第169話
城壁が見える状態になって、最初にアルギンがしたのは溜息を吐く事だ。
話には聞いて知ってはいたが、どうやら残っている兵が城壁の周辺をぐるりと囲っている。その城壁自体、水源豊かな水路に囲まれていて侵入は難しいのだが。
これでは抜け道なんて行けそうもないし、この様子では塞がれていたっておかしくはない。
今出来ることは物陰に隠れてその様子を窺う事だが、こうしている間にも気分だけが焦れていく。
「僕が行きましょうか」
そう最初に言い出したスカイは。
「駄目」
「駄目だ」
「許しませんよ」
「ダメだろ」
「駄目です」
「駄目に決まっているだろう」
「それは止めた方がいいわ」
と、散々な言われようだ。全員からの静止が掛かってスカイがしょげた顔をする。
数の多さにアクエリアに魔法を打診してみても、詠唱有りの魔法でも一回の使用では討ち漏らしが多数発生するとの言葉に困ってしまう。二回目の詠唱には時間がかかるそうだ。
「……広範囲魔法、か」
言いながら、フュンフが首を傾けた。
「そういえば、二番街を溶岩に沈めた者はこのいざこざに参戦しているのだろうかね」
「………。さぁ」
アクエリアは視線を逸らしながら言った。もう話してもいいかとは思っていたのだが、これまで人を必要以上に信用してこなかったアクエリアからすれば、まだフュンフは信頼のおける人物としては足りない。
フュンフはそんなアクエリアを見ていた。見ていて、口端を歪めて笑う。
「―――『結婚詐欺師』の異名を持つお前らしからぬ態度だな」
その呼称を使われた瞬間、アクエリアの瞳が変わる。これまでの藍色の瞳とは違う、金色混じりの茶色の瞳がちらついた。
「……は、い?」
怒りを湛えた声だった。それを誤魔化そうとして誤魔化しきれない声。一番の禁句を今放ったフュンフに、アルギンとミュゼの顔色が変わる。ミュゼはその言葉で何が起きるかを、間近で見ていて知っていたからだ。
こんな所で同士討ちは勘弁してほしかった。けれど、フュンフは続ける。
「誤魔化し続けられると思われるほど、私は甘くないぞ、アクエリア。私が神に仕えた期間は飾りではない」
言って、フュンフの杖が密やかな音を立てる。それは耳に心地いい、祝福を思わせる音だ。
途端、アクエリアの外見変化の魔法が解かれた。短い青紫色の髪が一瞬で長い銀髪に変わり、肌の色も、瞳の色も元に戻る。それに一番動揺したのはアクエリア自身だった。
「……!?」
「自身に呪いを付加して外見を変えていたことくらい、最初からお見通しだ。お前から漂う不浄の香りはあの孤児院に暫く染み付いて不愉快な事この上なかった。本当なら最初に姿を見た瞬間に吹っ掛けてやろうとも思っていたが……、あの時はバルトもウィリアもいたのでな」
フュンフの杖が揺れる。こんな物音を敵に聞かれるとは思っていないのか、フュンフは珍しく機嫌よく饒舌だ。
「ダークエルフ、アクエリア。お前が魔法を行使しないというのであれば、私が行こう。その前に、その魔法力を半分で構わない、私に寄越せ」
「……行くって、正気ですか。ヒューマンの貴方が、それほどの魔力を扱えると思えません」
「私の魔力貯蔵庫になれと言っているのだ、ダークエルフならば出来るだろう。丁度良い所に、私のこの杖には魔力保持機能がある。普段ならば足元を見るような法外な金額を提示しているエルフどもに依頼して補充するのだがね、今回は活路を開くこととこれまでのスカイに対する教育の件で手打ちにしてもらえるとありがたい」
杖の先をアクエリアに差し出すフュンフ。試すような嗜虐の笑みを浮かべているフュンフは珍しいものだった。やなもん見た、とアルギンが毒づいている。
その杖の先に手を翳すアクエリア。顔は不服そうだが、やる気はあるようで。
「……ヒューマンだけに任せていられませんね。俺があちらさんの半分やりますから、貴方に渡す魔力は二割で充分ですよ」
「そうか。では御託は抜きで早々に頼むよ。問答に付き合うほど、私の気は長くないのでな」
「それを司祭の貴方が言いますか? 笑わせないでください」
アクエリアが魔力を注ぎ始める―――その途端、風が巻き起こる。
小さく何かが破裂するような音。それが何度も、その場にいる者達の鼓膜に伝わる。
フュンフの表情は驚愕に変わっていた。アクエリアは、瞳を閉じて小声で詠唱を続けている。
それはたった数秒の事だ。その数秒で、魔力の譲渡が行われたらしい。それが終わったアクエリアは、金茶の双眸をフュンフに向ける。
「では、これで手打ちで宜しくお願いしますよ」
「………お前、は」
「世界は広い。俺より強大な魔力を持つダークエルフもいるでしょうし、ハイエルフには俺は足元にも及ばないでしょう。この国でこんな魔力を持っていることを誇っても、意味のない事なんですよ」
これまで旅をしてきたアクエリアだから言えることだろう。アクエリアは物陰から出る。それに倣い、フュンフが後に続く。
「それを、貴方のかつての上司であるダーリャ殿は見てきたのでしょうね」
「……ダーリャ様、そうか。……そうだな」
二人の姿を認めた兵が、号令を掛ける。その瞬間、城壁の守りを外れて一斉に走ってくる、その姿を見ながら。
「―――『雷の精霊』」
「―――『風の精霊』」
兵がこちらに来るまでには時間がある。武器という敵意を手に駆ける兵達に向ける慈悲は無い。
「『只此の声に従え。眩み、痺れ、焼け付く、其の痛みこそが証明』」
「『只此の声に従え。総てを薙ぎ、払い、向くままに力を振るえ』」
二人の周囲を、風が吹き荒れた。その風だけは物陰にいる面々の元にまで届き、吹き付けられる風に二人を見守っていたスカイが顔を逸らす。
詠唱は止まない。アクエリアは手を、フュンフは杖の先を向けている。着ている服が靡き、裾が翻る。詠唱は兵を充分に引きつけて、そして。
雪空に、目に見える程の光量の雷が走る。
突風が吹き荒れ、意志を持つ竜巻が襲う。
兵達はその場に倒れ伏すか、水路に押しやられるかの二択のうち強制的にどちらかになる。
轟音と絶叫。それが辺りに響き渡り、尚も向かってくる者達にはフュンフが光球を飛ばしていた。詠唱無しのその光球は、フュンフが杖を振るたびに兵に向かい、そして当たる。
「……ふっ、ふふふ、ふははははははははは!!! このような高揚感は副隊長就任以来だ!!」
フュンフの馬鹿笑いが響いた。
アクエリアは隣で目を丸くし、フュンフの人となりを知っている全員が硬直している。こんな風に笑うフュンフを、ソルビットすら知らなかった。
尚もフュンフは光球を飛ばし続ける。やがてその場から兵が一時退避しても、暫くの間それは続いて。
城壁の破壊音が聞こえる。それほどに殺傷力のある光球を連発しながらも、隣に居たアクエリアは止めようとしなかった。
「はははははは、隊長! 神の御許でご覧くださっていますか!!」
歓喜の声が、震えだす。
「ははっ、隊長!! 隊長、私に、あの日、あの時、この力さえあればっ!!! これほどの魔力があったのなら、隊長っ、私は、貴方をっ、例え、この身に代えてもっ!!!」
フュンフは、泣いていた。馬鹿笑いが慟哭に変わる。その声の悲痛さに耐えきれず、アルギンが顔を背けた。
この男が傷だらけなのは知っていた。心に、アルギンと同じ傷がある。それはきっと、永遠に癒える事は無い。
「隊長、……隊長っ……! 隊長、隊長、隊長、隊長……私は、私は、この身の非力を、永遠に呪い続けます……隊長、隊長」
息荒いフュンフがその場に膝をつき、口許を覆ってただ一人を呼び続けた。種族としての非力さを呪ったフュンフの肩に、ソルビットの手が乗る。
「……あの方を守り切れなかったのは、あたしだよ兄貴。側に居ながら、あたしが、あの方を……死なせてしまったんだから」
「ソル、それは」
「兄貴、もう……自分を責めないで。あたしが責められて当然だったんだ。なのに、兄貴もアルギンもあたしを責めなかった。それが、今でも辛い。二人の大事な人を守り切れずに、片目しか無くさないでこうして生きてる」
涙を拭うこともせずに、フュンフが立ち上がった。それから、お返しとばかりにソルビットの頭を撫でていく。
「……お前と隊長のいないこの国には用は無い。お前だけでも命が助かってくれているから、私はここで生きているのだよ、ソル」
「……ん」
落ち着きを取り戻したフュンフの杖の先に、アクエリアが手を伸ばす。再び風が巻き起こり、それは先ほどより直ぐに止んだ。
魔力の補充。それに気づいたフュンフが目を丸くしながらアクエリアを見た。
「……使い過ぎです。無駄遣いしすぎると、いざって時に役に立ちませんからね」
「感謝……する」
「感謝は形で示してください。ほら、キリキリ歩く。貴方が作った道が開けていますよ」
城壁と城門は光球に破壊されて口を開けていた。あーあー修理費幾らすんだよ、とアルギンが呟いたが、その呟きに答える者はいない。
アルギンが横目でフュンフを見た。もうその頃には、フュンフの涙も止まっている。頬に流れた涙の跡だけが、彼の苦悩を物語っている。
「……何だ?」
フュンフの声もいつも通りだ。それに不満そうな顔を見せてから。
「……あの人の嫁の座は、生まれ変わっても渡さねぇからな。まかり間違っても女に産まれてくんなよ」
「何を馬鹿なことを。……貴様のような毒持つ花に、あの方を渡すのは本意ではないが」
フュンフの杖が音を立てて地を穿つ。
「あの方が永遠を誓ったのは貴様だけだ、毒花。せいぜい足掻いて、あの方の素晴らしさを世に広めてから死ね。生まれ変わった先でもあの方の逸話が世に残るように努力しろ」
「うわ聞いたソルビット? ついにアタシ毒花呼ばわりされたよ」
「麻痺毒っすかね」
「ソルビットまで!!」
「酒中毒かも知れないよ」
「カリオンこの野郎! 言い得て妙だな畜生め!!」
「食中毒でしょう」
「アクエリア、ちょっと死んで来い」
散々面白おかしく弄られるアルギンは、アクエリアの背中を軽く蹴飛ばした。つまづくようになるアクエリアの今の姿は、まだダークエルフのままだ。
ミュゼはそんなアクエリアを複雑そうな顔で見る。首を振り、溜息を一回。
彼はミュゼの言葉を覚えているだろうか。『アルギンを止めて』と言った事を。
彼は止められるだろうか。これから起こる出来事を目の当たりにして。
ミュゼの憂いを知っている者は、ここにはいなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます