第168話

 九番街を抜ける頃、見慣れたものが更に近くなる。

 この国の象徴。

 権力を形にした、白の張子。

 騎士にとって忠誠の向く先で、市民にとっては権力で、自警団にとっては不愉快なもの。

 歩けば歩くほど、近付けば近付くほど、帰りたくて仕方なくなってくる。帰ってしまっても結局、恐らくは死ぬことになるから出来ないけれど。

 近付くにつれ、見たくないものが見えて来た。

 ソルビットはそれまで引いていた馬の手綱を手放し、フュンフもまた馬を降りる。その際、彼の武器である宝飾の付いた長杖が強く地を突く音をさせた。

 目の前には、整然と列を成す兵の姿が見えていた。先頭の者達は顔が見えないような兜を被っている。見覚えのあるその姿は、『鳥』の上級騎士だ。専ら王家の者の側に仕え、戦闘技術だけで言うなら若かりし頃のアルギンと同等くらいだ。

 アルギンは最早半笑いでその光景を見るしか出来ない。これを突破しろ、なんて事になったら正直無理かも知れない。アクエリアにいつぞや二番街跡地にブッ放した魔法を放たせたら楽にならないだろうか。……途端にこの国は死の国になり、再興なんて出来なくなるだろうが。

 先頭に位置付いたのはソルビットとフュンフだ。四隊長の二角として、二人が声を張り上げる。


「―――貴様等邪魔だ! 道を空けろ!!」


 ソルビットの咆哮に近い号令。これまで『花』隊長として指図する側にあった女の声だ。

 けれでもその場に居る兵達は動かない。


「我等は無益な争いを望んでいる訳では無い。大人しく我等の行く先を空けるなら、我々としても手荒な真似はせずに済むのだがね」


 フュンフの低い、それでいて良く通る声。同時に威圧のように、地を再び杖で突く。宝飾の一部である金色の輪がぶつかり合って音を立てた。

 それでもその場にいる兵たちは微動だにしない。

 練度の高さをそれで感じることが出来る。多勢に無勢とでも言うべきか、数多くの兵の威圧感は、一番最初にスカイを気圧した。アクエリアの服を掴んで震えているが、その背に隠れようとはしなかった。

 暫くはそのまま膠着した。やがて、兵達の向こう側から声が聞こえる。


「―――道を空けろ」


 それは張りのある、けれどフュンフやソルビットとは違う、威圧感の少ない声だった。そのたった一言で、兵達が左右に分かれて道に空間を作る。

 その空間に、たった一人残された者がいた。その人物は上級騎士たちと同じように顔を兜で隠しておきながら、その兜には上級騎士とは違い羽飾りが付けられている。見た瞬間、フュンフとソルビットは勿論、アルギンの表情まで強張った。

 その羽飾りには意味があった。騎士団『花鳥風月』、その中でも『鳥』隊を率い、同時に騎士全ての長。その人物にしか許されていない飾りだ。

 冗談。アルギンの声が漏れた。ここで会いたくない人物の中でも最上級だ。


「………『月』隊長、フュンフ・ツェーン。『花』隊長、ソルビット」


 その男は二人の名を呼びながら兜の留め具を外し始める。慣れた手つきで脱ぎ終えたその顔は、とても見知ったものだった。


「君達が最初に謁見の間を出て行って、両隊の兵力が半分になったと聞いた。『月』に至っては半分以下だそうだね」

「……ほう? とんだ不届き者達が居た事だな。我が隊の失態は私の失態でもある。それで? 貴様はそんなものの為に私を討ちに来たのか? ―――『鳥』隊長、カリオン・コトフォールよ」


 兜の中身は、鴉の濡れ羽色の髪と藍色の瞳。健康なヒューマンの肌の色と、穏やかな性格が顔に出たような柔和な笑顔。彼は兜を手にしたまま、困ったように笑った。

 カリオン。今王家に騎士として仕える中で、最強の剣の腕前の持ち主。騎士の家系に産まれたが故に、それ以外の道を選べなかった男。そんな男が今、アルギン達の目の前に立っている。

 昔はその優しさを『頼りない』と思ったこともある。しかし、今こうして対峙している状態で、そんな感情は微塵も湧いてこなかった。寧ろその逆だ。


「……討たれたい、かい?」


 カリオンの声は、表情と同じく困っているように聞こえる。しかし、騎士であれば誰もが知っている。かつて、この男と対を成す剣の腕前の持ち主がいた。……それこそがアルギンの死んだ夫であり、かつての『月』隊長。

 彼と一対一で渡り合えた、否、殺し合えたのはこの男しかいない。嘗て彼らが一騎士だった時、模擬戦という名の試合が死合いになってしまった時の事は今でも語り草。その模擬戦の結末は時の隊長三人がかりで何とか抑え込んで勝敗は決さなかった、と言われている。

 それだけの能力が無いと務まらないのだ。『鳥』隊長という立場は。


「騎士なんて私は大嫌いだよ。そっちがその気なら私が相手になってやろうかぁ?」


 フュンフとソルビットの更に一歩前に、ミュゼが進んだ。


「……ミュゼ。私を侮っての言葉なら、後悔するよ。一介のシスターが私に勝てるとは思わないことだ」

「それ、私の後ろにいる全員にまずは言ってくれねぇ? 国家敵に回して、それでも勝てる算段を考えてる奴らだよ。私は折角なら見せしめでだだっ広いだけの広場で処刑されるより、騎士団長の手に掛かって死んだ方がマシってもんだと思うがよ」


 『敵にだけはならんでくれよ』と言ったのはアルギンだ。それに彼が答えることはなかった。今こうして対峙している。その意味が解らない程アルギンも愚かではない。

 中立を保つだけでも、彼の立場の重さがどれだけのものか分かっていた。それは彼の体にのしかかり、『鳥』としての彼を潰そうとしているのなら。

 アルギンは覚悟を決めた。まだ序章は始まったばかりで対峙するには危険すぎる相手だ。それでも、戦わねばならないというのなら―――。


「私は、ここにいる誰をも手に掛ける気はないよ」


 アルギンの覚悟は、その一瞬で崩れ去った。


「アルギンさん、貴女に聞いておきたいことがありました」

「アタシ、に?」

「そう、貴女に。……最早『こう』なってしまったこの国は、恐らくどちらかの筆頭の死を以てしか戦いは終わらないでしょうね。今現在の反乱軍筆頭は誰ですか?」

「………」


 どこか探りを入れるような言葉に、アルギンが逡巡する。

 七番街の反乱軍を率いていたサジナイルはソルビットの要請を受けただけだ。ソルビットとしても、恐らくはアルギンの為に。

 自警団長のログアス・フレイバルドが筆頭と言っても差し支えは無い。その名前を口に出しかけて、アルギンの言葉が止まる。


「なぁカリオン」

「……はい」

「その質問は嫌な予感しかしないんだがよ、どういう意図で聞いてるか尋ねてもいいかい」

「……質問に質問を返すな。騎士の掟でしょう」

「そーかよ、アタシもう一般人なんだけどなぁ」


 反乱失敗の折、必ずと言っていいほど行われる儀式がある。

 それは、筆頭の処刑だ。先ほどミュゼが言ったように、見せしめとして首が晒される。


「筆頭はアタシだよ」

「………。アルギンさん、それは」

「アタシだって言ってんじゃんか。アタシ、アルギン・S=エステルが反乱軍筆頭だ。……尤も、アタシが途中で死んだってまた次に筆頭やりたい奴が名乗り出るかも知れねぇがな?」


 意地でしかない。人々を守ろうとしているアルギンが、誰かにその責を負わせることを拒絶した。

 アルギンが自身の薄い胸を掌で二回叩く。服の下にある、愛する人から貰った指輪の感触を確かめるように。

 大丈夫。あの人は一緒にいる。そう言い聞かせながら。


「……良く分かりました」


 何を分かってくれたのだろう。筆頭としてアルギンが立っている事か。それともその覚悟をもか。

 カリオンが右手を上げる、その動きに兵が一斉に敬礼をし直した。手が前方に振られると同時、兵達は前方に向かって歩き出す。アルギン含む全員が咄嗟に身構えたが、兵達は皆を避けた隊列のまま九番街の方へ歩いていった。

 カリオンが足音をさせて近寄ってくる。敵意は、感じられない。


「……なんだ、あれ。何って命令してたんだ」

「今から彼らは、反乱軍と合流します。既に伝令は送っているので、そのまま彼らに迎え入れられるでしょう」

「はぁ!?」

「隊列を組んでいたのは、先走った反乱軍の方々が城に向かわないように、です。攻撃は決して行うなと伝えてあるので、血は流れなかったでしょうけど……最初に来てくれたのが貴女達で助かりました」


 二人が話をしている横で、フュンフが不機嫌を眉間に表していた。何度も杖で地を叩いている。


「紛らわしい事をするな。本気で殺し合うかと思ったぞ」

「許してほしい、フュンフ。こちらとしても、知己を理由に甘えた感情を出す者とは肩を並べたくなかったんだ」

「それが回りくどいと言っている。……アルギンの配下だぞ、そのような者がいる訳―――」


 フュンフの視線がスカイに注がれる。彼はまだ少しだけ怯えてはいたが、もうアクエリアの服からは手を離していて。

 無言のまま、フュンフがスカイに近寄った。そして、その頭を優しい手つきで撫でる。


「……とにかく、このような茶番でお前の憂いは晴れた訳か? それでカリオン、お前はどうするのだ」

「私かい? そうだね、私は反乱軍筆頭の所で筆頭を守れたら、と思っていたから。アルギンさんが筆頭だと言うのなら付いていくよ? ……ふふ、懐かしいなぁ。花鳥風月所属の者がひとりずつ揃ったようで、昔を思い出す」

「……もうあたしは『花』、しかも隊長なんだが」


 アルギンが花、カリオンが鳥、ソルビットが風、フュンフが月。

 縮小化された騎士団がそこにいるようだ。過去を懐かしんでいる暇など無いというのに、四人の顔は穏やかだった。

 やがて四人はそれぞれがそれぞれのタイミングで、道の先を見る。随分近づいてしまった王城がそこにあって、そしてそこに入れば、もう戻れない。王女の胸中には懐かしさと寂しさと苦しさが混在しているが、それを気付かれまいと頭巾を被り直した。


「ミュゼ、先頭を任せられるか。初撃を防ぐだけでもいい」

「おうよ」

「カリオン、ソルビット、その後ろをよろしく。多分討ち漏らしは多い。無力化までを頼む」

「はい」

「分かったっす」

「アクエリア、数が多くなったらよろしく。フュンフはそっちの二人の身の安全を頼みたい」

「はいはい」

「ちょっと待て、何故私に命令……。……チっ、仕方ないな」

「それから、スカイ。……リト様」


 最後に回した二人の名を呼んで、今から言う事は非情かも知れない。ちくりと痛んだ胸には気付かない振りをする。


「二人には、同族と戦って貰う。それが嫌なら、いつまでもフュンフの側を離れぬよう」


 それが、ここまで付いてきた二人に課せられた使命だと分かっていても、王女が言葉を失う。しかしスカイはすぐさま声を張り上げた。


「はいっ!! 僕で良ければ、いつでも覚悟は出来ています!」


 その一言に、カリオンとフュンフと王女が驚いていた。

 アクエリアは、どこか諦めたような笑顔。


「ま、待ってくれスカイ君。君は本当に意味が解っていて言っているのかい?」

「……? 意味、とは……何でしょうか。だって」


 スカイが胸元から何かを取り出す。それはいつぞやにフュンフから渡された巾着だ。その中にはスカイの『種』が入っている。


「アクエリアさんの為になるなら、僕はなんだってやります」


 それは聞き覚えのあるような言葉で、その昔に言う側と言われる側になったアルギンとソルビットが同時に噴き出した。ソルビットに至っては顔が真っ赤だ。

 他の面々は二人が笑っている理由について分かっていない顔。スカイにしては自分の気持ちを軽んじられたような気がしてちょっと怒っている。


「あーあー、その台詞聞いたらもう駄目だ。アクエリア、一生を背負ってやれよ」

「ええ? なんでそれをアルギンから言われなきゃいけないんですか」

「あー、スカイ……、だっけ? それ言う相手はちゃんと見極めないと後悔するぞ? でないと相手がどんどん付け上がったりする事もあるからな? 本当だぞ?」

「ソルビットさん、酷いです! アクエリアさんはそんな事しません!!!」


 楽しげな声は、逃避でしかないことは分かっていた。ひとしきり笑ったアルギンは、涙がうっすらと浮かぶ目を擦りながら全員の顔を見た。

 これで全員か。これで、全員か。不利な事には変わりない。その不利をどう覆すかは、一人ひとりの行動に掛かっている。

 その場にいた全員が、誰からともなく歩き出す。目指す先は皆同じだ。

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