6
アルギンはそれからの事をあまり覚えていない。
気が付けば、次の日の朝の天幕の中だった。
外に出て周囲を眺めると、撤収作業はもう殆ど終わっていた。手近な自隊の者に聞けば、指令はアルギンが出していた、と。
昨日何をしたか半分忘れている状態だったが、仕事はちゃんとしていたらしい。
何かが抜け落ちてしまったような感覚に、ぼんやりと空を見る。
「隊長」
近くにいさえすれば、呼べば必ず返事をした人は、もういなかった。
鼻腔に、まだ彼の血の匂いが残っているようだった。
一応は辛勝の体裁だけ取れた戦場を後にして、城に戻った。勿論、ネリッタの遺体と共に。
回収できた遺体すべての到着とともに行われた葬儀は、他の戦死者たちとの合同葬だった。十番街の広場は、弔いの空気に包まれている。
最初だけ出席して、後はこっそりと城に戻る。仕事が溜まっていた。
誰かに呼び止められた気がするが、聞こえない振りをする。
仕事。そうだ、書類が山積みだ。ずっと戦地にいたのだ、完成している書類を数える方が早かった。
書類。隊の再編成。物資の調達、それから、それから。
やる事は山積みだ。それらを片付けてしまおう。
そうすれば、きっと。
隊長が帰って来たら、きっとまた褒めて貰える。
「アルギン!」
言い訳のように、頭の中で繰り返していた。
城に入って廊下を進む途中で肩を掴まれる。緩慢な動作で振り返ると、そこには『風』隊長のサジナイルがいた。彼の肩まである赤毛が揺れている。
「……どうし、ましたか」
「まだ、葬儀の途中だ。今の『花』の最高責任者はお前だ、まだ次の隊長も決まってない状態ってのに、お前に居て貰わないと困る」
「………アタシが?」
葬儀って、なんだっけ。
誰のだっけ。
そんなことより仕事が残っている。
仕事が早いって褒められるアタシから、それ抜いたら何が残る。
隊長に、何で褒めて貰える。
煩わしくなって、サジナイルの腕を雑に払う。その動作に、彼は驚いた顔をしていた。
「……お前、俺にその態度でいいと思ってんのか」
「態度?」
全部が面倒になって、けれど、ネリッタに褒めて貰う事にだけ執心した。副隊長としての行動理念はそれだった。彼がお膳立てをしてくれる、だから自由にする。
副隊長としてのアルギンは全部、ネリッタを軸に回っていた。中心の無くなった独楽は、どこへ転がる。
「サジナイル様がアタシの隊長だったら敬意払う理由にもなりますが」
「……いい度胸だな。それでアルセン騎士四隊の一角だとは」
「一角はアタシじゃなくて、ネリッタ隊長だから」
その名前を出した瞬間、サジナイルが息を飲むのが分かった。
「……隊長が、アタシが仕事終わらせんの待ってる。用はそれだけか」
「お前」
「じゃあな。そっちこそ、エンダに任せて抜け出してくるな」
サジナイルのその様子の意味にさえ気づかず、アルギンがまた歩き出そうとする。
―――その後頭部を、サジナイルが思い切り殴りつけた。
「っ、………!!?」
痛みが襲う。咄嗟の事に、そのまま床に倒れてしまった。痛みだけで言うなら、掃討作戦の時に頭を掠めた落石より強い。
起き上がろうとして腕を付く。なのに、背中を踏みつけられてしまった。
「大概にしろよ」
怒りに満ちた声だった。
「ネリッタはもういないんだよ!! ……死んだ! お前だって見ただろう!!」
「違う!!」
「何が違うだクソガキ! 違うことなんて無ぇだろ! それとも何か、本当にアイツが生きてんなら、お前とネリッタは組んで俺達を馬鹿にしてんのか!!」
アタシが誰かに背中から刺されて死んだときは、それはアタシの単なる不注意よぉ
ネリッタの声が蘇る。
過去に聞いた言葉だった。
「んな事する訳ゃ無ぇだろ!?」
「知ってんよ、お前らがそんな悪趣味な冗談する訳ゃ無ぇってことくらい!! ……アイツは、もう死んだんだ! お前が一番分かってんだろうが!!」
隊長。
ねえ、隊長。
貴方が背中から刺されたのではなく、落石で死んだなら。
アタシは、貴方の敵にどんな報復をすればいいんですか。
「違う!!!」
精一杯の叫びだった。
「違わねぇよ!!!」
サジナイルも叫んだ。
「……止めろよ、アルギン。あの日から、カリオンが死にそうな顔してんだ。ネリッタ居なくなって、苦しいのはお前だけじゃない」
「……なに、カリオン『様』の為にアタシに我慢しろって? アイツが苦しんでんのはアイツの勝手だろ、アタシがアイツに恨み言でも言ってるか?」
「お前、どうしてそんなに可愛げ無ぇの。お前が追い打ちかけてんだよ」
「……はぁ?」
もう、アルギンは抵抗しない。背中を踏まれた姿勢のままで、手足を投げ出す。
「追い打ちって何。アタシは何もしてない。ただ」
涙は、流れなかった。
「ネリッタ隊長が、いないだけじゃないか」
隊長が居ないことは分かっている。痛感している。
あの笑顔がもう亡い。あの声が聞こえない。呼んでも返事をしてくれない。
それが『死』だということは分かっている。経験はある。ただこれまでアルギンにその経験をくれた相手は、ネリッタではなかった。
ネリッタを喪ったのは、これが初めてなのだ。
「―――汝等」
二人に声が掛かる。サジナイルが声の方を振り返って、アルギンから足を離す。アルギンは、振り返らなくてもその声の持ち主が分かった。それが分かるくらいには、冷静さを取り戻している。
「このような所で、床掃除かえ」
声の主は、『月』隊長。足音もさせず、二人の側に近寄る。
サジナイルは溜息と共に肩を竦ませた。足元に転がっている雑巾役は、まだ起き上がらない。
「お前が来たなら丁度いい、ちょっとこれ運んでくれや」
「運ぶ? 葬儀は滞りなく終わった。我はサジナイル、汝を呼びに来たまで」
「え、俺を?」
「三隊長で会議がある。次期『花』隊長をどうするか、だ」
アルギンには聞こえていた。聞こえていて、動かない。
「次期隊長って……、それ、会議必要か? だってよ、副隊長は健在で」
「隊長が退任ではなく殉死となると、前代未聞の事だ。後任候補に不安が無ければ構わぬが」
『月』隊長の顔が、アルギンに向いた。アルギンはその視線を、背中で受けることになる。
彼の視線が向いたことを、背中に直接かかる声で知る。気まずさより、羞恥より、今のアルギンには無気力が強い。
「不安が無いとしたら、それほどまでにこの者に信頼を寄せているのか、それとも途方もない気楽者かのどちらかであろうな」
まるで酷い言われよう。背中側で、サジナイルが溜息を吐いたのが分かった。それは呆れの溜息のようで、アルギンが小さく舌打ちをする。
「会議の結果を、カリオンが上奏する。隊長に欠員が出たのだ、早くしろ」
「……会議室でいいのか?」
「ああ。……して、アルギン」
起きているのは気付かれている。そこで漸く体を起こした。立ち上がる気にはまだ慣れなくて、その場で胡坐をかく。
アルギンに向けられた『月』の視線は不思議なものだった。こんな醜態に蔑まれても仕方ない、とさえ思っていたのに、彼の視線は普段通り。それに何とも言えない違和感を覚えて、だんまりを決め込んだ。
「何ぞ、申し開きがあるのならここで聞こう」
耳を疑うことになる。
言葉はまるで慈悲のようだった。この男が誰かに情けを掛けるなど、あり得ない事のはずだったのに。
同じことを考えているのか、アルギンの視界の中でサジナイルが目を見開いている。どういった風の吹き回しか分からないが、彼が隊長になったことで物事を管理者の立場から考えられるようになったのだと、前向きに考えることにした。
「……申し開き? 無いよ、そんなん」
「ほう? では短絡的な己の感情で、葬儀を中座したと」
「あれが短絡的、って言われてもまぁ構わないけれど」
随分、冷静になれたと思う。サジナイルの肉体言語があってからこその冷静さかも知れないが、『月』の存在は大分大きかった。落ち着く、涼しげなテノール。この声の持ち主に恋情を抱いて、両手で数えるほどの時が流れた。
そんな相手に何を言えばいい? 自分のすることに責任を取れない子供じゃない。今回の事で副隊長の座も失うことになるのなら、仕方ない。
「……アタシさ、ネリッタ隊長に言ったことがあんだよ。隊長が奥様亡くされた直後の事だけど。楽しかった頃の思い出は、笑顔で思い出してあげて、って」
『月』隊長もサジナイルも、アルギンが零す呟きを聞いている。
「……それを、アタシが言ったのに」
零れるのは呟きだけではなかった。
「アタシ、が。そんな事、言っといて、さ。こんな顔で、隊長の前に、出られると、思う?」
涙が、アルギンの頬を流れる。
これまで涙を流さなかったのは、耐えていた訳では無い。心のどこかで、その死を理解出来ていなかったからだ。
葬儀に出てしまえば、否応無しにその死を実感してしまう。潰れた顔の男がネリッタだと突き付けられる。そして、彼の遺体の前で、泣いてしまう。
受け入れたくないと思う感情は、今でも。
けれど、もう。
「葬儀でぐずぐず泣いてる女を、誰が頼る。女の涙には価値があるかもしれないけど、騎士であるアタシの涙には価値なんて無い。それどころか、これが衆目に晒されたら、『花』の汚名になりかねない。アタシが泣いても、死んだ隊長も、他の騎士も、民衆だって喜ばねぇんだよ。喜ぶのは、アタシを蹴落としたい奴らだけだ」
死んだ、と、認めるしかなかった。
アルギンの涙はもう止まらない。
「アタシが薄情だって、任務放棄だって言われてもいい。責任取れって言われたら取れる範囲で取るよ。アタシはこの涙を、公式の場で、公衆の面前で見られたくなかった。それがアタシの『短絡的な己の感情』だ」
「そう、か」
アルギンの言葉を、二人はどう受け取ったのだろう。いつもは年齢の割に直情的なサジナイルの表情が湿っぽいものになっている。『月』隊長は、早々にアルギンに背中を向けてしまった。
「サジナイル、行くぞ」
「……うるせぇ。命令するな」
二人はそのまま行ってしまった。残されたアルギンは、まだ立つ気にはなれない。
葬儀が終わったのなら、ここに人が戻ってくる。それまでに、アルギンは執務室に戻るつもりだった。今は力が入らない体も、もう少し休めば元に戻るだろう。
あとは、沙汰を待つしかない。
けれど許されるのなら、もう少しだけ。
もう少しだけ、ネリッタを偲んで泣かせてほしかった。
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