのしかかった。どうにもそれは、生身の人間らしかった。
僕はその人を押しのけて、一度立ち上がる。
暗くてよく見えなかったので、僕はスマホのライトを付けてその人を照らした。
そして、僕ははっと息をのんだ。
同い年くらいの少女だった。
白いワンピースを身に纏うだけの服装だし素足だったけど、強く目を引かれたのは銀色に透き通った髪の毛だった。コスプレ用のウィッグであってもお目にかかれないような色の美しさと、なにより艶があり真っ直ぐな毛質。どうにもそれが地毛のようだった。
「ん……んぅ……」
寝ているように見えた少女が顔をしかめ、それからゆっくりと目を見開く。このまま照らしてちゃ悪いかと、僕はライトを切る。
「君、大丈夫?」
立てるのかどうかとしゃがんで寄る。
「――っ!?」
そしたら何故か、僕は右の頬を思い切り平手打ちされた。
「いたぁ!?」
「何よあんた、寝込みを襲うなんてサイテー! 殺してやる!」
「えええ!? 僕はただ聞いただけじゃないか!?」
「うるさあああい!!!」
立ち上がった少女に、僕は追い回される。
息が切れるくらいに走ったところで、僕は石か何かにつまづく。
「おわぁ!」
そうして倒れた僕がまた立ち上がろうとしたところに、彼女は体当たりを仕掛けてきた。
そのまま押し伏せられ、仰向けの僕に彼女が馬乗りする状態になる。
「観念しなさい……!?」
「無実! 無実だ!」
拳を振りかぶる少女。
南無三――と僕が目を瞑ると、その脳内に響く声があった。
『あ、この人は大丈夫だよお嬢さん』
「……!?」
それは、少し前に嫌と言うほど聞いた声。
そしてその声は、僕だけに聞こえたわけじゃなかった。
「そう? あなたが言うなら、そうかもしれないけど……」
少女が拳を収める。
「おい、この声ってまさか」
『やぁ、久しぶりだね少年』
それは僕にとって、自分の殻を破ってくれた恩人であり。
同時に二度と会うもんかと思っていた、最低極まったヤツ――。
『っていうかこの体位、騎乗位みたいでエロいね』
それは僕とゾウの、あるはずのなかった二度目の邂逅だった。
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