第162話

 雪崩れ込むように店内に入ってきた人々の先頭にいたのは、トーマスだった。アルギンがその姿を見つけ、トーマスもまたアルギンの視線に気づくと、その肩を窄ませるように小さくなっていた。

 何がどうして集まった。そうアルギンが問いかける前に、矢継ぎ早に声が掛かる。


「アルギン、アルカネットが斬られたって話を聞いたんだ!!」

「怪我は大丈夫なのかい、随分ひどいって聞いたんだよ!」

「アルカネットは生きてるか!?」

「騎士様に斬られたそうじゃないか!!」


 その声らは誰のものだったろう。多分一人ひとり個別に聞きさえすれば分かるだろうが、こうもてんでバラバラに喋られたんじゃ分かったものじゃない。それでなくても、アルカネットの負傷に動揺しているのだ。煩いと大声で怒鳴り散らさないだけ平常心は保てているが。

 やいのやいのと掛けられる声を無視して、トーマスに視線を向けた。アルギンの視線から逃げるように更に小さくなっている。


「……俺は、皆を止めようとして、扉を抑えてたんです。最初は詰め所に皆が押しかけてきて、俺たちじゃ話にならないって、こっちにまで行こうとしてたから」

「扉を抑えてた?」

「今はアルカネットさんが危ない状態だからって、言っても、誰も、聞いてくれなかったっす。でも扉が開いたから、流れで俺も入ってしまいました」


 なるほどそれで、とアルギンが納得した。同時、両の手を叩いてその場を静める。


「はいはい、お集まりの皆さん! 知っての通り、ここには怪我人もいるんだ、静かにしてもらおうか!!」


 手を叩く音は雑音の中でもよく響き、次第に声が消えていく。誰ひとり話さなくなった状態になって漸く、アルギンが闖入者たちに声を掛けた。


「皆々様がお越しいただいた理由の通り、うちの愚弟は斬られて寝込んでるよ。今は絶対安静だな」

「生きてはいるんだね?」

「そんなにアルカネットを殺したいかね。死んではいないが危ないのは間違いない。あの世に旅行くらいは行ったかも知れねぇがよ」


 一度静かになると、無駄に口出ししてくる者がいなくなって楽になった。それからはアルギンの一問一答。


「なんで斬られたんだ?」

「そこんとこはトーマスに聞いてくれ。アタシよりトーマスの方が近くで見てた」

「傷はどんなものなんだい? そんなに酷いのか?」

「骨見えるくらい胸斬られてんだよ。これが酷くなかったらなんなんだろうな」

「いつごろ顔が見られそうかい?」

「それは治り具合次第だろ。それか、冷たくなってていいならここで騒いでたら明日にでも顔が見られるだろうさ」


 『早く帰れ』。言外のアルギンの圧に、その場にいた来客の顔が引きつった。アルギンの受け答えの声の調子はいつもと変わらないのだが、言葉に混じる邪魔者扱いは感じているらしい。


「で、でも心配してんだよこっちは。そんな無碍にしなくたっていいだろ、な?」


 それを強行して中に入ろうと一歩を踏み出す中年の男がいた。この場にいる全員にその顔に見覚えがあった。近所の八百屋の店主だ。そこそこ懇意にしているだけに、なあなあの感覚で中に入ろうとしてきている。

 その肩を掴んでその場に留めようとしたのはミュゼだった。


「困ります」


 ミュゼは無表情だった。無表情に圧を感じさせて、それを見た八百屋の店主が足を止める。彼だって、本気で中に入ろうとはしていなかったかも知れない。余所行きを装った、シスター然とした姿のミュゼは店主を押し返し、アルギンの側に立った。これ以上は誰も入らせない、そんな意思を来客に感じさせる。

 来てくれたことはただ嬉しいが、空気は緊迫している。それが居心地悪くて、アルギンが別の話題を切り出した。


「……気持ちはありがたい。ありがたいが、皆、正直うちの事に構ってる余裕なんて無いんじゃないか」


 それを言うと、来客の殆どが互いに顔を見合わせる。ここ最近の城下の様子は散々だ。謎の植物から始まり地震に買い占めに、今は城下から外への門まで封鎖されていると聞く。外には行けない、何も入ってこない。それは食料品も同じこと。

 冒険者ギルドの受付の男が頭を垂れる。目の下には隈があり、疲れ切っている顔をしていた。


「他国からの冒険者が、国を出られないと……。苦情対応に当たったりするんですが、正直、お手上げです」


 その言葉を皮切りに、あちこちから怒りが噴出する。


「地震で買い占められた時もそうだがよ、供給が間に合ってないんだ。もう売るもんもなくなっちまったってのに、門閉められて出れない入れない。これじゃもう仕入れが出来やしねぇ」

「こっちも。仕入れが出来ないのにお客を呼ぶなんて無理。自分たちが食べるもので精一杯」

「花なんて、だいぶ前から売れてない。潤いや余裕から遠ざかって、皆心が荒んでる」

「地震のせいで本棚が倒れてしまった。それから殆ど誰も本を買いに来ない。こんな一大事に城の連中は何をしている?」


 神経質な本屋の店主が眼鏡を上げた。本屋の一大事がここにいる全員の一大事と一致しているとは思えないが、アルギンは全員の言葉に頷いた。


「だろう? こんなところにいる時間なんて、本当は無いんじゃないか。アルカネットの事を心配してくれるのは、本当に嬉しい。だけど、肝心の奴が感謝を伝えられる状態にないんだ。怪我が治ったら顔見せくらいはするから、今日のところは帰ってほしい」


 この話をする頃には全員落ち着いていた。自分の生活を思い出したようだ。―――しかし、誰も帰ろうとしない。


「あのさ、アルギン」


 話し始めたのは八百屋の店主だ。


「どうにか、してくれよ」


 声は、震えていた。


「―――は?」


 アルギンは、そう返答するしか出来なかった。


「あのさ、俺たち、知ってるんだよ。アンタらが、裏で何してたか。後ろ暗いことも、でも、誰かの役に立ってたことも、口で言えないことだって、血生臭いことだって」


 血の気が引いていく。何を言われているか分かったが、理解したくなかった。周りを見れば、それぞれが沈痛な面持ちで、そして、頷いていた。

 咄嗟にトーマスの胸倉を掴んだ。苦痛に歪む表情を無視して、顔を近づけて睨みつける。


「―――言ったのか、テメェ」

「ちっ……違う!! 俺じゃない!!」

「じゃあなんで皆知ってんだよ!! テメェじゃなかったら誰だよ!! 誰が言ったってんだよ!?」


 これまで隠していた『顔』。酒場『J'A DORE』ではない『j'a dore』としての活動。これまで何をしてきたかなんて、挙げていたらキリがない。胸を張れる行為だけではないことを、アルギンは痛いほど分かっている。そんな集団の頭役なのだから。

 しかしそんなアルギンを宥めるように、八百屋の店主は話を続ける。


「違う、トーマスじゃない。……知ってたんだよ、俺たちは。昔から」

「昔、……?」

「知ってたんだよ。俺たちは。嬢ちゃんさ、この酒場が建って何年経ってるか知ってるか?」

「何年、って……、知らない、そんな事まで、詳しくは」


 胸倉を掴んでいた手を放す。床に尻餅をついたトーマスは、その場で蹲って咳き込んだ。


「五十年だよ。俺の親のその親の代から建ってる。……エイスさんは、さ。自分たちが万が一ポカして、この近辺に危害が及んでも無事に逃げられるように、前もって伝えていたんだよ」


 眩暈がした。そんな事、死んだ兄は一言だって伝えてくれていない。視界は勝手に回転しだすが、来客の面々はお構いなしだ。


「まさかこの期に及んで、嬢ちゃん、国の狗じゃねぇだろうな」

「な、」

「アルカネットを怪我されて、国がこんなになって、それでも権力に服従してんじゃねぇだろうな!?」

「ばっ……」


 眩暈がどこかに吹き飛んだ。そして、気づけば八百屋店主の胸倉を掴んでいる。布と共に握りこんだ指が、力を入れすぎたことと恥辱で震えている。

 頭に血が上って、怒りに脳が沸きそうだ。


「あんなクソ共の言うことなんぞもう聞くかよ馬鹿野郎!! あんな奴らこっちから願い下げだ!!」


 挑発したのは八百屋店主の方なのだが、アルギンの逆鱗に触れて青ざめながら震えている。

 掴んだ胸倉を更に引き寄せて、吐き捨てるように言った。


「散々アタシを馬鹿にして、アタシからあの人を取り上げて、娘たちまで手放させて、アタシを使い潰そうとしてた奴らだ! アールヴァリンのひとり殴っただけじゃ、もう気が済まねぇよ!!」

「じょ、ちゃ、ん。わかっ……わかった、から、手……はな……」

「ふん!」


 突き飛ばすように、掴んでいた胸倉の手を離す。咳き込んだ八百屋店主は涙目で、他の来客の背中に隠れた。

 そんなアルギンの耳に、足音が聞こえた。


「漸く言ったな、マスター」

「……これはこれは」


 来客の面々に隠れていたように、一番後ろから姿を現した人物がいた。



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